婚約破棄令嬢
侯爵家令嬢といえども、五女ともなればこの身から貴重さは薄れる。
身分を知れば敬われはするが、個人として敬意を得ることはない。
マーレ・トノン・ウォルディナットは、正室腹とはいえバルバ侯爵家の中では地味で目立たぬ立場である。
侯爵家息女としては、同じ時期に第三夫人の腹から産まれた六女のリリア・ノーズのほうが、その美貌と愛嬌をもって社交界で鳴らしている。
今日も壁の花として、遠く離れた(精神的にも物理的にも!)会場の中央で華やぐ人々を眺める。中心的グループのひとつには、我が麗しの妹リリアも居るはずだ。
(花などと皮肉な名称だこと。壁を飾るどころか、染みではないの)
花ならば、その姿形に目を止めてもらえることもある。しかし、「壁の花」となると、どんな色彩だろうと目を止める価値はない。
扇の裏であくびを噛み殺しながら、退室するタイミングを計らう。
「マーレ」
覚えのある声に、名を呼ばれた。これまた扇の裏で舌打ちをする。イチニサンと息を吐き、ゆっくりと扇を下ろした。
「これは大叔母さま。ご無沙汰しております」
扇を定位置におき、肩甲骨を下げて胸を張る。軽く脚を引き、大叔母へと礼を取った。
「よろしい。咄嗟の取り繕いにしては及第点です」
「・・・・・・まあ、人聞きのお悪い」
「あくびを噛み殺していましたね。不自然な首のかしげかたをしていましたよ。どこで誰に見られているとも知れないのです。人目のあるところでは決して気を緩めずに居なさい」
「・・・・・・大叔母さまにしか分かりませんよ。そんなの」
ぽそりと呟けば、冷たい鉛色の瞳がぎっと睨んでくる。
「マーレ。私たちのように取り立てて秀でたものの無い人間は、特に注目されないのと同時に、悪意にさらされた時に身を護りきる手だても無いのです。常に付け入られる隙を見せないこと」
大叔母は、祖父の妹。つまり先代バルバ侯爵の妹君だ。
子の無い大叔母は、甥の子供たちの中でも特にマーレを気に入っているようで、なにくれとなく世話を焼いてくる。小言と一緒に。
口煩いところには辟易するが、マーレは大叔母が好きだった。
「そうですわね、申し訳ございません大叔母さま」
あくびくらいでそんなわけ、と言い切れないのが悲しいところだ。ちょっとした悪意とも言えない噂が、関係の無い塵芥を巻き込んで大きな塊となって戻ってくることもあるのが社交界だ。
「それにあなた、近頃少し噂になっていますよ。人から全く注目されていないなどと、傲慢にも程があります」
「わたくしが噂に?」
はて、人の口に上るような何かがあったろうか。マーレの日常はいつも通り淡々と、可もなく不可もなくなものだ。どこかで耳目を集める派手なことをした覚えもない。
「子爵位を受けるでしょう」
「は?」
大叔母の口からこぼれた言葉は、当たり前すぎて何を注目されることがあるのかと、拍子抜けしたマーレは間抜けな音を出してしまった。とたん大叔母のキツイ眼差しが飛んでくる。おおっと、怖い怖い。
「高位爵家の子女に、家の持つ低位爵が与えられるのは当たり前ではありませんか」
マーレが肩をすくめてみせると、淑女の仕草ではないと扇で手の甲を打たれた。それこそ、夜会での淑女の行動で無いと思うのだが。
帝国において、爵位の譲渡に男女の区別は無い。
貴族は有事には兵役を課せられているので、戦場での将校となりやすい男子の方へ爵位が譲渡されやすいというのはある。
しかし、基本的にいくつもの低位爵位を持つ高位爵位の家の子女には、みな爵位を与えられる。当代限りではあるが。
もう少し込み入った話をしたいと、大叔母に示され大広間を離れる。
休憩室のひとつを貸し切らせてもらい、椅子へ腰を下ろした。
部屋付きの侍女が大叔母のグラスにワインを注いだ所で給仕を断り下がってもらうと、マーレは手酌でワインを注ぐ。
大叔母の眉が急勾配するかと思ったが、自身も飲むクチの大叔母は何も言わなかった。おそらく大叔母も、人目がなければ手酌常習なのだらう。酌を待っていると、自分のペースで飲めない。
マーレがグラスをかざして見せると、大叔母は無言で自分のグラスを持ち上げた。目配せで乾杯し、口をつける。甘口で酸味のある軽めの赤ワインは飲みやすく、二人とも一杯目はすぐに空になった。大叔母がグラスの台座を指で叩き、マーレを促す。
「確かに私はフォル子爵位をいただくことにはなってますけど」
ワインを注ぎながら、前置きもなく本題へ入る。
「まだ内々の話です。それに子爵位なんて、リリアももらいますし。スリューは伯爵位を与えられる予定ですよ」
第九子のスリュー・ノットは、どの夫人の子ですらない。いわゆる婚外子である。しかし、九人いるバルバ侯爵家の子女の中では、一番バルバっぽい。身分問わず誰もがバルバの血縁だと思ってしまう程度には。
そのため市井にバルバの落とし種が居ると噂になり、慌てて引き取ったのが二年前だ。
市井育ちであるが、男子であるので指揮権の与えられる伯爵位が用意された。その代わり、いまは地獄のシゴキに翻弄されているはずだが。
「そのフォル子爵位が問題なの。ちょっとした曰くが付いていることを知らないわけでは無いでしょう」
「ああ、それですか」
「あなたの人となりと関係の無いことは知っていますが、世間はそうは取りません。いつかあなたの事のように語られてしまいますよ」
曰く、フォル子爵とは婚約者から捨てられる悲劇の令嬢に与えられる爵位である、と。
「とは言ってもですよ、大叔母さま」
わたくしには婚約破棄をされるような婚約者が居りません。
「そこなのよね。あなた、今年で19でしょう。未だにひとつも申し込みが無いの?」
「さいわ、ごほん。ええ、残念なことに」
「ああ!もうっ!そこにフォル子爵なんて名乗ってみなさい」
まあ、まず婚約しようと考える男は居なくなるだろう。
婚約者も居ないうちに、婚約破棄の爵位貰うなんて不憫すぎる。と、大叔母は言いたいらしかった。
かっとワインを煽った大叔母は、空になったグラスにサイドテーブルからひったくったデカンタのワインを手酌で注ぐ。
「いいですかマーレ。このままでは、婚約破棄の爵位ではなく、呪われた行かず後家の爵位と噂が移ることに違いありません」
「気が早く無いですか。大叔母さま」
後家になるには色々とすっ飛ばされたものがありすぎる。
「早くない!私が何故に来たと思うの!すでにくちさがないものたちからではじめているからですっ」
「大叔母さま」
大叔母の手のグラスがぶるぶる震え、ワインが波だった。
「ああ、何故なの。私が返上した爵位が、よりによってあなたに行くなんて!!」
大叔母がマーレを気にかける理由のひとつに、容姿のことがある。
祖父の妹である大叔母とマーレは、よく似ていた。
まっすぐな黒髪と鉛色の瞳。背ばかりが高い、骨ばった痩せぎすの身体。変わりにくい表情。抑揚の無いしゃべり方。何があったというわけでは無いが、全体的に陰気なのだ。
六代前に嫁いできたという、西の大陸の姫からの遺伝だという。
つまり。見かけはもっともバルバっぽくない。
「私はほかの姉妹ではなく、私がフォル子爵位にと言われたこと、光栄に思っております。そんな、お嘆きになるほどでも。ただの曰くでございましょう」
マーレは姉妹だけでも六人、男兄弟は三人居る。
それら全てに爵位を与え、その他に親戚など才能のあるものにも爵位は貸与される。
希望すさる爵位が与えられるというものでもない。
祖父は三人兄妹弟であり、大叔母は先々代侯爵の唯一の女の子である。
先々代侯爵は側室をもたず、お子は三人だけだった。そのうち結婚して子を成したのは、マーレの祖父、先代バルバ侯爵だけである。
三人のお子には、バルバ侯爵家の低位爵位の殆どが譲渡され、そして先々代の引退と共に侯爵家に返還された。十分に利益を膨らまされて。
爵位とは、ただ持っていればいいというものではない。
爵位にはそれぞれ持たされている役目があり、損なうことは許されていない。
フォル子爵は、帝都に二つの邸を持ち、三つの商会と銀細工と砂糖の販売権を持つ爵位である。
フォル子爵と名乗る者は、自動的に商会の頭目となり銀細工と砂糖の取り纏めを仕事としてこなさなくてはならない。
大叔母は商才があったようで、フォル子爵として手腕を奮っていた。とは言っても十五年は前の話だが。
爵位を返上したあとも、顧問として監督はしているので、実質フォル子爵であるともいえる。
大叔母は、自分を何の取り柄も無い地味な女というが、大したものなのである。
そんなやんごとなき大叔母さまであるが、立派な行かず後家となられてしまったのは、四十五年前に婚約破棄をされて以降、何方からの申し入れも全て断っていたからである。
「フォル子爵である以上、『婚約破棄された令嬢』という印象はぬぐえません。私だって、ゾジェウム伯爵から婚約破棄を申し出られる前までは、爵位の噂と私自身には何の関係もない。気にするなんて馬鹿馬鹿しいと思っていたのよ・・・・・・」
ふうと深いため息と共に、大叔母はソファに沈む。ああ、ワインがこぼれる、とマーレははらはらした。
「トリアムさま、今のゾジェウム伯爵だけどね。仰ったわ。『私にも貴女にも、何ら非はない。だが、事実無根だというのに「婚約破棄するんだって?」と聞かれるのは我慢なら無い。まるで私が悪意ある者のようではないか!』とね」
「それで破棄してきたなら、充分に悪意があるじゃないですか」
そのまま婚約を続けて結婚していたら、婚約破棄の爵位という噂は立ち消えたはずなのである。そうはならなかったのは、ゾジェウム伯爵に根性が無かったからであろう。
「まあ。いまならそう思うけど、当時は私も人は善意で出来ていると思っているような純粋な娘であったのよ」
「ゾジェウム伯爵は出がらしの茶葉ほどにも役に立たない男ですわ。大叔母さまに相応しくなかったのです」
「確かにあの方に商才は無いけれども。まあ。だから私が合わせられたのよね。でもねぇ、当時は洒落者として流行の先端を行くような方だったのよ。男振りも良くてねぇ」
「出がらしの茶葉のほうがまだ脂気があります。男振りなど見る影もない。カッサカサじゃないですか」
「ご商売に失敗なされてしまったからねぇ。婚約した当初に、蒸気機関研究に投資なさったらとはご忠告さしあげたのだけれども」
「失敗しただけでなく、利権も手放されてしまったとか。凡才以下でしたのね」
「トッド男爵位ね。今はコーイ伯爵がお持ちになってるわね」
トッド男爵位は、帝都の公共機関を担う一角である。
辻馬車から蒸気自動車に移行するときにゾジェウム伯爵は手を打ち損ない、爵位を手放すことになったと聞く。
「噂に聞くところによると、その、コーイ伯爵は大叔母さまに打診なされたとか」
「ええ。そうね。シムト様。コーイ伯爵だけれども。私が婚約破棄されてから二年ほどたってからでしたかしらね。後添えにとは打診されたわね」
「その当時ですでに後添えだったのですか?」
「シムト様の最初の奥様は、ベラード男爵家のご令嬢だったのだけれども、嫁いですぐに大病なされたの。ベラード家は皆様お体が弱くって。特に肺を病む方が多かったわね。体質だったのでしょうね」
「左様でしたか。コーイ伯爵のお申し出は良くなかったのです?」
「いいえ、シムト様はお優しい方だし、今も交流はあるわよ。ただ当時は私、ブランディール伯爵だったのよ」
繰り返しになるが、高位爵位家の子供はいくつもの爵位を持たされるものである。才が認められればそれはさらに顕著となら。
大叔母は現役当時、常に五つから十ほどの爵位を貸与されていたという。
「当時のブランディール伯爵位というと。東方辺境まで鉄道を通されていらしたのでしたっけ」
「そうなの。鉄道を通す土地の買収とか、地域住民への説得とか、とにかく帝都に落ち着いていなくって」
「大叔母さま自ら出向かれていたのですか」
「そりゃあ、行くわよ。帝都に居たら、報告ひとつ上がってくるまでに下手したら半年よ。現場に居るのがいちばん早いでしょう。他の爵位家の方々もそうしてらしたわ。それに一度東方に行ってみたかったのよ」
「大叔母さま、お仕事が大好きですね・・・・・・」
「そうねえ。ほら、私は無趣味だし、お兄さまのように芸術を愛でたりするわけではなかったし。あのときは爵位のために働くのがいちばん楽しかったのよ」
「それで東方に。バルバからはお一人でしたの?」
「リックも一緒だったわね。あと、又従姉妹のマリー・ローズとルゥルゥ。懐かしいわねぇ」
「大叔父様と、マリーおばさまとルゥおばさま・・・・・・。それは、さぞかしうる、ごほん。楽しかったのでしょうね」
リック大叔父は、先々代バルバ侯爵三兄妹弟の末っ子。大叔母さまの弟で、マーレの祖父の弟である。
陽気で、人の懐に入るのが上手い。バルバ侯爵家からカム伯爵位を終身貸与されていて、現在は東の大陸に出向したままである。
マリー・ローズとルゥルゥ。バルバ侯爵家と縁続きの伯爵家の姉妹で、大叔母の懐刀である。
二人とも底抜けに明るく、人と話すのが天性の仕事だとでもいうようによくしゃべる。
もちろん社交界の中心であった。現在は、自分のサロンを構えるほどの重鎮である。
この二人は、何故か大叔母を愛しすぎていて、似ているマーレのことまで可愛がってくるのである。それはもう、喧しく。
「あなたへのくちさがない噂は、マリー・ローズから忠告されたのよ」
おっと、話が戻ってしまった。せっかく昔話で上手く反らしたとおもっていたのだが。
「マリーおばさまからですか。あの方はどこから仕入れてくるのですかね。もしかして、帝都のネズミの巣穴の数までご存知なのでは」
「やめてちょうだい、ネズミなんて」
「失礼いたしました」
「マリー・ローズのサロンでね。そんなことを言い出した人が居たようよ。
マリーはもともと、ロシアン伯爵の出ですからね。バルバと縁続きとはいえ遠いでしょう。それに、バートム伯爵に嫁いだでしょう。私と仲が良いということに気づかない人も多いのよ」
バートム伯爵家は、ユトレック公爵家の派閥である。バルバとは対立しているわけではないが、仲が良いというわけでもない。付かず離れずといったところだ。
マリーおばが何故に派閥外に嫁に行ったのかといえば、その方が大叔母の耳目になるかららしい。とんだ愛情である。
「それで、マリーから提案があったのよ」
嫌な予感しかしない。
「婚約破棄令嬢と呼ばせないためには、婚約期間を置かなければいいんじゃないかと」
ああ、マリーおばさま。
なんて素敵なお申し出。さすが帝都にあるネズミの巣穴を知り尽くしている。
「だ、誰を推薦してきたのですか・・・・・・っ」
マーレの手のなかのグラスが小刻みに震える。残り少ないワインが、揺れすぎてグラスから飛び出しそうだ。
ご親切にも忌々しいおばさまの提案に、言われるまでもなく察しがついてしまった。
婚約期間があるから破棄があるのだ。ならば、期間を無くせば良い。
そうだ。すぐに結婚させよう。それがいい。
「落ち着きなさい、マーレ。まだ言い出しただけです」
「言い出したということは、もう実行されるってことじゃないですか!あのマリーおばさまでしょう!!」
「だから落ち着きなさい。私がとどめておきました。とりあえず」
「とりあえず!心強いですわ!!」
「皮肉はやめなさい。私だって、あなたにフォル子爵位が渡らなければとりあえずなんて事をしないで、完全に潰したでしょうよ」
「誰ですか!そんな酔狂を受け入れてもいいと言った奴は!」
「マーレ」
「申し訳ございません。それで大叔母さま。私などとすぐにでも婚姻を結ぶことに躊躇いの無い、切羽詰まった殿方は何方ですの?」
「マーレ・・・・・・。バルバ侯爵家の娘に、そんな者を近づける訳が無いでしょう」
「お気遣い痛み入りますわ、大叔母さま。わたくしも自分がどのように言われているのか知らない訳ではないですわ。大抵の殿方はリリアのような明るく華やかな娘を好む傾向にあることぐらいは存じております」
バルバ侯爵家の者は、虹のように輝く金の髪と灰緑色の瞳を持つ。そして細く尖った顎と大きな口元。
商売を得意とするバルバ家は、混血も進んで居るので様々な容姿を持つものが出てくるが、純血と呼ばれる者はそういった容姿をしている。
スリューはまさにそうであるし、リリアは瞳こそ母親譲りの明るい碧眼だが、虹色に輝く金髪だ。
そんな中で黒髪は、悪い方に目立つ。
確実に父の子だと判っていても、陰口や憶測はあった。
「バルバの者とは思えない陰気さだ。妖精の取り替え子ではないのかとは当たり前に言われてましたわね」
「ほほ、懐かしい妄言だこと」
大叔母も言われてきた事だと、雑言を懐かしいと言うがその目は冷えきっている。
「その妖精の取り替え子と明日にでも結婚しても良いなんて、切羽詰まってる以外思い付きません。借金ですの?それとも活動資金を求めてますの?」
「ロンディウム子爵よ」
「ロンディウム子爵・・・・・・?」
ロンディウム子爵位。マーレは頭のなかの名鑑をめくる。ロンディウム、ロンディウム・・・・・・
「ユトレックの御嫡男ではないですか!なんの冗談です!?」
ユトレック公爵家の下位爵位ロンディウム子爵は、跡継ぎに与えられる爵位のひとつである。
今のユトレック公爵はだいぶご長寿であるが、いまだ現役と聞く。次期公爵になる予定のご長女が正式な嫡子としての爵位バーナー伯爵を名乗り、その息子つまりは孫にはロンディウムの爵位が与えられているのだ。
「公爵家の嫡子に婚約者の一人も居ないわけが無いでしょう。生まれる前から予約の申し込みでパンクしているはず。一体どういう事情だとおっしゃいますか」
「マーレ。貴女自分を妖精の取り替え子と言われてると嘆いたけど、本当にそうだなんて思ってないでしょう」
質問の斜め上なことを質問で返されて、マーレは片眉を吊り上げた。それこそ大叔母とそっくりで見たものは震え上がるほどの迫力なのだが、向けられた本人はこれ以上の迫力の持ち主だ。まったく効果は無い。
「ええ勿論。馬鹿馬鹿しい。妖精が、こんな鉛色の目をしているものですか」
本当に取り替えられた子供であれば、人が持ち得ない色をしていると言われてる。ショッキングピンクの瞳だとか、ライムイエローの髪の毛だとか。
妖精が寄り付かないと言われるもの。正しくは鉄を忌避するのだが、その鉄を思わせる様な色を妖精は好まない。
マーレの鈍い濃い灰色の瞳と艶の無い黒髪は、妖精がもっとも好まない色と言える。
そう考えて、マーレは気付いた。
「まさか、大叔母さま」
「貴女、ロンディウム子爵のお噂、耳にしたことあって?」
「······いいえ。そういえば、一度もありません。どのようなお方なのか、お姿のお噂も」
言われてみればと、マーレは社交界の噂を思いだそうと記憶を廻らせる。
年頃の御令嬢のために、結婚相手を見つけようと躍起になるのはどの家でも同じだ。釣り合いが取れる者の噂は、それこそ飛び交う。どこそこの家の次男は持参金付きだの、お顔は宜しいがオツムは少々だの、背は高いけど焦げ茶の瞳は平凡だの、よくまあ皆さまお調べ遊ばしてと感心するほどの情報が巡りめぐって来るわけだが。
「ユトレックの公子ともなれば、何方の喉からも手が出るほどの優良物件ですのに」
髪の色や目の色、どんな衣装を着ていたか、何処で見かけたか。結婚したい御令嬢方が優良株の噂をしない訳がない。現に結婚に興味の無いマーレにも、御令嬢に大人気の独身男性リスト(噂)は回ってきている。
それほどに令嬢捜査網は強い。だというのに、憶測すら出てこないということは。
徹底して箝口令が敷かれている。
「私もマリーから聞いただけで、自分で確かめたわけではないのよ」
それでも会ったことがあるマリーが言うには
まるで燐のような発光した青い瞳をしてらっしゃると。
「取り替えられたお子で······?」
「解らないわ。そうだとしても、公爵家にこの二十年何の動きも無い事が不可解ね。箝口令を敷くより、適当な噂を流すほうが目を逸らせるでしょうに。そうしないのも不自然です」
「ユトレックの御嫡男に婚約者の一人も居ない理由は取り替え子だからでも宜しいですけれど、それと私に話を持ち掛けられた事と繋がりませんわ大叔母さま。本当に妖精ならば、私の様な色の持ち主は嫌がるでしょう」
「案外それが目的なのかもしれないわね」
与えられた婚約者候補を拒絶すれば、そら見たことか取り替え子めと追い立てるつもりだとでも言うのか。
だが、それは
「今さら公子が正当性の無いお子だと言い出したいなんてことは」
キナ臭いこと、この上無い。
「バーナー伯爵はどのように」
御家大事の貴族社会でも、家族愛が無いわけではない。見かけたことのあるバーナー伯爵は、お堅そうな女性ではあるがエキセントリックなところはなかった。噂に聞く為人は、見かけ通りお堅く真面目。家族を省みないという風には聞かない。
面白くない、とマーレは鼻を鳴らす。さすがに大叔母もはしたないなどとは言ってこない。
「婚約破棄令嬢の私ならば、どうとなっても誤魔化せるとでもお思いなのでしょうか。ずいぶんと馬鹿にされたものですわね」
面白くない。けれども、面白いではないか。
「宜しいですわ。そのお話、お受け致します」
マリーおばさまにご連絡して下さいませ。
公子の目の色の秘密。彼は本当に取り替え子なのか。
ユトレック公爵家の目的とは……?
そしてマーレは「呪われた婚約破棄爵位」令嬢から脱却出来るのか。