46 傲慢の君
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玉座の間がある最上階は、完璧な暗黒に包まれていた。足元の床は認識できないほどに暗く、蝋燭により縁取られた見えない絨毯だけが、玉座への道を表している。
玉座に腰掛けるのは、闇の王にして奈落の主。傲慢の君――ルシファだった。黒の全身鎧に身を包み、頭からは巨大な雄羊のごとき角が伸びている。顔は戦化粧が施された仮面に隠され、表情は一切読み取れない。しかし深く玉座に腰掛けたその姿からは、圧倒的な威圧感が放たれていた。
最も特徴的だったのは、その両腕である。肩から先の部分が、ばっさりと切り落とされていたのだ。元々無いだけなのかもしれないが、とにかくルシファは異質で異様な、寒気のする姿だった。
「おう。おうおう。ルシファ、久しぶりだのう! 元気だったか?」
そんな厳かな雰囲気を、死神ヘルの場違いな声がぶち壊しにする。道端で出会った同級生に話しかけるようなノリで、ヘルはルシファに話しかけていた。こいつらの上下関係がどうなっているかは知らないが、随分と軽い挨拶である。
そんなヘルを一瞥し、ルシファはゆっくりと答えた。
「……死の君か。なぜ死神が地上に居る」
その声は低く、脅迫的だった。仮面の内側から発せられたであろうその声からは、まるで耳元で囁かれたように明瞭さと、悪意の塊をオブラードで包み込んだような怪しさとが、同時に感じられた。
「事情があって地上に引きずり出されてしまってのだ。魔界に帰れなくて困っておる。そこで貴様に魔界への帰り道を聞こうと思ってのう」
「……相も変わらず暢気な奴だな、貴様は」
「アハハハ! 貴様も元気そうだのう。で、どうなんだ? 魔界に戻る方法、知らんか?」
「……余に対してそのような態度を取れるのは、貴様か破壊の君くらいだな」
仮面の下から、くっくと息が漏れる。ルシファは、聞いていたほど気難しそうには見えなかった。顔の表情は面により隠されて読み取れないが、喋り声から受ける印象では機嫌がよさそうに見える。
これは期待できるかもしれない。ヘルの用事が終わったらそのまま魔石十二宮の話に入れそうである。
「死神。余は先程まで、魔界の伏魔殿に戻っておったのだ」
「ほう? ほうほう。それは珍しいのう」
ルシファは唐突に話題を変えた。ピクリとも動かず、玉座に腰掛けたまま。ヘルも特にそれをとがめる事無く話を合わせる。
「来客があってな。余の伏魔殿を一人で攻略し、あまつさえ余の私室にまで踏み込んでくるような人間がいたのだ」
……人間?
「余と会うなりその人間は言ったのだ、魔王アンラを倒すのを手伝ってほしい――とな。フハハ! 面白い人間であろう」
「それは、魅惑の君の事か?」
ヘルが確認すると、ルシファは小さく頷いていた。
「そうだ。話には聞いていたが、まさか七悪魔に人間が数えられる日が来るとはな。人間といっても異世界人のようだが。とにかく、直接会って確信した。あの人間は面白い」
人間、七悪魔、そして魅惑の君。その人間はどうやら"あいつ"の事だな。六道あやね――魅惑の君として、七悪魔とやらの一員となった、クラスメイトの女子である。
「ふむ。ふむふむ。アヤネは夜の女神の所から戻っておったのか。貴様の所を訪ねておるとはのう」
「なんだ、知っていたか」
ルシファは少し意外そうな声をあげた後、気を取り直して続けた。
「そのアヤネとやらと、少々遊んでやったのだが、なかなかの器であった。少なくとも貧弱なアスモデウスなどより、遥かに使えるだろう」
どうやら六道は、順調に魔界を楽しんでいるらしい。元気そうで結構だ。
「だがな。魔王になりたい――というのはいただけぬ。余の上に人間が立つだと? あの百々目鬼の小僧が魔王というだけで気分が悪いというのに、あまつさえ人間の小娘が魔王とは……考えただけだけでも反吐がでる」
ルシファの声が、荒くなってきた。
「では、どうしたのだ?」
「丁重にお帰り願った。今は無限の闇の中をもがいておろう」
「なかなか、手酷いではないか」
「フハハ――勘違いするな。楽しませてくれた褒美をやったのだ。あの女、どうやら余と同じ力を使うようでな。それなら深遠の闇の中でもがいた方が、さらに強くなるだろう。その後はいくらでも利用価値があるからな。例えば、地上の異世界人の処理を、その女にさせる事も一興だ」
主に地上で迷宮攻略を進めているのは、王子達のグループだろう。あいつらは、俺の手紙――魔石十二宮と人神ロキの情報を受け取ってからも、勇者稼業を続けているようだ。
理由はおそらくこの世界の人々を助ける為。あそこには王子と言うワールドクラスのお人好しを筆頭に、真面目で正義感の強い連中が残っているからな。
そしてどうやらルシファは、六道を王子達にぶつけるつもりらしい。魔族にとっては、異世界人同士が潰しあってくれたら、まさに漁夫の利である。自分達の懐は痛まないのだから、確かにそういう作戦もあるだろう。
問題は、六道がルシファに従って王子達を攻撃するか、だ。
だが、六道の第一目的は魔王となる事。その目標を成し遂げるために、プラスとなる条件――例えば強力な能力や装備を与えてくれるとかの条件をルシファ側が示せば、普通にまとまりそうな話ではある。
やれやれ。別に魔王になるのは構わないが、六道がその為にクラスメイトを殺し始めるような事があれば、さすがに俺も考えないといけないな。
「さて死神。魔界に帰る方法だったな。それなら簡単だ」
「ほう。ほうほう?」
「見たところ貴様は生身で地上に来ているようだ。それなら我の【ダークバニッシング】で闇に落とせばすぐであろう」
ルシファは玉座に座ったまま、すこし右肩を前に出した。次の瞬間、無いはずの両肩から、暗黒の腕が形成される。現れた両手――その右掌を手前に掲げると、その黒き手から、さらに黒い、暗黒の塊が現れた。それは中心に向かって渦巻き、周囲のエネルギーを吸収する様にうごめいている。
「この闇は、魔界へ繋がる次元の穴だ。通常の人間がこれに落ちれば、途中の暗黒空間で発狂するか、たまたま生き延びてもすぐに悪魔どもに食い殺されてしまう。だが、貴様なら問題なかろう? 死の君よ」
ルシファがそういうと、ヘルはすぐに声をあげて笑った。
「アハハハハ! もちろんだ。我が名無し共に遅れを取るわけがなかろう。いや。いやいや。助かったぞ、ルシファ。見返りは何が良い? 魔力か? 魂か? 秘宝か?」
「とりあえずは貸しで良い。そっちの人間共はなんだ」
ルシファは、玉座に腰掛けたまま微動だにせず、突然俺とさあきに話を向けた。さっきからこいつ、本当に唐突に話を変えてくるな。
ヘルが少し慌てながら答えた。
「あぁ。あぁあぁ。忘れておった。こいつらは異世界人のクーカイとサアキ。こやつらも貴様に用があっての。ここまで一緒に来たのだ」
「ふむ。今日はどういう事だ――来客の多い日だな。いや待て、異世界人……? クーカイ……どこかで聞いた様な……」
「傲慢の君ルシファ。魔王アンラから貴殿が魔石十二宮を持っていると聞いているのだが――」
「アンラだと!?」
突然、ルシファが大声を上げた。その咆哮の様な声に呼応するように、蝋燭の炎が激しく燃え上がった。
「そうだ。あの小僧が言っておったわ。やがて異世界人が余の所に魔石十二宮の事で訪ねに来ると。そうか、それが貴様か」
先ほどまでとは違い、明らかに敵意――そして威圧を込めた声だった。どうやら、本当に魔王と仲が悪いらしい。
「俺は別にアンラの使いってわけじゃない。単に目的があって、魔石十二宮を集めて回っているだけだ。どうだろうか。よければ魔石十二宮の在り処を教えてくれないか」
傲慢の君の表情は、仮面に隠されて一切読み取れない。しばらく黙り込んだ後、ルシファはゆっくりと話し始めた。
「異世界人――クーカイとか言ったか」
「あぁ」
「貴様は何故、魔石十二宮を集める?」
表情が読み取れないという事は、会話の真意も読み取りづらいという事だ。この質問も、何を聞かれているのか真意が読み取れない。
仕方が無いので、アンラに言われた通りの事を答える事にした。
「……外の世界に帰るためだ。正確には、世界樹ユグドラシルを登って天界に行き、俺達をこの世界に召喚したとかう人神ロキに会いにいくためだ」
「それは、アンラからそう聞いたのか?」
「そうだ」
なぜそんな事を聞くのかわからなかった。しかし、ルシファはしばらくすると、声を上げて笑い出した。
「フフ……フハハハハ!」
「……何がおかしい」
「いやなに。クーカイとやら――」
続けて傲慢の君は、嘲る様に言った。
「貴様、アンラに騙されておるぞ」