氷女河神社の巫女さん達
「雪花ちゃん、結婚しよう」
「え、やだ……」
とある神社の社務所にある客間で、目の前の男から突然告白された。
つい反射的に私はただ一言、拒絶の言葉を口にしてしまった。
……とはいえ、よく知らない人にいきなり結婚しようとか言われても、そりゃあやだとしか言えないものじゃないでしょうか。どうでしょうか。
しかし目の前のこの人、私の困惑する様子はお構いなしに、自分の要件だけ言うつもりのようだ。
「雪花ちゃん、今日は君のために歌を作ってきたんだよ。ねえ雪花ちゃん、俺のこの気持ち聞いてほしい。『SnowFlower's love』」
「聞いてないなこの人……」
……とまあこんな調子。本当に、困ったことに、全く人の話聞いてない。
携えたギターを構え、ピックで弦を弾く。その演奏はどこかたどたどしくて、困ったことにちょっとお世辞にも上手いとは言いづらかった。
おまけに歌声もあまり……な感じだったし、歌詞だって、
「oh~白銀の髪なびかせて~君は俺を狂わせる~SnowFlower君は俺のマイハアアァァァ」
……とにかく、地獄かな?と思ってしまうような時間だった。
なんか、こう……時の流れが無限に遅くなったように感じてしまう。領域展開でもされたのかな?
そんな感じに無限に思える時間を味わっていると、不意にどんどん大きくなる足音が聞こえてきた。目の前のミュージシャン志望者は気づいていないみたいだけれど、部屋に置かれた置物や掛軸が振動でカタカタ震えてるのがわかる。
ずん、ずん、と確かに響く足音は、私達のいる部屋の前で立ち止まった。
そして――――
「うるっせえええ!!」
襖がピシャリと音を立てて開かれた。
「どわああああ! なんだああああ!?」
流石にこれには男も驚いたようだ。この地獄を形成していた音楽が止んだ。
正直助かった……と思いながら襖のほうを見ると、そこにいたのは少年だった。
後ろで纏めてはいるが、そこから上にはねた長い黒髪。低身長ながらも筋肉質な体つき。そして顔に取られた赤い隈取り。
その見てくれだけでも異様だったけれど、何よりも神秘的な雰囲気をその少年は纏っていた。
「さ、沙音くん……?」
私はその少年の名前を呼んだ。
天宮沙音。それがこの少年の名前だ。
沙音くんは鼻を鳴らして、男に歩み寄る。
「てめえ……」
「は、はい?」
沙音くんのただならぬ様子に男はたじたじ。見てる私も少し怖い。
男がもうちょっと強そうだったり強面だったりしたなら反応も変わっただろうけれど、この男、見るからにヘタレそうだったし、この反応、実際ヘタレだと思った。
沙音くんは男を睨みつける。
「ウチのモンに手ぇ出すたあふてえ了見だなおい」
なんかヤバい人みたいな言い方。もっと他になかったのか。
「そ、そんな、俺は雪花ちゃんに自分の気持ちを……」
「あ?」
気持ち……気持ちねえ。
こっちの気持ちはガン無視なんだろうかと思うと、苦笑いしか出てこない。
まあ、言っても聞かないだろうけど。
「相手の気持ちを先に考えやがれクソが!」
ドン、と沙音くんは足を踏み鳴らす。
その様子に男は震え上がる。
「ひ……ひえぇ……」
逃げ帰る男。靴も履き忘れる慌てぶり。
「に、二度と来るか!」
……そもそも出禁だと思うのだけれど。ていうか靴。ちゃんと履いてって。
玄関に置いていかれた安っぽい靴を持ち上げて、逃げる後ろ姿と交互に見る。
どうすんだろう、これ。
「けっ。二度と来んなってんだ」
沙音くんがため息をつきながら言う。
やはり沙音くんもめちゃくちゃイラついたのだろうか、私は怒りの残り香を感じた。
ともあれ助けられたのには違いない。
「あ、ありがとう、沙音くん……」
「別に」
沙音くんはそれだけ言って、目を逸らした。
「つーか今の奴なんだったんだ?」
まあ気になるよねと思いつつ、私は答える。
「あ、いや、それが、あの人、自分に自信がなさそうだったからちょっと励ましてあげたんだけど……」
曰く、ミュージシャンを目指していたけれど自分の才能の無さを感じてつらい。下手な自分はこのまま活動を続けて良いのだろうか、と。
これに対して当たり障りのない励ましの言葉を言ってみたのだけれど、その結果、粘着されるようになって、アレというわけだ。
なんというか、これは、
「…………勘違いしたのか……」
そういうことになる。
「なんか困るよね。ただのお悩み相談なのに」
――――私、白銀雪花は、ここ、氷女河神社に住み込みで働く巫女見習いだ。
この神社はお悩み相談室をやっているとのことで、その担当を任されている。
……つまり、励ましたのは単なる仕事。それ以上でもそれ以下でもないのだけど、さっきみたいなのもたまにある……らしい。
私は今のがはじめてだったのだけれど。
「まぁそうでもなきゃお前にモテ要素ゼロだけどな」
重い言葉の鉄槌が振り下ろされた。
しかし、まあ。
「うーん言い返せない」
自分でもそう思うし。実際人生で一度もモテたことないし。大体色恋とかよりゲームとか漫画とかアニメとかそういうのの方が楽しくない? 楽しいってそっちのほうが絶対。惚れた腫れたってめんどくさいだけだって。
なんてことを思っていると、視界の隅に人影が。
「んーでも普通にしててもそういうのあるよ~」
沙音くんが声に反応して、その方向を見る。
「……あぁ、もう学校終わりか、櫛菜」
そこにいたのはセーラー服の少女だった。
彼女の名前は稲森櫛菜。この神社の神主……になる予定の少女だ。まだ高校生だし、今は巫女として働いているけれど、この子は確定で上司。
その姿を見た時、無意識に身体が跳ね上がってしまう。……あまりいいことではないし、何なら失礼だけど、なんというか条件反射でやってしまう。
そんな私の様子を見て、櫛菜ちゃんはくすりと笑う。
「ただいま。留守番ありがと二人とも」
笑顔で返す櫛菜ちゃんのその様子を見て、私は少しばつの悪さを感じる。こんな調子の自分に優しく接してくれる、それはありがたいのだが……。
それはともかく、少し気になった点がある。
「あの……そういうのあるって……?」
「うん」
まあ、なんとなく話には聞いていたけれど、やっぱりそうなのか、と。
櫛菜ちゃんはどこか遠くを見つめて返す。
その……とても微妙な表情で。
「もうね、巫女さんが相談に乗ってくれるってだけでそういう魔力が働くんじゃないかな……」
「まりょ……」
なんて恐ろしい魔力だ。カン違い製造業とでも言うべきだろう。
これの怖い所は私みたいなモテ要素ゼロの女にもその魔力によってカン違いが引き起こされるということだ。
私なんかよりずっとかわいい櫛菜ちゃんの苦労が伝わってくるようだ……。
「だからやめろって言ってんだお悩み相談なんて」
沙音くんは呆れ顔。きっと何度もカン違い男を追い払ってきたのかと思うとその気苦労をおもんばかれなくもない。
だけどそれはそれとして――――
「過保護……」
こう言いたくなってしまうのはなぜだろう。
沙音くんの目がこちらを睨む。
「なんか言ったかコミュ障?」
「何も」
沙音くんから目を逸らす。
「ところで雪花さん、うちにはもう慣れた?」
唐突に櫛菜ちゃんがそう聞いてきたので、少し戸惑った。
戸惑った……のもあるけれど、正直なところよくわからない。
よくわからないので、どう答えたら良いかもわからない。
わからないから、黙ってしまう。
「え……んん……」
「そこで黙るなよ。自分がねえやつだな」
という沙音くんの言葉は、正鵠を射ていた。
自分がないというか、自己主張がクソ下手というか。
とにかく自分がそういうの苦手だというのは理解しているつもりだった。
ただ、治そうにも難しいんだよなあ。
「沙音?」
櫛菜ちゃんの声に少しばかりの圧を感じた。
それはそれとして、最大限、自分に出せる答えを私は口にする。
「……まあ、まだ分からないことは多い、です……」
うん。まあ、言いたいことはわかる。
この私の態度が見ててイラつくのもまあ、わかる。
「煮えきらねえな。もっとはっきり喋れ」
「さーのーんー?」
……心なしか櫛菜ちゃんの言葉の圧が強くなった気がする。
「けっ」
対する沙音くんはこの調子。まあわからなくもないし、申し訳ないとも思うけれど。
いや、だって、わからないものはわからないんだし、しかたなくない?
とは思うものの、開き直るのも違うと思うし、どうしたものか。
そういう自分の中の(どうでもいい)葛藤はよそに、櫛菜ちゃんは腕を組み、何かを考える素振りをして、言う。
「んー……でも、そろそろ大丈夫かな。ね、沙音?」
「不安しかねえぞ俺様は」
「まぁまぁ」
一体何のことなのか、気にならなくもないけれど、でも訊いていいのだろうか。
そんなどうでもよさげでちっぽけな逡巡をしている内に、櫛菜ちゃんが声をかけてきた。
「ねぇ雪花さん。お祓い、行ってみない?」
「……?」
そのお誘いの意味が、私には掴みきれなかった。