93 秘薬
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三つ目の大部屋にいたのは、最後に残った劣化神――雷神トールだった。精悍な顔付きにぼさぼさの頭髪。ぴりぴりと空気中に静電気を撒き散らす雷矛ミョルミルを構え、意思の無いうつろ眼をさらしていた。
「はっはー。やっと私の出番か。待ちくたびれたぜ!」
つり上がった眼に高い鼻。豊満な胸を隠そうともしない薄手のタンクトップに、すらりと長い脚をスパッツで包んだショートカットの女子が、腕を十字に組んでストレッチをしながら不敵に笑っていた。
雷神トールを相手するのはこの女、十うらなだ。こんな状況で、この女ほど頼れる奴は居ない。男女問わず、クラスの中で一番喧嘩慣れして、この世界でもトップクラスの戦闘力を持っているのは間違いない。
「姉御。本当に大丈夫なのか?」
俺が声をかけると、十は不機嫌そうに口を尖らせた。
「私を誰だと思ってんだ。十うらな様だぞ? 負ける訳が無いだろうが」
さっき思いっきり負けただろうが――というツッコミは無しのようだ。どこからその自信が湧いて来るんだよ……ったく。
「あぁ、そうだったな」
そう呟き、俺は肩をすくめた。一度負けたからと言って、姉御は弱気になるような女じゃない。こいつは昔から、どんなに劣勢でも、どんなに絶望的でも果敢に立ち向かって、決める時は必ず決めてくれる女だ。
まったく、最高にカッコいい奴だよ、お前は。
「クー……さあきはお前に任せたぜ」
「……は?」
姉御は不意に、消え入るような声で言った。先程までと突然声のトーンが変わったので、素で驚いてしまった。
表情を見ると、すこし悲しげで、泣き出しそうだ。こいつが泣く所なんか、あの事件――姉御と付き合うようになった事件の時にしか、見た事がない。
そういえば少しおかしい気がする。こいつの性格からして、親友であるさあきが捕まって危険な目にあっているというのに、『自分がさあきを助けに行く』とは言わなかった。それはよく考えれば、この超絶自己中心的な女である十うらなにとっては、ありえない事だった。
姉御――?
「……っは。任せとけって」
ぐるぐると巡る思考を黙らせて、俺は当たり障りの無い相槌を打った。姉御の奴が何を考えているのかなんか、すぐには分からないし、仮に今それを問いただしても、プラスに働くとは思えない。後で、全てが終わってから、ゆっくりと聞き出す事にしよう。
「よし!」
俺の答えを聞いて、姉御は満面の笑みを見せた。先ほどの少し儚げで泣き出しそうな表情は一瞬で吹き飛び、真夏の太陽のようにまぶしい笑顔だった。
十うらなは進み出る。髪を括り上げ、腕をまくり、腰に差したトンファーを取り出しながら。そして威嚇するように雷神トールを睨みつけると、高らかに声をあげた。
「雷神トール! さっきは油断したが、今度は負けねーぜ。覚悟しろ、じじい!」
その声にトールは、うつろな眼のまま無言で矛を構えた。にらみ合う両者。一気に緊張感が高まり、息ぐるしい雰囲気が部屋を包んだ。
先に動いたのは十だった。といっても攻撃にではなく、おもむろに懐から小瓶を取り出し、それを一気に飲み干したのだ。
小瓶を投げ捨て、にやりと笑う十うらな――それは、何か企んでいる時にみせる笑みだった。はっきり言って、嫌な予感しかしない。
「あーもう。まだクー達が抜けてないのに始めるなんて。本当に勝手だなぁ、姉御さん」
姉御と共にトールと戦う算段だった三好が、突然慌てはじめた。
「みんな、さっさとこの部屋から出てって。これから姉御さん――とんでもない事になるから」
「とんでもない事?」
「いいから。急いで急いでー」
三好のその言葉に、俺達は顔を見合わせつつも、とにかく壁沿いに、奥へ進む通路を目指した。
しかし、まだ姉御とトールの戦闘は始まっていない。当然、トールは部屋を抜けるのを阻止しようと、俺達に向け手をかざして【雷術】を使用するそぶりを見せた
しかし、それは発動しなかった。その前に姉御のドロップキックが決まったからだ。不意に蹴り飛ばされたトールは、部屋の端まで吹き飛び、派手な音と共に壁に突っ込む。
「ウォゥゥゥ……」
トールが元居た場所に着地した姉御。その場で唸り声あげながらゆらりと立ち上がると、姉御の頭部から狼の様な獣耳が生えているのが見えた。
「……姉御?」
姉御は低くうなりながら、全身に力をみなぎらせていた。眼は血走り、瞳孔は開きっている。口からは牙の様な白い歯がはみ出ており、トンファーを手にした両手からも、爪が異常に長く伸びていた。とても、まともな状態には見えない。
この姉御の有様を説明したのは、三好だった。
「狂犬の秘薬――見境がなくなる代わりに戦闘力が格段に上がる、姉御さんが【調合】スキルで作った、秘薬だよ」
「なんだそれ。姉御の奴、そんなの作れたのかよ」
確かに姉御の戦闘スタイルは、薬品をがぶ飲みして自己治癒力を高めてからのごり押しだ。そのためには質の良い薬品を大量に用意する必要がある。あいつが【調合】スキルを習得している事は知ってはいたが、そんな薬品まで精製できたとは。
「正確に言うと、自己回復力が大幅に上がる治癒の秘薬、レベルを一時的に上昇させる英雄の秘薬もブレンドした特製秘薬だね。金かかってるよーあれは」
そう説明した三好によれば、素材費だけでエ・ルミタスに豪邸が建つそうだ。究極の銭投げだな。
「あの状態の姉御さんは、手がつけられないよ。トールだろうが誰だろうが負けやしない。ただ、敵味方の見境がなくなっちゃうから、近くにいる人には無差別に襲いかかるようになる。あの凶悪な攻撃力でね。本当だよ? 一昼夜暴れ続けて、村を一つ全壊させちゃったさせた事もあるからね」
まあ、制御できない狂戦士など、うまく使わなければ危険物だからな。
「その時は結局、騒動を聞いて駆けつけた僕が止めたけど、僕の【扇動】でもあの状態の姉御の士気を下げるのは時間がかかったな」
「って事は、姉御がお前を借りるって言ったのは、戦闘が終った後に自分を正気に戻すためか」
三好がこくりと頷く。
「そうそう。姉御さんがトールを倒すまで、僕はあの二人から逃げ回るだけ。簡単でしょ? あははは!」
姉御の狂戦士状態を唯一操作する手段が、三好の【扇動】というわけか。気分を高めて凶暴性を高めることもできるし、気分を沈めて元の状態に戻すことも出来る。猛獣使いみたいだな。
「っは。難儀な話だ」
「あははは! まあ、それはお互い様でしょ――」
ウオォォォォン――
突然の姉御の遠吠えに、俺達の会話はかき消される。続けて姉御は弾き飛ばしたトールに向かい、野獣のような前屈姿勢のまま飛び掛った。トールも体勢を立て直し、それを向かいうつ。
【雷術】による雷撃と【爆術】による爆発が、花火の様に交互に発生する。その中心は光と土煙に包まれ、すぐに視界が効かなくなってしまった。
「大丈夫なのでしょうか……」
王子が心配そうに言う。確かに壮絶な戦いになりそうだが、心配してもしょうがないだろう。もう、戦闘は始まったんだし。
俺達と共に、奥へ続く通路の前までついて来た三好が、そんな王子を安心させるように言った。
「大丈夫大丈夫。あの姉御さんが、負けるわけないじゃん」
十の勝利を信じて疑わない――というか、負ける所など想像も出来ないといった、三好の自信に溢れた表情だった。まったく、俺もそう思うぜ。
「じゃ、お互い頑張ろうね」
「あぁ」
三好が差し出した手のひらに、皆が次々とハイタッチをしていく。そして、壮絶な打ち合いが続くその部屋を後にした。
……
「なんか、懐かしいPTになったね」
最後の部屋へと続く廊下を駆け抜ける途中、タクヤがそんな事を言った。仁保姫が周囲を見渡し、くすりと笑う。
「本当ですね。最初のパーティみたい」
そう。最終的に残ったメンバーは、一番最初に結成したパーティと良く似ていたのだ。
「俺は、更科氏ではない」
さあきに【変化】していた久遠が抗議する。宮殿に入ってからは、久遠はさあきに【変化】している事が多い。それは今もそうで、慣れない【解析】スキルの広域レーダーとにらめっこしながら、久遠は周囲を警戒し続けていた。
「見た目だけなら、フーが王子に変わっただけだな」
「なるほど。そういう事ですか」
俺の言葉で、ようやく王子が得心していた。
「あんなクズ男、必要ないわ」
六道の冷たい発言。それを聞いてタクヤが笑い声を上げる。
「あっはっは! まあまあ、六道さん。フーの奴は今頃、帝国で必死に戦ってるはずだよ。あいつにも守るべきものがあるからね――ハーレムっていうさ」
「それは、どうなんでしょう……」
仁保姫が首をかしげた。考えるまでも無い。変態だ。まあ、そこまでいくと逆に尊敬できるレベルの変態だがな。
とにかく、残るは相手は先生――ただ一人だ。もしこの戦いに負けてしまえば、おそらく先生は俺達のスキルを奪った後、容赦無く用済みにするだろう。
そんな事はさせない――さあきも待ってるしな。
「皆さん、頑張りましょう」
「ふふ。楽しくなってきた」
王子が皆を落ち着けるように優しい声をかけ、六道はくすくすと不敵に笑う。
「緊張してきました……」
「大丈夫だって。さっきクーも言ってたけど、気楽にね」
再び緊張し始めた仁保姫に、タクヤが声をかけていた。
「久遠、作戦通りにな」
「あぁ。何とかやってみる」
さあきに姿を変えていた久遠が【変化】を解除し、俺の声にうなずいた。
さあ、これで最後だ。すべて、終らせてやる。