婚約者を探しています。
エタンが帰ってきてから数日。
エタンの婚約者探しは大変難航しております。
「あーもー! フェリママは知ってそうなのに教えてくれない〜! うちのパパとママは微妙な反応だから、たぶん知らないわ……」
「僕も思い出せる場所、しらみ潰しに行ってみたんだけどなぁ。全然、思い出せないや」
聞き込み失敗! エタンの記憶は頼りない!
「ちなみに私のことは?」
「ぜーんぜん。今日も可愛いね、ニケちゃん!」
「恥ずかしいからやめて」
くぅ、エタンの可愛い攻撃に不覚にも頬が熱くなってしまう……! これは社交辞令、これは社交辞令……! 私とエタンはただの幼馴染み!
今すぐ手に持ったホースで水を浴びて顔の火照りを冷ましたいよぉ……!
そんな私を赤面させてきたエタンは本日、フェリママからの言いつけで、バード家の家庭菜園でトマトを収穫している。かくいう私もうちのママから頼まれて、我が家の家庭菜園の野菜たちに水遣り中です。
エタンとの会話は垣根越し。
このなんてことのない感じ、エタンが帰ってきたことが実感できて嬉しかったりするんだけど、本人には内緒にしておく。だって向こうには私の記憶がないし……。
朝の日差しの中、野菜に囲まれた私たちは進捗報告をしあうけど、なんの進捗もない。
「他に覚えていることはないの?」
「ニケちゃんはなくした小物がある場所、分かる人?」
「聞いた私が悪かったわ」
覚えていないことは覚えていない。それ以上はなし。期待した私が馬鹿でした。
アプローチを変えるべきなのかな。
畑にホースの水を撒きながら考える。
「そういえばエタン、休みはいつまで?」
「病気療養扱いだから、まだしばらくは休みだよ。でも記憶だけだし、日常生活に支障もないから、ひと月くらいで復帰の予定」
ひと月かぁ。短いような、長いような。
記憶喪失も病気扱いになるんだね? 身体は元気だから働けってことかな。騎士って大変だ。
「また遠いところに行くの?」
「ううん。戦時のような遠征はなくなるよ。国境の砦に戻るけど、でも定期的に帰って来るから」
そう言うエタンの横顔は精悍で、男の人みたいな顔をしてた。戦争から帰ってきたエタンは、時どき知らない人みたいな雰囲気になる。今がまさにそう。自分の知ってる男の子じゃないんだってことを思い知らされたみたいな気持ちになってしまう。
私たちの間に共有できない時間があることが、ちょっぴり寂しい。
「婚約者さん、見つかると良いね」
「そうだね」
私は淡々と畑に水を撒く。きらきらとお日様の光を反射する水飛沫はとっても綺麗。
なんだかセンチメンタルな気持ちになっちゃったけど、エタンだって大人になるんだもの。ずっと子どものままじゃいられないし。目下の大切なことはエタンの婚約者探しなので、私のこの気持ちは畑にぽいぽいっと撒き散らしておかなきゃ!
とはいえ、相変わらず探すあてはないしなぁ。
私は首をひねりながら、腕時計を見て気がついた。
「あ、もうこんな時間」
「なにか用事?」
「なに言ってるの……、って、そっか。覚えてないんだっけ」
やだやだ。ついつい忘れちゃうけど、エタンは私のことを覚えてないんだから。
私は水を止めて、ホースの回収を始める。
「仕事だよ。パン屋さんで働いているの」
「パン! ちょうどお腹空いたし、送るよ」
「私よりもパンが目的でしょう」
「……ばれた?」
「ばればれでしょうが」
ちょうどタイミングよく、ぐぅ〜と大きなお腹の音が聞こえた。今のエタン? タイミング良すぎない?
でもまぁ、エタンのお腹が空く時間ではあるかもね。どうせ朝食を抜いているだろうし。
ホースを納屋に片付けながら、ふと私は悪戯心というか、出来心というか……何気なくこんなことを聞いてみた。
「エタンはなんのパンが好きか当ててあげようか」
「あ、なんだか知り合いっぽい。ぜひ」
「知り合いどころか幼馴染みなんだけど」
隣の家に住んでるのが見えないかな?
ちょっと拗ねてしまいたい気持ちもあったけど、まぁいいや。
「エタンの好きなパンは、バケットにガーリックバターを染み込ませたやつ。アンチョビと食べるのが好き」
「正解! めっちゃ好き」
エタンの声が嬉しそうに跳ねる。
納屋からひょっこり顔を出せば、エタンが目をきらきらさせて私を見ていた。その表情は子供の時から変わっていなくて、笑っちゃう。
「相変わらず酒飲みみたいなものが好きなんだ。お酒飲めないくせにね」
「同僚にも言われたな、それ。そっか、ニケちゃんも知ってるのか」
「だからちゃん付けやめてってば」
納屋から出て垣根のほうに寄れば、エタンがトマトの入った籠を持って畑から出てくる。
「あ、でも。あれも好き。白パンの中に、クリームいれたやつ。おいしいよね」
あ、と思った。
これは私の知ってるエタンだ。
エタンが籠の中のトマトを井戸のほうに持っていく。私はその背中に声をかけて。
「どうして好きなの?」
「ん〜? だって、それを半分こにして食べると喜ぶ子がいるんだよね」
心臓がどきどきと大きく鳴る。
ねぇ、エタン。もしかして、覚えてる?
つい、前のめりに聞いてしまう。
「喜ぶのは、誰?」
「そりゃもちろん――あ、れ?」
エタンが私のほうを振り向いた。
私の大好きなアメジスト色の目が瞬く。
それからくしゃりと泣きそうな顔になって。
「……誰、だろう。そう、誰かが喜ぶんだ。誰か……ニケちゃんは、知ってる?」
……そっかぁ。そう、だよね。
私も泣きたくなってしまう。でも泣かない。泣くのは私じゃない。思い出せないエタンのほうがずっとつらいと思うから。
「白パンを半分こにして食べてたのは、私。クリーム入りの白パンは、私の大好物なの」
「そ、か……」
エタンが残念そうに肩を落とす。
もしかして婚約者さんの記憶かもって期待させちゃったかな。もし、そうなら悪いことをしちゃったかな。
私って悪い子なのかもしれない。
「思い出は、残ってるんだね。私のこと、ちょっとずつ思い出してくれると嬉しい。私はいつもここにいるからさ。……それよりエタンの婚約者さんだよ! ずっと待ってるんだから探してあげないと!」
「う、うん」
拳を握って、エタンに向かってパンチする。垣根の向こうにいるエタンには届かないけど、今はそれで良い。
時間時間と慌てたふりをして、私は早口でまくし立てる。
「エタン! うちのパン屋で腹ごなししたら、また手がかり探しに行きなよ? そうだ、行きつけだったお店に行ってみたら? 誰か一人くらい、知っているかもよ?」
「そう、だね。もう一度探しに行ってこようかなぁ」
そうしなよ、そうしようと言い合いながら、私は家の中へと入った。エタンはトマトを洗うだろうから、その間に仕事に行く支度をしなくちゃ、
誰も知らない、エタンの婚約者。
その婚約者よりも、私に繋がる思い出を覚えてくれていたことが嬉しいと思ってしまった。
そんな私は、悪い子でしょう?