89 対応
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死神ヘルは、懐かしそうな様子で語り出した。
「まずは母神フレイヤ。あやつは生命を作り出せる――本気を出せば人間、モンスター、天使や悪魔すらも生み出してしまう。その代わり高等な生命体を作り出そうとすればするほど、魔力を多く消費すると言われておる」
「それでも低級なモンスターならば、いくらでも作り出せるはずだ」
十の肩でくつろぎ始めていた自称使い魔のミルが、ヘルの説明を補完した。結局説明に参加するなら、さっきのアンラとのやり取りはなんだったのか――といった感じだ。
まあ余り気にせずに、ヘルに対して質問する。
「つまり、フレイヤは【生命生成】を使って、大量の手下を呼び出す可能性があるって事か」
「その通りだ」
「本人もそれなりに強いんだろうね。一応、神なんだし」
タクヤがそんな感想を言った。要するにフレイヤはしもべを呼んで戦わせる、魔物使いのような奴らしい。
魔物使いタイプを相手にするなら、ボス本体を相手にする係と雑魚処理を担当する係、この二つの役割が必要になる。それぞれ要求される戦闘スタイルが違うから、うまく組み合わせなければ――
「それなら、霞さんと御手杵さんに任せましょう」
対応を考えていると、王子がノータイムで提案した。そのまま理由を説明し始める。
「霞さんの【吸収】は、相手の属性やダメージを逆に利用して反撃・回復を行なうスキルです。さらに【吸収】を使用する際の変換効率は、相手が格下であるほど強力になる。フレイヤが雑魚を大量に生み出すならば、それらを利用して優位に戦えるはずです」
なるほど。大量の雑魚を相手するにはうってつけのスキルな訳だ。それと単純な白兵戦では無類の強さを誇るスキル『天賦の才』シリーズを持つ槍使い、御手杵をセットにすれば、フレイヤ本人にも対応可能って事か。
「お前らは、それでいいか?」
霞と御手杵に声をかける。日本人形の様に艶やかな黒髪を伸ばした御手杵は
「淳君の言う事なら従うまでです」
と、凛とした表情で答えた。それに対し霞の方は、はぶてたようにその小さな唇を突き出し
「私は淳と離れるのはイヤだなー」
と不満げな様子だった。
霞の奴は、王子と一緒に居たいのだろう。王子の命令には絶対で、忠犬のように付き従う御手杵と比べ、霞の奴はとにかく王子大好きでいつもべったりという感じだからな。
霞は色々とごねてはいたが、結局はあの手この手で王子に納得をさせられていた。
……
「それでは、母神フレイヤは二人に任せましょう。次は――」
「雷神トールだな。あやつについては言うまでもない。【雷術】の使い手だ。雷矛ミョルミルを手に暴れまわる、天界一の勇者。我々三柱神の天敵で、神々の尖兵だ」
王子がなんとか霞を説得し終え話を再開すると、待ちくたびれたようにヘルが説明を畳み掛けた。
雷神トール。先ほどの戦いでは姉御が――あの十うらなが、いとも簡単にやられてしまった。それだけでも、トールが相当な強さの持ち主である事がわかる。足止めだけで十分だといっても、一筋縄ではいかないだろう。さて、誰が行くか――
「あいつは、私がやる」
芯の通った、力強い女の声――十うらなの声だった。
これまで一言も発言もせずに、ミルを肩に乗せたまま話し合いを見守っていた姉御が、突然に声をあげたのだ。しかも、みるからに不機嫌な様子で。
触ったら爆発しそうなほどにピリピリとした姉御の雰囲気に、他のクラスメイトは及び腰だ。仕方が無いので、俺が言う。
「姉御。お前さっき、負けただろうが」
「ふざけんじゃねー! 次は私が勝つ」
姉御は狂犬のように吼えた。同時に大きく一歩踏み出し、大きく身振りしたため、肩の上にいたミルが呆気なく吹っ飛ばされてしまった。しかしそれすらも気にせず、ギラギラとした眼で睨みつけてきた。
「あのおっさんには借りが出来た――百倍にして返してやらなきゃ、気がすまねーよ」
どうやらここまで姉後が大人しかったのは、雷神トールに負けた事ばかり考えていたからのようだ。
受けた借りは必ず返す。十うらなとはそういう女だ。考えてみれば、この女が負けたまま、黙って引き下がる訳が無かったな。
「一人でやる気か?」
「三好を連れてくぜ。コイツの【扇動】が必要だからな」
そう言って隣に居た三好の首根っこを掴む。三好は特に振り払う事もせず、ただ露骨に嫌そうな顔をした。
「うぇ……姉御さん。あれ、使うの?」
「当たり前だ。さっきはクー達がいたから使えなかったが、タイマンなら、絶対負けねーよ」
「……まあ、そうだよね」
どうやら、なにやら奥の手があるようだ。だったら、俺達なんか気にせずに、さっき使えば良かったのに。
「あれはねー。ちょっと危険というか、ギャンブルというか……」
三好はそんな要領の得ないことを言いながら、苦笑いをするだけだった。なんとなく、嫌な予感がする。
「とにかく、私がトールを倒す。とるんじゃねーぞ」
姉御はそれだけ言い捨て、再び不機嫌そうに腕組みをし、黙った。反対意見は一切認めないようだ。
まあ、コイツは言い始めたら止まらない奴だし、ヘタになだめるよりも好きに行動させたほうが効率もいいだろう。三好の奴も口ではあんなこと言ってるが、やる気のようだしな。
「んじゃ、雷神トールはお前らに任せた。最後は――」
「主神オーディンだな。創造神、光の神、深遠の理とも呼ばれる。神槍グングニルを手に光の衣をまとうオーディンは、我ら神々の中で最も古き神であり、同時に最も格調高き神だ」
ヘルはオーディンをそう言い表した。どうやら全ての――それこそ天界のみならず、魔界の神々まで合わせても、最強ランクの相手のようだ。
主神オーディン――先日、謎の空間で戦ったが、あれは確実に本気ではなかった。それでも俺は、ほとんど何もできずに一方的にやられてしまったのだ。もしあいつが本気で戦ってくれば、俺程度だと相手にもならないだろう。
「奴は【光術】を使う。それ自体も強力無比な魔術体系だが、それよりも厄介なのは奴の持つ性質――【無限の魔力】だ」
おう。これはカッコいい名前が来たな。嫌な予感しかしないぜ。
「それは、どういう性質なのですか?」
「オーディンは魔力に制限が無いと言われている」
王子から質問には、ミルが答えていた。先ほど姉御の肩から吹き飛ばされたミルは、いつのまにか、今度は俺の肩によじ登っていた。
コイツ、思ったよりも自由な奴だな――いや、今はそれよりも、無限の魔力』についてだ。魔力の制限が無いだと?
タクヤがミルに対して質問する。
「って事は、オーディンは魔術が――【光術】がいくらでも使えるって事?」
「そういう事だ。少なくとも、我はあやつが魔力を使い尽くした所など見た事がない。ラクナロク初期の頃には、数百年もの間休まず戦い続けたとも言われておる」
ミルがとんでもない事を言った。それは単に魔術がいくらでも使えるという性質ではない。それ以上に、恐ろしい事だ。
この世界で、魔術を使う時に消費するパラメータはHPである。もしもこいつらの言う通り、オーディンがいくらでも魔術を使用できるのならば、それはオーディンのHPが無限に存在する事を意味してしまう。
そしてこの世界では、基本的にHPが0になる=瀕死状態を意味する。逆に言えばHPが0にならなければ、瀕死にはならないという事だ。そして瀕死にならなければ死ぬ事は無い――つまり、オーディンは決して死なないという事を意味してしまう。
「そうだ。知っておるのではないか。オーディンは別名、不死の神。我の逆を行く忌まわしい奴よ」
死の君ヘルが、少し皮肉を込めて言った。
なんという事だ。HPが無限大――つまり、主神オーディンは、決して倒せないだと? 確かに倒さなくてもいいとは言った。だが、ダメージが一切当たらない相手に時間を稼ぎ続けるの事もかなり難しい。
考え得る対処方法は二つ。俺が【死】と【神殺し】を組み合わせて即死を狙うか、時間稼ぎに徹するかのどちらかだ。
前者は未確定情報だ。できれば人神ロキ辺りで試しておきたかったのだが、あの戦闘では【死】は使用できなかった。急所も無くてダメージも姉御任せだったから『一撃死】も【致死】も発動するタイミングが無かったし、相手のレベルも高かったから【死の凝視】も無理だった。
そうすると後者――時間稼ぎに徹するしかない。
「それなら無条件で足止めできる、俺が行くしかないみたいだね」
手を上げたのは【時術】使いのタクヤだった。確かにタクヤの【時術】ならば、ダメージを与えられないまでも、時間を止める【ポーズ】や時間を巻き戻す【リワインド】によって、のらりくらりと攻撃をさけ続ける事ができるだろう。
「タクヤ。お前にはできれば先生の所までついてきて欲しかったがな」
「ま、仕方がないでしょ。オーディンってのもかなり強いみたいだし」
確かに、ここで戦力をケチると後に響く可能性がある。そもそも、タクヤでもかなり危険だ。
「もう二人くらいは、連れて行ったほうがいいぞ」
「もちろん。仁保姫を連れていくよ。仁保姫!」
「はい。タクヤさん」
商会の連中の中から、ひときわ小さな少女が進み出た。仁保姫紅亜礼は天賦の才(格闘)を持つ、一対一なら無類の強さを誇る女子だ。ちっちゃいけど滅茶苦茶強い。
「仁保姫だけでいいのか?」
「うん。二人だけで狩りにもよく行くから、連携も慣れているしね」
そういえばこいつら、いつの間にか下の名前で呼び合っていやがる。そういう事か。まあ、今は関係ないけど。
「七峰さん達、残りのブルゲール商会で戸松さんと大川を護衛する。これで主力の王子と六道さん、それに発動すれば一発で勝負が決まるユニークスキル【死】を持っているクーに、なんにでも対応可能な久遠の四人が、先生の所にまでたどり着く計算だ。これでどう?」
タクヤが状況をまとめた。それを受け、王子が最終決定を行う。
「僕は良いと思います。みなさんが良ければ、その作戦で行きましょう」
王子が皆を順に見渡した。皆が頷き返すと、王子はすぐに指示を出した。
「それでは、戸松さんと大川くんは結界の準備を。残りの皆さんはそれを守りながら宮殿へと向かいましょう。道中の天使達はできるだけ無視し、結界の展開を優先します。そして結界を展開され、状況が落ち着き次第、ヴァルハラ宮殿内部へ突入を開始します」
皆が声を返し、早速移動を開始した。
……
皆がぞろぞろと移動を開始すると、死神ヘルは骨軍団の指揮に戻っていった。本当は俺達についてきたかったようだが、アンラにたしなめられ、しぶしぶといった様子だった。
そんな魔王アンラに、俺は声をかけた。
「アンラ、お前はどうするんだよ。手伝ってくれるのか?」
「私は、少し為さねばならぬ事がありますので、ここで失礼させてもらいます」
そう言うとアンラは、俺の肩口を見つめた。そこには、移動に備えて俺の髪をがっしりと掴んだミルがいた。
「境界神ユミール。少し、手伝って欲しい事があるのですが……」
ミルは不意を突かれたように、アンラのほうに顔を向ける。そして、不審げに眉をひそめた。
「貴様がか? 何を企んでおる。大体、我は――」
「あなたの、"探し物"に関わる事柄です」
「……っな!?」
ミルは、絶句して顔色を変えた。"探し物"?
「なぜ、貴様がそれを……?」
ユミールは、涼しげな顔で答える。
「そうですね。私も同じ考えを持っているから――とでも言っておきましょうか」
その言葉を聞いて、ミルはしばらく考え込んだ。やがて俺の肩から、無言のまま地面へ飛び降りる。そして地上に降り立つやいなや、ミルの体が光に包まれ、光の中から元の大きさに戻ったミル――境界神ユミールが現れた。
ユミールがこちらを向いて言う。
「クーカイよ。我はこやつと共に行かねばならぬ」
「……あぁ。わかったよ」
なんというか、もはやこの境界神に対しては突っ込む気力さえ湧かない。さっきまであんなにユミールじゃないと言い張っていたくせに、あっさり正体を現しやがった。本当に、何がしたかったのやら。
それとアンラの奴もだ。こいつ、まだ何か企んでいるのか。だがこいつの本心を計るのは不可能だろう。時間も無いし、勝手にしてくれという感じだ。
「それでは一橋空海。ご武運を」
そう言い残し、アンラとユミールは作り出した空間の裂け目を通り、姿を消した。