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True emotions  作者: 風戸輝斗
第1章 Nostalgie Memories
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2 『芽吹きの兆し』

 翌日。

 えっちらおっちら螺旋階段を登って昨日の場所に向かうと、寸分違わない場所に彼女はいた。俺に気づくと、顔を上げて微笑みかけてくる。


「おはよう東江。謹慎処分を下されたにも関わらず平常通りに登校してくるなんて、存外真面目なんだな」


 鞄を机の脇に置き、腰を下ろしながら応える。


「まあ、家にいても暇だからな。そういう桜坂も時間通りに登校してるんだな」


 朝風に晒された椅子はひんやりと冷たい。尻から全身へ寒気が伝っていく。


「朝から夕方までずっとここにいるのか」


 身を縮こまらせながら問いかける。

 昨日は俺が来てから帰宅するまでずっと正面の椅子に腰掛けていた。

 本を読んだり、パソコンを弄ったり、弁当を食べたりと、まるで実家さながらのお自由奔放さで過ごしていたのだが、まさかこんな早くから陣取っているとは。

 本当にこの子は何者なんだ?


「ああ。私の教室はここだからな。

 出席報告は毎朝ここに来る前に、担任教師にしている」


 なるほど。教師公認というわけか。


「つまり、桜坂は図書館通学をしてるってわけか」


 小さく首を縦に振る。


「うん。どうも集団に帰属することは私の性に合わなくてね。……けれど、学力はそこそこ高いんだぞ。全教科を一切の教員の指導無しに履修した私だが、これでも立派に進路を確定しているんだ」


 ふふんと得意気に鼻を鳴らしながら、主張の小さい胸を張る。

 独学で全教科を履修したなんて到底信じられない話だが、不思議とこの子が言うと妙な説得力がある。


「この時期に進路が確定ってことは推薦か?」


 共通テストも行われていない十一月。そんな早期に進路を確定させたとなれば、彼女の用いた手段は推薦以外に考えられない。

 しかし、そうなると疑問が生じる。


 それは図書館登校の彼女が――授業を一度も受けていない彼女が、どのように推薦を得たのかという問題だ。そもそも学力だって、これまでどうやって計ってきたというのだろうか。

 次々と湧き上がる疑問に頭を悩ませていると、桜坂は眉をへの字にしてため息をついた。


「あたりまえだろう。この時期に合格となれば、推薦以外に考えられないよ」


 あたりまえときたか。

 こんな特殊な状況下にあるというのに、よくもまあ抜け抜けと言えたものだ。

 もしかしたら彼女は、常識の枠組みから外れているが故に、普通を知らないのかも知れない。


「成績表はどうしたんだよ。他にも校内推薦委員会とか、面接練習とか、そういう推薦入学のための前提はどうクリアしたんだ」

「省いた」


 まるで顔色を変えずに、桜坂は平然と言った。


「……マジで?」

「ああ、大マジだ」


 目で問う。頷く。


 ……。


 尚も疑いの晴れない俺に、桜坂は詳らかな解説をしてくれた。


「特例だったんだよ。私が入学を希望したんじゃなくて、大学側が私を欲したんだ。だから、すべて免除。せっかく受験勉強をしたというのに、腕試しをする機会は一度も訪れなかったよ」


 額に手の甲を当てて、桜坂はやれやれといった様子で眉根を寄せる。

 その所作から、てらいは少しも感じられない。慢心した様子は少しもなかった。


「桜坂って実はすごい奴なのか?」


 肯定とも否定ともつかない曖昧な笑みを桜坂は浮かべる。


「どうだろうな。私という人間がどう評価されているのか、それは主観しか持たない私にはわからないことだよ」


 その回りくどい言い回しを聞いて俺は悟った。

 間違いない。彼女は本来俺なんかと相見えるはずのない優秀な人物だ。


 天才や秀才は決まって彼女と似たようなことを言う。

 自分を過小評価して、謙遜して、そういう奴は大抵常人以上に優れたなにかを持っている。

 そして、そんな天賦の才をもった奴に俺は決して敵わない。

 俺は凡庸で、秀でた才能をもたない有象無象の一人だ。認めがたいことではあるが、凡人がいくら努力したところで天才には届かない。努力ですべてを打破できるほど現実は甘くないのだ。


「で、東江は受験勉強か? 私でよければ教えてやるぞ」

「……」


 天才には二つのタイプがある。

 一つは自分が有能だと驕り高ぶり、傲慢にふるまうタイプ。もう一つは、自分は有能だなんて少しも思わずに分け隔て無く人と接するタイプだ。

 この分類方法を適応した場合、桜坂は間違いなく後者に位置するだろう。


 普通にクラスに属していれば自然とリーダー格になるであろう逸材なのに勿体ない。彼女は集団に帰属することが性に合わないと言っていたが、果たしてそれは本当なのだろうか。

 俺にはどうも、彼女が人と関わるのが苦手だとは思えない。


「受験はもう終わったよ。これからするのは期末勉強だ」


 鞄から教科書と問題集を取り出す。ちなみに、俺は国語・英語・世界史の三科目で受験したから、他の教科はからっきしだ。地学の教科書なんて、一ヶ月は開いた記憶がない。


 へえと興味ありげな声を漏らすと、桜坂は身を乗り出して話しかけてくる。

 はて、この子は本当に集団に帰属するのが苦手なのだろうか。


「東江も推薦合格者の一人だったんだな。……ちなみにどこ大学だ?」

「隣の県の(ぶん)(えい)大。玉砕覚悟で挑んだら運良く合格できてさ」


 合格は奇跡だったと思う。自分の偏差値より5以上も高かったし、模試ではC判定が限界だったし、推薦条件だってあと評定平均が0・3低ければ満たしていなかった。

 けれど、結果として俺の元には合格通知が届いた。

 若干運に頼ったところもあるが、結果よければすべてよしだ。背伸びして合格した分、入学してから苦労することは覚悟しなければならないだろう。


 俺がそんな難関大学に受かるなんて信じられないからだろうか。

 桜坂は驚愕の表情を浮かべている。


「すごい偶然だな……私も文永大学だ」


 なんと。驚きを隠せないまま、戦々恐々と問いかける。


「ちなみに学部は?」

「日本語文学部だ。東江はどの学部を選んだんだ?」

「……俺も日本語文学部だよ」


 県外のそこそこ難関の私立大学で、しかも学部は二十以上に渡って分岐しているというのに、俺と桜坂は同じ大学の同じ学部を選択していた。その事実が信じられなくて、俺たちは口を半開きにしたまま見つめ合うことしかできない。


「……長い付き合いになりそうだな」


 桜坂の言葉で止まっていた時間が動き始めた。

 小鳥の囀りが、校舎の喧騒が、吹き抜ける風音が、思い出したかのように世界に付随されていく。


「そうだな。少し早いけどよろしく」


 桜坂は苦笑した。


「高三の十一月なのによろしくだなんて変な感じだな」


 まったくその通りだ。

 あまりに奇跡的で、なにか運命的なものに吸い寄せられたかのようで。

 そんな現実が可笑しくて俺たちは笑うことしかできない。


 それからの二週間、俺は休日を除いて毎日図書館に通い詰めた。

 初めの数日は、平日に怠惰な生活を送ってはいけないという使命感に圧迫されながら登校していたが、やがてそんな生活を強制的に強いられているかのような感覚は薄れていき、己に課していた使命感はいつからか俺自身の意思へと変化していた。


「おはよう東江」


 その言葉を聞いた途端に、眠気も憂鬱な気持ちも吹き飛んでしまって。

 同時に今日はどんな話をするのかと未来に期待を馳せてしまう自分がいた。


 桜坂と二人で過ごす時間は、日だまりのようにあたたかくて。

 ふとした拍子に交わす生産性のないの会話が、堪らなく楽しくて。

 彼女が笑うと俺の心まで綻んでしまって。


 そんな心地良い時間を過ごしていたからだろう。

 俺はこんな夢のような時間がいつまでも続くのだと錯覚してしまっていた。


「今日で謹慎最終日だな。月曜からはしっかり教室に行くんだぞ」

「わかってるよ。……桜坂はさ、これからもずっとここにいるのか」

「うん。ここが私の世界だからな」

「そうか。……あのさ、これからもこの場所に来ていいか? 平日の放課後とか」


 大学が同じだからとか、桜坂が一人で可哀想だからとか、そんな殊勝な理由は一切ない。

 俺は俺がそうしたいから、完全に自分の私情で縋るように言い寄った。

 斜陽に照らされて、どこか幻想的な雰囲気を纏った桜坂が柔らかく微笑んで言う。


「ああ。いつでも待っているよ」

「……」


 夕陽に照らされたその横顔は見蕩れてしまうほどに美しい。

 眼前の光景があまりに絵になるものだから、こう思わずにはいられない。


 やはり彼女は天上の存在なのだと。


 陸上部の掛け声と吹奏楽部の管楽器の音が飛び交う薄暮。

 俺の謹慎期間は終わりを迎えた。

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