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True emotions  作者: 風戸輝斗
第1章 Nostalgie Memories
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3 『閉廷と平定』

「失礼しました」

「もうあんな馬鹿な真似はするなよ」

「はは。わかってますって」


 笑顔を繕って職員室のドアを閉める。


 上辺だけの関係には意味がないと世間では言われているが、俺はその意見には否定的だ。

 別に反社会的な思考を抱く、ちょい悪な自分に陶酔したいわけではない。率直に、本心を包み隠したその場しのぎの対応というものも時には必要だと思うのだ。


 その根拠に古くから「嘘も方便」ということわざが存在する。

 この言葉が社会に根付き、辞書に載るほどメジャーなものになったということは、過去の人々がこの意見を支持し、実際、欺瞞を交えながらコミュニケーションを図ることで成功してきた事例が多数存在するということだろう。


 実直な人柄というのは長所ではあるが、その性格一本で生きていくのは到底不可能だと思う。

 ただでさえ法律だの規則だので拘束された社会だ。虚実を交えながらうまいこと休息を取っていかないと、どんな超人だっていつかは窮屈さに喘ぎパンクしてしまう。


 なんて生徒指導に話したらさらに謹慎が延期してしまいそうなことを考えながら黙々と歩き、やがて3ーCの教室の前に辿り着いた。

 わいわいがやがや聞き慣れた朝の喧騒が聞こえてくる。

 しかし、そんな青春の音色は俺が教室のドアを潜ると同時にぴたっと止まる。


「……」


 四方から向けられる冷たい視線。

 まるで異分子を排斥するかのような、そんな空気をひしひしと感じる。


 奇異の眼差しも怨嗟の声も、気にしなければなんでもない。

 俺は何事もないように歩いて自席につき、鞄から単語帳を取り出してぺらぺらとめくる。


「よ、青葉。クラスの視線を独り占めだなんて、えらい株の高騰ぶりだな」


 なんて習慣化された行動をあたりまえのようにとってはいるが、俺だって人間だ。この状況下でなんともない、なんていうのは勿論虚勢で。

 本音を言ってしまえば、教室に入った瞬間から吐いてしまいそうなほどに胃が痛い。弾劾の場に晒されて平然でいられるほど、俺はメンタルの強い人間ではないのだ。


 だから、声を掛けられた瞬間、救われたような気持ちになった。

 思えば、あんな無茶をできたのもこいつの存在があったからだろう。


「高騰って言うよりは世界恐慌レベルの下落だと思うだけどな。おはよう(かさ)(ひと)


 中学からの腐れ縁であり、俺にとって唯一無二の親友的存在。

 それが()(かさ)(かさ)(ひと)だ。


 嵩人は精悍な顔つきに不釣り合いな無邪気な笑みを浮かべると、自然な流れで正面の椅子に腰掛けた。自席ではないというのに、その行動にはまるで躊躇いがない。


「ん。二週間の謹慎処分明けとは思えないほど清々しい表情だな。

 ……さては推薦取り消されて、万歳状態か?」

「推薦は(たか)()(はら)先生の計らいのおかげもあって取り消されなかったよ。

 生徒指導は取り消す気満々だったけどな」


 あの瞬間ほど担任教師と親密な関係を築いていて良かったと思ったことはない。もし高野原先生が俺を毛嫌いしていたのなら、間違いなく推薦は取り消されていただろう。

 嵩人はすっと訝るように目を細めた。


「あーあいつ噂だと先月離婚したって言うからな。

 生徒にやつあたりだなんて、(ふる)(やま)も厳つい顔してやることは子供だな」


 ふっと、嘲笑という表現がぴったりな乾いた笑みを漏らす。

 人の不幸を笑うとは少々頂けないな。ここは少しおしおきを。


「あ、古山先生。なにか用ですか」


 ビクッと小動物のように肩を跳ね上げると、嵩人は冷や汗を垂らしながら恐る恐る後ろを振り返る。ま、出任せだから当然そこに古山先生はいないけどな。


「冗談だよ」


 と種明かしをすると、嵩人は安堵の息を漏らした。


「なんだ冗談か。中学の二の舞になっちまったかと思ったよ」


 おお、経験済みだったのか。それは悪いことしたな。

 などとたわいない会話をしつつ、横目でクラスの様子を窺う。


 ……なるほど。今のクラスの状況は大体掴めた。


「――んで、俺が声かけたらメアド教えてくれてさ。

 いや~善行は積んどくべきだって改めて思ったよ」

「それはお前のルックスが相まっての結果だと思うけどな」


 一見、俺を忌み嫌うかのような重たい空気。

 しかし、実際のところ嫌悪の矛先のほとんどは俺に向いていない。

 沈んだ表情をした彼らが煙たがっているのは、俺ではなく、クラスを取り巻く陰鬱な空気そのものだ。


 ……さてどうしたものか。


 俺の行動がクラスに不穏な空気をもたらし、その空気が今まさにより険悪なものへと肥大しようとしている。このままだと、俺以外の生徒にも被害が及んでしまうかも知れない。

 そんな二次災害はなんとかして避けたいものだが。


 このぴりついた空気を醸成しているのは、主にクラス内ヒエラルキーの頂上付近に君臨する生徒たちだ。つまりは教室の右奥に鎮座している彼らこそが、醜悪の根源と言える。

 彼らが厄介なのは、仲良しこよしの徒党を組み、常に集団の意思を一つにして行動することだろう。休み時間なんて、それはもうその性質が最も顕著になる時間帯だ。あいつら五、六人でトイレに行くからな。たぶん小便器占拠隊かなんかなのだろう。


 と、彼らに対してなかなかに辛辣な意見を持つ俺だが、特段彼らを嫌っているわけではない。

 たまに苛立ちを覚えたという事実は否めないが、それでも基本的には好印象を抱くことが多かったと記憶している。話して見ると、彼らは思いの外優しいのだ。


 しかし、安穏の輪を乱す危険が迫ったとき、彼らは一致団結し一匹の大きな獣と化す。それは彼らの絆から生み出されたものであり、よく言えば、仲間を決して放置しないという優しさが具現化したものだ。

 ただ厄介なことに、この獣には理性がない。

 身内に細心の注意を払うばかりに、周りの被害を顧みなくなってしまうのだ。


 加えて問題なのは、この獣は徒党内の人物でないとまず沈静できないということ。部外者が沈静を計ろうと試みても、それは反って火に油を注ぐことになるのだ。


 つまり、この状況は完全に詰みだ。

 この負のスパイラルは熱りが冷めるか、徒党内の誰かが行動を起こすまで止まらない。俺には傍観する以外に選択肢がなかった。


「あーもう焦れったい! いつまで冷戦続ける気なの?」


 その声は後方から。

 クラスで取り分けて目立つ立ち位置の女子生徒が四、五人集まった集団の中から聞こえた。場違いな少女の声が、一時、森閑とした空気を教室にもたらす。


「カイさ、先週約束したよね? 東江くんが来たら謝るって」


 確か……()()(さわ)さんだっただろうか。

 栗色のふわふわしたショートボブと前髪に留められた雪結晶のヘアピンが特徴的な彼女は、腰に両手を当ててずんずんと男子生徒に詰め寄っていく。

 ちなみにカイと呼ばれた男子生徒は3ーCヒエラルキーの頂点に君臨する王だ。

 俺がこいつをぶん殴ったことが一連の騒動の原因だったりする。


「は? んなこと俺がいつ言ったんだよ」


 思わず萎縮してしまうような重く冷たい声だった。

 彼の周りに群がる男女でさえ、表情を若干引き攣らせている。

 けれど、向かい合った少女だけは違った。


「そう強がらないの。

 カイくんはごめんなさいの一言も言えないお子様なのかなあ?」


 そんな煽るような言葉を彼女が言い放った直後、カイ――(うみ)(はら)は青筋を立て、同時に某所からくすくすと失笑が飛び交った。

 明らかに激昂寸前の海原だったが、周囲を見渡す内に表情から怒りの色は薄れていき、そんな彼めがけて追い打ちの言葉が叩きかけられる。


「ほら、早く謝らないと謝罪の一つもできない小さい男だと思われちゃうよ」


 海原は顔をしかめると、ちっと舌打ちし、


「……てめぇ後で覚えとけよ」


 果たしてその言葉が本気だったのか、冗談だったのか、俺に確かめる術はない。

 ただ、少なくとも言葉の矛先の少女は、海原の激情などまるで意に介していない様子だった。


「うん! 覚えとく! ささ、立って立って。東江くんもこっちに」


 と、突然俺の名前が呼ばれて、くいくいと手招きされる。


「お、おう」


 飢餓寸前の肉食動物のように気を苛立たせた海原の前に当然行きたくなどないが、名指しで呼ばれてしまっては是非もない。

 重たい腰を上げて、手招きに従い海原と向かい合う。

 身長は同じくらいなのに、相手の方が一回り大きく感じてしまうのは、きっと身に纏う覇気に歴然とした差があるからだろう。ギラついた瞳は、一瞥しただけで相手の呼吸を止めてしまうほどの鋭さをもっていた。


「はい! 二人とも仲直りの握手!」

「「は?」」


 ぱんと手を叩く音と、同時に漏れた出た二つの頓狂な声が、静まり返った教室に溶けていく。

 正気か? と驚愕の目を向けると、雪結晶のヘアピンをした少女は不思議そうに首を傾げた。


「ん。どうしたの二人とも? 握手だよ握手」


 それはわかるさ。

 ただ、握手で和解なんて場面は冷戦の終結くらいしか知らないぞ。

 しかし、小豆沢さんは大いに真面目らしい。

 右へ左へ首を捻って、俺と海原が困惑顔を浮かべている理由がまるでわからないという様子だ。


 ……まったくカルチャーショックもいいところだ。

 俺は彼女の規格外の発想に免じて、手のひらを海原に差し伸べる。

 小豆沢さんはにっこりと満足そうに微笑んだ。


「うん。素直でよろしい。ほらカイも」


 促された海原は、はああと不機嫌全開のため息をつくと、やおら手を伸ばしてくる。


「悪かったな東江」


 ガシッと俺の手を力強く握りつぶしながら、海原は謝罪の言葉を口にした。

 不機嫌極まりない様子であることには変わりないが、彼が俺に謝ったことは紛れもない事実だ。そしてその瞬間を、クラスのほとんどの生徒が目撃している。

 つまり、


「俺も悪かったよ。いきなり殴りつけてごめん」


 この出来事が意味するのは冷戦の終結。重苦しい空気からの解放だ。

 どよどよと少数の生徒が色めき立つ姿が見受けられる。

 一介の出来事の立役者である少女は、腕を組んでうんうん頷いている。


「うんうん。喧嘩の後にはちゃんと仲直りをしないとね。

 ……はい! これにて閉廷! 高野原先生、もう大丈夫ですよ」


 拍子抜けに明るい声が廊下に投げかけられる。

 そして間もなく、困り顔をした角刈りの男性教師が姿を見せた。担任教師の高野原先生だ。

 上下共に統一されたジャージを着ており、たくし上げられた裾から覗く二の腕はべらぼうに太いのにも関わらず、担当は現代文というなんともややこしい教師である。

 ぽりぽりと頭を掻きながら、高野原先生はゆっくりと教卓に足を進める。


「なんだ気づいてたのか。傍聴者と裁判官の立ち位置が逆なんじゃないか」


 小豆沢さんは両手を天上に向けて首を振る。


「いえいえ合ってますよ。四十歳を目前に控えた先生よりも十代の私の方が、柔軟な発想力を兼ね備えていますからね」

「っし小豆沢。お前だけ今日の自習プリント二倍な」

「なっ……り、理不尽ですよ! モラハラで通報します!」


 なんて会話が繰り広げられて、教室の空気はさらに和やかになっていく。

 数分前までの暗澹たる空気が嘘かのようだ。


「お二人さん。もう手離してもいいんじゃないか」


 嵩人に言われて、俺と海原は弾き合うように手を離した。


 海原はちっと舌打ちして目を逸らすと、振り返ってどかどかと歩いて行く。

 やはり一度できた隔たりは、そう簡単には埋まらないらしい。

 まあ、元から仲がよかったわけでもないが。


 教室前方を垣間見ながらゆっくりと身体を翻す。

 小豆沢真雪(まゆき)、か。彼女にはいつかこの恩を返さないといけないな。

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