『アサルトセイヴ・ヴァーサス』記念掌編
純白の翼が煌めく。
眼下には無数の球状の機体――スフィアがいる。まるで墜落するようにその翼を駆り、桐矢一城はそれらを一閃の下に薙ぎ払う。
ITS-GW10 イクスクレイヴ。純白の翼と大小一対の剣を称えたその彼のもう一つの体は、まるでエネルギーを絞り尽くすように、文字通り縦横無尽に駆け回る。
「時間がない……ッ」
モニター上部に表示された時間そのものに余裕はある。このスフィア一〇〇機斬りミッションはそもそも、どんな機体でも効率よくやりさえすれば一機ずつ撃墜しても間に合うよう設計されている。一薙ぎで複数の機体を撃破する今の桐矢のやり方であれば十二分な結果となる。
だが、それでは間に合わない。
時刻は午前九時四十四分十秒。
あと五十秒。
それが桐矢に課せられたタイムリミットだ。
「残りの機体は、三十五機……っ!」
一機に二秒もかけていられない。
状況は絶望的。だがそれでも、桐矢一城は諦めない。
負けたくない。負けるのは惨めだ。だから逃げた。逃げ続けた。手に入れる前から全てを諦めれば、傷付かずに済んだ。
けど、そんな空虚な生き方は嫌だと、そう思った。思わせてくれた。
だから諦めることはもうしない。逃げないと、立ち向かうと、そう決めた。
眼前で次々と黒い球体が爆ぜ散っていく。
『諦めるなよ、桐矢君』
通信が入る。
彼の仲間――相馬旭だ。
「当たり前だ……っ」
『僕はもう終わらせている。だから、後は君だけだ。――手に入れると誓った。決して離さないと心に決めた。だから、だから――……っ』
「分かってるっての……っ」
その言葉に応えるように、桐矢はペダルを踏み込んだ。
白の色付きである桐矢専用のイクスクレイヴは、機動力が通常の一・五倍されている。その速力を最大限振り絞るように、それはもはや一条の光となって戦場を駆け抜ける。
残り、五秒。
敵機の残数は、十にも満たない。
「終わりだ――――ッ!!」
右の大剣――アスカロンが闇を裂くように、残りのスフィアをまとめて薙ぎ払う。
爆炎と共に無数の鉄片と化すその残骸を踏み砕くように、イクスクレイヴはようやくのように地面に降り立つ。
同時、戦果リザルトなど確認せずに桐矢一城はその繭のような筐体から飛び出した。
「間に合いましたよ、先輩!!」
その先には、心底困り果てたような笑顔で、深い海のような髪の少女が佇んでいた。
葵立夏。このIT研究部の部長で、あまり密かには出来ていないが、密かに桐矢一城が思いを寄せる相手だった。
「えぇ、本当にあれで間に合っちゃうの……?」
「先輩が言い出した条件ですからね。ここは潔くいきましょう。――僕たちのリーダーが、ここまで来て自分の発言を覆したりはしませんよね?」
相馬がにやりと笑う。その類い稀な美青年の様子はそれだけで様になるが、横の葵は呆れ果てるばかりだ。
「……そんなに、わたしとプールに行きたい?」
「「当たり前じゃないですか」」
顔を赤らめながらぼそりと呟く葵に、男子二人の声が揃った。
「うぅ……。桐矢君までどんどん相馬君みたいになってく……」
恥じらいも何もなく即答するその様に、もう葵の方が諦観している様子だった。
「……まぁ、いいけどさ。元々、この前のイベントで上位入賞したらっていう話だったやつに慌てて条件を足した時点で悪あがきだったし」
独り言のように葵は呟いていた。「……なんとか時間稼いでダイエットしたし、人様に見せられるくらいにはなってる、はず」と何やら意気込んでいるようにも思える。
「それじゃ!」
目を輝かせる桐矢に彼女は少しばかり引いていたが、それでも「しょうがないなぁ」と言って笑みを浮かべていた。
「うん、みんなでプール、行こうか」
*
夏休み中盤の娯楽施設など、どこの混雑も相当なもの。ましてそれがプールとなれば、もはや水の面積より肌の面積の方が多いのでは、と言うありさまになってもおかしくはない。
しかし、それは正式オープンされていたら、の話だ。
「関係者向けのセミオープンのレジャー施設を選んでくれた部長には感謝だね」
「そうだな。おかげで割とのんびり出来る」
いま水着姿の桐矢と相馬がいるのは、まるで秋口のように人気のまばらなプールだった。
葵立夏は、今や全国の通信事業の全てを統括する大企業NICの社長令嬢という立場だ。レジャー施設に関しても、株主だか出資元だか、何らかの権利があって招待される。それに桐矢たちも呼んでくれた、と言うのが経緯だ。
元々のことを言えば、前回のアサルトセイヴ・ヴァーサスのイベント『封印の剣』にて上位報償を手に入れれば、プールでも夏祭りでも何でも行こう、という約束だった。
見事二位を飾りその約束を履行してもらおうと思ったのだが、突然「こ、このプールが近々セミオープンするらしいから! それまでに夏休みの課題を全部終わらせて、相馬君がEXPの借金を全部返せたらね!」と葵が条件を追加した。
とは言え、それに文句を言う時間も惜しみ、即座に頷いた二人はギリギリの時間の中で寝る間も惜しんでその条件クリアに励んだ。
その結果が、出発時間数秒前までかかったあの戦闘だ。
「よほど僕たちに水着を晒すのが嫌だったのかな」
「そこはお前に対してだけだと思いたい」
「失礼な。僕は胸しか見ないよ?」
「だからだよ……」
顔面偏差値以外の全てが残念な美青年に何度目かも分からないため息をつきつつ、桐矢はチラチラと更衣室の出口を見る。
「君も最近は欲望に忠実になってきたね。ようこそ」
「何がようこそ、だ。お前と一緒にするな」
そのレッテルを貼られたが最後、もう二度と葵との仲を進展させることは敵わない気がする。――まぁ、若干ながら既にその路線に入りつつあることに本人は気付いてないが。
「ただ少し遅くないかなって思っただけだ」
「部長はあれだけのものを持ってるのに体型を気に病んでいたからね。まだ踏ん切りがつかないだけだろう」
「――とか言ってたら、あれ先輩だよな」
噂をすれば、ではないだろうが、ちょうど出てきたのはあの深い海を思わせる御髪だった。
「……背丈もあるだろうが、顔も判別できないのにあの人が部長だと言い切る辺り、君も素養があるね」
「言っとくけど、胸で判断してないからな」
「何の話してるの……?」
近づいてきた葵が怪訝な顔を向けて、慌てて桐矢は「何でもないです」と誤魔化す。
そして、そこでようやく間近に彼女の姿を見て、息を呑んだ。
海のような青色のビキニだった。下は白いフリルのスカートが可愛らしい。体形を気にしていたらしく布面積は多いが上品な――……
「桐矢君……?」
「あ、いえ、その」
「見とれていただけですよ。ね?」
「――――っ」
相馬の補足に、葵は顔を真っ赤にする。だが、隠せるものもなければ隠れる場所もなく、もじもじとするばかりだ。
「かくいう僕もそのおっ――……」
「二度と先輩をその邪な目で見るな」
ずびし、と二本の指で相馬の眼球を突き黙らせる。――本音を言えば、ここでセクハラをかまして葵の機嫌を損ね、そのまま帰られたら敵わないからだが。
目を押さえて「目が、目が!? でも最後に収めるのがあの胸なら本望というもの!!」などとのたまう残念イケメンをよそに、葵はまだ恥ずかしそうにしている。
「そ、その、桐矢君の方が細そうだし、その、恥ずかしいんだけど……」
「そんなことないですって。――それに、その、えっと、すごく、似合ってます」
「ほ、ほんと?」
「はい、最高です」
「……なんか、その褒め言葉は若干の邪念を感じる」
ジト目で睨まれ、桐矢はたじろぐ。ここで相馬と同じカテゴライズを受ければ待つのは自明な死である。
「まぁいいよ。これは、桐矢君へのご褒美だし。せ、先輩のわたしと遊ぶのが、ご褒美になるのかは分かんないけど……」
「なりますよ」
照れも何もなく、桐矢は即答する。
「何度も言ってるじゃないですか。俺、先輩の傍にいたいからASVやってるんですよ?」
「まぁ、そうなんだけど……」
「卑屈になるのはやめましょうよ。先輩が思ってるより、俺は先輩のこと好きなんですから」
「す、好きって……?」
「あ、いや、たぶん相馬もですよ。部活として、仲間としてって意味で。ミンナナカヨシ」
最後の最後で日和る辺りが桐矢一城だった。
そんな自己嫌悪を挟みつつも咳払いして、桐矢は柔らかな笑みを向ける。
「でもまぁ、何度言っても信じて貰えるかは分からないですけど」
そう言って、桐矢は手を差し伸べる。
「前、言ってましたよね。俺がいたいと思えるように頑張ってくれるって。――だから、俺も頑張ります」
「なにを……?」
「先輩に、俺が心の底から一緒にいたいと思ってるって、そう信じて貰えるように、です」
きっとこれから先も、彼はその為にあの白い騎士を駆る。
葵が本当に心の底から、なんの憂いも屈託もない笑みを浮かべてくれるときまで。
何もかもを諦めてきた桐矢一城だけれど。
それだけは投げ出さないと、そう初めて誓って、誓わせてくれた相手だから――……