かなめの昔話
「神前、聞いて良いか?」
一つ畳を拭き終わったかなめが起き上がり、手の上で雑巾をひっくりかえす。
「はい」
誠は壁についたシミを洗剤でこすって落とそうとしていた。
「オメエ自分の力をどう思ってる?二度も襲われてるんだ、それについてどう見るよ?」
かなめの言葉に誠の手が止まる。誠はとりあえず洗剤を置き、雑巾でシミのついた壁をこすり始めた。
「そうですね。何も知らない時の方が気楽だったかも知れませんね」
「意外だな、お前のことだから怖いですって即答すると思ったんだけどな。わけわからねえで浚われた方が怖くないのか?」
誠の顔がかなめの方に向き直る。かなめは照れたように次の畳を拭き始める。
「自分に力があるなんていうことを知らなければ、ただの偶然でまとめられるじゃないですか。嵯峨隊長はあっちこっちで恨みを買ってますから、そのとばっちりってことで納得できる。自分に原因は無いんだってね。でも今回のは違いましたね。僕はもう自分が法術適正者だと知ってしまった。相手は他の誰でもなく僕を狙ってくるのがわかる。どこへ行っても、どこに隠れても、僕であるというだけで狙われ続けるんですから」
いくらこすっても取れないシミ。誠は今度は雑巾にクレンザーを振りかける。
「そうだな。アタシも気になってさあ、ここのところ法術に関する研究所のデータや軍の資料を当たってみたんだ。公開されてる情報なんてたかが知れているが、それでも先月の近藤事件以降かなりの極秘扱いのデータが公表されるようになったしな」
かなめは雑巾を畳の目に沿ってゆっくりと動かす。
「遼州人のすべてが力を持っているわけじゃねえ。純血の遼州人の家系であることが間違いない遼南王朝の王族ですら、力が確認されている人物は記録に残っているのはたった三人だ。初代皇帝女帝ムジャンタ・カオラ。六代目ムジャンタ・ヘルバの皇太子で廃帝ハド。そして新王朝初代皇帝ムジャンタ・ラスコー、今の戸籍上の名前は嵯峨惟基」
誠はクレンザーの研磨剤で消えていくシミを見ながらかなめの言葉を聴いていた。
「数千人、数万人に一人の確立というわけですか。でも僕は選ばれたと言って喜ぶ気にはなれませんよ」
誠の手が止まる。かなめはそれを見ると立ち上がった。
「不安なのか?」
そう言うとかなめは誠の頭に手を置いた。
「言っただろ?アタシが守るって」
中腰の姿勢から立ち上がる誠。かなめは集中するように畳を拭き続ける。誠はそんな彼女を見下ろす。かなめは一瞬、作業を止めて誠を見上げたが、すぐに目を逸らすと再び畳を拭き始めた。
「勘違いするなよな!アタシはお前の能力を買っているから助けるだけだ。テロリスト連中に捕まってシャムが大好きな特撮モノの怪獣ばりに暴れられたら困るからな……」
誠はこっけいに見えるかなめの姿に笑いをこらえていた。
その笑い声が収まると二人は黙ってそれぞれの仕事を続ける。沈黙と次第に熱せられていく夏の午前中の空気が、気の短いかなめには耐えられなかったように口を開いた。
「いいか?」
三つ目の畳を拭きながらかなめが口を開いた。
「別に聞いてなくても良いぜ。ただの独り言だ」
誠はそんなかなめを背中に感じながら、バケツで洗ったばかりの雑巾だ窓のサッシを拭いながら聞いていた。
「アタシの家は知ってるだろ?前の大戦中はアタシの爺さんは反戦一本槍の政治屋だっただろ?中央政界から追い出されて、政府からは非国民扱いされてはいたけど、腐っても四大公家の筆頭の家だ。アタシは三つの時に爺さんを狙ったテロでこの体になったわけだ。爺さんもかなり落ち込んでたらしいな」
雑巾をかけている自分の手を見つめるかなめ。誠はそれとなく振り返る。かなめのむき出しの肩と腕の人工皮膚の隙間が誠にはなぜか物悲しく見えた。かなめは落ち着いた様子で畳を拭いていた。
「この体になる前の記憶はまるで無い。まあ三つの時だからな、覚えているほうがどうかしてるよな。でもこの体になってからのことはしっかり覚えてるぜ。脳の神経デバイスは忘却なんていう便利な機能は無いからな。嫌だと言っても昔のつまらない記憶まで引っ張り出してきやがる」
そう言うとかなめは畳を拭く手を止めた。
「まるで腫れ物に触るみたいに遠まわしに気を使う親父、家から出るのにも護衛をつけようとるすお袋。家の使用人や食客達は、出来るだけアタシから距離を取って、まるで化け物でも見てるような面で逃げ回りやがる。まあ、今思えばしょうがないんだけどさ」
誠のサッシを拭く手が止まった。
「当然だよな。三つの餓鬼が一月のリハビリ終えて帰ったらこの大人の格好だ、まともに接しようとするのが無理ってもんだ。でも中身は三つの餓鬼だ。わかってくれない、わかられたくもない。暴れたね。かえでや茜には結構酷いこともしたもんだ。幼稚園、小学校、中学校、高校。どこに行っても友達なんて出来るわけもねえや。気に入らなかったらぶん殴ってそれで終わり」
かなめはそう言うと掃除に飽きたとでも言うように畳の上に胡坐をかいてタバコを取り出した。
「叔父貴のことをさ、茜から何度も聞かされて。陸軍なら親父や赤松の旦那の手も回って無いだろうっていきがって入ってみたが、士官学校じゃあ西園寺の苗字を名乗ってるだけで教官から目をつけられてすぐに喧嘩だ。どうにか卒業してみれば与えられたのは汚れ仕事の山ってわけだ。つまらないだろ?アタシの身の上話なんて」
「かなめさん」
誠はサッシから手を離して真っ直ぐにかなめを見つめた。
「アタシが言いたいのは、自分が特別だなんて態度は止めてくれって事だ。アタシも東都戦争の頃はそうだった。こんな体だから悪いんだ、こんな家柄だがら嫌われるんだってな。でもな、そう思ってる間は一人分のことしか出来ねえんだ。一人で生き抜けるほどこの世は甘くねえよ」
そう言ってかなめはタバコをふかす。
「西園寺さん」
誠は横を向いて照れているかなめを見つめた。
「私の話なんてつまんねえだろ?良いんだぜ。とっとと忘れても」
「そんな……忘れるだなんて……すばらしいことをおっしゃいますわね、かなめお姉さま」
かなめがその声に血色を変えて振り返った先には朱色の留袖にたすきがけと言う姿の茜が立っていた。
「脅かすんじゃねえよ、あれが来たかと思ったじゃねえか!」
「かえでさんのことそんなにお嫌いなのですか?一応実の妹じゃないですの」
明らかにかなめをからかうことが楽しいと言うような表情を茜は浮かべた。かなめはその表情が憎らしいと言うように口をへの字にした後、落ち着きを取り戻そうと深呼吸をしている。
「あのなあ、アタシにゃあそう言う趣味はねえんだよ!いきなり胸広げて待ち針を差し出されて『苛めてください』なんて言われてみろ!かなり引くぞ」
タバコを携帯灰皿に押し込みながらかなめが上目遣いに茜を見る。
「そうですわね。……それにかなめさんは神前くんのこと気に入ってらっしゃるようですし」
「ちょっと待て、ちょっと待て!茜!」
小悪魔のような笑顔を浮かべると茜はかなめの汚れた雑巾を取り上げてバケツに持ち込んで洗い始めた。
「なんでオメエがいるんだ?」
「かなめさん。昨日、引越しをするとおっしゃってませんでしたか?」
茜は慣れた手つきで畳の目にそってよく絞った雑巾を動かす。
「オメエの引越しは……」
冷や汗を流しながらかなめが口を開く。
「お父様には以前から部屋を探していただいていたので、すでに終わってますわ」
すばやく雑巾をひっくり返し、茜は作業を続ける。
「でもいきなり休みってのは……」
そう言うかなめに茜は一度雑巾を置いて正座をして見つめ返す。
「かなめさん……いや、西園寺大尉」
茜は視線を畳から座り込んでいるかなめに向ける。
「なんだよ」
突然の茜の正座に不思議そうにかなめが応える。
「第二小隊の皆さんには私達、法術特捜の予備人員として動いていただくことになりましたの。このくら
いのお手伝いをするのは当然のことでなくて?」
沈黙する部屋。かなめはあきれ返っていた。誠はまだ茜の言葉の意味がわかりかねた。
「そんなに驚かれること無いんじゃありませんの?法術に関する公式な初の発動経験者が現場に出るということの形式的意味というものを考えれば当然ですわ。テロ組織にとって初の法術戦経験者の捜査官が目の前に立ちはだかると言う恐怖。この認識が続いているこの機に法術犯罪の根本的な予防の対策を図る。このタイミングを逃すのは愚かな人のなさることですわ」
「そりゃあわかるんだよ。あんだけテレビで流れたこいつの戦闘シーンが頭に残ってる時に叩くってのは戦術としちゃあありだからな。でも……」
かなめは不思議そうな顔で覗き込んでくる茜の視線から逃れるようにうなだれた。
「第二小隊ってことはカウラさんも入るんですか?」
今度は窓を拭きながら誠が尋ねる。
「当然ですわ。あの方には第二小隊をまとめていただかなくてはなりませんし」
そう言うと茜は再び良く絞った雑巾で丁寧に畳を撫でるように拭く。
「結局、あいつの面を年中拝むわけか」
「他には本人の要請でアイシャさんも状況分析担当で編入予定ですわ」
しばらく茜の言葉にかなめはせき込んでタバコの煙を吐き出した。しばらくしてその目は楽しそうに自分を見つめている茜へと向けられる。
「まじかよ……」
かなめは茜の言葉にただ茫然と立ち尽くしていた。
「嘘をついても仕方ありません」
茜はそれだけ言うと慣れた調子で着々と畳を拭いていた。




