彼女の魔術公式
どんどこどこどこ、どんどこどこどこ。
そんな音が繰り返される空間。中央には大きな火柱が上がり、その周囲で奇妙な衣服を身に着けた男女が同じような振り付けの踊りを、延々、くるくると踊っている。
樽のような形状をした打楽器らしきものを、布を巻きつけたような木の棒で命いっぱいにたたく半裸の男。彼らが打ち鳴らすリズムは熱狂的で、しかしそれを堪能する余裕はない。
「……」
なんですかこれは、とアポフィラは思った。
正しくは、そう思うことしか今の彼女にはできなかった。
悲しいことに商売道具である杖は奪われて、知らない男がまるで自分のものであるかのように振り回しているし、それ以前に後ろ手に縛られてついでに口も塞がれている。拘束状態というやつだ。もちろんそれを打破するだけの力は、魔術師である彼女にあるわけがない。
隣にはセツナがいる。なぜか彼も捕まっていた。
というか、とアポフィラは彼が縛られる前のやり取りを思う。拘束するからには逃げられたりすると困るわけだが、そのための道具を探すのに彼はとても時間がかかった。なにせあちこちから刃物がじゃらじゃらと出てくる。さすがニンジャー、と一人アポフィラは思った。
しかし、いかに隠し持っていても取り上げられたら、何の役にも立ちはしない。
武芸に心得があるとみなされたセツナは、どうも特殊な縛り方をされてしまったようで、それなりにもがいて抵抗を試みたアポフィラとは対照的に最初から抵抗すらしなかった。それでも諦めているわけではないようで、ひたすらじっと周囲の人々を伺うようにしていた――が。
その、月のような金色の目がまぶたの、その向こうに消える。
――最悪だ。
猿轡の向こう側で、セツナが小さくつぶやいたらしい声が聞こえた。
いつもはぴぴく、と跳ねる耳が、へにゃりと力を失うのは、きっと仕方が無い。
■ □ ■
ことの始まりは、ギルドに寄せられた依頼――ではなく、相談だった。
相談主は、ギルド本部から視察に来た幹部で、彼が言うには最近中央都市では怪しい教えを唱えて人々を集める謎の団体、というのが暗躍していたのだという。いた、という過去形で語られるとおり、彼らはもう中央にはいない。というのも、罪に問われ都市を追われたからだ。
かつて、この土地には一つの巨大な国家があった。通称を旧王家と呼ぶ、世界の歴史を紐解いても東方の王族に並ぶ長い系譜を持つ、とても大きな一族とそれに従う国家が。しかし旧とつくところからもわかるように、もうその王家は存在していない。
最後の王女の死を持って、旧王家の直系は断絶していた。
旧王家には分家がいくつかあり、その中でも特に力を持っていた五つの家がある。彼らが自らが新たな王に名乗りを上げることは無く、新たな王の臣下として今も国を守る礎として存在していた。それが五大公。中央や四方の各都市に一つずついる、名家中の名家である。
オーリアにいるのは歌の力を持つ、フェルディーネ家だ。そこの家の姫君は『歌姫』とも呼ばれていて、その歌声をもって西の向こうに広がる樹海を鎮めているといわれる。
その他、人が多く出入りする南には騎士の家系であるエルリア家、魔学校への玄関とも呼ばれる北には魔術を統べるイリストリア家、東方諸国との連絡係である東にはソルフェ家。
そして中央には現王家を支える存在でもある、聖女有するヴィレイン家がいた。
件の団体は、その聖女の誘拐や殺害を企てたとされている。
彼らに決まった呼び名は無いが、その教えから魔物崇拝教団、などという安直な仮名がつけられている。その名の通り彼らは神が遣わした魔物との共存を訴え、ギルドやそれを支える現王家と五大公を反逆者として処罰するべきといっているのだ。魔物に対する反抗心や憎しみなどを抱く人は多いが、その一方でそういう感情を持つことに疲れた人々もいる。かの団体はそんな人々を中心に構成され、ギルド本部の前で座り込むなどいろいろやっていたらしい。
その段階でなら、まだかわいげがあった。しかしヴィレイン家への脅迫状や、聖女がどこかに向かおうとした時に起こった不自然なほどタイミングがいい事故など、次第にエスカレートして。とうとう、直接聖女を害そうという声が上がって、計画まで立てられてしまったのだ。
なぜそんな話が表に出ているかというと、教会にきた団体所属のとある女が涙ながらに懺悔したからである。まさか聖女を、そう呼ばれる偉大な存在を、殺してしまおうという話になってしまうなんて思わなかったのだと、応対した神官に取りすがり女は泣き崩れたという。
こうして彼らはうるさいだけで害の無い団体から、五大公に危害を加え世を乱す不穏分子として国から罪人の烙印を押された。そして中央を追われた団体は魔物が多く蠢くという西方樹海を目指し、ぞろぞろと仲間を引き連れてオーリアへやってきたというわけである。
そんな話をされたオーリア支部は、すぐさま冒険者を召集した。
最近、人間に襲われてケガをしたり、行方不明になった冒険者が多いこと。どうやら中央から追われてきた犯罪者集団が、何かやらかしているらしいということ。もしダンジョンや森の中などで怪しい身なりの者を見つければ、すぐさまギルドに知らせること。
そしてフェルディーネ家に、聖女を狙った不届き者が近くにいるので用心するよう、連絡を入れた。あとは件の団体を捕縛し、しかるべき罰を与えれば終わる。相手は非戦闘員を中心とした元は一般市民、それほど面倒なことではないだろうと、誰もが思っていた。
で、一応そういう話を聞いてはいたが、関係ないと思っていたアポフィラ達ご一行。
彼女らはいつも通り、ダンジョンに入って魔物を狩るつもりだった。
しかし訪れた洞窟系ダンジョンには、先客がいて。なんだ同業者だと思っていたら、彼らに襲われて。ヒイラギやニノンとははぐれるし、アポフィラは捕まるし、彼女を盾にされたセツナも捕まるし。そしてよりによって、相手が噂の『新興宗教団体』というオチまでついた。
珍しく欲を出し、上質の魔石を落とすという魔物が出るダンジョンに、狩りに来たのが運のつきである。猿轡の向こう側、アポフィラは過去の己を恨む言葉をもごもごとつぶやいた。
しかし、つぶやくだけではどうにもならない。
謎の舞をくるくる踊る連中が、何をしようとしているのかわからないが、どうせろくなことじゃないのは最初っからわかりきっている。相手は五大公すら敵に回す、狂った連中だ。
そういう輩は、群れると怖い。
普通ではない力を発揮するから。
この場に四人で殴りこんだとしても、勝てるかどうかは怪しいものだ。人数もそうだし、教えという名の下に高ぶった感情はある種の薬物のように、身体を際限なく強化する。繊維を奪わない限り彼らはきっと、何人死のうと立ち向かってくるだろう。
だからこそ――この国そのものといっていい存在らに、ケンカを売ったのだから。
アポフィラは、ちらり、と自分の杖を持つ男を見た。距離は離れているが、その姿が見えないほど遠ざかってはいない。面倒ではあるが、この距離ならいけるだろう、そう判断する。
次にセツナを見た。あいにくアイコンタクトなる繋がりはないが、今から仕掛けることだけでも伝われば良いと思う。そして、彼女は目を閉じた。意識を強引に深層へ、沈める。
がくん、と揺れた。
おそらくだが、身体から力が抜けたのだろう。
アポフィラは身体を『手放す』ことで、更なる深層へと入り込んでいく。真っ暗な水の底へゆっくり沈み、普段は無意識に杖――魔石にゆだねている作業を行う場へと向かった。
魔術は、実は魔石が無くとも作り上げ、行使することが可能である。
ただそれが危険で、何より危険を知ることすらできないほど困難なだけだ。しかし今はそれしか手が無いのだから、それに手を出しやり遂げるしかない。
――さて、ボクの所有物に手を出した報いを、とくと味わうがいいです。
己の意識の底。
何も無い暗い場所に立ち、アポフィラは魔術式の演算を開始した。魔力をどこにどういう配分で並べていくか、どう組み合わせるか。一つ一つを細かく指定して、数式に変える。
演算を構築し広げていくたびに、ふわりと気が遠くなるような、沈み込むような感覚に揺さぶられた。吐き気のようなものがこみ上げるたびに、集中が乱れてしまう。
そもそも魔術とは、ヒトの魂には過ぎた力。
魔石が無ければ、きっと見向きもされない技術だっただろう。
魔石をもって意識を研ぎ澄ませて、魔石に任意の命令書を動力と共に渡すだけの、生贄に等しい存在だ。ヒトが魔術を使っているのではなく、魔術に使われているといっても良い。
魔術演算に長けたエルフィカ族も、魔石なしに魔術を使うことは無い。魔石が個々に持つ属性や純度などで枷があっても、ヒトはこのガラスのように透き通る鉱石から離れられない。
離れることは、いらぬ苦労を強いられること。
今のアポフィラのように、苦しい思いを常にしなければならないこと。
もし魔石が存在しなかったならば、おそらく魔術に属する技術は発展しなかったか、今の水準には遠く及ばない程度しか触られることなど無かっただろう。こちらの分野を極めれば万能であるのだろうとはアポフィラも思うのだが、極める前に誰もが諦めるに違いない。
どこまでいっても、ヒトの魂というものは程度が知れている。
その能力が魔石に追いつくことは、きっと無い。
――こんなもの、ですかな。
アポフィラは意識の底でうっすらと笑い、暗い床にがっくりと膝をつく。これで魔術式の演算はすべて終了した。あとはタイミングを見計らい、この魔術を開始するだけだ。
アポフィラは目を閉じる。
外を知るために、意識を少しだけ水面に近づけていった……。
■ □ ■
いきなりがくり、とこちらにもたれかかった少女に、セツナは焦った。こっちをじっと見てきたので何かと思った直後のことで、どうしたのかと不安になる。
こうして仲良く捕らえられて数刻が経ち、儀式だか宴だかわからない謎の光景は、どうやらそろそろ最高潮といった感じのようだ。自分がどうなるのか、嫌な想像しか浮かんでこない。
どうすればいい。
思案するが、答えが出ない。
仲間二人は捕まってはいないが、ここにたどり着けるか怪しい。ダンジョンでも奥の方に位置する広い空間で、だいぶ入り組んだ道の先だ。盛大に太鼓を打ち鳴らしてはいるが、反響した音できっとどこかはわからなくなっている。慎重に探ればきっと迷わないだろうが――。
――それまで、俺達が無事かどうかわからないな。
武器を奪われ動きを封じられ、もはや待つことしかできない。
いや、待つだけというのは、あまりにも情けないことだ。
「さぁ……仄かに暗き場所より出でし神よ!」
「神よ!」
宴がひときわ盛り上がる。セツナは視線をあちこちに向けつつ、ごそごそ、と手元を小さく動かした。この縛り方はかなり特殊で、誰かを捕縛するのに向いている形をしている。ちょっとやそっともがいた程度では余計に絞まるばかりで、おそらく刃物を使わなければ開放されることは無い。そしてその刃物は先ほど、片っ端から奪われている――のだが。
「……」
あった、と心の中でつぶやく。
服の合わせ目に押し込むようにしてある、隠し刃の一つを指先で引っ張り出す。刃というよりもヤスリに近いもので、長さとしてはせいぜい手のひらに握って隠す程度しかない。しかし逆にこの状況では隠しやすく扱いやすく、傍目には見えないところをこすっていく。
アポフィラは、まだ目を覚まさない。
よく見ると何かを、小さな声でつぶやいているようだ。寝言というより、何かが乗り移っている感じだ。昔母の実家がある東方に旅行に行ったときに見かけた『神降ろし』、その時に神をその身に降ろして見せた巫女と呼ばれる女性の姿に、今の彼女は似ている気がする。
どこどこ、と太鼓が高く打ち鳴らされる。
人の動きが激しくなる。
先ほど、アポフィラの杖を奪った男が、祭壇らしき場所に向かった。もちろん彼女の杖を持ったままだ。その杖の魔石はいつの間にか淡く光っているが、いつもそうだっただろうか。
杖が無い以上、アポフィラを戦力に数えられない。
彼女を守らなければ。
「……っ」
肌が少し裂かれる。ヤスリのせいだ。しかし縄が切れて、手首にゆるみが生まれる。これからすぐに何とかなりそうだが、一人自由になっても何の意味も無いのだ。こんなところでこんな死に方をしたいなどと微塵も思わないが、しかし一応仲間である彼女を見捨てて、平然としていられるほど狂った頭はしていない。助かるならば、全員でだ。
「神よ、神よどうか……っ」
男の声に続く声が響く。
そこへ。
「おっりゃあ!」
聞きなれた声が、すべてを叩き壊すような鋭さで重なった。続いて、何かを破壊するような轟音。そちらを向く必要も無いほど、頭の中にどういう有様かが浮かんでくるようだ。
「セツナさん! アコ!」
大の男を杖――もはやメイスとかしたそれを振り回し追い払う、赤毛の少女。その後ろから飛び出したのは、セツナにとってはかけがえの無い親友だ。
いつに無く鋭い目をした彼は、武器を手にする男達の前で足を止めると、腰の刀を抜き。
「邪魔をするならば、切るが……よろしいならば、かかってくるがいい」
低い声を発す。
あれは完全に頭にきているな、とセツナは思い、立ち上がりながら近くにいる見張りを蹴り飛ばした。彼がいなくなったことでアポフィラがころんと倒れるが、その前に自由にした腕でその身体を抱きとめる。これだけ騒ぎになったというのに、やはり彼女は目を開かない。
「おい、アポフィラ……」
「……」
軽く揺さぶるが、無駄だった。
「セツナ!」
「……すぐいくっ」
響くヒイラギの声にはじかれるように、セツナはぐったりとした彼女をひょいと抱きかかえてその場から離れる。アポフィラは小柄で華奢で、同年代のニノンよりは軽いだろう。しかし長い時間、こうして抱えて走り回れるほど軽量ではないので、つまり。
「ああ、もう! いい加減起きろっ」
この絶叫がすべてである。
片腕がふさがり、さらに動きに制限がある状態では、逃げの一手に限る。さすがに数が多いせいなのか、ヒイラギはほとんど場の中央から動けないでいる。あれならこちらから近寄った方が早いだろうが、そのためには追ってくる敵と、中央に集まる敵を蹴散らさなければ。
普段、それはアポフィラの担当だった。
他三人の後ろに立って、大き目の魔術を一発見舞い、それにより崩れたところを一気にたたくのが戦法。元が即席であり、場の流れで作られたにしては、わりとバランスがいい。
そかしそれは全員が揃っていて、という前提での話だ。
今は、戦力は半減か、それ以下だろう。
「演算完了――」
と、ぶつぶつ何かうわごとをつぶやいていたアポフィラが、急に声を発する。ぴぴく、と彼女の白い耳が、いつものように勢いよく跳ねた。それと同時に、だらんとしていた腕が動き。
「術式名称《嵐の災禍》――展開します」
歌のような、声がした。
遠くから男の、焦ったような声がかすかに聞こえた。同時にそれをかき消すような、目も開けていられないほどの突風が吹き荒れた。にもかかわらず、セツナの身体は微動だにしない。
どさり、ばさり、と何かが倒れる音が響き、風がぴたりと止まった。
「……え?」
セツナが目を開けると、ヒイラギとニノンしか立っていない光景が広がっていた。あれだけ武器を手に迫っていた男達は、全員が地面に横たわりぴくりともしない。だが、かすかに聞こえてくるうめく声からして、おそらくは死んではいないようだ。当分は動けなさそうだが。
「これは……」
「つかれた、です」
唖然としていると、セツナが抱えている荷物――アポフィラがもぞもぞともがいた。ずっと抱えていた彼女を立たせるが、その立ち姿はおぼつかない。
顔色もよくないが、ひとまず意識は取り戻してくれたらしい。
「アコ!」
「あたま、痛いですよ」
「だ、大丈夫なの? っていうか何したの!」
「問題ないです。ちょっと手動で魔術使って、つかれ、て」
ぐらり、と身体が傾く。それを支えたのはヒイラギだ。
「……魔術は、道具なしには使えないと聞いていたが」
「基本は。ヒトが手を出すには、ちょっとヤバい領域を使用した技術ですからな。何せ魔術式構築の演算など面倒なことは基本魔石の担当で、術者はせいぜい生贄。魔力さえ提供すればぽぽんと何とかなるのが、今現在扱われている魔術の基礎。……ふぅ、疲れたですよ」
「よくわからないが……まぁ、お疲れ様、だな」
「この程度は、朝飯前なのですよ」
なでなで、とヒイラギに撫でられたアポフィラは、嬉しそうに目を細めた。