75 飛行船
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乱暴に扉を蹴飛ばして部屋から出ると、廊下で待機していた久遠が目を丸くしてこちらを向いた。こいつは人の多い会議室に入る事を嫌がり、一人廊下で待っていたのだ。
「随分と早かったな。もう話し合いが終ったのか?」
「いや。王子の奴がボケた事をぬかしやがるから、ムカついてな。言いたい事だけ言って逃げてきた」
「それはそれは……天王寺氏もかわいそうに」
「あいつは大体完璧なんだが、少しずれている所があるんだよな。まったく」
「くっくっく。一橋氏に言われたらおしまいであろう」
「っは。確かに」
そのまま久遠を連れて廊下を歩いていると、後ろからさあきが追いかけてきた。少し遅れた所をみると、俺が投げっぱなしにしたあの雰囲気の後をフォローしてくれたのだろう。
「クー」
「悪かったな、さあき。後始末を任せて」
「ううん。少し心配したけど王子、そこまで落ち込んでなかったよ」
「そうか」
「でもクー、良かったの? あんな事を言って」
「別に。確かに王子は前から八方美人な奴だったし、今はノルンの筆頭騎士とかいう地位なんだろうから、言ってる事は分からなくも無い。ただ、だからってあっさり戦争を受けるなんて、ちょっとおかしいぜ。戦闘狂の脳筋女じゃないんだから」
「おい、クー。それは私の事か?」
見ると、いつのまにか不満げな顔の十がいた。後ろには三好もいる。どうやらこいつらも、さあきと一緒に出てきたようだ。三好はともかく、十に王子のフォローは無理だから、単純にさあきと一緒に出てきたのだろう。
「別に姉御、戦争が悪いって言ってるんじゃねーよ。ただ普段の王子なら、最も人が死なない方向に動くだろうし、そもそも戦争なんか起こさないように努力するはずだ。今からでも帝国軍の頭を狙うなり、説得に赴くなり、王子達ならなんでも出来る。なのにあいつらは何も行動を起こしていない。まったく何を考えてるんだろうな」
あいつにも色々と事情はあるのだろうし、俺よりも遥かに重いものを背負っている事も想像できる。それでも今の王子達の選択は、最善手からは程遠いように思えるのだ。まあ、俺が外部の人間だからかもしれないがな。
しかしまあ、最悪タクヤ達と敵対さえしないのならば、俺には関係ないのも確かだ。それに王子は最終的にはきめてくれるだろうし、期待して傍観しておこう。
「クーは厳しいな。別にいーじゃん。襲い掛かる火の粉は打ち返すものだぜ」
「お前はそれでいいだろうよ。お前らしいし。ただ、もう少し大人しくならないと、嫁に行くのは無理だろうがな」
「あはははは! そりゃそうだね!……うぐぐ」
腹を抱えて笑う三好を、姉御がヘッドロックをかまして黙らせていた。そういうのをやめろって言ってんだよ。まったく。
「そんな事より、牧原氏はどこにいるのだろうか」
「ん。あぁ」
そうだ。俺達が王国軍の駐屯しているこの砦に来たのは、ほんとうにもののついでだった。本来の計画では三好が戦闘を止めた後、帝国軍に赴いてタクヤを探そうと考えていたのだ。
しかしタクヤは、あの十による大騒ぎでも姿をみせなかった。これはアイツがこの戦場に居ない事を示唆している。居れば、さすがにあの騒ぎに気が付くはずだし、気が付けばせめて【空術】で自由に移動できる七峰くらいをこちらに寄こすはずだろう。
本当にタクヤの奴はどこに行ってしまったのだろうか。
「やっぱりタクヤ達、まだ帝都にいたのかな」
「かもな。昨日は偶然いなかっただけかもしれないし、もう一回行ってみるか」
「なんだよ。もう帰るのか? わざわざ私を呼んだんだから、もっと活躍させろよ」
「タクヤがいないんじゃ、ここにいても仕方が無いんだよ。置いてってやるから、一人でやっとけ」
「うぇ、そりゃないぜクー」
時刻は正午を回っている。タクヤがこの侵略戦争という面白イベントに参加していないとは予想外だった。こうなったらもう、帝都で情報を集めて追いかけるしかないだろう。やれやれ、とんだ遠回りになってしまったな。
「これは先生。こんな所まで従軍されていたのですね」
その時突然、久遠がいつもの調子と異なる猫なで声を出し、壮年の男に声をかけた。王子に付き従う、語り部のディオンが俺達の前に現れたからだ。
ディオンはその年の割りに立派な銀のあごひげを撫でながら言った。
「これはクオン、クーカイ殿も。雷湿原には行かれたのですか?」
「あぁ。一応、行って来たよ」
「そうですか。それはご無事で何より。して【泥人間】は見つかりましたか」
「無かった」
「は?」
ディオンは目を大きく見開き、言葉を失った。どうやらディオンはこの回答を予想していなかったようだ。しばらく固まった後、動揺した様子で聞いてきた。
「……無かったとは?」
「言葉通りだ。雷湿原にある神殿の最奥、そこには確かに【沼人間】アダマが封印されていた形跡はあった――が、アダマ本体はすでにそこには無かった。誰かが起動させたみたいだな」
「そんな、ばかな……まさか……」
ディオンはひどく狼狽していた。尋常ではないうろたえ方だ。
あまり詳しく知っている訳ではないが、コイツはもっと落ち着いた男だと思っていたな。この話、そんなに気になる話か?
「どうした?」
「……いえ、失礼しました。それでは、クーカイ殿は起動された【沼人間】を探しているわけですな」
「いや、もう居場所は分かってる」
「えっ?」
「アダマは、エスタブルグ帝国の第三皇子デイン・フォン・エスタブルグに成り代わっているようだ」
「なっ……」
ディオンが再び目を見開き、息を飲む。そしてすぐに顔を伏せ、なにやらブツブツと言いながらふさぎこんでしまった。
さっきからコイツ、反応が一々怪しい。なんか隠している事が有りそうだ。ちょっと本気で聞き出してみるか。
そんな事を考え、実行しようと口を開いたその時、中庭のほうから兵士達の騒ぎ声が聞こえてきた。その声はどんどんと大きくなり、やがて砦全体が蜂の巣をつついたような大騒ぎになってしまった。
「……なんだ?」
「どうしたのでしょうか」
ディオンとの会話を中断し、様子を見ようと窓から外を見たとたん、その大騒ぎの原因がわかった。
砦の上空に木造の船が浮かんでいたのだ。それは船体のかなりの部分を薄い青の金属に覆われてはいたが、見た目はにただの帆船――どう見ても海を航海する為の海洋船だった。
要するに空飛ぶ船――文字通りの飛空船が、今まさに砦の中庭に着地しようとしていた。
「すっげぇ! なんだあれ、飛んでる!」
「クー! すごいよ! 船が空飛んでる!」
「みりゃあわかる」
「へぇ。どうなってるんだろうね」
「ふむ……」
きゃーきゃーと無邪気にはしゃぐさあきと十。久遠と三好は、女子二人ほどではないにしても興味深げにその船を眺めていた。だが、そこまではしゃいで良い状況ではなかろう。
飛空船に掲げられた旗には双頭の鷲のマークがあしらわれている。あれはたしか、エスタブルグ帝国の紋章だ。つまりこの船は帝国の船という事。帝国に――いやこの世界にこんな技術があったのかと勘ぐってしまったが、その疑問はすぐに氷解した。
中庭に着地した飛空船の甲板に、探していたクラスメイト――牧原タクヤの姿を見つけたからだ。
……
そのファンシーな空色の外殻に覆われた飛行船の甲板を、【眼力】スキルを使用して眺める。するとそこには多くの帝国兵士に混じって、七峰や比治山などのブルゲール商会の連中も見えた。なにやってんだよ、あいつら……
「我らはエスタブルグ帝国の使いだ。我が皇帝は停戦を所望している。総大将はどこか」
格式ばった、厳かな服に身を包んだ老人が、船上から厳格な声を張り上げる。その後名乗った役職から、どうやら帝国側の重臣らしい。
良くわからんが、どうやら強襲に来た訳では無いらしい。話し合いをご所望のようだ。部外者である俺に出る幕はなさそうである。
しばらくすると、王国側の重臣である王子が中庭に登場した。船に近づき男といくらか会話する。その後、帝国側の船から降り立った一際華美な服装の青年と共に、王子達は砦の中に入っていった。陣頭指揮の為にこの砦に来ているという、ノルン国王の下へと向かうのだろう。
タクヤ達ブルゲール商会の連中は飛行船に残っていた。事情は知らないが、あいつらは留守番のようである。こいつは好都合。俺は船に近づき、大きくジャンプして甲板に乗り込んだ。
「おい。タクヤ」
「お。クーじゃん。なんでここに?」
タクヤはおどけた様に言うと、すぐに納得した表情を見せた。
「……そっか。午前の戦闘中にあったっていう姉御さんの騒ぎは、クーが噛んでいたのか。なるほどね」
「なんだよ。帝国側に居たのかよ。なら反応しろってんだ。探してたんだぜ」
「いや、居なかったよ。ここに来るまでに報告を受けただけ。ちょっと用事があってね。この飛行船で色々飛び回ってたんだよ」
「船がどうとか言ってたのは、これの事だったんだな」
「そう。やっと完成したんだよねー」
話によると、タクヤは前々から飛空船を造ろうと、色々調べていたらしい。その時に注目したのは空飛ぶ遺跡――空中神殿。都合よく俺が空中神殿に行くと言ってきた事もあり、七峰と比治山に空中神殿の浮遊原理について調べるように指示したそうだ。
そして俺達が次元の狭間に迷い込んでいる間に、七峰達はしっかりと空中神殿を調べ上げ、浮遊力の源である空色の魔法銀を大量に持ち帰っていた。
「それでこの魔法銀を使って、この飛行船を造ったってわけ。推進力とか安定性とかを得るのが難しかったけど、なんとか一隻だけは形にできたよ。どう、すごいでしょ」
「っは。まあな」
ドヤ顔で胸を張るタクヤ。たしかにこの飛行船は凄い。どうやって飛んでるのかすら、サッパリわかんねーし。
ただこれ、意味あんのか? 話を聞けば空中神殿の遺物を大量に使ってるみたいだし、あまり量産はできないだろう。一点物の軍事兵器なんて、よっぽど強力では無い限り使い道は無いはずだが。
おそらく自分達で使う為の物なんだろう。だいたい空飛ぶ船なんて、ゲーム好きのタクヤが趣味で作った感じがプンプンする。ま、それを実現させてしまった事には、素直に脱帽だがな。
「それよりタクヤ。お前、何考えてんだよ。王子達のいるノルンと戦争なんか起こしやがって」
「いやいや、ちょっと待ってよ。俺はこれでも阻止するために頑張ってたんだよ」
俺が問い詰めると、タクヤは慌てて言った。
「阻止?」
「そう。この戦争、帝都の皇帝が突然始めたんだ。本当、俺もびっくりしたよ」
「……戦争の原因は?」
「よくわかんないけど、どうも俺が魔石とか技術とか売りすぎちゃったのがいけなかったみたいだね。今の皇帝って、割りと好戦的だからさ」
兵器が手に入ったから試し打ちのために戦争を起こした――か。
「皇帝の性格くらい掴んどけって。なにやってんだよ……」
「そんな事言っても、所詮俺は立場的にただの商人な訳で、帝国での実権は全然ないからね。あんまり直接的な行動はできないんだよ。今回も皇族のデインを立てて、帝国側に有利な条件の下で停戦協定を終結させるって事で、何とか皇帝を説得してきたんだ。デイン達の話し合い次第だけど、まとまれば戦争はひとまず終わるよ」
どうやら、今回の件はタクヤの手に余る事件だったという事か。皇帝が命令したならば、仕方無いだろう
「……まてよ。お前、デイン皇子がどうのこうの言ってたな」
「うん。連れてきてるよ。デインの奴、今回の停戦会議の要だからね。今さっき王子達と一緒に奥に入っていった」
「お前、あいつの正体を分かったうえで使っているのか?」
「……!?」
その一言に、タクヤの顔つきが変わった。顔を近づけ、声を潜めてながら聞いてきた。
「……さあきから聞いたの?」
「まあな。あれ、本物のデイン皇子じゃないだろ」
「っし! その事は俺とさあき、あと仁保姫と七峰さんくらいしか知られていない最大機密なんだから。ばれると色々と問題が――」
「あぁ、安心しろ。別にその事を責めてるわけじゃない。ちょっと事情があるんだ」
「事情? どういう事?」
「どうやらデインが、最後の魔石十二宮である【雷電のアメジスト】を持っているらしい」
「え?」
「というか。デイン自身が【雷電のアメジスト】で動く人形だ」
「え? え? ちょっと待って。全然話が見えないんだけど」
タクヤはひどく困惑していた。俺は雷湿原における雷神トールの神話と、実際に雷湿原のダンジョンで見た【泥人間】の封印跡、そして石碑に記されていた【泥人間】の名前こそ、デイン皇子の本当の名前であるアダマだった事を説明した。
その話を一通り聞いて、タクヤはようやく事態を飲み込んだようだった。
「うーん……得体の知れない奴だとは思っていたけど、そんな奴だったとはね」
「泥人間の目的が何なのか知らないが、とにかく泥人間自身が【雷電のアメジスト】で動いている可能性が高い。そうなるとおそらく、デインに化けている泥人間を殺す以外に【雷電のアメジスト】を手に入れる手段はないと思う」
「あー。そう来たか。それはちょっと困るなぁ……」
タクヤが頭を抱えてため息を吐く。今、こいつが帝国で勢力を広げている大きな要因が、皇族のデインである事は間違いない。その太いパイプを失うのはさすがに手痛い損失だ。
だが、こっちも譲れない。
「どうせ魔石十二宮が集まったら、世界は未曾有の混乱に陥るんだ。そうなったら皇族とのパイプなんて必要ないだろ。権力争いなんて、実際の危機の前には吹き飛ぶぜ」
「うーん……」
タクヤはしばらく、うんうんと呻きながら頭を抱えていた。さすがに皇帝にまでさせようとしていたデインを、いきなり殺すという選択肢は難しいようだ。
5分ほど熟考したタクヤが、ようやく答えを出した。
「わかったよ、クー。でも今すぐにってのはきつい。帝都で色々画策するから、デインを殺しても利益になる準備が出来るまで待って欲しいかな」
「どれくらいかかる?」
「うーん……少なくとも今回の件が片付いて、それからだね。二週間くらいは見て欲しいかな」
二週間か。ちょっとかかりすぎる気もするが、それで最後の魔石十二宮【雷電のアメジスト】が手に入るなら問題ないか。その間はレベル上げとか準備しとけばいいし。
「おーけー。じゃあ、それでいこう。デインを倒す方法は任せる。自分でやりづらけりゃ、俺がやってやるよ」
「そうだね。まあ計画についてはまた詳しく練る事にするよ。まったく、この世界で出来た一番の友人が人間じゃないとはね。さすがに驚いたよ」
「っは。どんまい」
その時、大きな悲鳴が砦内部から聞こえてきた。それは断末魔のような、鬼気迫る悲鳴だった。
「……? 今の声は?」
「なんだろうね。ただ事じゃあなさそうだけど」
何事か起きたのかと、タクヤ達と共に、王達の会議が行われているはずの会議室に向かった。
そこで見たのは、ノルン王国陣営の重臣達を皆殺しにしている、エスタブルグ王国の第三皇子――デイン・フォン・エスタブルグの血にまみれた姿だった。