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飛んでいる感情のパラドックス

 マンションに戻ってくると、悪霊が再び姿を現した。先程沙音くんに切断された右腕が復元している。

 悪霊との戦闘に巻き込まれないように、私は沙音くんと距離を取る。

 悪霊は警戒しているようだった。先程のようにいきなり攻撃してくる、ということはなかった。ただ沙音くんを睨んで、喉を鳴らすだけだった。

 沙音くんは空気中の水分を集めて剣を作る。


「よぉ、また会ったな」


 沙音くんと悪霊は睨み合う。ひりついた空気が喉を刺すかのような緊張感があった。

 ……それが破られたのは一瞬のことだった。

 悪霊の甲高い叫び声と共に、「爪」の衝撃波が沙音くんめがけて飛ぶ。


「八首流――――草薙!」


 対する沙音くんは剣の一振りによってその衝撃波をかき消す。

 間髪入れずに次の「爪」が放たれる。その一つ一つを打ち払いながら、沙音くんは悪霊に近付いていく。


「キイイィィィィィ!!」


 悪霊が耳を貫くかのような鋭い叫びを上げると、沙音くんの足元の床が砕ける。

 その崩落と共に沙音くんは落ちかけるも、あらわになった骨組みをつかみ、身体のバネを利用して飛び戻る。

 だけど、それは悪霊に十分な時間を与えてしまった。


「チッ、さっきよか素早いな……!」


 既に悪霊はその場から姿を消していた。この場から逃げたのだ。


「沙音くん!」

「逃がしゃしねえよ!」


 沙音くんは目を閉じ、居合の構えを取る。

 突然、空気が熱くなるのを感じた。湿り気の強い空気に触れると、私の肌を静電気にも似た痛みが走る。


「スサノオは水と嵐の神。すなわちこの場の水は俺様のもの。てめえがどこにいるかなんて……カンタンに分かんだよォ!」


 一閃。その太刀筋は沙音くんの右斜め上に放たれた。

 伸びる斬撃が空に向けて走る。その切っ先が向かう先には、飛び去ろうとする悪霊の姿。斬撃のほうが足が速く、高圧の水の刃が、悪霊の背を抉った。

 悪霊の耳をつんざく悲鳴。

 ……しかしこれは。


「はぇぇ~……センクウコゲツ……」

「……ツッコまねえぞ俺様は」


 バランスを崩して、悪霊は地に落ちていく。沙音くんは悪霊に向かって飛び出して、追撃にと水の剣を突き立てる。

 悪霊は駐車場の地面に叩きつけられる。沙音くんは右足と左腕を使って悪霊の両腕を押さえつけ、その身動きを封じた。

 だけど、このまま倒すのでは終わらない。

 悪霊……止霊(パラドクス)はただ倒すだけではダメなのだ。それは沙音くん自身も言っていた。

 ではどうするのか。それがこれからわかる。


「いいか雪花、止霊(パラドクス)ってのは今の形がどうあれ元は人間だ。一人一人に止霊(パラドクス)と化した事情ってもんがある」


 沙音くんは懐から鏡を取り出す。遠くからなのでよく見えなかったが、その裏面には銅鏡のような装飾が施されているようだった。

 止霊(パラドクス)というのは強い感情を持った人間のなれの果てだ。当然、そうなるに至った経緯がある。

 きっと、その経緯を知ることが止霊(パラドクス)を退治することに繋がるのだろう。


「ただ、個人個人をいちいち調査なんてしてらんねえから、そこは力技でいくんだ」


 それでいいのだろうか。

 ……いいのだろう。おそらく。


「こんな風にな!」


 沙音くんは鏡を止霊に押し当て――――水の剣を突き立てた。

 そして、祝詞を唱える。

 その時の沙音くんは――神様にこう言っては何だが――神々しく見えた。


(あめ)照らします皇大神(すめおおかみ)ののたまはく、心は即ち神明(かみとかみと)本主(もとのあるじ)たり。此れなるは我が心神(たましい)の清らかたるを以て、汝が心神(たましい)のまことを映し示す鏡なり――――!」


 鏡が割れる。それと同時に周囲が暗くなった気がした。

 破片が飛び散る。

 鏡の破片の一つが目に映るけれど、見えたのは周りの風景を写し出した鏡像じゃなかった。

 そこにあったのは、知らない誰か……きっと、止霊(パラドクス)になった人の記憶だった。



   ・・・



 その人の名はニノ。歌を歌うことが趣味なだけの、ただの女性だった。

 歌うのは好きだけれど、人前に出るのは苦手。だからネットに動画を投稿したりもしなかった。本当に歌うだけで良かった。仕事はストレスがかかるけれど、歌うだけで楽しい気持ちになれた。

 ある日、人気のない河川敷で、一人で歌っていた。

 その姿を見つけた女性がいた。


「あなた歌上手いよね。あたしもそれなりに歌ってるんだけど。一緒に歌わない?」


 女性は小さなライブハウスで歌う歌手だったようで、ニノは自分よりも歌が上手く、人前で歌える彼女がすごいと純粋に思った。

 ニノは女性と友人になった。二人で歌うのも悪くないと思った。

 けれど、少しずつ狂っていった。


「素晴らしい歌声だ。ぜひともステージで歌わないか?」


 女性の働くライブハウスの人が、ニノの歌を聴いた時のこと。

 全然その気のなかった申し出にニノは困惑した。

 だけど、圧しに流されるように、ニノはその申し出を受けてしまった。


「大丈夫大丈夫、自信持って。そんな大きいとこじゃないし、あたしも一緒に歌うからさ」


 女性も女性で乗り気なようだった。ニノと同じステージで歌えることが嬉しかったのだろう。彼女はニノを明るく励ました。

 けれど、ニノの心に張り付いた不安を剥がすことは叶わなかった。

 ……そして、当日。

 ニノは、姿を表さなかった。

 逃げたのだ。

 不安と恐怖に心が負けて、投げ出したのだ。

 夕日が沈む中、いつもの河川敷に、女性が来た。


「ニノ……ステージ、来なかったね」


 怒られるかと思った。

 詰られるかと思った。

 ……だけど。

 そうはならなかった。


「ごめんね、あなたに無理させちゃったよね。本当にごめん……」


 優しく抱きしめられた。


 ――――それが辛かった。


 咎められるはずなのに。

 責められるはずなのに。

 誰も罰しはしなかった。

 ……絶望した。

 もう心が保たなかった。

 後日、遺書なども残さずに、ニノは首を吊った――――



   ・・・



 静止したかも思えるかのような時の中。誰も彼もが動かない。

 私はこの冷たさを感じる静けさの中、かつて人だった止霊(パラドクス)を見つめる。

 気づけば胸を押さえていた。なぜか締め付けられるような気がした。喉の奥が痛みを感じる。思わず目を細めてしまう。

 人の記憶を覗き見するのは気持ち悪い。それが嫌な記憶であればなおさらだ。

 まして、死に至るほどに追い詰められた人間の感情なんて、もはや見るに堪えない。正直、泣きたかった。

 わかったような気がする。止霊(パラドクス)を退治するということは、人の苦しみに向き合うことなのだ。

 悪霊は沙音くんを退けると、再び距離を取った。

 一方で、沙音くんはただ呟く。


「……よく、わかった。てめえは――――」


 沙音くんは――――


「甘えん坊なかまってちゃんだああああああ!!」


 助走をつけて悪霊を殴った!


「え――――ええええええええ!?」


 ちょ、それってあんまりにもあんまりじゃないの? かわいそうとかそういう感情ないの? もっとこう、同情とか、そういうの!

 ていうか、え、これそんな流れだった!?


「そこいい感じにカウンセリングする流れじゃないのおおおお!?」

「知るか! こういう自分勝手でめんどくせえ奴は説教たれてやるくらいで丁度いいんだよォ!」


 殴られた悪霊は地面を二、三回ほど跳ねて転げ回る。

 殴った方の沙音くんはというと、息を荒げてがに股で一歩ずつ悪霊に歩み寄っていく。

 ……いやまあ、言いたいことはわかる。

 だけどでも、それって、


「あまりにひどい言い草だああ!?」


 こう言わざるを得なかった。

 だってほら、もっと他に言い方が……えっと……とにかく言い方が……だめだ、自分の頭じゃ思いつかない。

 なんていう私の混乱をよそに、悪霊は近づくなと言わんばかりに沙音くんに衝撃波を放つも、沙音くんはその一つ一つを水の剣で打ち消していく。

 悪霊は沙音くんをその翼の腕で叩こうとするけれど、それは軽く受け止められ、悪霊は再び地面に組み伏せられる。


「――――てめえはクズだ。どうしようもねえ奴だ」


 口汚く罵る沙音くんのその言葉は、その語気とは裏腹に諭すような抑揚があるように思えた。


「散々人を煩わせて、心配かけて。どんだけ人に迷惑かけたかわかってんのか。あげくの果てに悪霊になって。何がしたかったんだよお前」


 悪霊が弱々しく鳴く。

 絶望に囚われて、死にきれず、人に害を為す悪霊となった。

 けれど、結局何がしたかったのだろう。

 私にはそれは――――


「叱られたかったんだろ。責められたかったんだろ」


 ……そう。そう見えた。

 記憶にあったことが全てなら、この人は怒ってほしかったんだ。

 もちろん、怒られはしただろう。SNSなんかでは色々と言われたことだろう。けれど、そんなことに傷付いたわけではないのだ。

怒ってほしい人は怒らなかった。それが彼女を追い詰めたのだ。

 悪霊の鳴き声は、沙音くんの言葉にうなずいているかのように聞こえた。


「だったら最初からそう言えばよかったんだ。人を襲ってまですることかよ、バカが」


 悪霊は鳴いた。

 その声は、鳴き声というよりは泣き声のように感じられた。

 ……少しずつ、悪霊の体が崩れていく。

 意味のないうめき声が、次第に意味のある言葉に変わる。


「……が……とう……あ、りが、とう……ごめ、んなさ、い……ごめん、なさい……」


 感謝と謝罪の言葉を交互に述べながら、悪霊は塵になって消えていく。この場を包んでいた嫌な空気が、少しずつ澄んでいく。

 曇っていた空に光が差し込むような、そんな感覚があった。


「……謝る相手が違うだろうが」


 まだ終わりじゃなかった。なにがしかの力の塊が、まだそこに残っていた。おそらく、それが悪霊の力の源。"感情の力"の核だ。

 沙音くんは水の剣で塊を切り裂く。すると、光の粒が辺りに飛び散った。

 ……そうして、悪霊は完全に消え去った。


 消えた悪霊の居た場所を見つめて、その手にわずかに残る悪霊の塵を握りしめて、沙音くんは呟いた。

 少しして、ひとつ息を吐いて、沙音くんは立ち上がる。


「さて。見てたか? 雪花」


 階段を降りて駐車場に着くなり、沙音くんが聞いてきた。

 当然、見てろと言われたので、私はその始終を見ていた。


「う、うん。その、なんていうか……」

「あ?」


 これを言うのは上から目線にならないだろうか、なんて少々考えてしまったけれど、思えば散々言ってた気もするので、今さらだと思った。

 ので、言いにくいけれどそのまま言うことにした。


「見直した、っていうか……」


 これを聞いたら沙音くんは怒り出すかと思ったけれど、怒らなかった。……もしかしたら呆れられてるだけかもしれない。


「…………けっ。くだらねえ」


 と、一言口にするだけだった。


「わかってたんだね。あの人が何を望んでるか」

「……別に」


 沙音くんは目線を逸らした。


「覚えておけよ。止霊(パラドクス)を祓うっつうのは、人の心を救うことだ。そしてそれは、そいつに同情することじゃねえ」

「…………うん」


 止霊(パラドクス)、人の感情から生まれ、人がなる悪霊。

 それを祓うことは、単に戦うことじゃない。

 私にもわかった。

 戦うことはできそうにないけれど、それならば私にもできる……ような気がした。

 ……基本コミュ障な私には遠い道のりだろうけど。

 いやまあ、でも。


「それより、これからはお前にも手伝ってもらうからな。キリキリ働けよ雪花!」


 沙音くんはけっこう無茶振りがすごいから、その辺はどうにかならないだろうかと思ったりするわけで。

 こう言われてもいきなりできるもんじゃないでしょうに。


「ええ~……」

「ええ~じゃねえ。この仕事できるやつ少ねえんだからお前もやるんだよ!」


 この強引なところ、ちょっとついていけない部分があるなあ。

 なんて思いながらも、私は少しだけ満たされるような感覚があった。なんやかんや言いながら、きっと私は必要とされてるってことだから。

 力になれるのは当分先だろうけど、少しだけ、頑張ってみようかなと思えた。

 でもね。


「あんまり期待はしないでね」

「あーもともとしてねぇ」

「えっ……ひどくない?」

「期待されたきゃ慣れた相手以外と喋れねえの直せ」

「はい……」


 ……まあ、とにかく、そんな感じでこの一日は幕を閉じたのだった。


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