55 空中戦
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意を決してガーディアンドラゴンに飛び掛かったのは良かったのだが、思ったよりも風に煽られてしまい、狙っていた背中からは大きく逸れてドラゴンにしがみついてしまった。
しかも掴まった場所が悪い。ドラゴンがその巨体を空に浮かべるために、せわしなく動かす強靭な翼――手を掛けたのはその片翼だったのだ。
バサバサと羽ばたかれる翼の動きと、それに伴う激しい上下動。さらに高速飛行に伴うとんでもない強風により、振り落とされないようにするのがやっとな有様だった。
「ちょっと。これは――」
これはきつい。全然反撃なんかできそうにないし、それ以前に気を抜くとすぐにでも弾き飛ばされちまう。なんとか安定した場所に移らないとやばい。
とりあえず短剣を取り出して、目の前の翼膜に刺し込み、ピッケル代わりに移動する事にした。目標はやはり背中だ。あそこなら結構な広さの足場もあるし、安定してて反撃もしやすい。
吹き飛ばされないよう身をかがめながら翼の根元へと一歩ずつ進む。しかしその間もガーディアンドラゴンは急旋回を繰り返し、一切休ませてくれなかった。
「ちょっとは、おとなしくしろってんだよ!」
そんな独り言を叫びつつ、ガーディアンドラゴンの片翼をボロボロした頃、ようやく背中へと辿り着いた。
以前に乗ったドラゴンと比べて乗り心地は良くなかったが、それでも翼の上よりはずっとにマシである。
とりあえず周囲を確認すると、ドラゴンの前方に点景となりかけている比治山達が見えた。どうやら俺の援護無しでも逃げ切る事に成功したようだ。俺一人が居なくなっただけで、積載量にかなり余裕ができたのだろう。
これで後は、比治山が助けに戻ってくるまでこいつの相手をしとくだけだ。俺は今までの鬱憤を晴らすべく、ガーディアンドラゴンの背に向かって、力の限りナイフを突き立てた。
ギンッ――という、なにやら不快な感触が死神の短剣を通して掌に伝わる。さすがドラゴンといった所で、とても生物とは思えない堅さ――なんというか、ひどく金属質だったが、調子に乗ってとザクザクと短剣を振り下すうちに大分表皮を削り取れてきた。
しかし、この場所――ドラゴンの背中だと、一方的に攻撃できる。しばらくの間、俺はドラゴンの背中でひたすら短剣を振り下ろし、一方的にガーディアンドラゴンのHPを削りとっていた。
『これなら、比治山が戻ってくる前に倒せちまうかもしれない』そんな考えも頭をよぎったが、話はそこまで楽ではなかった。
何の気なしに横を見ると、無数の銃身――射出口の様な物が、こちらに狙いを定めていたのだ。
「はっ?」
反射的に、横に転げて体を伏せる。その直後、極細の青い線が無音のまま通過した――そして瞬く間に数十本の青色の直線が、先ほどまで俺が居た位置に交錯した。
それを視界に捉えながら、強風に振り落とされないように体を低くして、状況を把握する。どうやら、極細に圧縮された水流を打ち出されたようだ。あの速度と細さならば、水は刃となって人の皮膚など簡単に引き裂いてしまうだろう。
そして、その出所はガーディアンドラゴンそのものだった。ドラゴンの甲鱗の一部が開閉し、そこから機械仕掛けの銃身が姿を見せていたのだ。しかも、今やその数は見渡す限り、足の踏み場もないほどである。
最近のドラゴンは接近戦用に機械銃を、その体内に内蔵しているようだ――そんな話、見たことも聞いた事も無いが。
つまり、こいつは普通のモンスターじゃないという事だ。そういえば冒険者ギルドのおっさんが言っていたな。『地下都市には、そこらのモンスターよりも遥かに強い機械類が居る』とかなんとか。
つまりこのガーディアンドラゴンは噂の機械類――空中神殿の守護機械って所か。
這いずる様な低姿勢のまま、勢い良く飛び出す。まずは水流装置の破壊だ。一度は避けたものの、この数をもう一度避けきる自信は無い。
一個一個、しらみつぶしに直接攻撃で破壊する。しかし足場の悪さとその数の多さ、そしてやっかいな水の刃による攻撃に邪魔をされ、破壊工作は思うように進まなかった。
「くそっ――数が多すぎる」
壊した先から、別の場所から現れる銃身。水の刃の連射の速度もどんどん上がっていき、いらだちと小さなダメージだけが積もり重なっていった。
そのうち俺は、自分がどんな場所で戦闘を行っているのかという、重要な事実を忘れてしまっていた。背後に迫る巨大な影に気が付かなかったのだ。
非生物の特権――蛇腹のごとく伸ばしたガーディアンドラゴンの首が、ありえないほどの可動域をもってして、背上にいた俺の背後に迫っていた。しかも気が付いた時には、すでにガーディアンドラゴンは俺に向けた巨大な顎に、青き魔力を収束させていたのだ。
「しまっ――」
瞬間、至近距離から放たれた水の柱が渦を巻いてこちらに襲い掛かる。反射的に構えたガードも空しく、極太の水流弾が俺の体を空中へ吹き飛ばしてしまった。
……
妙な浮遊感を感じる――水流弾による衝撃に意識を失いかけたが、どうやら今の所は無事のようだ。
広大なグラング砂海の景色が、地平線まで良く見える。すでに自身の居場所はドラゴンの上ではなく、上空数百メートルからの自由落下に突入していた。
これがパラシュートを背負ったスカイダイビングなら、どんなに良かった事か。残念ながらこのままだと、数十秒後に地面に突っ込んでしまう事が確定的だった。
このままじゃまずい。いくらなんでもこの高さから地面にぶつかったらやばい。身体能力が上がっているとはいえ、この高さから着地して生き残るのは難しいだろう。少なくとも全身の骨は、一本残らず折れてしまいそうだ。
とりあえずHPを確認――するとまだ五割ほど残っていた。水流弾に対しては下手に踏みとどまらなかった為か、たいしたダメージも無く、どうやら盛大に吹き飛ばされただけのようだ。
ガーディアンドラゴンの方はといえば、興味を失くしたように俺から遠ざかっていた。どうやら追撃は無いようだ。いっその事追撃に来てくれたほうが、しがみ付ける可能性があったのだが……
頼みの比治山の奴もまだ姿が見えないし、自力でなんとか死なないように着地するしかない――か。やれやれ、びっくりするほど絶望的だな。ま、泣き言言っても助からない。なんとか全力で足掻かないとな。
落下方向を見ると、そこには視界一杯に巨大な湖が広がっていた。
そういえば、下はオアシスだった。つまりこの後は着地ではなく着水という事になる。だったらなんとか――いや、この高さからだったら水面だろうが地面だろうが結果は大して変わらないか。
水の抵抗ってのは半端無いって、なにかの動画で見た気がする。そりゃ地面に落ちるよりはいくらかマシだろうが、生存難易度がベリーハードからハードに変わっただけだろう。
しかし落下地点に水があるって事は使えるかもしれない。えーと、例えば【水術】で水の塊を作り出すのはどうだ? 水の塊の中に入り込んだまま着水することで、衝撃が吸収するとか。途中で空気抵抗による減速も出来そうだし。
いや、まてまて。良く分からないが、なんかあまり意味無い気がする。水の塊の中に入ったまま着水って、それ意味あるのか? いや、百歩譲って意味があるとしても、体を包み込むだけで、おそらく風呂数杯分の水は必要だ。
そんなに大量の水を作り出すには、もちろん何回も【水術】を使用しなければならない。当然その代償としてHPを使用するわけだが、落ちる際のダメージを考えるとHPはあまり使いたくないな。
って事は【水術】は却下。やっぱ不確実だけど、これしかないか。
【風術】【ウインドストーム】
俺がもう一つの習得している魔術である【風術】【ウインドストーム】を詠唱した。【ウインドストーム】は自身を中心に、竜巻のごとき暴風が発生させる魔術だ。無軌道に進む風の塊。それに煽られる事によって、落下スピードを減衰させる狙いである。
結果狙い通り、落下スピードは落ちた気がする。しかしその代償として、右へ左へ体が引き裂かれそうなほど強い暴風に、意識が吹っ飛びそうになっていた。
しかし、それでもまだ落下速度が速過ぎる。とにかく落下速度を殺す為になりふりは構っていられない。
次に俺は身に着けた外套を脱ぐと、それを目一杯広げた。バタバタと風をはらんではためく外套――暴風による空気抵抗を効率よく受け止めて、減速するためだ。
こんな布切れで空を飛べるのは、忍者か配管工くらいだが、それでもやらないよりまし程度だ。しかし、意外にもこの行為によって体感ではかなりスピードが落ちた。それでもかなりの速度で落下しているが。
確実に着水の時は近づいていた。もう激突までほとんど時間が無い。後はもう、異世界仕様の頑丈さに祈るしかないか。
とりあえずヘルから貰った大事な短剣を落とさないように懐にしまい込み、最後に射出する反動を期待して【水術】【ウォーターボール】を落下地点に向けて数発打ち出した。そして――
突きぬける様な衝撃と爆音と共に、俺はオアシスへと落下した。