売り言葉に買い言葉
「それで先生。相談なんだけど……」
アイシャが誠が座っている椅子に向かって歩いてくる。いつものように黙っていれば司法局実働部隊屈指の美貌の持ち主である彼女に迫られて誠は動揺していた。
「あのー、アイシャさん。僕の事『先生』て呼ぶの止めてくれませんか?」
誠の隊での法術師としての能力を除く価値は草野球チームのエース候補であり漫画を描けることしか無かった。去年までは野球サークルでエースを務める傍ら、漫画サークルで四年の時は表紙を描いたのはいい思い出だった。ただ、こちらは下士官、アイシャは佐官。さすがに『先生』呼ばわりは気が引けた。
「それじゃあ誠ちゃん。お願いがあるんだけど」
誠ちゃん。そう呼んだ時にかなめとカウラが気に障ったとでも言う様な視線を投げる。アイシャはそれを無視すると、誠の手を握りしめた。
「あ、え、その。なんでしょうか?」
針のムシロ。吉田と騒動を見物に来ていた管理部の菰田邦弘主計曹長以下の男性陣は明らかにざまあみろというような顔をしている。
「実はね……いい水着が無いのよ。お願いだから……一緒に買うの付き合ってくれる?」
突然のアイシャの言葉に誠はただ呆然と彼女の切れる様な鋭い視線に戸惑うだけだった。
「おいおい。オメエ去年はシャムとお揃いの着てなかったか?」
タレ目のかなめがそう突っ込みを入れる。隣でカウラがうなづいている。どちらもアイシャの態度にあからさまな敵意を見ることが出来た。誠は動揺も隠すことが出来なくなってつい、汗が流れているわけでもないのに左手で額を拭っていた。
「シャムさんと同じって……?」
誠はシャムのほうを見る。そして彼女の笑顔を見るとすぐにその答えが予想できた。
「やっぱりスクール水着にキャップは欠かせないでしょう!」
予想通りのシャムの反応。確かに身長138cmに幼児体型のシャムには似合うだろう。均整の取れた女性らしいアイシャが着るのは少し無理があるように誠でも思ってしまう。
「オメエ等、一緒に地元の餓鬼と砂の城でも作ってろ。アタシは……」
誠を眺めていたかなめがカウラの方を向いた。そして満足げな笑みを浮かべながらその平らな胸を見つめる。優越感に染まるかなめの目の色を見てカウラはその視線に気づいて慌てて自分のコンプレックスの源である胸を隠した。
「なんだ、西園寺。私は何も言っていないぞ……」
そう静かに言ってはいるが、カウラのこめかみが動いているのは彼女の動揺を示していた。いつもはクールなカウラが動揺する姿に目が行きそうになる誠だが、さすがに上司のコンプレックスを刺激する趣味は無かった。そして同時に部屋の空気がいつものだれた調子に落ち込んでいくのを感じていた。
「カウラちゃん気にしないの……そう言う娘が好きだって人もいるんだから」
「お姉さん……フォローになってませんよ」
能天気なリアナの言葉にアイシャが思わず突っ込んだ。
「平らなカウラは、まあ……正直競泳用のを買えばいいんじゃないのか?」
「かなめちゃん……それじゃあちょっとカウラちゃんがかわいそうじゃないの」
アイシャの言葉もまたフォローになっていない。かなめは自分のアイデアが否定されたことに腹が立ったというように口を膨らませた。
「まあいいや、アタシは水着持ってないから行かねえよ」
「胡州帝国宰相の娘が水着一つ持ってない?」
「アイシャ。イヤミのつもりか?それとアタシの前で親父の話はするな」
かなめは胡州帝国の貴族の頂点に立つ四大公の筆頭、西園寺家の一人娘だった。しかも、現在の西園寺家当主、西園寺義基は胡州帝国宰相の職にあった。だが父親の話をされると明らかにかなめのトーンが切り替わった。洒落にならない殺気が放たれている。
「誠ちゃん。ちゃんと可愛いの選んでね」
かなめが切れかかっているのを知りつつもアイシャはさらに挑発的に誠に絡む。
「そ……そんなのわかりませんよ」
「そうだな。神前にわかるわけないよな」
頷きながらかなめは青筋を浮かべている。そんな彼女を満足げにうなづきながらアイシャが見つめる。
「それじゃああなたも来ればいいんじゃない?」
「おお!上等じゃねえか!神前!終わったら付き合え」
ヒートアップして売り言葉に買い言葉、おそらくいつも通りアイシャの挑発に乗ったかなめが後先考えずに受けて立ったのだろう。
「西園寺。勝手に決めんな。とりあえず今日は神前には先日の『近藤事件』の出動の際に提出した書類のチェックをだな……」
「黙れ!チビ!」
くちばしを挟んだランをかなめはあっさりと蹴散らす。人一倍自分の幼生固定された身体にコンプレックスを持っているランは口をつぐむしかなかった。
「じゃあパーラの車で行きましょ!いいわねパーラ?」
8人乗りの四駆に乗っているパーラはこういう時はいつでも貧乏くじである。『不幸といえばパーラさん』。これは実働部隊の隊員誰もが静かに口伝えている言葉である。
「じゃあ私も行こう」
かなめの挑発的な視線を胸に何度も喰らっていたカウラが立ち上がった。
「おい、洗濯板に何つける気だ?シャムとお揃いのスク水でも着てる方が似合ってるぞ」
豊かな胸を見せ付けてかなめは笑い飛ばす。その挑発に乗ってやるとばかりにカウラは睨み返す。大きくため息をつくと誠はカウラとかなめの間に立った。
「分かりましたから、喧嘩は止めてくださいよ」
どうせ何を言ってもかなめとカウラとアイシャである。誠の意見が通るわけも無い。だがとっとと収拾しろと言うような目で吉田ににらまれ続けるのに耐えるほど誠の神経は太くは無かった。そしてなんとなく場が落ち着いてきたところで思いついた疑問を一番聞きやすいリアナに聞いてみることにした。
「こんなに一斉に休んで大丈夫なんですか?」
白銀の髪と赤い目。普通に生まれた人間とは区別をつけるために遺伝子を操作された存在だと言うのに穏やかな人間らしい表情で、後輩達のやり取りをほほえましく感じて見守っている。そんなリアナが誠に目を向けた。
「知ってるでしょ?『近藤事件』での独断専行が同盟会議で問題になってるのよ。まあ結果として東都ルートと呼ばれる武器と麻薬の密輸ルートを潰す事ができて、なおかつ胡州の同盟支持政権が安定したのは良かったんだけど……。やっぱり隊長流の強引な手口が問題になったわけ。まあいつものことなんだけどねえ」
「そうだったんですか」
誠が簡単に納得したのをかなめが睨みつける。
「どっかの馬鹿が法術使って大暴れしたせいなんだがなあ!」
「助けられた人間の言う台詞じゃないな」
カウラの一言にまたもやかなめとカウラのにらみ合いが始まる。リアナは見守ってはいるが止める様子は無い。
「喧嘩はいけないの!」
シャムの甲高い叫びがむなしく響いた。
「クバルカと吉田はいるかー」
間の抜けた声の男。とろんとした寝不足のような目が誠の視界に入ってくる。司法局実働部隊隊長である嵯峨惟基特務大佐が入り口に突っ立っていた。
「俺等をセットで呼ぶなんて珍しいですね」
吉田はようやくこの部屋から解放されるきっかけが出来たと喜んで立ち上がる。ランもようやくこの堂々巡りから解放されることにホッとした表情を浮かべて立ち上がった。
「まあな。用事はそれぞれあるし……まず吉田は同盟司法局の稟議決裁システムのチェックの依頼が来てるぞ」
嵯峨の言葉に吉田の表情が不機嫌なものに変わった。嵯峨もそうなると予想していたようで頭を掻きながら手を目の前にかざして誤るようなポーズをした。
「あれかよ。使えないシステム作りやがったから俺が自力で要件定義からやり直したんすよ!今度は何を直すっていうんですか!まあ局長クラスからの指示でしょ?分かりました。じゃあ……」
吉田がアイシャを見つめる。珍しい吉田の真剣な表情に誠は噴出すのを抑えながら吉田を見守る。
「俺は絶対行かないからな!」
そう言うと早足で入り口で立ち尽くしている嵯峨を残して吉田が消えた。
「クバルカは俺の用事だ。ちょっと顔貸してくれねえかな。同盟司法局の本部で面接試験だとさ」
重要なことをあっけらかんと言う嵯峨らしいその態度に一同は顔を見合わせる。
「面接……ですか?」
ランは豆鉄砲を食らったようにつぶやく。
「ああ、増設予定の実働部隊の隊員候補を選ばにゃならんだろ?元々部隊活動規模は四個小隊を基本に据えてあるんだから」
ランの顔を見て困ったような表情で嵯峨がそう言った。そしてようやく上司の意図がわかったのか、ランの表情が明るくなる。反応がわかりやすいランに誠はまた噴出しそうになってこらえるのに必死だった。
「ようやく同盟も重い腰あげたわけですか」
ランはうれしそうに立ち上がる。その視線はカウラに向けられた。
「大丈夫ですよこの場はなんとか収めますから」
「そうか」
カウラのしっかりした声にランが大きくうなづく。そんな二人を不満そうに見つめているかなめに誠は思わずうつむいてしまう。
「そんじゃあ海、楽しんできてよ」
嵯峨は軽く手を振りながらランをつれて出て行った。