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咆哮のグレーテル  作者: 胡桃ヌイ
★第九章 『太陽と月とターリア』――Kapitel 9:Sonne, Mond und Talia――
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Ⅰ 『焔陽と凍月』

冬季の迫る閑静な森の中、少年は『二つの影法師』に追われていた。

少年は息急き切って森を駆け回り、わき目もふらず人影からの追跡を撒いていた。


「ハァ、ハァ……ここまで来れば……」


近くの木立に寄りかかり、少年は空を仰ぎ見て呼吸を整える。

滝のごとく流れる汗が頬を伝って雫となり、土壌に落ちては地中深くへと染み込んでいく。


少年は額の汗を袖口で払拭すると、今しがた駆け抜けた猪道をそっと振り返った。


森の中は植林された樅の木が所狭しと立ち並び、夕暮れ時とはいえ、森は不気味なほど薄暗い。

そのため見通しは非常に悪く、追尾の黒い手から辛うじて息づいている。


しかしながら、そのような逃走劇が長くは続かないことを少年は知っていた。


何故なら蓄積された疲労感から目眩が伴い、駆け足どころか、歩くことさえままならないほどに足

がもつれはじめていたからだ。


事態はかなりの深刻さで、少しでも気を抜けば、その瞬間に倒れてしまいそうになる。まさに、噴

火口の縁に乗っている状況だった。


「最悪だ……まさか〝あいつら〟がこの地区に来てるなんて……」


少年の呟きは至極正論だった。黒い森における被験体の住み分けは、言わば〝お互いの縄張りを荒

らさない――〟という暗黙のルールで成り立っていたからだ。特に『要保護対象』と呼ばれる、教

団から物語の進捗を認められた者たち。彼らは5つのブロックに均等に配属され、争奪戦を膠着(こうちゃく)

態に持ち込むよう教団に肩入れされている。


それは単に強者同士のぶつかりで、お互いの物語が消滅することを避けているのだろうが、教団の

本当の狙いは、そんな均衡状態に不満を募らせ、それをぶち壊さんとする異端児たちの登場だった。


二つの隻影(せきえい)は互いに一定の間隔を保ちつつ、所詮は火中の栗だと言わんばかりに、対象をじわりじ

わりと強権支配していた。


木漏れ日に映る影像から、二つの人影は男女の二人組であることが判明する。二人組は見目姿(みためすがた)こそ

男女で違いはあるものの、その顔立ちから仕草に至るまで見紛(みまが)うほどそっくりだった。


二人組のうち、男の人影が下草を踏み潰し、少年を威嚇する。

被食・捕食関係をはっきりさせる圧倒的な支配構図だ。


「くそっ……!」


背後の森林が真っ赤に染まったのを合図に、少年は慌てて木立から離脱した。身体はすでに限界を

迎えていたが、奴らに捕まればどんな目に遭うか分かったものではない。


少年は藁にもすがる思いで走る足に力を入れた。


気がつけば太陽は西へと傾き、森に射し込む残照が日の終わりを促している。

少年は木々の間を縫って草原に出ると、枯れ枝に蹴つまずき、身体を抱え込むよう横ざまに倒れた。


樅の香りが鼻孔をくすぐる中、天然林から抜けたその場所は、一面が草本層に覆われた緑と絨毯を

敷いたような牧地だった。


木本は草むらを中心に弧を描いて広がっており、そこかしこに伐採された切り株がぞんざいに仕立

てられている。それゆえ樹木の密集した森の中とは異なって、植物は陽の光を充分に吸収した瑞々

しい葉身を揺らめかしていた。

 

どこからか鳥の鳴き声が聞こえてくる。微かだが風の囁きも感じられた。熱気を帯びた身体に自然

と同化したような感覚が伝わってくる。


「はっ、はっ、はっ」

 

長時間に渡る逃走劇の限界からか、少年は草原に横たわったまま立ち上がることが出来ないでいた。

足元に火がついている状況なのに、身体はそれを掻き消そうともしない。


少年のそんな立ち遅れが、わずか数メートル(しりえ)にいる二人組の接近を早めた。

 

「見てよイヴ。あのお兄さん、ぼくたちが追いかけるのが遅いからって、お昼寝を始めちゃったよ」

「ぜんぶ兄さまのせいでしょ。鬼ごっこなんて、くだらない遊びをやってるから」

「そうは言うけど、イヴだって楽しんでたじゃないか」

「別に楽しんでなんかないわ。兄さまにはそう見えただけよ」


少年が草原に踊り出てから数分後。森と林の狭間から、男女の二人組が痴話喧嘩をしながら現れた。

二人は少年に向かってゆっくりと歩み、次第に一つの群像となって獲物に迫った。


少年は諦めからか、とくに抵抗する様子もなく、瓜二つの男女を前に平ぐもになって白旗を上げた。


「おっ、おまえら、『グリムの仔達』ってやつだろ? 頼む。見逃してくれ!!」


しかしながら、男女の二人組はなじり合いを続けるばかりで、少年の命乞いを聞いているのか聞い

ていないのか分からない。


そればかりか、二人の会話は〝如何にして少年を制裁するか――〟に話が変っていた。


「だーかーらーさっさと燃やしちゃおうよ、イヴ」

「ダメ。火葬なんて美しくないわ。氷漬けにしていつまでも愛するの」

「そんなの面倒くさいよ。だいたい火葬のなにが悪いんだい? 形のあるものなんて、いずれ消え

 て無くなるというのに」

「その、消えてゆく形を残すのがいいのよ。兄さまは『いさん』って言葉を勉強したほうがいいわ」

「遺産なんて必要ないよ。何もかも無に返してこそ美学ってもんだろ」

「イヴ、『びがく』なんて難しい言葉しらない。やるならぜったいに氷葬よ」

「ぼくだって引かないよ。君が何て言おうが火葬が一番美しいに決まってる」

「氷葬のほうが美しいわ」

「いいや火葬だね」

「氷葬」

「火葬」


男女の二人組は少年を蚊帳の外に放り出し、対抗意識からか互いに顔を近づけて口論する。

飛び交う会話の内容から、少年は助かる見込みがないことに身体を震わせた。


「そうだ! とってもいいことを思いついたよ、イヴ」


そんな二人の押し問答に、男の人影が妙案を考案する。男の人影は少年に向き直って、


「二人なかよく半分こにしちゃえばいいんじゃない?」


女の人影がすかさず返答した。


「あら? グッドアイデアね、兄さま」


男女の二人組がニヤニヤと薄笑みを浮かべ、今にも失禁しそうな――少し漏らしている――少年を、

獲物を狩るような目で眺めた。制裁の方法が決まったらしい。


少年は恐怖に顔を歪ませ、半狂乱に陥った。男女の二人組が少年を押さえつける。


「ひっ! や、やめてくれ! しししっ死にたくない!!」

「うるさいバカ静かにしろ」


男の人影が少年の上に馬乗りになって頬を殴り飛ばす。


「それじゃあ、ぼくはこっちの半分をもらうよ」

「イヴはこっちの半分でいいわ」


少年の両腕を真横に引っ張り、男女の二人組はお互いに顔を見交わした。少年がいよいよ青ざめる。


「おっ、おい……半分ってなんだよ……半分って何なんだよおおおっ!」


死への抗いからか、少年は金切り声を上げ、無様に泣きじゃくった。誰でもいい。助けてくれ、と。

男女の二人組はそんな彼をよそに、甘い吐息で祝杯を挙げた。


「「誓いのことば」」


さながら華燭(かしょく)の典を想わせる、たった〝二人だけ〟の儀式が始まる。


「良いときも悪いときも」 「富めるときも貧しきときも」

「病めるときも」 「健やかなるときも」


二人は神に向けて小さな手を絡め合い、そのまま唇を重ね合わせた。


「「死が二人を分かつまで」」


夕暮れ時の黒い森――その森の真東に近い境界領域で、少年はけたたましい悲鳴を上げた。


      ☆


午前6時の朝方は、今だ色あせない常闇を孕んでいた。

およそ立冬の訪れが近いのだろう。時折り吹きすさぶ木枯らしの少年にも似た哭声が、古びたオリ

エルウィンドウを容赦なく叩いた。


「グレーテルや……逸る気持ちは分かるが、待ち合わせの時刻まで時間はまだ充分にある。ミルク

 でも飲んで少し落ち着いたらどうかえ?」


ロッキングチェアに深く腰をかけた魔女が、先ほどから玄関口を行ったり来たりしているグレーテ

ルに着座を求める。テーブルの上には、焼きたてホカホカのミッシュブロートや温かい粉ミルクが、

輪切りにされたピクルスと並んでおり、グレーテルは一足早くにそれらを食していた。


「ホォッホッホッ。それにしてもまあ私の留守の間に、あの〈笛吹き男〉を攻略しているとはのぅ。

『結びつき』の効力で致し方のない状況になってたとはいえ、西ブロックで凱歌を奏でてくるとは」 


魔女ドロテーアが兄妹の暗躍に賛辞を(てい)して紅茶を口にする。

そして、グレーテルが気もそぞろになっているのも仕方がなかった。


黒い森、西区最強の被験体を下し、夢の町『ハーメルンヘヴン』からホームに帰館したのが三日前。

今日はその時に取り決めていた大切な〝友〟との約束の日だったからだ。


グレーテルがヌイグルミのコンシールファスナーを降ろして、再度、忘れ物がないかの確認をする。

人形の中には魔女から貰い受けたピクニックシートに、押し花を作るための乾燥シートとコースタ

ー。お昼にみんなで食べるためのレープクーヘンが隙間なく押し込められていた。


「ふむ。あそこの花園なら花が枯れる心配はないのぅ。年がら年中いつ訪れても、綺麗な花穂(かすい)たち

 が生き生きと芽吹いておる。本当に不思議な所じゃ。子どもらが憩いの場に指定するのも頷ける」


グレーテルは早朝のテーブル席で、魔女から『黒い森』の不思議や、今だ開拓されていない未解明

な場所をたくさん教えてもらった。この森にはまだまだ秘密や謎が多く存在しているということだ。


「お前たちが出向いた西ブロックもそうじゃが、この森は全部で5つのブロックに分けられておる。

 教団の総本部があるとされる中央ブロックを中心に、各東西南北。まあこれだけ広大な森林だと、

 他のエリアの情報はなかなか入ってこないもんじゃ。全てを知るには、それこそ『結びつき』を

 活用していかねばなるまい」


『結びつき』――二つ以上の物語が自然に、あるいは運命的に結びついてしまう現象。

そして、いたずらにリンクしたお互いの物語は、それまでに繋がっていた両の結びつきさえも紐帯

にしてしまう。


とどのつまり、遺伝子を化学的に図解表示した、塩基間の水素結合をイメージしてもらえればよい。


「さーて……そろそろヘンゼルが起きてくる時間じゃ。私は冷めてしまったミルクを、もう一度煮

 詰めようとするかねぇ。グレーテル。気をつけて行ってくるんじゃぞ」


魔女が飲み終わったティーカップを抱えて立ち上がる。彼女と話し込んでいるうちに時刻は出発の

頃合になっていた。


      ☆


ホーム『魔女の家』を出発後。グレーテルは『マホウノモリ』からマギの秘術《架け橋効果》を利

用して、黒い森のとある一角にワープした。


花園からほど近い、なおかつ、待ち合わせの場所まで寸前のポイントだ。


普通ワープと呼ばれるものは、現在の次元から別の次元へと、『時空間移動』をするイメージだが、

兄妹が度々使用している《架け橋効果》は、幻術によって秘匿されていたホームへの出入口が、解

術によって開かれた状態を指している。


つまり、ホーム『魔女の家』から空間転移で次元を飛び越えているわけではなく、魔女と兄妹、一

部の関係者にしか知られていない〝裏道〟を使用して、『黒い森』の至る場所に抜け出ているのだ。


木と木の隙間から飛び出したグレーテルは、首を振って左右を確認した。

左舷には花園までの並木道が、右舷には赤頭巾宅までの道程が一本道で繋がっている。


トンネルを形成していた街路樹は、すっかりと葉を落としてしまったが、トンネルの奥からは甘く

エレガントな香りが風に乗って漂っていた。


今日日、友人との約束の地は、この一本道を赤頭巾宅に向かって少し戻った場所に決めていた。

集合場所にするのなら――と、赤頭巾に教えてもらった古参の礼拝地だ。昔から森に住んでいる人

たちは、この場所を『森の廃教会』――と呼んでいるらしい。『乙女たちの花園』は、この廃教会

の霊園ということになるのだろう。


肺腑(はいふ)いっぱいに()()を吸い込み、グレーテルは『森の廃教会』を目指した。

後には、彼女が残したレープクーヘンの残香(ざんこう)が、冬眠前の蜜食動物を惹き付けた。


長い一本道が続く。白樺の比率がだんだんと高くなり、視界の右端に朽ち果てた木製のラテン十字

が見えてくる。廃墟となった今日(こんにち)において、十字の象徴は今だ建物から下ろされていなかった。


聖域――そう呼ばれる場所に、グレーテルは足を踏み入れた。もっとも、信者のいなくなった廃墟

地に霊域も神域もないのだが、その教会は、経年による外観の劣化以外、当時の面影をそのままタ

イムスリップさせたような状態だった。


『森の廃教会』――そう呼称するには綺麗すぎる建物だった。


静けさが波を打つ。全ての罪や汚れを吹き払う、そんな神風がここには渦巻いていた。一堂は材質

こそ木造の百葉箱みたいな公会堂だが、窓ガラスには美しいステンドグラスがきっちりと填められ

ている。今でも誰かが手入れを施しているのか、庭園には雑草一つなく、切り揃えられた緑の絨毯

が、初々しく神のご加護を受けていた。


グレーテルは、人気(ひとけ)のない朝の廃教会で友人を待った。

時間的には頃合に出発したつもりだったが、おおかた早く着きすぎたようだ。

さすがにまだ誰も来ていないな――と、グレーテルが白塗りの壁にもたれかかった時、庭園前に一

人の少女が現れた。


セミロングに届かない髪をお花盛りにした女の子――ユーデリカだ。


ユーデリカは、教会前にグレーテルの姿を発見すると、声を上げて彼女に駆け寄った。


「グレーテルちゃん!」


グレーテルが友人の来着に顔を上げる。『約束の日』があまりにも待ち遠しくて、集合時間よりも

先に到着してしまっていたが、どうやらそれは自分だけではなかったようだ。


『約束の日』を誰よりも楽しみにしていたのは、彼女の友人たち――ユーデリカも同じだった。


「ごめんねー待った?」


ユーデリカが、先に到着していたグレーテルを気遣う。グレーテルは頭をブンブンと左右に振って、


「いま……来たところ」


少し気恥ずかそうに返答した。


そして、ユーデリカに続いて次々に他の友人たちも庭園に集まってきた。


西洋人形みたいな女の子――フラウミルに、恋の話題に敏感なナスターシャ。一見すると男の子に

見えなくもないオリヴィアに、みんなの中では一番背の高いバスティエンヌ。


6人は久しぶりの再会に胸を躍らせた。森の広場以外でみんなに出会うのは、これが初めてだった

からだ。広場に来ていた時とは違って、友人たちは皆、一様にめかしこんでいる。


ユーデリカは代名詞である花柄模様のワンピースに季節感を取り入れたのか、アンダーにクリーム

色のタートルネックを着込んいる。サイズが少し大きいのは、その洋服が森のブラックマーケット

で売られていたものだからだ。


花園への道中、後からユーデリカたちに聞いた話だが、争奪戦に参加していない子どもたちは、皆、

それぞれの方法で黒い森を生き抜いていると分かった。


ユーデリカは上記のとおり森の闇市を利用して生活を営んでいるし、フラウミルは別の男の子グル

ープに身を寄せているらしかった。『黒い森』という法律も秩序もない無法地帯で、10歳少々の

女の子が一人で生きていくにはあまりにも危険すぎる。暴漢に襲われる可能性だって否定できない。

そう言ったたゆたい女の子は、男の子のグループに属して守ってもらうのだ。戦後の焼け野原で見

られる、少女が一人で生きていくための効果的な(すべ)だ。


そして、効果的な術と言えばもう一つある。

これはどの世界でも一定数はいる、メタファーな職業を生業にしている者達を指す。


バスティエンヌはその内の一人だった。幼い頃から他の子よりも成長が早く、発育だって少女には

似つかないものを持っている。本人は他の子に比べて、自分だけがどんどん少女で居られなくなっ

ていることに、少女で居られる時間の短さを嘆いたと語った。そんな中、自分を(いま)だ少女と見なし、

作業的な関係ではあるが、自分を必要としてくれる者達がいることに希望を見い出したと言う。け

して人に話せるような手法ではないが、この森で彼女が生きていくには、人生に刻まれた術を上手

く活用するしか取り計らいがなかったと見える。


逆に男の手を借りないで、自分一人で生き抜いてきたと話すのはオリヴィア。

男勝りな性格もあってか、ちょくちょく争奪戦にも参加しているらしい。相手が男の子グループで

も棒布を振り回して追い払っているそうだ。


女の子の中で、グレーテルと同じく固定型のホームを持っているのはナスターシャ。

恋愛に敏感な反面、探検癖が人一倍強い彼女は、森の秘匿エリアに秘密基地を作り、隠居な生活を

送っていると意外な発言で周囲を驚かせた。


グレーテルは、そんな友人たちの生活事情を垣間見て、自分が如何(いか)に恵まれた環境にいるのかを改

めて認識した。ユーデリカたちと知り合って分かったことは、『黒い森』の内情が彼女たちを通し

て、より明るみになってきたということだ。今まで気づかなかった・見えなかった、他の被験体の

動きが、ユーデリカたち友人からの既成事実(きせいじじつ)でいっそう深く知り得たことは大きい。


ゆえに魔女ドロテーアが話していた『結びつき』の重要さを、グレーテルは喋々喃々(ちょうちょうなんなん)の中で学んだ。


一行はグレーテルとユーデリカを先頭に『森の廃教会』を鹿島(かしま)立ち、終始談笑を交えて花園へと向

かった。


      ☆


木々と花々のトンネルから花園が一望できる段丘に至るまで、ユーデリカたちは驚きっ放しだった。

見たこともない花や草木に遭遇し、こんなにも心躍る場所が『黒い森』にもあったのかと、少女た

ちは互いに手を取り合い跳んだり跳ねたりした。


意想外だったのは、探検癖が強く、秘匿エリアを探し尽くしているナスターシャが、この楽園を知

らなかったことだ。


「もしかして、魔法的な意味が込められた特別な場所だったりする?」


ユーデリカが創造的思考を働かせ、グレーテルに奇観を投げかける。魔女ドロテーアも同じことを

言っていたが、実際そうなのかもしれない。


現に『民謡伝術』なるものがこの森には存在しており、自分を含め、その使い手たちがグレーテル

の馴染みには大多数いる。さしずめ『幻妖』や『神技』の(たぐい)だと言われても納得がいった。


それに加え『乙女たちの花園』は、グレーテルにとって〝繋がりの場〟でもあった。


『黒い森』に来て、初めての友達――赤頭巾と親しくなったのもこの場所だったし、兄と仲違(なかたが)いし

ていた一時期、仲直りから二人で最初に訪れたのもこの花園だった。そして今回は、


「ともだちと……仲よくなれるところ……」


グレーテルが小さな声で、少し恥ずかしそうに答えた。

人と人との繋がりを強固にしてくれる魔法。そんな魔法がこの園には架かっているのかもしれない。


花きが一年中咲いていられるのも、幹が大地と繋がり、大地が海洋と繋がっているからだろう。

どこまでも青い大海原を反転させれば、そこにはどこまでも続く蒼玄(そうげん)な天の原が広がっている。

大空は大気と太陽に触れ、時に霖雨(りんう)を織り交ぜながら、万の花木に生命を宿すのだ。

そうして育った有機体は、仲間を増やそうと芥子粒(けしつぶ)を飛ばし、やがてその粒が新たな芽を咲かせる。


『繋がりの楽園』――この場所は、そう呼ばれていてもいいのではないだろうか? 

いっそ、そうであってほしいとグレーテルはユーデリカを見つめた。


その後、一行は夢見る旋律美を堪能し、やがて螺旋に描かれた丘の側道を伝って外苑への下降を開

始した。筆舌に尽くしがたいポップな色彩が万花の中に降り立ったグレーテルたちを出迎える。


「あれっ? 他にも誰か来てるみたいだよ」


シソ目シソ科の植物が一帯を占有するエリアで、フラウミルが自分たち以外の別の来者を発見した。

目的は、おおかたグレーテルたちと一緒で、花摘みと憩いを目当てにやってきた同区内の被験体で

あろう。偶然にも性別は女の子で、体格は一番小柄なグレーテルと変らない。低く見積もっても同

世代であることは確かだった。ナスターシャは知らない子でありながらその子に妙な親近感を覚え、


「あの……あなたもお花を摘みにきたの? よかったら私たちと一緒に回らない?」


ひたむきに花を摘んでいた少女が掛け声に反応して振り返る。淡白な青色を、甘いバニラアイスで

溶かしたような氷色の髪が揺れた。


「いきなり何? なれなれしいんだけど?」

「あっ!」


気だるそうに立ち上がったツインテールの少女を見て、ナスターシャがそそくさとバスティエンヌ

の影に隠れた。少女は腰まで届く長い薄水色の長髪を、リボン帯みたいなもので蝶々風に結って二

つ結びにしており、腰から下はシャーリングのかかったサックス色のコルセット調スカート。腰か

ら襟元にかけてはピンタックをあしらった白い長袖の姫袖ブラウス。一見した感じでは育ちの良さ

そうなお嬢様風の出で立ちをしていた。


少女は腰に軽く手を当て、突然話しかけてきたフラウミルたちを睨んだ。


バスティエンヌは自分の影に隠れたナスターシャの姿を見て、


「ちょっとー別にそんな言い方しなくてもいいんじゃない? ナータちゃんがあなたに何かした?」


ナスターシャを庇うようにバスティエンヌが少女の前に出る。


「あわわっ……バ、バスティエンヌちゃん」


そんなバスティエンヌをナスターシャが慌てて止めにかかる。彼女の慌て具合から、ナスターシャ

は少女の世評を知っているようだった。


「あの子……すっごく乱暴だって、中央区じゃ有名なんだよ……私も中央区に居たから知ってるの」


ナスターシャが声を震わせて語る。元・中央区住みの彼女は、少女が中央区で起こしてきた、どす

黒い蛮行を耳にしており、実際に少女が人を殺める瞬間を遠くの木陰から目撃したと話した。


バスティエンヌは、少女が争奪戦で暴れに暴れ、殺人にまで手を染めている凶悪なサイコパスだと

仄聞(そくぶん)して一歩身を引いた。目の前に殺人鬼がいると分かって、トラの尾を踏んだと感じたのだろう。


「……ふ~ん。かかってこないんだ? 身体は大きいのに臆病者ね」


少女がクスクスとバスティエンヌを嘲笑う。

不思議なのは、少女の無邪気な笑い顔から、少女が道理を外すようにはとう底見えなかったことだ。

幾人も人を殺めているならば、自ずとそれは表情なり性格なりに現れてくる。

しかし、目の前の少女からは、それら一切の悪徳漢が目に触れられない。

本当に極悪人なのかと疑ってしまうほどに、少女の姿は天使だったのだ。


「それにしてもー」


少女がユーデリカたちに目をやり、


「あなたたちダッサい格好ね。そんなゴミみたいな洋服着て、可愛いと思ってるの? 田舎者ねー」


一行のくだけた常服に罵詈雑言を浴びせる。そのうえ少女は、グレーテルが抱いていた羊のヌイグ

ルミまでも毒舌の対象にした。


「へぇ~あなたのそのヌイグルミ、結構いい生地使ってるじゃない。モヘヤ? それともヌートリ

 アかしら? 別に何だっていいけど田舎者が持つには不釣合いね。かと言って~欲しいかって聞

 かれてもいらないって答えるわ。だってーそのヌイグルミ、あなたと同じで〝超〟が付くほど不

 細工だもん。イヴが持っているウサギのミミーのほうが何百倍も可愛いわ」

「あんたねーいいかげんにしなさいよ!」

「なに? やるの?」


険悪な状況を止めようとしたオリヴィアに、少女が冷たく言い放つ。オリヴィアは、言葉では強気

に出たものの、少女の圧倒的な眼力に恐れおののいた。


「あーあ……なんか気分最悪。あなたたちを見てると、イヴまで田舎癖が移りそう」


少女はつまらないと言った表情で、グレーテルたちに背を向けると、


「何よこんなもの!」


摘み集めていたシソの葉を力任せに投げ捨てて、そのまま万緑の中へ去っていった。バスティエン

ヌとオリヴィアは、少女がこの場からいなくなったことに安堵の息を吐いて、口々に文句を言った。


「私! あの子大っ嫌い!!」

「私も! 田舎者田舎者って、何様って感じ!」


だいぶん立腹な二人にナスターシャとフラウミルも加わって、


「わ……私も、ちょっと苦手かなぁ……」

「でも、かわいい子だったね」


少女について様々な見解を示した。フラウミルにいたっては、相変わらず天然を噛ましてくる。


「もーフラウミルちゃんと話してると毒が抜けちゃうよ」


バスティエンヌは、温室育ちのフラウミルに呆れつつも機嫌を直し、一行は再び花園を進んだ。


「グレーテルちゃん……さっきの子……」


少女の事で何か引っかかることでもあったのか、ユーデリカは同じような表情をしていたグレーテ

ルを覗き見る。グレーテルは先ほどの侮辱は気にしていないといった様子だったが、少女の影に何

かを見たのは間違いなかった。


「うん……傷がいっぱいあった……」

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