76 惨劇
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何が起こったのかわからない。大会議室に入った時には、多くの人が血まみれになって倒れており、吐き気のする血の匂いが部屋中に漂っていた。幸いにもその中にクラスメイトの姿は無かったが、それでも飛行船から最初に現れた声のでかい重臣も含め、両国共に多数の重臣が殺されていた。
そして、部屋の中心にある巨大な円卓の上で、帝国の第三皇子――デインが仁王立ちをしていた。厳かな装飾に身を包んだ老人――ノルン王をその手で掴み上げ、周囲に見せつけながら。
「貴様……! 一体どういうつもりですか!」
すでに円卓の周囲は、ノルン騎士団――即ち王子を筆頭としたクラスメイトの面々で包囲している。だがノルン国王を人質にされて手が出せないでいるようだ。
そんな包囲網を意にも介さず、デインは円卓の上からキョロキョロと周囲を見渡していた。そして部屋に駆け込んできた俺達の方に目を向けると、突然顔を明るくして手を振ってきた。
「おーい。タクヤ! これでよかったのか?」
周囲の視線が、一斉に俺の隣にいたタクヤへと集まる。それは俺も同様だった。
「タクヤ……?」
「っえ? いや、ちょっと待て。何のことだ?」
タクヤが大慌てで手をぶんぶんと振る。なぜ俺が、といった感じがありありだった。その様子を見て、デインがケタケタと声をあげて笑う。
「嘘だよ嘘。タクヤは関係ない。信用ないんだなータクヤって! アッハッハ!」
意図の読めない発言に、血と屍体が溢れかえる大部屋。
全員が凍りついていた。誰もが状況を理解できないのだ。和平に訪れたはずの帝国の第三皇子――デインが作り出したこの惨劇に、頭がついていかない。
デインは片手を腹に当ててひいひいと息を整えた後、周囲を見渡して語りだす。
「さてさて。ここには今、君達"クラスメイト"の多くが勢揃いしているのだけど、皆この世界を楽しんでいるかな?」
デインの言葉にみなが反応し、そういえば――といったざわめきを引き起こす。
確かに言う通り、この世界に召喚されたクラスメイトのうち、3分の2ほどがこの部屋に集まっていた。しかし今はそんな事よりも、今コイツが口にした言葉の方が問題だ。
この男、俺達の事を"クラスメイト"と呼びやがった。なぜそんな事を――知っていやがる。
「楽しんでいる人も居れば、楽しんでいない人も居るかもしれない。私はとても楽しんでいるよ。欲を言えば、もう少しエスタブルグ帝国の第三皇子としての身分を楽しみたかったけど、少々事情が変わったからしょうがない。一橋君――君のせいだ」
今度は一斉に、クラスメイトの視線が俺に集まる。
「まさか魔石十二宮を、天王寺君ではなく君が集めきってしまうとは、意外だったな。それも予想していたよりも遥かに早く――ね。勿論、数多くの迷宮を攻略している天王寺君、私を使って帝国でのし上がった牧原君、そして東大陸で教国を潰してしまった十君。それぞれ素晴らしい活躍を見せている。噂では魔界でも六道君が活躍中だそうじゃないか。あはは! 君たちは本当に優秀だ」
こいつ……何を言っているんだ。考えが読めない。何がしたいのかもわからない。貼り付けたように気味の悪い笑顔で話し続けるデイン。とりあえず、会話を続けて機を窺うしかないか。
「……貴様、何者だ」
「あはは! そんな事はどうでもいいじゃん? そんな事より、君の目的は私――【泥人間】アダマの動力源である魔石十二宮【雷電のアメジスト】だろ?」
「……だったら、どうするって言うんだ?」
俺が聞くと、デインは甲高い声で答えた。
「君がもうすぐ魔石十二宮を集めきってしまうから、お祝いしてあげようと思ってね。こうして舞台を作って出張ってきたってわけ」
「俺を利用したって事か」
タクヤが隣で声をあげる。すでに魔法杖を取り出し、臨戦態勢を構えていた。
「利用していたのはお互い様だろ? タクヤ。さっきも言ったけど、本当はエスタブルグ皇帝に上り詰めるまでは一緒に行動するつもりだったんだけどね。ごめんごめん」
「謝ることは無いよ。俺だって、君を骨の髄まで利用する気だったんだから。ま、それも今日でお終いみたいだけどね」
タクヤ以下ブルゲール商会の面々が武器を取り出すと、凍りついた場の空気が溶け出し、発火寸前の緊張感が張り詰めた。
空気の変化を感じたのか、デインは手に持ったノルン王の首を掴みなおすと、ケタケタと笑いながら言った。
「あはは! そんなに緊張しないでよ。今回はまだ第一ラウンドなんだから」
第一ラウンド――だと?
「そう。第一形態と言った方が分かりやすいかな? ラスボスにはお決まりだろ。ふふふ……フフ、アハハ……アハハハハ!」
そう言って再びケタケタと笑うデイン。そして笑いは甲高く、身の毛がよだつような声へと変わって行く。血にまみれた端正な青年の顔は、狂気に満ちていた。
「さぁ、始めようか」
その言葉と共に、デインは老ノルン王の細首をくきりとねじ切った。ノルン王の体から栓を抜いたように血が噴出する。
凄惨な光景に周囲から小さく悲鳴が上がった。しかしそのデインの暴挙を合図に、行動を開始した奴らがいた。
それは王子と十うらなの二人だった。
……
「調子乗ってんじゃねーぞ!」
ほぼ同時にデインに向かって突撃した二人だったが、先にデインを攻撃したのは十だった。【爆術】で足元を爆発させる事により得た推進力で、とんでもない速度で突進したのだ。
姉御は両手に構えたトンファーを交差させ、体ごと突っ込む――デインはそれを腰から引き抜いた片手剣で受け止めた。しかし勢いは殺しきれず、デインは大きく後ろに弾き飛ばされていた。
「十さん! 任せてください」
追撃に飛び込もうとする十を制止し、今度は王子が飛ばされたデインに向かって突っ込んだ。
「タクヤ!」
「分かってる。【時術】【リワインド】」
二人の突撃とは別に、俺はノルン王の下へと駆け出していた。同時にタクヤもまた【時術】【リワインド】――対象の時を巻き戻す魔術をノルン王に向けて詠唱していた。それは死人にさえも有効な復活魔術。他の連中はさすがに手遅れだが、今殺されたノルン王なら、まだ間に合うはずだ。
タクヤの【リワインド】が発動し、ノルン王の首が正常な位置へと戻る。出血も収まっていた。円卓の上に飛び乗ると、俺はすばやく老人を回収し、デインが吹き飛ばされた逆方向へ飛ぶ。そして周囲に居た王国兵の一人に、助け出したノルン王を預けた。
すぐにデインの追撃へと走った王子の方を見る。目に入ったのは、とんでもない速さで打ち合う王子とデインの壮絶な剣戟だった。
金の装飾がなされた華美で肉厚な剣を振り回すデイン。一方薄刃の片手剣を目にも止まらぬ速さで操る王子。互角の打ち合いのように見えたが、すぐに形勢は傾き始めた。
デインの狂気に満ちた表情から振るわれる斬撃。尋常では無い速度のそれらを、王子はすべて受け流していた。逆にキラキラと煌きながら振るわれる王子の剣は、次々とデインの体に打ち込まれ、確実にデインのHPを削っていた。
壁を背に追い詰められていたデインは、劣勢を打開すべく左手へと飛び退く。しかし王子は振り切れなかった。相手の動きを読んでいたかのように、飛び退いたデインにぴったりとついて離れないのだ。
慌てたデインが剣を構えガード体勢をとると、王子はその剣を狙って精密な斬撃を繰り出す――デインの剣が弾き飛ばされ、大きく孤を描いてて地面に突き刺さった。
王子の構える片手剣が、デインの鼻先に振るわれる。
「降参しなさい」
「……アハハ。勝負はこれからだよ。【雷術】【サンダーボール】」
追い詰められたデインが右手をかざす。その掌から打ち出されたのは、大量の紫電の礫だった。隙間無く放たれた、とんでもない数の雷小球が王子に襲い掛かった。
王子は素早くバックステップをしながら、ぼそぼそと何事か呟いた。すると突然、光り輝く光の衣が現れ、ヒーローの変身シーンよろしく、王子はそれを華麗に羽織った。続けて衣をひらめかす様に、くるくると回転し始める。
すると紫電の礫がことごとく光の衣にはじかれていた。一つたりとも、王子の体には届かない。どうやら王子がユニークスキル【光術】を使用したようだ。見た事が無い魔術だが。
大量の多い雷球は、王子の後ろに居たクラスメイト達にも襲い掛かっていた。だが、それらの雷球はクラスメイトにあたる直前、煙のように消え去ってしまった。
王子の側近――霞立夏の奴が両手をかざしていた。あいつのユニークスキル【吸収】の仕業だろう。なにやら、びっくりスキル大会の様相をみせてきたな。
さっきのデインによる攻撃は、はぐれ魔術【雷術】である。どうやら【泥人間】アダマが本気モードに入ったらしい。ここからが本番のようだ。
だが、それよりも本当に恐るべきなのは王子だな。至近距離から放たれたあの規模の魔術を、ほぼノーダメージで捌きやがった。信じられない動きだ。
「淳君。手伝います」
「私もやるよ」
王子の後ろに、霞と御手杵がそれぞれレイピアと槍を手に付き従う。加勢に入るつもりだったようだが、肝心の王子には断られていた。
「いえ。二人は周りに被害が出ないように守ってください。すぐに終らせます」
王子はそう言うと、次の瞬間、デインに剣先を向け突進を繰り出した。驚いた事に、先ほどの十のそれを凌駕するような速度だった。
「なっ……!?」
剣を落としているデインには、攻撃は避けるしか手がない。しかし、王子はそれを読みきっていた。直前で攻撃をキャンセルし急ブレーキをかけた王子は、無防備な体勢で飛び退いたデインをついに捉えたのだ。
「ぐぁ!」
デインの腹を貫く王子の剣。続けて王子が再び唇を動かすと、みるみると剣が光輝いていく。同時に串刺しにされたデインが、苦しみから逃れる様にもがいていた。
休む間もなく王子は次の魔術を詠唱した。周囲を光の剣で覆い尽くされる。これは俺も知っている――ヴァナヘイム教皇が使っていた【光術】【ウォールオブソード】だ。かつて見たそれとは遥かにスケールの大きな――三重にも連なった光剣の壁だった。
これは、デインを殺してしまうレベルの規模だ。ちょっと待て――
「王子! 待て。殺すな!」
俺の制止の声に王子は耳を貸さなかった。次の瞬間デインは、四方八方から光剣によって貫かれる。数十秒間は続いた光の剣による攻撃によって、デインは焼き尽くされてしまった。
焼き尽くされた後、黒炭のようになってしまったデインは、やがて光を帯びて消え去り、その後には紫色の魔石――【雷電のアメジスト】が地面に転がっていた。
……
王子は、やはり王子だった。えげつない強さである。だが、これはちょっとやりすぎだ。できればデイン――いや【泥人間】アダマから話を聞いておきたかった。
戦闘終了後、王子にノルン王が無事な事を伝える。少し驚いていたが、すぐに感謝の言葉を言ってきた。
「クーさん、牧原君。ありがとうございます。ただ――」
「こんな事になったんじゃあ、申し開きもないね……」
タクヤが悲しそうに部屋を見渡す。王国兵たちが死傷者の救護に当たっているが、デインに手を下された多くの人々は、すでに手遅れのようだった。
「……本当に、牧原君は知らなかったのですね?」
王子が聞くと、タクヤは俯きながら答えた。
「あぁ。俺は本当に戦争を止めようとしただけだ。その手段として、デインを使った。それがまさか、こんな事になるとはね……」
タクヤの奴、めずらしくガチへこみしてやがる。まあ、完全に行動が裏目ったわけだしな。
結果だけ見れば、ノルン王国側は帝国の皇族に重臣を殺され、エスタブルク帝国側は和平に赴いた皇族が殺された事になる。つまり双方に遺恨が残ってしまった。
このままだと、この戦争は泥沼に陥ってしまうだろう。
「王子、タクヤ。どうやらかなり面倒な事になったぞ」
「そんな事、クーに言われなくてもわかってるって」
「成り行きとはいえ、僕も帝国の皇族を殺してしまったのですからね……」
デインの目的がなんなのかはいまいち掴めなかったが、このまま戦争を続ける事はあいつの思い通りな気がする。こんな意味の無い戦争、とっとと終らせてしまうべきだ。
「ノルンとエスタブルグが戦争続けるなんて、俺達に益は無いんだ。ここはお前らが協力して、お互いに軍を引かせろ」
「僕は構いません。というか、元々この戦争は帝国側が始めたからやむなくという所ですから。牧原君が帝国軍側を引かせてくだされば……」
「簡単に言わないでよ。さっきも言ったかもしれないけど、俺に軍を動かす権限は無いんだから」
国の筆頭騎士として軍を掌握できる立場にある王子に比べ、タクヤは勢力は持ってはいるものの、立場はただの商人だ。確かに帝国軍を引かせるのは簡単では無いかもしれない。
「だが、やるしかないだろ。とにかくデイン第三皇子が暴走して、両国の重臣を惨殺したんだ。生き残った帝国側の証人も、数人だが居る。それでなんとかしろ」
「無茶を言うなぁ……」
「それに近く、ユグドラシルを起動して三界を繋げる」
「あ、そうでした。【雷電のアメジスト】――最後の魔石十二宮が揃ったのでしたね」
「あぁ。そうなれば、魔界の連中が世界中で溢れ出す。そうなれば帝国も、戦争なんかしてる場合じゃなくなるはずだ、それも材料にしてなんとかしろ」
俺としては、とっとと魔石十二宮を使ってユグドラシルを起動して、天界に行きたいからな。
タクヤは大きくため息を吐いた。
「はぁ……まあ、それしかないか。こうなったら出来るだけ早めに頼むよ。ヘタしたら俺、国家反逆罪とかで捕まっちゃうかもしれないから」
「おーけー。それじゃ、また決行する日が決まったら連絡する。それでいいか?」
「わかった」
「わかりました」
そうして俺達は別れた。その後、タクヤは飛行船で帝国軍の野営地へと向かい、王子は騒ぎを収めるために指揮へ戻った。俺はとりあえず、王国軍についていき、準備を整える事にした。
今回の件。あいつらにとっては戦争に関する事項の方が重要だろう。だが俺にとっては、先ほどのデインとのやり取りの方が遥かに重要だった。
あいつ、第一ラウンドとか言ってやがった。第一形態とも、ラスボスとも。
まだ終っていない。【泥人間】アダマを操っていた奴が、別の場所に存在するのだ。その第二ラウンドの舞台は、おそらく天界――そこは俺がようやく辿り着こうとしていた、旅の目的地だった。