闇に潜む毒
ときは昔。
されど昔とも異なる世界。
闇の眷族と呼ばれる、妖怪類のものたちが当たり前に存在している。
百鬼夜行、狐の嫁入り、魑魅魍魎が跋扈する。
その中でとくに強い力を持つものがいる。
鬼と呼ばれるものたちだ。
それは人に似て、人にあらざるもの。
額より生えし角を闇に光らせ、鋭い爪で裂いた人を食らう。
人を捕食して生きる鬼を、人は人類の仇として刀を向けた。
その終わらぬ戦はやがて、毒女と呼ばれるものらを生みだした。
毒を食らい、闇を食らうというその毒女の力は凄まじい。
その血肉は簡単に鬼をも殺し、さらには人をも殺す最強の毒となる。
その毒女の材料は、生きた人の赤子だ。
日々あらゆる毒を摂取させながら、一切光が射さぬ暗闇で15年ほどかけて育て作り上げる。
やがて全身の血肉が毒に侵されたら毒女の完成だ。
たったそれだけのことながら、これがどうして育ちにくく非常に貴重だったりする。
まず生まれてすぐの赤子に毒を交えた乳を飲ませ、毒女になれる素材なのかを選別をするのだが、これが一番の難関だ。
大概の赤子がそこで命を落としてしまうからだ。
それを乗り越えた赤子だけを、今度は妖怪たちの領域でもある闇の中で育てるわけなのだが、弱いものは闇に心が食われて使いものにならなくなる。
その名の通り、女ばかりを使うのは育てやすいからという理由らしいが、今になってはもうよく伝わっていない。
ただ千人の赤子を使い、一人毒女ができたらいいというほど貴重な存在なのは確かだった。
待ちに待った、久方ぶりの朔日。
ようやく訪れた宵闇に、闇に潜むなにかが喜びにうごめくのを感じる。
それはざわめきにも似た、体の芯に絡みつくうねりのようにも思える。
星の明かりしかない暗闇の中、のんびりと歩く娘が一人。
ずいぶん上等な布で仕上げられている着物はしかし、刺繍一つない簡素なもの。
肩ほどしかない黒髪は右耳の下辺りで縛られ、緩やかに揺れている。
毒女として育てられた彼女は、名をカルマといった。
カラコロと小気味よく下駄を鳴らして歩く。
そうするとまもなく、カルマが目指す桜の木が見えてきた。
このあたりでは一番立派だというその木は、樹齢400年だとか。
実際両の腕をあらん限り伸ばしても、回しきれないくらいその幹は太い。
ちょうど今が見ごろらしく、満開の花がカルマを迎えてくれた。
その根元に腰を下ろした彼女は、ぼんやり満開の花を見上げる。
吹く風が合わせ、ひらひらと落ちてくる花弁をそっと拾ってみた。
星の明かりでその輪郭は分かるけれど、さすがに色まではわからない。
綺麗な色なのだと、いつだったかカルマの付き人の老女はいっていた。
けれど日々闇の中で暮らすカルマには、色に対しての認識力が非常に欠けている。
赤といわれても、カルマはよくわからない。
知っている色は暗闇の黒と、外出が許される朔日に見る星の色だけ。
綺麗な色とは、いったいどんな色なんだろう。
ふと闇が静かにうねるような、そんな感覚がカルマの体を支配した。
違和感、といっても過言ではない。
なにかが、人ではないなにかが傍にいる。
そう直感した瞬間、掠れたような静かな呟きが聞こえてきた。
「女だ。美味そうな女がいる」
声の方向に、カルマは視線をやった。
視線の先にいたのは、暗闇の世界にいるというのに、えらい存在感を発揮している一人の男。
けれど男だと思ったものは、両耳の上辺りから角を生やしているではないか。
ならばこれが世に聞く鬼なのだろうか、カルマはそう思った。