62 大結界
62
そこは奇妙な場所だった。
今、俺達が歩いているのは不思議な形をした階段である。天井は無い。遠景まで見渡せる見通しの良い階段だ。その階段は、右へ左へうねりながら長々と続いた挙句、最後にはループを描くように大きく一周してしまっていた。これでは登れない。仕方が無いので、連結された通路に飛び移れば、その道は徐々にねじれていき、やがて道自体が真横に倒れてしまっていた。
そんな、子供が適当に配置したような構造に加え、出てくるモンスターもピエロの様な装飾をした昆虫族や、ファンシーな色合いの爬虫類など、形容しがたい不可思議なモンスターばかりだった。
はっきり言って、あまり気持ちの良い場所ではない。
久遠が作り出した【空術】と【時術】の【合成術】は、目論見どおり"次元の狭間"からの脱出に成功した。だがその移動した先は、"次元の狭間"よりもさらに奇妙な場所だったのだ。
「うー。キモチワルイー」
「我慢しろ。っていうか、もう慣れただろ」
「えー、全然慣れないよ……」
この不思議空間を探索し始めて、すでにかなりの時間が経過している。俺達は再び【合成術】を使って二度目の移動をするのでは無く、正確にマッピングを行いながらこの空間を探索をしていた。
探索を進めるのにはもちろん理由がある。それは、この場所の名称が"大結界"だったからだ。
大結界――境界神ユミールの住処であり、魔石十二宮が一つ【境界のトパーズ】があるという、地上の被膜である。
あの大悪魔ルシファさえ行く方法を知らなかったこの場所に、俺達は迷い込んでしまった。最初、名称を聞いたときは驚いたが今はこの幸運を何とかいかそうと、この空間の主であるはずの境界神ユミールを探して動き回っていた。
「大結界か……言い伝えは聞いていたが、こんな場所だとはな」
久遠が感慨深くつぶやく。今は元の姿に戻っていた。
「まあ、見た目はどうでもいい。それよりさっさと境界神ユミールを見つけて、【境界のトパーズ】と地上への帰還方法を聞きださないといけない。わかったな、さあき。さぼらず探せよ」
「わかってるってー。ちゃんと調べてるよ」
俺達は境界神を探すため、索敵範囲を広げながら進んでいた。
上下左右入り組んだ空間を注意深く進み、マッピングを綿密に進めると、さあきは全ての道がある一つの場所に向けて収束している事を見出した。その情報を元に、俺達はその場所へと向かっていった。
……
その足場には巨大な食卓が設置されていた。白のテーブルクロスの上には出来立ての食事が用意されている。こんな所で、中華料理を見る事になるとは思わなかったな。
「……罠か?」
久遠が警戒感を示す。しかし、俺はこの光景に既視感があった。異質な場所に設置されたテーブルに、山盛りのご馳走。そう、魔界に落とされたときに最初に出会った神――死神ヘルとの邂逅にそっくりだったのだ。
「居るのか? 境界神ユミール」
俺のその呼びかけに応じるように、俺達のいる反対側の椅子に突然、一人の女性が姿を現した。
透ける様に薄く白い肌。ユミールは長く伸びた耳と輝くブロンドを持った、見目麗しい女性だった。彫刻のように硬い表情と、俺達を睨みつける青と赤のオッドアイからは、かなり性格のきつい印象を受ける。
「良く来た。異世界人よ」
その声は、女性としてはかなり低い声だった。歓迎はされているようだが、表情と言葉が一致していないのが気になる。
だが何は無くても、コイツが境界神ユミールで間違いないようだ。
「境界神ユミール。突然、押しかけて失礼した。少々迷子になってしまっていて」
「なにを勘違いしておる」
ユミールは、その表情を緩めずに言った。
「我が貴様らの術に干渉して誘導したのだ。次元の狭間でうろついておった貴様らをな。クオンとか言ったか――貴様の【合成術】見事であったぞ」
「ふ。それほどでもない」
久遠はユミールの言葉に、誇らしげに胸を張って答えた。
久遠の奴、今ユミールが、"自分が呼んだ"って言ったの聞こえなかったのか。つまりあの【合成術】、ユミールの手助けで成功した言われているのと同じだ。もしそれが無ければ、どうなっていたのかは分からないな。
「【合成術】か……。そのような物を作り出すとは、人間は本当に面白い」
そう言いつつ、ユミールの表情は石像のように固まったままだ。そんな事言うなら、もっと面白そうな顔をしろよ。
「さて、我を探しておったのであろう。死を司る異世界人よ」
「その通りだ」
ユミールは右手を突き出し、空間に裂け目を作り出す。そこから取り出したのは柱上に結晶が連なった、黄褐色に輝く魔石だった。
「目的はこれであろう」
取り出したのは【境界のトパーズ】。他の魔石十二宮とは違い、金色の輝きを放ち、内部から光が溢れ出ていた。これはおそらく【境界のトパーズ】は、大結界を形成する為に現在進行形で使役されているからだろう。
「さて、これを貴様らにくれてやるという事が、どういう事態を引き起こすか、わかっておるな」
「……大結界が消滅する」
「そうだ」
ユミールは突然言葉を止め、腰掛けていた肘掛け椅子に大きく体重を預ける。
ここから【境界のトパーズ】に関する話が始まるかと思って身構えていたら、ユミールは不意に奇妙な事を聞いてきた。
「貴様ら、どうやって召喚されたのだ?」
「……」
突然何を言うかと思えば、そんな事。俺達が知るわけが無かろうが。それを知りたいがために、魔石十二宮を集めて人神ロキに会おうとしているのに。
ユミールは、俺達が質問に答えられないのを見て眉をひそめた。
「質問が悪かったか。聞き方を変えよう。召喚された時、貴様らはどういう状況だったのだ?」
状況――この世界に来た時の状況だと? そんなの、放課後の教室から、いきなりノルン王国南の大森林地帯に放り出されただけだ。
「そうか……」
俺が簡単に状況を説明すると、ユミールは一言呟き両目を閉じた。そしてそのまま黙り込んでしまった。
「なんか、思ったよりも普通の人だね」
さあきが、背後から小声で話しかけてきた。確かに今までの神や悪魔を名乗る連中と比べると、この境界神ユミールは落ち着きがある印象だ。ただ、何を考えているのかさっぱりな点は、ほかの連中と全く同じだな。
大体、コイツの意図が分からない。いきなり【境界のトパーズ】を出したかと思えば、この質問だ。なにを考えているのやら。
「天界は今、完全に沈黙しておる」
やがてユミールは突然言い放った。慌ててその言葉を理解しようとするが、やはり意味が良く分からなかった。
「……どういう事だ?」
「天界の連中――特に人間たちに執心な雷神トールや人神ロキ達が、最近地上に姿を見せないのだ」
天界の連中が姿を見せない。そういえば、傲慢の君――ルシファもそんな事を言っていた気がする。
「そしてこの状況は、貴様ら大量の異世界人が地上に召喚された時期と前後する。全く不可解な状況だ。本来、異世界人は一人ずつ召喚する事しか出来ないはずなのに、実際には異世界人は大量に召喚された。そして地上で大暴れしている。一体、人神ロキが何をしたというのか」
やはり、異世界人は一人ずつしか召喚されないらしい。しかし実際に、俺達全員が召喚されてしまった。境界神ユミールはその事が腑に落ちなかったようだ。
そこで俺達を呼び寄せ、召還された時の状況を聞きだして事態を把握しようとした。だが、無為に終わってしまったという所か。
「何も知らないなれば、貴様らに用は無い。わざわざ呼び寄せて悪かったな」
どうやらこいつ、本当にそれだけの為に俺達を呼び寄せたらしい。だが、こっちとしてはその手にある【境界のトパーズ】を貰い受けなければ、帰るわけにはいかないぜ。
「ユミール。俺達は元の世界に戻る為に天界にいく必要がある。そのためには【境界のトパーズ】が必要だ。力を貸してはくれないか」
「断る」
赤と青のオッドアイで俺達を見つめたまま、境界神ユミールは即答した。