44 極夜城
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徐々に吹雪が晴れ上がり、やがて山道は静寂の世界へと変わっていった。風と雪の代わりに現れたのは、闇夜と満月、そして地平の果てまで続く山脈のシルエットだった。その稜線は月の光を浴びて淡く輝き、手前には切り込みを入れた様な深い谷が延々と続いている。
そして谷の先、眼前の切り立った雪山の頂上に、不自然なほどに人工的な古城が見えてきた。
「おおー。あれがヴァレンシス城か」
「うん。やっとついたね。もうくたくただよー」
ヘルが歓声を上げると、さあきが安堵した様子で答えた。ヴァレンシス城――闇の王、奈落の主、傲慢の君など、多くの二つ名を持つ大悪魔ルシファの居城だった。
切り立った雪山の頂上から、さらに天空へと背を伸ばす石造りの壁面には、無数の窓が張り付いており、その一つ一つからは見える内部は、暗黒の住処の様に真っ暗で、中の様子をうかがい知る事ができなかい。
地上で最も魔界に近い空間。恐らく強靭な悪魔どもが、城の内外をうろついているのだろう。本来は人間の入り込める場所では無い。ヴァレンシス城は、そんな恐怖心を持たせてくる雰囲気がった。
まあ、ここまで来て怖気づくわけには行かない。とりあえず作戦会議だ。
「二人とも休憩するぞ。さあきは周囲のモンスター位置を報告した後、食事の準備。ヘルは俺と雑魚掃除な。あぁ、飯はいいモン全部使っていいぞ。景気づけだ」
「はーい」
腹が減っては戦ができない。どうせ魔石十二宮を頂いたら、七峰に貰った【空術】【シフト】の魔石で帝都に飛ぶ予定だしな。
……
「ご飯! ご飯ご飯!」
「ちょっと待ってー。もうすぐだから」
ヘルは周囲の雑魚掃除を一瞬で終らせると、さあきの所に飛んで帰った。そして、さあきの足元にベタベタと引っ付きながら、楽しそうにわめいている。
このガキ、地上に来てからというもの、がつがつと飯を食うようになった。魔界で会った時には、一切食事を口にしていなかったくせに。その事を聞いたら『死者は腹を空かせない。当たり前では無いか?』と言われた。わけがわからん。
「それも【弱体化】の影響か?」
「はて。はてはて。どうなのだろうな。実際の所、よくわからん」
【弱体化】――ヘルのステータスをさあきの【解析】で調べた際にわかった事だが、ヘルは【弱体化】というバッドステータスを常に受けている。どうやら、本調子では無いのはこれが原因らしい。
「とにかく腹が減るのだから、しょうがないではないか」
「だいたい、なんで【弱体化】なんかするんだよ?」
「それは――」
「はい、おまたせー」
その時、さあきが食事の準備を終えてやってきた。木の器に盛り付けられていたのは、冷凍されていた野菜類と干し肉を解凍して煮込み、さあきご自慢の香辛料群で味付けした特製スープだった。
ヘルはそれを受け取ると、すぐさまがつがつと掻き込む。汚らしく音を立て、一張羅のワンピースにスープが飛び散るのも気にかけず、上品さの欠片もない姿でひたすら掻きこんでいた。
「うま! うまうま! サアキ、これは最高に美味しいぞよ! 褒めて遣わす」
「ありがとう! ヘルちゃん」
「……ヘル。それで、なんでなんだよ」
放っておいたら、もう二、三杯食べるまで続きを話しそうになかったので、無理矢理に話の続きを促す。しかしヘルは気にする事無くおかわりをし、再び犬のようにがっついた後に、ようやく答えた。
「おう。おうおう。なぜ、【弱体化】するか――だったか? 我も詳しくは知らぬが、前に魔界の住人は直接、地上に来られないという話をしたであろう?」
「ん? ああ、そんな事言っていたな」
「あれはな、地上を包むように張られた、大結界と呼ばれるものが原因だ」
「大結界?」
また新しい単語だな。
「それは遥か昔、それこそ我が生まれるよりも前――ラグナロクが始まった頃から張られていた、地上を守る巨大な被膜だ。その存在ゆえに、我ら魔族は地上に進出する事はできぬのだ。まあそれは天界の連中も同じだがの」
「ふーん。でもそれって、お前ら魔族から地上を守る類の物だろ。なんでお前は現在進行形で地上にいるんだよ」
「それはわからぬ。あの異世界人の触手のおかげ――としか言えんのう。それに、ルール違反なら他にも居るではないか」
「……ヨルムンガンドか」
世界蛇ヨルムンガンド。十と行った太古の地に住む、文字通り世界をまたぐ巨大なドラゴンだ。この死の君ヘルの兄でもある。
ヨルムンガンドは遥か昔、魔界から地上に通ずる大穴を掘ったらしい。詳しい事情は不明だが、実際に地上に居るんだから事実なのだろう。
「そうだ。ヨルムン兄は地上で唯一、生身で居る上級魔族だ。そういえば、クーカイはヨルムン兄を訪ねたのであろう? 兄者は息災だったか」
「あぁ。ちょっと手下のドラゴンをけしかけられたけど、結局は魔石十二宮をくれたよ」
「それは。それはそれは重畳だの。しかし、あのヨルムン兄が自ら戦わないとは。地上に居ついて兄者も丸くなったのかのう。あの頑固兄者がのう。アハハ!」
ヘルはそう言って笑った。だが、おそらく今の話を聞く限り、ヨルムンガンドが丸くなったのでは無い。ヘルの状態をみるに、魔界の住人が生身で地上にやってきたら、大結界により【弱体化】してしまうのだろう。それはつまり、ヨルムンガンドも【弱体化】している事を意味する。ヨルムンガンドが自身で戦いを挑んでこなかったのは、それが原因ではなかろうか。
無理やり地上にやってきたのはいいが、大結界とやらのせいで【弱体化】してしまった。その結果が太古の地でのモグラ叩きみたいな状態と考えれば、なんとなくつじづまが合う。
さあきはあの時居なかったから、ヨルムンガンドのステータスを確認していないのだが、ヨルムンガンドは見た目より遥かに弱っていたのかもしれない。まあ、今となってはどうでも事だが。
「しかし、せっかく地上に来たんだ――ヨルムンガンドに会って行かなくていいのか? 数千年振りだろ」
俺が話を振ると、ヘルはきょとんとした様子で答えた。
「いや? ヨルムン兄とは魔界でたまに遊んでもらっておるぞよ」
「は?……いやいや。ヨルムンガンドは太古の昔から、地上に居るんだろうが」
「魔界にぶら下がっている方のヨルムン兄だ。我はよく遊んで貰っておる。地上からぶら下がる尻尾に、こう――この鎌を突き刺すのだ。そうしたら、ヨルムン兄はくすぐったいらしくて、尻尾をバタバタと振り回す。そうしたら、もの凄いスピードで振り回されてしまうのだ! あれは最高に楽しいぞよ! アハハハハ!」
そう言って鎌をぶんぶんと振り回し、ヘルはケラケラと笑った。どうやらヨルムンガンドは魔界にも居るらしい。ただそっちのヨルムンガンドはシッポだけで、ヘルに遊ばれるだけの存在らしいが。
何はともあれ、ヘルが【弱体化】しているのは確かだ。ステータスは明らかに激減しており、お得意のスケルトン召喚も10匹程度、しかも戦闘力が皆無の低級しか召喚できない。さらに【死の左手】も効力が薄まっているらしい。
これらは生身で地上に来てしまった弊害のようだ。強すぎる魔界の住人にかけられた、制限装置って所だな。
「まあいいや。本題に入ろう。今からヴァレンシス城に侵入するけど、ヘル――お前、ルシファと知り合いなんだろ?」
「ん? まあ知り合いといえば、そうだの。しばらく会っておらぬが。前回の天獄戦以来だから……大体100年振りだな。それがどうした?」
「じゃあさ、お前が尋ねていけば"お客さん"って事になるだろ。その時に、ルシファに俺を紹介してくれよ。そうしたら無駄に戦わなくて済む」
「無理であろう」
ヘルは、きっぱりと答えた。
「自分の迷宮に客が来れば、罠とモンスターを使ってそれをもてなす。それが我ら上級魔族のたしなみだ」
「なんだそれ……」
なんて……なんて迷惑な話なんだ。俺達はやっぱり、あのラスダンっぽさが漂う古城に潜入しないといけないのか。たった三人で。どんだけの質と量のモンスターがいるのかわからないぞ。
「それに、我はどちらかといえば魔王派だからのう。仲を取り持つ事を期待されても困る」
「魔王派? なんだ、魔界にも派閥があるのか。仲悪いのか?」
「我とルシファの仲が悪い訳ではない。魔王とルシファの仲が悪いのだ」
ヘルの話によると、今から100年ほど前に、前魔王であるバアルを倒してアンラが魔王となったそうだ。基本的に魔界の住人は強者に従うものであり、ヘルも特に不満なく、アンラを魔王として受け入れたらしい。
だが、ルシファはそれが気に食わなかった――端的に言えばそういう事らしい。
「アンラは新参者だからな。あやつは1000年も生きていない若造だ。そんな奴がいきなり現れて、魔王の位を奪ったものだから、古参の連中がいい顔をしなかった。その筆頭が傲慢の君ルシファだ」
「ヘルちゃんは古参じゃないの?」
さあきが食事の片づけをしながら口を挟む。
「我を誰と心得る? 死の君ヘルぞよ」
「わかんねーよ。一万歳だっけ? たしか」
「その通りだ。我はラグナロク以前から生きておる、古き神の一人だ」
どうやら、ヘルは最古参のようだ。だが、アンラに対して特に何も思っていないそうだ。
「我は、誰が魔王でも関係ないと思っておる。あんなもの、数ある二つ名の中のたった一つだ」
「だが、ルシファは不満だったという事か」
「うむ。ルシファは魔王になる気は無いが、遥か昔からラグナロクを戦っておる誇りがあるからの。地上の事は最もよく知っておるし、勢力も最大だ。我が助言を請いに行く位だからな」
どうやら、ヘルなりにちゃんと考えがあって、ルシファの所へ行くらしい。それは結構なのだが――そうか、ヘルにルシファとの間を取り持ってもらおうと思っていたから、ちょっと計画が狂ってしまったな。
「ただお前が居れば、ルシファと対面しても、必ず戦いを挑んでくる訳じゃないだろ?」
「傲慢の君の機嫌次第だな」
「それで十分だ。ボス部屋まで行ったら適当に紹介してくれ。あとはこっちで何とかする。さあき、ルシファが居るボス部屋がどこかわかるか?」
「え。ちょっと待ってよ………………最上階にそれっぽいのがあるかな。なんだろこれ――玉座みたいなのがある」
最上階ね。それなら、正面玄関から行くよりも、とりあえず壁を伝って上の方から進入すれば無駄な戦闘を避けられそうだな。
「それじゃ、準備が出来たら適当に上のほうから侵入するぞ。そこからできるだけ戦闘は避けながら玉座の間まで行くからな」
「おう」
「はーい」
俺の指示に、元気な返事をする2人だった。