表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
咆哮のグレーテル  作者: 胡桃ヌイ
★第一章 『ヘンゼルとグレーテル』――Kapitel 1:Hänsel und Gretel――
6/81

Ⅴ 『羊飼い』

「とうとうこの村にも来てしまったか」


食卓の上に肘を突き、両手を額に当てた父親が、懸念した様子で呟いた。

父親の向かい側では、母親が不安の表情を浮かべている。

兄妹を寝室に追いやった後、両親は羊飼いの到来に頭を悩ましていた。


昼間。なかなか戻ってこない兄妹を心配して、広場に両親が駆けつけたところ、

一人の青年が、村人に介抱されている場面に出くわした。

辺りでは多くの野次馬達が、今しがた起きた出来事について口々に話していた。


『聞いたかよ。羊飼いがこの村に来たって噂』

『羊飼いって、あの思想集団か?』

『ああ……ロマン派屈指の民間組織。えっと、何て名前だったかなぁ……』

『こりゃあしばらくは村が静かになるな』


両親は人でごった返した広場から、ヘンゼルとグレーテルを探した。

二人は噴水前で青年の様子を眺めており、両親はすぐに兄妹を見つけることができた。

両親が兄妹と合流した頃には、広場は祭りとは思えぬほど静かになり始めていた――


「何でも、奇妙な術を使ったらしい」

「奇妙な術ですって?」

「どこの言語かも分からない、呪文のような言葉を唱え始め、詠唱が終わった時には、

 羊飼いの手のひらに光が集まっていたそうだ。まるで〝魔術〟みたいだったと」


そして光が大きく発光したと同時に、若者は吹き飛ばされた。そう、父親が続ける。

母親は神妙な顔になり、そんなはずは……と、独りごちた。


      ☆


壁一枚を隔てた隣室から、両親の会話が聞こえてくる。

一度は寝床に入ったものの、昼間起きた出来事が気になって、ヘンゼルは眠れずにいた。

父親に羊飼いのことを尋ねても、口を真横に結んだまま何一つ教えてくれない。

子どもの自分に、気を遣って話さないようにも見えた。


ヘンゼルは窓枠の縁に肘をつき、窓外に広がる夜空をぼんやりと眺めた。

窓の外は昨日とは打って変わり、星々の姿はなく分厚い雨雲に覆われている。


星の見えない夜は好きではなかった。

心の奥底に眠る不安や葛藤を奮い立たせるからだ。

理想の自己像と現実の自分。考えれば考えるほど気持ちが塞ぎこむ。


「……ん」


隣で寝息を立てて眠っていたグレーテルが、寝返りを打つ。

恐ろしい夢でも見ているのだろうか。ヌイグルミを抱く小さな手が、何かを離さないように

力強く握られていた。


「大丈夫……僕はずっとグレーテルの側にいるよ」


ヘンゼルは妹の髪をそっと撫でてやる。

昔、自分もよくこうして両親に頭を撫でてもらった。

なぜかは分からないが、不安な気持ちが安らいでいくのを不思議と感じたものだ。


村人の話では、羊飼いの狙いは幼い子どもだと言っていた。

父親が何一つ彼らについて教えてくれないのは、

おそらく自分達に、羊飼いの恐怖を植え付けないようにするためだ。


グレーテルの寝顔を見て、ヘンゼルは思う。


「もし、あの人達が家に来たら、グレーテルは……僕が守らなきゃ」


彼は闇の中で瞳を凝らしていた。


      ★


「どうだ、ツェーン。草案になりそうな奴はいたか?」


教会の釣鐘付近に法服を思わせる、ローブ姿の集団が佇んでいた。

その中の一人、ツェーンと呼ばれた女性が答える。


「ええ。何件か気になる家庭があります」

「ほう……ならば、早急に接触を図る必要があるな。リストをこちらに回せ」


リーダー格の男から指示が出され、ツェーンは手のひらを宙にかざした。

途端、何もなかった空間に、粒子状のタブレットが出現する。

集団が情報を共有するために使用している、長方形の小型端末機だ。

彼女は慣れた手つきで指先を操り、リストアップしていた情報を男に転送した。


「よし、ここからは二手に分かれて行動する。エルフ、ツヴェルフ」


リーダー格の男はそう言い放ち、自分の近くに二人の従者を呼び寄せる。

集団の中で一番背の高い男性と、集団に属してまだ日の浅い男性だ。


「お前達はこの家庭を回れ。抵抗するようなら《民謡伝術》の使用も許可する」

「仰せのままにドライ様」


      ☆


閑静な森の中。そこにある小さな苗畑で、父親は汗を流していた。

羊飼いが村に来てから今日で二日目。今のところ特に変わった様子はない。

しかし、いつ『彼ら』が接触してくるか、不安はぬぐい切れなかった。


父親は両手で握りしめた両刃斧を、目の前の樹木に差し込んだ。

木こりの仕事は『主伐』や『択伐』がメインだが、依頼があれば『間伐』も請け負っていた。


『主伐』とは、一定の林齢に生育した立木を、用材等で販売するために伐採する事で、

『択伐』は林内の伐期に達した樹木を、適量ずつ数年から数十年おきに抜き切りして、

林内での更新を図る事だ。ようするに、用材等に適した木を選んで切り、

その跡に後継樹を育てる、ということである。


長い目で見れば、『択伐』は木こりにとって限りのない財産になりえるが、

林業を営む者が減少している近年……父親は毎月の収入を得るので精一杯だった。


毎月の生計は母親が何とかやりくりをして、かろうじて今の生活を維持しているものの、

父親の収入が少ない以上、家計は常に火の車である。

もしも、この苗畑を失うようなことになれば、たちまち一家全滅は間逃れない。

この森は父親にとって、最後の生命線に成り果てていた。


「ふう……そろそろ昼時だな。ヘンゼルが弁当を持ってやってくる頃だ」


額の汗を袖口でぬぐい、父親は太陽の位置を確認した。

枝葉の隙間からは灰色がかった曇り空が見え、わた飴みたいな入道雲が浮かんでいる。

父親は倒木のふちに斧を据え置き、その隣に腰を下ろした。そして、一息ついた途端――


「兄妹の父親だな」


森の奥から唐突に声が聞こえた。


「誰だ!?」


父親は倒木から立ち上がり、森の中を見渡した。

近くに潜んでいたのか、気配に気がつかなかったのか。白いローブを身に纏った二人組が、

木々の間から姿を現す。集団を率いるドライという男と、ツェーンという女だ。


「お前達は……羊飼い。村に来たという噂は聞いていたが……くっ、俺に何の用だ」


父親は羊飼いの目的を知っていた。そのためか、鋭い視線を彼らに投げかける。


「ほう……我々のことは周知ということか。なら話は早い。率直に言おう……兄妹を売る気はないか? 

 子ども達を売れば、一家が充分に食べていけるだけの金は保証する。どうだ? 悪い話ではなかろう」

「断る。そんなバカバカしい話があってたまるか」


男からの要求に父親は即答した。安定した生活のために子ども達を売れだと? 悪魔の所業だ。

羊飼いの狙いは家庭の弱みにつけ込んで、大枚と引き換えに子どもらを奪うこと。

彼らの理念のために、子ども達を渡してたまるのものか。


「悪いが帰ってもらおう。俺はヘンゼルを……ましてやグレーテルを売る気など毛頭ない」

「ククク……選択を誤るな」

「どういう意味だ?」

「子ども達に未来があるのかってことさ」


父親は反論しなかった。羊飼いがどこで自分達の情報を買ったのかは知らないが、ここ数年、

一家の生活が貧困に直面しているのは事実だった。


家庭の事情とはいえ、ヘンゼルには学校を辞めさせてしまったし、グレーテルにいたっては、

学校にすら通わせてやれてない。そのため彼女は、今現在でも文字の読み書きができず、

ヘンゼルに教わる毎日を送っている。


このまま父親の収入が減り続けて、明日のパンにこと欠くような事態になれば、

おそらく兄妹に待っている未来は、悲惨なものになるだろう。


「お前達に売れば、子どもらに未来がある……そう言いたいのか?」

「ふん。それを決めるのは子ども達自身だ。だが……少なくとも道を与えてやることはできる」

「道……だと」


男は深々と被ったフードの下で、口の端を吊り上げた。


「我々が唱える〝童話創生論〟の『被験体』としての道をな」

「なっ……お前達の目的はいったい何なんだ!?」

「貴様には関係のないことだ。さて、もう一度だけ聞こう。兄妹を売る気はないか?」

「断る! 子ども達を実験の道具にするような奴に、なおさら渡すつもりはない!!」


強い意思を持って父親が断言する。被験体だと? 子ども達を何だと思っているんだ。


「悪いが帰ってもらおう」

「なるほど……それが貴様の答えだな。まあいい……今日のところはこれで引き下がるとしよう。

 だが、覚えておけ。我々は一度狙った獲物は、けして逃さないということをな」


羊飼いは去り際にそう言い残し、二人して森の奥へと消えていった。


「俺は……絶対に……絶対に子ども達を売らん!」


父親は汗で湿った手のひらを、力強く握り締めた。


      ☆


「父さん……伐倒術っていうのは、僕にも……できるものなの?」


束の間の昼食後。ヘンゼルは、昨夜――胸に宿していた思いを父親に打ち明けた。

父親は目を丸くして、驚いた様子でヘンゼルに聞き返す。


「木こりの仕事に興味があるのかい?」

「うん……僕、父さんみたいに……強くなりたいんだ」


伐倒術を取得できれば強くなれる。というのは極論だと分かってはいるが、

ヘンゼルにとって父親は、いつだって強さの象徴だった。


毎日の仕事で鍛え抜かれた屈強な身体。雨の日でも風の強い日でも、森に向かっていく勇ましい後ろ姿。

家族のことを一番に考え、自己の犠牲すら厭わない直向さ。父への憧れは、まさに強さへの近道だった。


「ふむ……ヘンゼルは『強さ』を手に入れて、どうしたいんだ?」


ヘンゼルはうつむき加減で口ごもるも、すぐに顔を上げて答えた。


「僕……グレーテルを守りたい! 強くなって、あの人達から妹を守りたい!!」

「ヘンゼル……お前、羊飼いのことを……」

「うん。父さんは何も言ってくれなかったけど、村のおじさん達が話してるのを聞いたんだ」


羊飼いの狙いが子ども達であることを、父親は兄妹に悟られないよう配慮したつもりだったが、

いかんせん村の中は、すでに『彼ら』の話題で浸透しきっていた。


「ヘンゼル、分かっているのか? 羊飼いの狙いはお前自身でもあるんだぞ」

「それで……グレーテルが助かるなら……」

「バカなことを考えるのはやめなさい。いいかいヘンゼル? 父さんがちゃんとお前達を守ってやる。

 だから、自分から身を売り出すようなことは、何があっても絶対にしちゃいかん」


父親が強い言葉でヘンゼルを叱責する。いくら妹を守るためとはいえ、ヘンゼル自身が標的になって

しまっては元も子もない。強くなりたいという彼の意思は伝わったが、強さの方向性を間違えている。


「ヘンゼル。お前の『強さ』についての思いは伝わった。兄として妹を守りたい。さすが俺の息子だ。

 でもね……本当に『強い』っていうのは、母さんを……グレーテルを悲しませるようなことはしない」


ヘンゼルは膝の上で拳を握り締め、父親の助言に深くうなだれた。

強くなることに囚われすぎて、グレーテルの気持ちをまったく考えていなかったのだ。

ずっと側にいる。そう約束したのに――


「ごめんなさい父さん……僕、強くなればグレーテルに悲しい思いをさせずに済むってずっと思ってた」


子どもの浅ましい考えとはよく言うが、まさにその通りだとヘンゼルは理解した。


「そう悲観することじゃない。強さの根源には誰かを守りたいという気持ちは必要だ。ただ、強さの

 方向性を誤ってはならない。それを分かってほしかったんだ。父さんのほうこそすまなかった……

 少々、きつく言い過ぎてしまったね」

「ううん。父さんは間違っていないよ」


すっきりした表情で、ヘンゼルが倒木から立ち上がり、


「それじゃあ僕、先に帰ってるね。グレーテルに勉強の続き、教えなくちゃ」


ランチバスケットを片手に帰宅の準備をする。


「……ヘンゼル」

「ん?」

「伐倒術、教えてほしいんだろ」


父親が真直ぐにヘンゼルを見据え、彼の表情を覗き込む。


「木こりの技術を教えてあげてもいい。そう言ってるんだ」

「父さん……ありがとう! 約束だよ!!」


ヘンゼルは嬉しさのあまり、父親に飛びついた。


「ああ、約束だ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ