幼馴染みが記憶を失くして帰ってきた。
「僕、この戦争から帰ったら結婚するんだ」
私からちょっとだけ視線をはずしながら、彼がそう言ったのを覚えている。
国境騎士団に勤めている彼は私の幼馴染みで好きな人。彼に好きな人がいることも、彼が戦争に行ってしまうのも悲しかった。
でも私は、前線に行く彼の気がかりにはなりたくなかったから、「それなら生きて帰ってこなきゃね」と笑って送り出した。
そんな幼馴染みが、終戦を迎えて今日、帰ってきた。
私だけの記憶をぽっかりとなくして。
❖ ❖ ❖
「君、可愛いね? 僕と結婚する?」
「……は?」
玄関先でおかえりを言うよりも早く、私を出迎えたエタン・バードから求婚されてしまった。
戦争に行っていたエタンが帰ってきたって聞いて、私と一緒に隣のバード家に押しかけた両親も面食らってる。私だって一瞬ポカンとしたし、そのあと顔が赤くなっちゃったけど……すぐにスンッと真顔に戻った。
「フェリママ? エタンどうしたの? 頭打ったの?」
「ニケちゃん〜。ノエラとアルマンさんもいらっしゃい〜」
エタンの背中越し、廊下の向こうにいたフェリママもびっくりしたみたいで固まっていたけれど、私が声をかけたらすぐにハッとして玄関にまで来てくれた。
エタンのお父さんはエタンが生まれてすぐに亡くなった。女手ひとつでエタンを育てようとしたフェリシアママを、同じ頃に私が生まれて、しかも家が隣同士だったうちの両親が色々とお節介を焼いたそう。
家ぐるみの付き合いだった私とエタンは、それこそ姉弟のように育ったわけで。
「エタン? なんの冗談?」
「あ、僕のこと知ってるの?」
「はぁ?」
本日二回目のはぁ? はちょっと力がこもってしまった。
「つまり、エタンは記憶喪失なの?」
「一部だけね。母さんのことも覚えてるし、ノエラさんとアルマンさんのことも覚えてるよ」
かくかくしかじかと話を聞いてみたところ、エタンは終戦間際の最後の戦いで、崖から転げ落ちて頭を強く打ったらしい。すぐに目が覚めて戦線に復帰したらしいけど、後から同僚の会話の中で記憶が一部なくなっていることに気がついたんだって。
いやもう、色々つっこみたいんだけど……!
頭打ったのになに普通に戦線復帰してるの!? とか。どうしてすぐにお医者さんに見せなかったの!? とか。
でもそういうところがエタンらしいし、生きて帰ってきてくれたのは嬉しい。でも、記憶を失くしてるせいで、素直に喜んであげられないのが悲しい。
しかも、その失くした記憶っていうのが。
「なんで私だけ……」
バード家のダイニングにある大きなテーブル。
そこの椅子に座って頭を抱えていると、お茶を淹れてくれたエタンがマグカップを両手に持って私の前に座った。私と一緒に来ていた両親は、フェリママと買い物に行ってる。エタンが帰ってきたお祝いにごちそうを作るんだって。
で、取り残された私はエタンからのカミングアウトに頭を抱えています。なんでこうなるかなー……。
そのエタンくんは、ずずっとお茶をすすりながら、あっけらかんと、さらにとんでもないことを言ってきて。
「ニケちゃんだけじゃないよ? 同じ部隊のやつら曰く、僕の婚約者のことも忘れてるっぽい」
「はぁ!? あんた、そんな大事な人まで忘れちゃったの!?」
私だけならともかく、そんな大切な人のことまで忘れるとか、どういう頭をしてるのよ……!
私はため息をつきながら隣に座ってるエタンを半目で見た。
「帰ってきたら結婚するんだって言ってたじゃない」
「わぁ、熱烈」
「他人事じゃないわよ! どうするの、戦争が終わって、あんたのことを待ってる人がいるのよ……!?」
自分で言っておきながら、つきんと胸が痛む。エタンと結婚するのは私じゃない。彼が戦争に行く前に、私へ宣言した時から覚悟は決めてたのになぁ……私、まだエタンに未練があるみたい。
それでも、無事に戦争から帰ってきてくれたことを喜んであげたい。いっぱい大変な思いをしたはずだもの。姉弟みたいに育った私だからこそ、エタンには幸せになってほしいって人一倍、思っているからさ。
「とにかく、エタンの婚約者を探さなきゃ。手がかりはないの?」
「え? ニケちゃんは僕の婚約者を知らないの?」
「知らないわよ。あと、そのニケちゃんって呼ぶのやめて」
ニケちゃんとか、子供の頃みたいな気持ちになる。くすぐったい。でもこんな甘い気持ちを持っていいのは、エタンの婚約者さんだけだもん。私はエタンを諦めるって決めたんだから、こんな気持ちは持っちゃだめ!
とはいえ。
エタンの婚約者を探そうにも、私も誰かなんて教えてもらってないし……。エタンって結構薄情? あ、なんか今ちょっとイラッとした。私に黙って婚約してたわけでしょ? ないわ。ないわー。挨拶くらいしても良くない!?
荒ぶる気持ちは抑えつつ、私もエタンの淹れてくれたお茶をすする。ちょっと渋くて濃い。大雑把なエタンらしい味のお茶にちょっとだけ溜飲が下がる。久しぶりのエタンのお茶が身に沁みる。
「婚約者の手がかり、フェリママに聞いてみた?」
「聞いてみたけど、教えてくれなかったんだよね」
「えっ、なんで?」
「今知っても、あなたにとって他人でしょうって言われてしまった」
その言葉は私にも効くよフェリママ……!
他人という表現が胸に刺さって痛い。そうだよね、私の記憶がすっぽりなくなってるってことは、エタンにとって今の私は知らない人なんだよね……。
私の知っているエタンと比べたら、確かにちょっとよそよそしいところはある。でも久しぶりにあったらこんなものかな、くらいの変化。あんまり記憶がないってことを意識してなかったけど、エタンに知らない人のようにされたのって結構ショックだったなぁ。それを婚約者さんに強いるのは、ちょっとどうかと思う……。
「同じ部隊の人は知らないの?」
「むしろ根掘り葉掘り聞かれたよ。結婚するから死ねないって言ってたらしいけど、でもその相手の名前は出なかったって」
「そうよね……私だってエタンの好きな人の名前知らなかったし……」
むぅ。エタンに大切にされているらしい婚約者さんに嫉妬しちゃうなぁ。
でもちょっと待って?
エタンが国境騎士になってから数年が経つ。それなのに同じ部隊の人が知らないっていうのはおかしくない?
実は婚約者なんていないんじゃ……と思い始めたところで、エタンがポケットをごそごそと探りだす。テーブルの上に何かを置いた。
「ニケちゃんはこれ知ってる? 婚約者からもらったって」
「なにこれ? リボン?」
「見覚えある?」
エタンが置いたのは、花を模した黄色いレースのリボン。見覚えのあるような、ないような。
私は記憶を探ってみるけど、そもそもエタンに婚約者がいたってこと自体、戦争直前に知ったから私が何かを聞いているはずもなくて。
「分からないわ」
「残念。これ、僕のお守りだったんだってさ」
エタンが黄色のリボンを指でもてあそぶ。なんだか優しい表情。ちくりと痛む胸にそっと蓋をする。
私は幼馴染み。
笑って結婚をお祝いするって決めたでしょう!
私はパシパシと頬を叩く。エタンがびっくりしたようにこっちを見たけど、きりっとした私は椅子から立ち上がった。
「エタン、がんばって探しましょう。婚約者さんもきっと、あなたが帰ってくるのを待ってるわ。帰ってきたよって教えてあげなきゃ」
椅子に座ったままのエタンを見下ろした。エタンは面食らったように目を丸くしたけど、すぐに破顔して。
「うん、そうだね。ニケちゃん、ありがとう」
「だからちゃん付けはやめて。恥ずかしいの」
戦争から帰ってきたエタンが、初めて声をあげて笑った。