41 死の君
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十から引き抜かれた触手にしがみ付いていたのは、絹糸の様な美しい銀髪を持つ少女だった。幼い顔立ちの下には、白のワンピースから白骨の四肢が伸びている。頭に載せた煌びやか王冠と、小さな体躯に似合わない巨大な鎌とが、見た目のアンバランスさを引き立てていた。
少女は現れるやいなや、自らしがみ付いていた触手を大鎌で切断し、ワンピースをはためかせて飛び上がる。くるくると回転した後、地面に手をついて着地した。
そして大鎌を肩に担ぎながらゆっくりと立ち上がると、触手の持ち主である唐松を見下すように睨み付けた。
「我の冥界を侵したのは貴様か、小僧」
「な……」
今度――言葉を失うのは、唐松の番だった。いや、俺もかなり驚いているが。
死神ヘル。魔界の三柱神が一柱にして、冥界の盟主。死の君の称号を持つこの少女は、以前魔界に落ちた時に会った事がある。その時は、地上に戻るために色々と世話になった。
言わば死者の親玉であるヘルが、【ネクロマンシー】の触手によって現れる。俺は、すぐに状況を理解した。
唐松は、大失敗してしまったんだ――
「なんだお前は!」
唐松の質問に、ヘルは堂々とした様子で応じる。
「おう。おうおう。我は冥界の盟主にして死の君、冥界の盟主にして三柱神が一柱――死神ヘルであるぞ」
「死神……だと?」
死神を名乗る目の前の少女。その答えに、唐松は安堵した様に表情を緩めた。どうやらヘルの外見と、そのおませな喋り方に毒気を抜かれたらしい。
「貴様は、先の触手で我の管理する冥界から幾人もの魂を奪った。我はそれを見過ごすはできぬ」
「だったら、どうだって言うんだ?」
「貴様を殺す――死して煉獄へ落ちてもらおう」
ヘルはいつに無く真剣だった。小さな体には似つかない威厳まで感じる。そこには、魔界で会った時の無邪気さはどこにも無かった。
「なめるなよガキが」
唐松はそう言うと、懐から魔石を数個取り出し、数体のアンデッドを生み出す。それは、先ほどまで戦っていた赤銀騎士――トリヴァ達三人の赤銀騎士だった。そいつらは先程までと変わらない――まるで生きているかの様な姿で生み出された。
【ネクロマンシー】――魔石一つにつき一体の死者を、しかも何度でも蘇らせる事が出来るようだ。その際にHPも使用しない。どういうカラクリなのか知らないが、恐ろしいほど有用なスキルである。
強いて言うならば、強力な死者の魂を揃えるまでが大変というのがデメリットだが、そんな事は揃ってしまえば関係ない。ヴァナヘイム教国が誇る最強の騎士団ですら、もはや唐松の思いのままだった。
「行け!」
唐松が気勢を上げると、近衛騎士団に加えて、さきほど俺に手痛い打撃を与えた石内までもが一斉にヘルに襲い掛かる。六人がかり――それぞれが獲物を手に持ち、魔術まで含めた集中砲火だった。
だが、ヘルは一切動じない。きょとんとした――なぜ歯向かうのか全く理解できない表情を浮かべ、ゆっくりと左手をかざした。そしてニヤリと笑い、朗々と宣言する――【死の左手】と。
白骨の左手から黒く寒気のする光が発せられた。その光は不気味にきらめき、先頭で飛び掛っていた石内の体から、青い炎をえぐり出す。
そして、魂を抜き取られた石内の体は、魔石だけを残して一瞬で消滅した。
それを皮切りに、唐松の【ネクロマンシー】により生み出された近衛騎士団達は次々と消滅していった。そして、それぞれの体から抜き出された青い炎は、ヘルが手招きすると白骨の左手に吸い込まれていく。後に残ったのは、アンデッド達の核となっていた魔石だけだった。
「なっ……」
唐松は何が起こったのか理解できないようだ。目の前で起きた事実を受け入れる事が出来ず、呆然としている。一方で、圧倒的な力を見せつけた死神も、なぜか少し困惑気味だった。
「ふむ? ふむふむ? おかしいのう。こいつらしか魂を奪えぬ――どういうことだ?」
「……何をしたか知らないが、俺の【ネクロマンシー】は何度でも蘇る――」
唐松は気を取り直し、再びアンデッドを召喚しようと魔石を握り締める――が、すぐに顔を青くした。
「っな……なんで」
「返してもらっただけだ。貴様が奪いし、冥界の魂をな。我の死の左手は――冥界への直行便だ」
自慢げに胸を張るヘル。どうやら、魂を奪われて再びアンデッドをとして召喚する事ができなくなったようだ。
「くそが!」
唐松はそう吐き捨てると、両手の魔石をグロテスクな紫色の塊に変える。一瞬で人間大の大きさまで成長した塊が、再びアンデッドを生み出そうとうごめいていた。
別の死者を召喚する事にしたようだ。二体――おそらく、友森とヴァナヘイム教皇であろう。あの二人くらいしか、唐松に強力な死者は残っていないはずだからな。
しかし、彼らが現れることは無かった。再びヘルが左手から黒光を放ち、死者が復活するよりも先に魂を抜き出してしまったからだ。
「な……なんで」
信じられないといった様子で愕然とする唐松。一方、ヘルは首をかしげながらつぶやく。
「む。むむ。なぜか貴様には、我の【死の左手】が発動せぬようだな……まてよ? そういえばここは地上だったな。 なれば我の力も制限されて当然か。そうだ。そうだそうだ!――アハハハハ!」
ヘルはひとしきり大笑いすると、やがて右手に持った大鎌を、大きく後ろへ振りかぶる。
「なれば仕方が無い。我自ら命を刈り取ってくれよう」
やばい――このままだと、こいつは唐松を殺してしまう。いくら殺されかけたとはいえ、目の前でクラスメイトが殺されるのは気がひける――。
「ヘル! 待て――」
「む」
慌ててヘルの名を叫ぶと、骨少女は俺の声に反応し、ピタリと動きを止めた。そのままきょろきょろと周囲を見渡し、怪我により身動きが取れなくなっている俺を見つけて顔を明るくした。
「なんだ。なんだなんだ。クーカイではないか! なぜ貴様がここにいるのだ?」
「それはこっちのセリフだ」
「アハハハハ! クーカイ! 地上に来て、いきなり貴様と会えるとは嬉しいのう。少し待っておれ。先に用事を済ませる」
いやいや、待て待て。その用事を待ってほしいんだよ。
「ヘル。そいつ――唐松って言うんだけど、一応俺と同じクラスメイトなんだ。要するに異世界人」
「そうなのか?」
ヘルは小さく首をかしげると、今まさに大鎌を振り下ろさんとしている人間をまじまじと見つめた。
「そういえば、冥界から魂を誘拐するなんて芸当が、ただの人間にできるとは思えんな」
「ああ。ちょっと迷惑かけたみたいなんだけど、落とし前はこっちでつけるからさ。なんとか許してもらえないかな」
唐松の戦力は、根こそぎヘルに持っていかれてしまったんだ。さすがにこれ以上の隠し玉はいないだろうし、居たとしてもヘルがいる限り、無駄な足掻きである事は明白だしな。
とりあえず装備と魔石を回収して、後で姉御辺りに叱ってもらおう。そうすれば、唐松の奴も少しは懲りるだろう。
「それは無理だ」
死神ヘルが、笑顔で右手の大鎌を振り切る。空中に大きな弧を描いた白銀の刃が、いとも容易く唐松の首を切断した。
「ひっ……」
眼を見開いたままを切断された首が、ぐらりと揺れて地面に落ちる。それを見たさあきが、小さく悲鳴をあげた。
「こやつは冥界の盟主である我に無断で、死者を冒涜した。許されざる行為だ。例えクーカイの知り合いだろうが、見逃すわけにはいかぬ」
「なにも……いや――」
なにも、殺す事は無いだろう――反射的に出そうになったそんな言葉を、何とか喉下で押さえた。
ヘルはこんな性格だが、間違い無く死神だ。魔界の神で、死者を管理する冥界の女王――こいつの立場を考えれば、この行動は至極当然の行動だ。
今、こいつと仲違いするのは、非常にまずい。やぶ蛇はつつかないようにしなければ……
「……そうか、悪かったな。無理言って」
「よい。よいよい。気にするな――奴は煉獄行きにしてしまうから、会いたければ我に言うがよい、案内してやるぞ――まぁ、勿論貴様も死なねばならぬがな! いつでも送ってやるぞ! アハハハハ!」
血に染まった大鎌を脇に抱え、ヘルはケラケラと笑い転げた。
――気落ちしている場合じゃない。
とりあえず、さっさとこの場から立ち去らなければ。おそらく外れているであろう右肩をかばいながら立ち上がると、先の斬首に驚き、動きを止めていたさあきに声をかける。
「さあき、立て」
さあきは、呼びかるとすぐに我を取り戻した
「クー。あの子は……知り会いなの?」
「ちょっと――な。それよりさあき、十を担いできてくれ。ヘルの事は、後でちゃんと説明する」
「……うん。わかった」
さあきは横たわる姉御に走り寄り、呼吸を確認して安堵の表情を浮かべる。そして言われた通り、姉御を担ごうとしていたが、身長差がありすぎてなかなか苦戦していた。
続けて三好が、心無しか楽しそうな顔で近づいてくる。
「クー。あの子――なに?」
俺への質問だったのだろうが、聞こえていたのであろう――ヘルが大きくジャンプして、目の前に着地して答えた。
「あの子ではない。我は死神ヘルだ」
「……そうなの?」
三好が俺の顔を窺ってくる。
「あぁ。こいつは死神だ」
「へぇー、本当なんだ。面白そうな子供だね――僕は三好。よろしく、ヘル」
「うむ。うむうむ。くるしゅうないぞ」
そう言って自己紹介すると、三好はヘルを興味深げに眺めていた。
「それよりも三好。お前、もう中央神殿にはいられないんじゃないのか?」
周囲を見渡しがら言う。周囲にはヴァナヘイム教皇と近衛騎士団の三人の死体、そして【精神制御】によって教国の権力に取り入っていた友森の死体に、さらに身元不明の首切り死体までもが転がっていた。
はっきり言って、言い訳の余地が無い。三好もその事に気がついて、頭を掻く。
「モーリーがいれば問題なかったんだけどね。この惨状は、ちょっと言い訳のしようが無いかな」
「遠からず、俺達はお尋ね者になるだろう。俺はさっさと教国から離れるつもりだが、お前はどうする?」
三好は腕を組み、しばらく小考した後に言った。
「そうだね。僕もとりあえずヴァナディースから離れるよ。確かにここには居られそうにないや」
「それなら、街を出るまで一緒に行くか。それと、ヘル――お前、すぐに魔界に帰るのか?」
「ん? いや――無理だ。戻る方法を知らぬ」
そう胸を張る死神ヘル。こいつ、ノープランでこっちに来たのかよ。とんでもなく能天気な奴だな。
「じゃあ、一緒に来いよ。お前のその体だと、人間の街にもいれないだろうしさ」
「そうだの。よきにはからえ――貴様ら」
居高々に小さな胸を張るヘル。話は決まった。さっさとここから脱出だ。
「さあき。いけるか?」
「大丈夫。まかせて!」
姉御を担いださあきが、不恰好な姿勢で返事をした。
「よし。それじゃ、行くぞ」
俺達は、逃げるように中央神殿から脱出した。