先生は強者
「さっさと起きろ兄貴ー!今何時だと思ってるんだー!」
妹が朝っぱらからがなり立てる。こうも一日の初っ端から元気なのは非常に良い事ではあるが、しかし俺は朝に弱い。寝ぼけ眼で時計を見ると、なかなかに余裕がある。それなら答えは決まっているというものだ。
「先行ってろー…五分は余裕あるしー…」
「…遅刻しても知んないからな!」
妹が不機嫌そうに部屋の扉を閉め、少しして家の扉が勢いよく開く音がした。妹が出て行ったのだろう。俺は少し目を閉じ、これからの学校生活に備えた。
ただ、どうにも昨今の日本人というのは余裕がなくて困る。俺は母さんに強制的にたたき起こされ、ほとんど仮眠をとる暇ももらえずに学校へ向かう事になった。
「ちょっとあんた、朝ご飯くらい食べなさい!」
正直食べてる暇なんてない。食べていたら、余裕を持って遅刻してしまう。それなら仕方ない。焼いてもいないし、ジャムもマーガリンもつけていない、素材のおいしさそのままの食パンをくわえ、いざ学校へ向かい、家の扉を開けた。
何もつけていない豪快な食パン。喉がカッサカサになってしまう。まあ、しかしだ。これはこれで、乙なものなのかもしれない。ただ美味しいか美味しくないかで言えば、ジャムをつけたりした食パンと比べて、それはもうゲロマズである。これはもちろん俺の好みではあるが、しかしもう少し、何か具を付けていれば良かったと後悔する。
俺は食事が速い。たとえそれが余りにも、奇跡的なほどに不味い食べものであっても、五分もかからないうちに食べ終わる。太陽の殴りつけるような朝の日差しを浴びて、どんどん目が覚めてくる。集中力が増していく。
そんな集中力の上がった俺は、いきなり来る危機を察知して、大きくステップを踏み、回避行動をとった。もし日光を浴びず、寝ぼけたままなら、もしかしたら大惨事になっていたかもしれない。そういう意味で、全くお天道様には感謝しかあるまい。
では回避行動をとらねばどうなっていたか?その答えは俺の近くを見れば分かることだ。そこには自転車でごみ箱に衝突して、ごみ箱の中身をぶちまけてしまった、ジャージ姿の女が居た。その女の人は辺りに散らかったゴミを見て、まるで失っていた意識を取り戻したようにはっとすると、そのゴミをあわてて片付け始めた。
察しの良い方は気づいたかもしれないが、この女の人は俺に惚れていて、本当に意識を失っていた。そう、人がいないこの状況で俺を見たが故に、身の回りの手ごろな武器、つまり自転車で俺を殺しにきていたというわけだ。物凄いスピードを出していたので、彼女にもかなりのダメージがあったと思うが、幸い彼女は頑丈だ。
しかし、これは緊急事態だ。一番会いたくない人と会ってしまった。手伝いたい気持ちも山々だが、どうしてもそれは難しい。相手が相手だ。
俺はそそくさとその場を離れようとした。
「おっ、志賀峰じゃないか!奇遇だな!」
ああ、掴まってしまった。彼女はどうやら、実に素早く散らかったゴミ箱達を処理してしまったらしい。残念なことに、彼女は運動神経が良い。
「なあ志賀峰、どうだ、先生と一緒に学校行かないか?」
彼女は嬉々として聞いてくる。
「ええ、いいですよ…」
もう、そう答えるしかあるまい。ため息と共に答えた。
彼女は冴木 雪美。俺の学校に勤めている体育教師だ。また例のごとく俺に惚れている。
残念なことに、俺は彼女が好きではない。前までは普通にいい先生だと思っていたが、彼女の情熱的な、熱いパトスがほとばしり過ぎているアプローチに参ってしまった。つまり彼女が俺を殺しに来る時、他の誰よりも危険なのだ。
理由は単純、彼女は体育教師で身体能力が高い。それでも辛うじて俺の方が身体能力や筋力が高いおかげで、何とか死なずに済んでいるが、彼女の殺意は本当に洒落にならない。
常にギリギリの攻防であり、同級生の雫や、後輩の美理奈ちゃんが殺しに来たとしても、雪美先生に比べれば可愛いものである。(ただし不意打ちをくらうと誰が相手でも不味い。相手は此方を殺すことに何のためらいも無いのだから。)
「あっ、そうだ!遅刻しそうなんで、先に行かせてもらいますね!」
「ま、待ってくれ!先生の自転車パンクして…ああっ、チェーンが!」
適当な理由をつけて走り出した。俺の心は申し訳なさでいっぱいだ。ごめん先生、その事故の原因、俺の病気なんだ。ああ、俺だけでは飽き足らず、他の人をも不幸にするこの病。夏休みの間に、神社や寺でお祓いをしてもらってはみたものの、この病気はちっとも治らない。病院も前に言った通り、病気とすら認定されない。これは時間が解決してくれるのだろうか…
いや、やめよう。学校が見えてみたのだ。こんなにも面白くないことを考えるのだなんて、ただただ不幸になるだけだ。俺は走る速度を少し速めた。