54 飛行
54
「そういえば比治山。お前、一度に三人乗せて飛ぶつもりか?」
「んー。前に奈々とさあきを乗せて一日中飛んだ事も有るしねー。なんとかなるでしょっと」
そう言いながら、ウォーミングアップの為に大きく羽を広げる比治山。
身長の倍はありそうな純白の羽を背中から大きく伸ばした姿は、比治山の健康的な体付きと露出の多い服装も相まって、まさに天使のごとき美しさだった。なんていうか、羽はずるいな。
さて、俺達は砂漠都市ファーの中心に位置する巨大なオアシスの水辺へと来ている。これから上空の空中神殿へ、比治山のユニークスキル【飛行】を用いて乗り込む所だ。
ここから見ると、目的地の空中神殿はオアシスのほぼ真上に位置していた。そのため比治山は垂直方向に飛行しなければならない事になる。しかも俺達三人を担いで――だ。いくらなんでもそれは大変だろうから、その事を比治山に尋ねた所だった。
「きついなら一人ずつ運んでもいいが」
「そっちのほうが面倒でしょ。あんなところまで三往復させる気?」
「別に、最初に七峰を運んで、それから【空術】で瞬間移動するって手も有るだろうが」
「無理です」
横で待機していた七峰が、俺達の会話に割って入ってきた。昨日に続いて今日も羽織っている純白の猫耳ローブが、澄ました顔と明らかにミスマッチだった。なんだろう、突っ込み待ちなのか?
「私の【空術】では、せいぜい数十メートルの距離をつなぐのが限界です。とてもじゃないですが、あんな上空と地上を結ぶ手段はありません。強いて言えば、【マーク】をした後に【シフト】するという手も有りますが……」
それはさすがに大げさすぎる――か。あれって一回使うのにも、色々デメリットが付くはずだからな。
「さすがに三人担いだらあまり速く飛べないけど、のんびり飛べば問題ないって」
「まあ比治山が大丈夫って言うならそれはいいんだが……」
俺は言いつつ、比治山の姿をじろりと見つめる。比治山が少し怪訝な顔をしながら言う。
「なんだよ?」
「……お前、どうやって一度に三人も担ぐ気なんだ?」
……
「一橋! お前、絶対上を見るなよ」
「じゃあどうやって脚をつかめっていうんだよ。ってかお前のそれ――完全に見えてもいいパンツじゃねーか」
「パンツじゃない! スパッツだ! 私だけじゃないよ。奈々とさあきのが見えちゃうじゃんか!」
比治山は三人もの人間をどうやって運ぶのか、何も考えていなかった。結局、相談した結果、背中から生えた羽の動きを邪魔しないように、小柄な七峰とさあきを前方で抱きかかえ、俺は比治山の足首辺り掴んでぶら下がる事になった。
どう考えても俺の場所が一番つらいし、危険だ。しかもなぜか、下からパンツを覗くのではないかという疑念までかけられている。
別に見たって減るもんじゃないだろうが。こんなポジションで見上げないなんて、そんな奴は男じゃないぜ。
「私もドロワーズだから大丈夫だよ。奈々ちゃんはその下、なに着てるの?」
「ショートパンツです」
「な……」
衝撃的な事に、三人とも下方からの視線ガードは完璧だった。おかしい。ここはラッキースケベ的な流れになると思ったのに……
「はっはっは。残念だったな、一橋。まあ、それでもあまりじろじろ見るなよ」
「わかったわかった。いいいから、さっさと行け」
七峰とさあきを両手に抱え、比治山はゆっくりと、その背中の羽をはばたかせる。するとすぐに、人の頭ほどの高さまで浮かび上がってしまった。
「ほい。さっさと掴まって」
そう言って突き出された長い脚。俺は少しジャンプしてそれを掴むと、それから一気に――思った以上に力強く比治山は上昇を始めた。
グングンと遠ざかる地面。頬をなでる熱気のこもった風。キャーキャーとはしゃぐさあきと、楽しげにそれに応じる比治山の声。
やがて見えてきたのは、ファーの街とその地平線まで見渡せる大パノラマだった。
オアシスからバームクーヘンのように層状に連なった街並み。道を行き交う街の住人は、すでに蟻のように小さくなっている。また、上から見ると確かにファーの街と、その周辺は緑が繁茂していたが、そこから外側の風景は全く異なっていた。
上空から見ると、この街が砂漠――グラング砂海のど真ん中に位置するという事実がはっきり理解できる。
太陽の光を浴びて、うっすらと輝く薄赤色の砂の海が、延々と街の外を覆いつくしていたのだ。それは地平線まで一切の障害物も無く、ただ砂と寄り集まった砂丘のみが地表を形作っていた。
周辺一帯、砂しかない砂漠の中に、孤島のようにぽつんと広がる街。こうして見ると奇妙なほどに、この街は豊かすぎるような気がした。
やがて空中神殿に近づくにつれ、徐々に周囲に霧の様なものが立ち込めてきた。それはどちらかというと霧雨に近い感じだ。それらの源が上空の空中神殿なのだろう。どうなっているのかは知らないが、ひたすら水を垂れ流し続けているわけだからな。
そんな事に思った時、突如奇妙な――うなり声の様な音が聞こえた。
「今、なんか聞こえたか?」
「あ」
さあきの気の抜けた声が返ってきた。
「なんだよ」
「クー……大変だ」
「あん?」
一応比治山に言われた通り、視線を上げないようにしていたのだが、呼ばれたのならそういうわけにも行くまい。意を決して見上げると、三人は揃ってある一点を見つめていた。俺もつられて、その方向に眼を向ける。
「ドラゴンだ」
さあきが呆けたように呟いた。
……
強靭な顎と鋭い爪。金とも銀ともつかない光沢を帯びた外皮が、霧雨により弱まった日の光に反射してキラキラと輝いていた。巨大な二枚翼を持つ四脚のドラゴン――そんな屈強な怪物が、上昇を続ける俺達の元へと一直線に向かって来ていた。
おいおい。ドラゴンなんて聞いてねーぞ。そりゃこういう場所に竜が住んでいるのはお決まりかもしれねーがよ。この状況で来るかよ。
「ど、ど、どうすんだよ! 一橋」
「クー! 戦うの?」
騒ぎ始める比治山とさあき。ちょっと待て、俺だって慌るわ。
「さすがにこの状態では美羽も機敏に動けません。どうするのですか? 一橋さん」
グングンと迫り来る巨体に動じる事無く、七峰はいつも通り、冷や水の様に冷静だった。それはもう腹立たしいくらいに。
しかしまあ、確かに慌ててもしょうがない。ここは七峰を見習うべきだな。
「さあき。とりあえずステータス報告」
「うん」
「比治山。お前、あいつから逃げ切る自信あるか?」
「一人だったらね。でも、こんなに担いでちゃ無理だし!」
「じゃあ、七峰とさあきの二人だけだったらどうだ?」
「は? そりゃあ、三人よりは二人のほうがまだマシだけど――」
「よし。それじゃあ――」
「攻撃きます」
七峰のその言葉にはっとしてドラゴンの方向を見る。いつの間にか空中に静止したそいつは、顎を大きく開き、口の中で青く輝く魔力を収束させていた。
ドラゴンブレス――色から判断して、水系統の属性だ。高速で射出された水流が、数百メートルはあった距離無視して一瞬で目前に迫る。
【空術】【ミスディレクション】
七峰が呟くと、ドラゴンブレスは突然方向を変えた。直撃コースだった水流が、空の彼方で散り散りにって霧散する。
「ナイス七峰」
「【ミスディレクション】は時間稼ぎにしかなりません。早く対応を決めてください」
「わかってる」
見ると敵ドラゴンがこちらに接近しているきている。どうやらブレスを避けられたのを見て、次は直接叩き落そうという魂胆のようだ。
「クー! ガーディアンドラゴン。Lvは51で、急所は首の根元のコア。弱点は電気みたい!」
ようやくさあきの【解析】が完了する。しかし【雷術】なんかレア魔術は無いな。急所のコアってのも意味不明だし。
まあそれでも、やるしかないが。
「比治山。今から俺がドラゴンの背に飛び移って、適当に気を引く。その間に二人を連れて先に空中神殿まで逃げ切れ」
「え! それで一橋、お前大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃねーよ。何とかしがみ付いておくから、二人を置いたらすぐに助けに来てくれよ」
「……わかった!」
「くるぞ」
奇妙な光沢を持つ龍鱗と、青く光る鋭い眼光を持った、冗談みたいな大きさの竜が迫る。大きく顎を開き、俺達をひとのみにしようとした。
しかし比治山はそれを急旋回で回避する。同時に俺は、すれ違い様に比治山の足を離してガーディアンドラゴンへ飛び掛った。
【空術】【ミスディレクション】
HP消費・中。攻撃の軌道・方向を変化させる。