キルシュ・メリーは肉食系
とある、落ち着いた雰囲気がウリの喫茶店。
かららん、と開店早々に音を立てるドアのベル。
「うー」
ひょっこりと店内に入ってきたのは、白い髪の獣人の少女だった。寝起きが抜けないままやってきたのだろう、眠そうな表情のままいつも使っている席へとふらふら向かう。
そして椅子に腰掛けたところで、そのまま突っ伏すように崩れた。
いつもはぴぴく、とはじかれるように動く獣の耳も、今日はだらんと垂れている。
「アコたん、アコたん」
つんつんつん、とその背を突っつくのは、この店に後から入ってきた少女だ。灰色の混ざったようなくすんだ色の赤毛を肩に乗る程度に伸ばす、小柄というより幼い体型をしている。
彼女の名前は、キルシュ・メリー。
この街で冒険者をしている、まだ十五歳にもならない少女だ。今は動きやすい普段着に身を包んでいるのだが、いざ戦場となれば身の丈以上もある大斧を振り回し、魔物を倒す。
ギルドのオーリア支部に所属する若手の中で一、二を争う戦闘能力。
経験こそ浅いが、一撃の重さならば右に並ぶものはいないとすら言われている。
それが彼女の自慢であり特徴だ。
しかし彼女がそうまでしてがんばるのは唯一つ。
「だいじょぶか、肉くってるか」
何かにつけ口にする『肉類』への、並々ならぬ執着である。
近隣に牧場の類が多く、この国では古くから肉を食す文化がある。とはいえ未だ長期保存するだけの技術はなく、一般市場に出回るのは加工済みの肉――すなわち干し肉が主流だ。
とはいえ最近は生の肉も、多少割高ではあるが手に入る。キルシュがほしいのは、干されてからからの肉ではなく、どちらかというと生だ。生の肉の両面に塩コショウを振って焼き目をつけるだけの、中が生になっているものが特に好きだ。貴族はそれを、レアと呼ぶ。
本心としては焼かずに食べたいが、前にそれをやって数日寝込むことになった。食べたものも口から出て行ってしまい、非常にもったいない気持ちになった。肉は高いし、何より一つの命を奪った結果でもある。それをこんな形で無駄にしてしまうなんて、と傷ついた。なのでせっかくの肉を無駄にしないためにも、彼女は決してもう生で食べるようなことはしない。
ともかく、キルシュは肉が大好きだ。
干し肉は好みではないが、肉の味がするので常に携帯している。
今も、細く引き裂いたものを口にくわえ、もぐもぐと味わっているところだ。さすがにしゃべる時は無作法だし、落っことしたらもったいないので手に持っているが。
「アコたん、だいじょうぶなのか、肉がほしいのか」
「……」
名を呼ばれ、身体を揺られる白い少女――アポフィラは、突っ伏したまま動かない。返事をするように、小さく『うー』とか『あー』と聞こえるが、同意か否定かの判別はできない。
ふむ、とキルシュは小さくうなづき。
「ますたー!」
そのままカウンターの奥、店の厨房へと飛び込んでいった。
そこにはこの喫茶店を切り盛りする、青年のようであり少年のような男がいた。
「ますたー、アコたんが死にそうだ。肉をくれ」
「ねぇよ、ここは喫茶だぞ。肉屋はあっちの商店街」
「……商店街遠い」
「じゃあ諦めろ。あとアイツの場合、目が覚めてないだけだ。コーヒー飲んだら一発で元通りになる。だから買いに行くな、無駄になる。いいか、動くなよ、買いに行くなよ、絶対に」
「でも肉」
「黙れ」
と、男はキルシュが手にしていた細切り干し肉を奪うと、それを彼女の口に押し込む。もごもごもご、と何か言いたそうにするキルシュだが、次第に静かになった。
その間に男は、さっきまでしていた作業を置いて、別の作業に手を伸ばす。カップを取り出してお湯を沸かして、どうやらコーヒーを淹れるつもりらしい。
「淹れたら向こうに持っていって、一緒に飲んでろ」
「……あい」
頭を撫でられたキルシュは、嬉しそうに目を細めて厨房の隅に移動した。邪魔にならないところからじっと、男の作業を見物するように。肉は、適当なところでちぎって口に入れて、残りはポケットの中へ押し込む。いつもは長く味わうのだが、一気に咀嚼して飲み込んだ。
――肉に、この香りはあわない。
キルシュはコーヒーという飲み物は、あまり好きではない。けれど、彼が入れるコーヒーの香りは、好きだ。大好きな肉を大切に食べないで、香りを楽しむことを優先する程度には。
目を閉じ、思い返す。
彼女もまたオーリアにやってきた冒険者で、今はこの喫茶店の上にある住居の一室に住み着いている。ちなみに住居の持ち主は、もちろんこの店の持ち主であるマスターだ。大斧一つを持って飛び出してきたはいいが、寝泊りする先が無く途方にくれていたところを拾われた。
一応、期間限定の居候のようなもので、彼女がマスターと呼ぶ男は仕事の合間に他の下宿などを探してくれている。ある意味、冒険者で潤っている国だ。彼ら向けの格安の物件は無いことは無い。ただ潤沢に存在するわけではないので、競争率が高くなかなか得られないだけだ。
キルシュ自身は、もうここにずっといても良いような気がしている。
言えば、怒られるのでもう言わないが。
「ほら、これもってけ」
「あい」
二つのカップと、ミルクと砂糖が乗ったトレイを渡される。キルシュはそれをアポフィラのところまで持っていくと、いつも彼女が入れている程度にミルクと砂糖を入れた。
「アコたん、飲むんだ」
「うー」
カップを受け取ったアポフィラが、ふぅふぅと息を吹きかけつつ飲む。キルシュも自分のものに砂糖などを入れて、同じように何度か息を吹きながらチビチビと味わった。
甘くしても消えない香りは、少し前の出来事を彼女に思い出させる。
それはキルシュがここに厄介になった日のことで、都会は怖いところだと聞かされ脅されていた彼女は、優しい男に感激して思わず力任せに抱きつき、そのまま押し倒してしまった。
その時もそれ以降も、特に何も無い。だが、あの時にふわりと香ったものが、どうしても忘れられないでいる。コーヒーのような香りだが何かが違う、彼特有の『何か』のことが、どうしてもどうしてもキルシュは気になって、できれば――味見をしたいと、思った。
きっとあれは、彼の肉の香りなのだ。
あんなに素敵な、気になる香りがする肉は、きっとすごく美味しい。
「アコたん、肉はおいしいと思うが、どうやって味見を知れば良いのかわからない。前になめたら怒られたから、きっとかじるともっと怒られる。どうすればいいんだろう」
「……お前はほんと肉しか言わないですな」
「なにをいう。良い香りのする肉は、すっごく美味しいんだぞ」
微妙にかみ合わない会話だった。




