淀みゆく毒
人は一体なんのために生きているのだろうか。
さらにいえば、自分は一体なんのために生きているのだろう。
思考力のある人間に生まれてきたからには、誰しもが一度は考えることではなかろうか。
今日は約一ヵ月ぶりの朔日。
基本的に毒女は外出禁止なのだが、この日ばかりは違う。
唯一毒女に与えられた、外出を許された日。
とはいっても朔日の夕日が落ちてから、明朝の日の出が上がるまでのたった数時間だけなのだが、カルマ本人は満足している。
朔日になるたびにカルマは山の麓に生える桜の木に向かう。
その根元に腰を下ろし、ぼんやりと夜空に咲く桜の木を眺めるのが月間の楽しみだ。
たまに麓の村にも視線を走らせ、一体どんな人間が住んでいるのだろうと考えてみたりする。
そうやって話す相手もなく、ただ自分がいる世界を見る。
普段完全な暗闇で生きるカルマが、淡い星の明かりで唯一世界を知る時間だ。
ずっと一人きりで過ごしてきた、唯一与えられた自由の時間。
何年もそうやって過ごしてきたから、漠然とながらこれからもそうなのだろうと思っていた。
けれどどうしたわけか、隣に座り同じく空を見上げて言葉を交わすはじめての相手ができた。
一ヶ月前にここで出会い、なぜかカルマを気にいったらしい鬼だ。
羅刹というその鬼は、毎日のようにカルマのもとにやってきては、取り留めのない会話に花を咲かせる。
あまりにも狭い世界で生きるカルマにとって、羅刹の話はどれも興味深くとても楽しいものだった。
ついつい身を乗り出してくるカルマに、羅刹のほうが辟易することもしばしば。
今日も今日とて変わらず羅刹はやってきて、朔日だから外に出るというカルマの後をついてきた。
そしていつもの桜の木の根元に座るカルマの隣に座っている。
ぼんやりとカルマは空を見上げる。
視界に入る桜は、花はもう散ってしまっていて葉ばかりだ。
「ねえ、羅刹」
「なんだ?」
「羅刹はどうして自分が生きているんだろうって思ったことあります?」
「はあ?」
羅刹を見れば、意味が分からんといわぬばかりの表情でカルマを見返していた。
淡い星の明かりの下といえど、非常に夜目のきくカルマにとればその表情がよく分かる。
久しぶりに見た羅刹の顔はやはり、とても美しく整っていた。
「…なんとなくですが気になったので聞いてみただけです」
「くだらねえ」
「くだらない、ですか」
「まったくもってくだらねえ」
「…羅刹は強いなあ、羨ましいです」
「ま、人間よりは強くできてるわな」
「いいですね」
ふふふ、とカルマが笑う。
羅刹はなんだか困ったような顔で彼女を見遣る。
「なんだよ、鬼になりてえか?」
「『鬼に』というよりは、『羅刹みたく強くなりたい』ですかね」
「それは鬼になりてえってことじゃねえの?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれません」
「マジ意味わかんねえ!」
がりがりと頭を掻いてそっぽを向く羅刹の姿に、カルマは声をあげて笑った。
どうして自分が生まれてきたか。
なんのために生きているのか。
カルマも今まで生きてきて、何度か思ったことがある。
もちろんいくら考えたところで答えなど出なかった。
いつだって与えられた道を進んできた。
疑問など感じなかった、感じたらいけないのだと思った。
生まれたときに素質があったから、自分は毒女になった。
毎日毒を摂取して、体中から毒が染み出る化け物になった。
たぶんもう、自分は人間だなんていえないんじゃないだろうか。
毒女の仕事は、この血肉を持って人に害をなすものを散らすこと。
そのほとんどが闇の眷族であるらしい。
実際それを目にすることなど許されないので、キヨに聞いた話しか知らない。
でもなあ、と思う。
カルマは守るべき人間というものをほとんど知らない。
具体的にあげればキヨしか知らない。
それでも人の世ための毒女、なんだそうだ。
人によっては見ることすら叶わぬ闇の眷族と人間は相容れぬもの。
強い力を持つ眷族に至っては、人間の捕食者にもなりえる。
キヨに何度もいい聞かされたことだ。
けれどいつだって隣にいてくれたのは、その闇の眷族だった。
彼らの領域でもある暗闇で生きるカルマの傍には、実際たくさんの闇の眷族らが姿を現す。
ただ通り過ぎるもの、こちらをじっと見ているもの、食べようと襲ってきたが逆にカルマの血に倒れたもの。
もっとも羅刹のように話をしたりするものははじめてだったが。
カルマの心にあるしこりは、この矛盾だと思う。
羅刹と接するようになってより一層、そう感じてしまうようになってしまった。
人を守るべき者として育てられているのに、カルマは人を知らない。
なのに狩るべき相手だという闇の眷族らとは話もして、少なくても人よりは知っている。
その上はじめでできた友人は、相容れぬといわれる存在。しかも人を捕食する鬼。
自分の生きる道は果たしてこのままでいいのか。
見上げた夜空は星の明かりで眩しいくらい輝いているのに、どうにもカルマの心は沈んでしまうようだった。