Ⅱ 『伐倒術①』
ヘンゼル達一家が暮らすこの村は、人口およそ80人程度の小さな集落で、
村人のほとんどが農業に従事して生計を立てていた。
村は巨大な山岳地帯と森林に挟まれ、郊外まで遠く離れた辺鄙な場所に位置している。
村には民家の他に教会があるだけで、学校や診療所などの目立った建物はない。
それゆえ村人の生活は自給自足が一般的で、よほどのことがない限り郊外に出向くことはなかった。
また、閉鎖された環境だからなのか村人は皆やさしく、
貧しい生活ではあったが、ヘンゼルはこの村が大好きだった。
「よーし、近道だ」
ヘンゼルは自宅から飛び出すと、農道から逸れて獣道に入り、穀物からなる段々畑を登っていく。
途中、額に汗を滲ませながら作業に勤しむ村人の姿が、ちらほらと確認出来た。
今年は例年よりも雨が少ないせいか、作物にも大きな風評被害が出ているらしい。
そのためどこの家庭も、ますます苦しい生活を強いられている。
唯一の救いは、月末に村の広場で開かれる大規模なマーケット。
その日は朝から夕方まで多くのお店が立ち並び、ちょっとしたお祭り状態になる。
郊外からも多くの商人が商品の売りつけに来るので、生活用品の不足はこの村祭りで補うことが出来た。
しかし村人同士で物々交換ができる村の中とは違い、祭りでの買い物は全てがドイツマルクでの支払い。
現金収入の乏しい村の住人には救済とはいえ、大きな出費である事に違いはなかった。
☆
遠く近く、樹木を切る音が森の中に木霊する。
村の段々畑を登った森の中、そこが父親の仕事場だった。
父親は木こりを生業として生計を立てており、樹木の伐採や加工を主に行っている。
そのため仕事が終わると、両手いっぱいの木材を持って帰るため、水筒や弁当などの私物は、
ヘンゼルが届けて持って帰るのが日課になっていた。
父親は村人の間で〝彼に伐採できない樹木はない〟と言われるほどの腕利きの樵夫で、
ヘンゼルにとって自慢の父親だった。
「ふむ。数の勉強か……」
「うん! グレーテルってば凄いんだよ。すぐに覚えちゃうんだもん」
伐採された倒木に腰を下ろし、ヘンゼルは父親と共に昼食のパンを食していた。
「あの子は他の子に比べると、身体も小さいし、自分にも自信が持てていない。だが、誰より
も素直で真っ直ぐな心を持っている。そうだな……あの樹木のように将来は大物になるぞ」
父親がそう言って示した指の先には、一本の大きな樹木が立っていた。
高さも然る事ながら横幅もある、巨木と呼ぶのに相応しい大樹だ。
「ねえ父さん。父さんは、どうしてどんな樹木でも切ることができるの?」
「ん? ああ……それはね《伐倒術》を心得ているからだよ」
「伐倒術?」
ヘンゼルは聞き慣れない言葉に首を傾けた。
「木こりが樹木を安全かつ、確実に伐採できる技術。樵夫達の間ではこれを伐倒術と呼んでいる。
伐倒術を習得することができれば、どんなに大きな樹木でも切り倒すことが可能なんだ」
真剣な表情で聞き入るヘンゼルを見て父親は話を続けた。
「伐倒術の歴史は古い。木は古来、人間の生活・文化と密接な関係を築きあげてきた。
樹木は多くの文化において地と天空を繋ぐ軸だと考えており、生命力の象徴となっている。
木こりはその生命力の源から恵みを受け、生計を立てている……つまり命をいただいているんだ」
「樹木にも命が宿ってるってこと?」
「そうだね。だから絶対に安易な気持ちで樹木を切り倒したり、傷つけたりしては駄目なんだ。
神聖なる樹木から命をいただくにあたり、木こりが恵みを受け取る力量かどうかを示すこと……
それが伐倒術の始まりであり、心得なんだよ」
「そっかあ、だから父さんは大きな樹木でも切ることができるんだね」
「俺なんかそう大したことはない。父さんの父親から見たら、俺なんてまだまだ半人前だ」
「父さんが半人前?」
「ああ。父さんの父親はもっと凄かったんだぞ。身体一つ、斧一本でどんな樹木でも切り倒していた。
それこそ、伐採できない樹木はないと言われてたな……」
父親はランチバスケットから水筒を取り出し、一口飲んで喉元を潤した。
「えっと……父さんにも切ることができない樹木があるの?」
ヘンゼルの淡褐色の瞳がクルクルと動く。
「伐倒術というのは、先に話した通り樹木から恵みを受けるための最低限の礼節だ。つまるところ……
木こりとしての『資格』というわけさ。資格は持っているだけでは意味がない。資格内で許された権限
を使い、己を高めていくことで初めて意味を成す。伐倒術の習得は始まりであって終わりではない。
あくまで樹木を安全かつ確実に伐採するための方法で……木を切り倒すための初歩的な技術なんだよ」
父親は短く息を吐くと、
「より大きな恵みを受けるには、それに見合った技術が必要になる。木こりは樹木と共に成長していく
必要があるんだ。いくら伐倒術という資格を有してても、自分の技術に見合わない木々を倒そうとす
れば、樹木の怒りを買うことになるだろうね」
まるで過去の自分に言い聞かせるよう、目の前の巨木を眺めた。
「だから、父さんはまだ半人前なのさ。卑下しているわけじゃない。ヘンゼルやグレーテルがこれから
大きくなっていくように、父さんも、もっともっと技術を磨いて、お前達の自慢の父親でいられるよ
う努力をしなきゃなってことだ」
父親はコップに入った残りの水を一気に飲み干した。
「さーて、飯も食ったし、父さんは仕事に戻るぞ。ヘンゼルは枝木を拾ってくるよう母さんに
頼まれたんだったな」
「うん。夕食までに拾って帰らないと、母さんに怒られちゃうよ」
「ハハハ……父さんも母さんには頭が上がらん」
「伐倒術は完璧な技術じゃないんだね」
「ヘンゼル。それはどういう意味だ?」
「な、何でもないよ! 枝を集めて先に帰ってるね」
ヘンゼルは倒木から慌てて腰を上げると、軽くなったランチバスケットを持って、枝木の収集へと向かった。