36 裏切り
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中央神殿。高層ビルのような高さを持つ建物は、外から眺めると神聖な雰囲気を漂わせている。いわく、主神オーディンの地上での居城のために作ったとも言われる、この荘厳な建物内の大聖堂に俺達はいた。
入り口側には俺とさあき、そして姉御がそれぞれ居並ぶ。対するは、完全武装をした赤銀騎士三人。仮面の様な兜により顔は見えなかった、中央にいるのはおそらく昨日会った近衛騎士団の長――トリヴァであろう。腰に差した片手剣に見覚えがある。
トリヴァ達の奥、短く横に広い階段により頭ほどの高さまで持ち上がった祭壇前には、純白の法衣に身を包んだ女性が佇んでいた。ヴァナヘイム15世――ヴァナヘイム教国を治める絶対君主であり、この国の民の信仰を集める現人神。この国の人々にとって神と等しき存在が、俺達を見下ろしていた。
年は若い。俺たちと同じか、少し上程度であろう。ストレートの金髪と緋色の眼。そして色素の薄い肌と整った顔立ちは、教皇という肩書きもあいまって、神々しさを感じてしまう。
あれが教皇。もうちょっと年寄りをイメージしていたが、かなり若いようだ。しかも女とは意外だった。ただ、その緋色の眼からは一切の意思を感じない。おそらく、教皇の隣にいる男達の仕業だろう。
教皇の左右には、黒髪の男達が並んでいた。一人は太り気味の腹を、裾の長い法衣で隠した三好。そしてもう一人は、噂のユニークスキル【精神制御】を持つ男、友森だ。
中肉中背。目元まで隠した長髪の隙間から、うつむきながら様子を伺う様に話すような、陰気な奴だ。別に根暗っぷりなら俺も負けてないと思うが、あいつの場合は自分自身に対する自信の無さから来る陰気さなのだ。だから、話していてイライラする事もたまにある。まあ、悪い奴じゃあないのだが。
とにかくこれで全員集合である。役者は揃った。決戦の口火を切ったのは、勿論この女だった。
「ヴァナヘイム教皇! 私は十うらな。エ・ルミタスが長、ラルフ・ジハウより依頼されここに来た。貴様らヴァナヘイム教国は、我らエ・ルミタスを侵した。その理由をお聞かせ願いたい」
ヴァナヘイム教皇の答えは、無言だった。虚ろに開いた、冷たい緋色の眼の少女は、姉御の言葉など届いていないかのように黙りこくっていた。
それを見かねたのか、三好が笑い始めた。
「アッハッハ。姉御さん、教皇に言っても無駄だよ。この娘、【精神制御】が完璧に入っているもん。聞くなら僕か、モーリーに聞かなきゃ」
「てめぇら――特に三好! 謝るなら今だぜ」
十は腰に備えたトンファーを取り出し、それを三好に突きつけながら叫んだ。
姉御の威嚇を受けても、ニヤニヤとした表情を崩さない三好。それとは対照的に、友森はビクリと体を震わせていた。
「姉御さん。相変わらず元気だねー。ほら、モーリーがびびってるじゃん」
「びびってねぇし……」
友森ェ……
相変わらずだな、あいつ。何で十なんかに手を出したんだろ。【精神制御】なんてスキルがあるなら、ロリだろうが巨乳だろうが、どっかのハゲが泣いてうらやましがる様なハーレムを作れるはずなのに、わざわざ十なんて爆弾女に手を出すとか、自爆したいとしか思えない。
まあ、人の好みはそれぞれだからな。それより、そろそろ始めるか。
「さあき。行くぞ」
「へ?」
俺は、猫を扱うようにさあきの首根っこを掴む。そしてそのまま、赤銀騎士たちに向けて走り出した。
「うわあああ!? いきなり何するのよ!」
戸惑うさあきを無視しつつ、警戒する赤銀騎士達の横をすり抜け、大きくジャンプして三好達のいる祭壇前に着地した。そして振り向きながら、十に向かって叫んだ。
「姉御!」
突然の行動に、ぽかんとした顔で口を開ける姉御。
「お前にはもうついていけない。俺は、三好達のほうにつく。悪いな!」
姉御は、意味が分からないといった様子で首をかしげた。しかしそれは、やがて怒りの表情に変わっていく。
ドンっと足を踏み鳴らし、姉御は叫び返した。
「ふざけんな! クー。何していやがる」
「そうだよクー。どうしちゃったの?」
姉御の声に呼応するように、隣のさあきが不安そうに聞いてくる。俺は、さあきの小さな頭を軽く叩いた。
それは、昔からの"黙ってろ"の合図である。ガキの頃から一緒のさあきは、すぐにその仕草を理解し、複雑な表情を浮かたのち、押し黙った。
それを確認し、俺は十との話に戻る。
「っは。俺は言ったはずだぞ。『俺は魔石十二宮を集めている』って。今回、お前について来た理由もそうだったろうが」
「それは、そうかもしれないが……なんで、なんでここまで来て、裏切るんだ!?」
姉御は、怒りの中に少し悲しさを混ぜたような、複雑な表情をしていた。
「なんで――か。姉御お前、俺に何をしてほしかったんだ?」
「何をって……私の街をあんなにした奴らに仕返しするのを手伝って――」
「いやだね」
一段高くなっている祭壇前から、見下ろすような形になっている十を睨みながら、俺はそう吐き捨てた。
「小学生の頃の俺じゃない。いつまでもお前の舎弟じゃないんだ。お前に無条件で付き合うなんて、ごめんだ」
十は怒りを通り越して、言葉が無いようだった。しばらく眼を見開き、もぞもぞと口篭るが、それは一片たりとも言葉にはならない。やがて十は目を閉じて、顔を背けてしまった。
数秒間の静寂の後、三好の笑い声が聖堂中に響いた。
「アッハッハ! クー、最高! 姉御さんのあんな顔、始めてみたよ! すごい!」
ケラケラと笑う三好は、心底楽しそうに姉御の姿を眺めていた。
「……そりゃどうも。それより、やるなら今だぞ。あの激情女が、めずらしくしょげてやがる。とっととあいつらをけしかけろよ」
「ああっと。確かにそうだね。モーリー。頼むよ」
「……あぁ」
友森は小さく答えた。低い声で、下にいる赤銀騎士に対して呼びかける。
「トリヴァ。あの女を捕らえろ。殺すなよ、必ず生け捕りにしろ」
「御意」
中央の長身の騎士が答える。そして、連中は十に襲い掛かった。
「っざっけんなーーーーーー!」
赤銀騎士たちの攻撃が姉御に届く直前、神殿中に響き渡るような怒声と共に、姉御の周囲が爆発した。三方から襲い掛かっていた赤銀騎士たちが吹き飛ばされる。
やがて爆煙の中から現れた姉御は、湯気が立つほどに真っ赤な顔をしていた。
「てめーら! そろいも揃って私にケンカを売るなんて。ああそうかい。それなら買ってやるよ。まとめ買いだてめぇら! 全員まとめて、ぶっ殺してやる!」
十はまるで火山のように怒り狂っていた。
……
姉御と赤銀騎士達の戦いは、爆音と閃光を響かせながら続いている。
赤銀騎士達は、それぞれが姉御に匹敵するレベルに加え、高度に訓練された戦闘技術と息の合った連携により十を翻弄していた。やはり、相当に強い連中だ。
一方の十は、いつもの【爆術】と高級ポーションを駆使したケンカ殺法である。だが敵の連携プレイになかなか手を焼いているようで、何度も周囲を起爆してなんとか距離をとろうとしていた。
しかし、派手な戦いである。俺が混じっても爆発に巻き込まれるだけの様な、そんな印象だ。あまりあの中に加わりたくない。まあ、これからの話によってはそうはいかないのだが。
友森が、苦虫を噛み潰したような顔でこちらに近づいてきた。さっきの姉御のへこみ具合なら、簡単に捕まえられるとでも思っていたのだろう。俺は、友森が至近距離に入る前に声をかけた。
「友森。ひさしぶりだな」
「っ!……あぁ。一橋。ひさしぶり」
一瞬声をかけられた事に驚く友森。さっきから、ビクビクしすぎじゃないか、こいつ?
「ああ。近づくなよ。そこでいい。誰かに俺への攻撃命令をするか、手をかざすそぶりを見せたら、俺とさあきは即、姉御に加勢する」
「なっ……」
驚いたように、その暗い眼を見開く友森。
「な、なんで……知っている――」
「ああ。お前のスキルは全て把握している。なかなか便利そうなスキルだが、近づかなければ大した事は無い。残念だったな」
「……っ」
ひどく失望した様子の友森。やはり、とりあえず俺とさあきに【マインドコントロール】を使っておくつもりだったのだろう。まあ、俺でもそうするが。
ただ、やるなら昨日――俺が一人で来たときにやるべきだったな。なんで部屋から出てこなかったか知らないが、あの時なら対処しようが無かったのに。
「お前たちのやっている事を邪魔する気は無い。ただ、三好から聞いているだろ? 魔石十二宮――【波動のルビー】をよこせ。さっさと渡さないと、姉御に加勢するぞ」
「う……」
押し黙る友森。そんな親友を見かねて、三好が口を出す。
「モーリー、あきらめなって。納得したじゃん。ここでクーを敵に回しても、いいこと無いよ」
友森は、しばらく黙った後にうつむきながら言う。
「……じゃあ、十さんを捕らえたら、渡すよ」
「今すぐだ」
「……わかったよ」
友森はしぶしぶ懐から薄紫の魔石を取り出す。無造作に放り投げられたそれを受け取ると、俺は内心ほくそ笑んだ。
目的完了である。後は姉御には思う存分暴れてもらうだけだ。
さて、ここまでほぼ演技である。大筋だけしか決まっていない即興劇にしては、なかなか上手く行った。自分としてはかなりワザとらしかった気がしたのだが、案外バレないものだ。
だが、ほとんどしゃべらなかったさあきは置いておいても、姉御は本当に演技が上手かった。意外な才能だな。
話は昨日の夜――二人に裏切る話をした時までさかのぼる。
……
「だから、俺はお前を裏切って、三好と友森の方につく。さあきもこっちに来た方がいいな。姉御、お前一人でがんばってくれ」
「何を言っているんだ。お前」
「クー……?」
俺は2人に、十を裏切って三好達に味方すると言った。怪訝な顔から、怒りの表情へと変化しつつある十と『ついにクーが変な事を言い始めた』とでも思っているさあきの、心配そう顔が並んでいた。
とりあえず、昼間三好と話した内容を二人に説明する。
「――ってことだ。要するに、『魔石十二宮と交換で十、お前の事を売るからよろしく』って事だよ」
どんとテーブルをたたく十。
「なにがよろしくなんだよ! 意味わかんねーし! なんでクーが裏切ってんだよ。しかもなんでその事を私に言うんだよ!」
「クー、どうしちゃったの?」
やはり混乱気味の二人だった。なにか勘違いされているようだ。やれやれ、自身の説明のへたくそさに嫌気がさすな。
「本当に裏切るわけじゃねーよ。魔石十二宮を手に入れるまでだ」
「っ?」
十の殺気立つ両目が、俺を見つめていた。
「魔石十二宮さえ手に入れば後はどうでもいいんだよ。あいつらはお前を生け捕りにするのが目的なんだ。負けてもお前は殺されるわけじゃない。お前が奴らと戦って、勝てればそれでよし。負けたらお前は捕まっちまうだろうがが、機会を見て助け出してやるよ。そうしたらお前が勝とうが負けようが、俺は魔石十二宮をゲットできる」
俺はそこで一息入れる。姉御とさあきの目が、きょとんとしたものに変わっていた。
「つまり、お前はいつものように大暴れしていればいい。失敗したら、いつものように助けてやるからさ」
……
結局、十はあっさりと了承した。もうちょっと反発するかと思ったが、すぐに乗り気になったのだ。『つまり、私は裏切ったクーにキレてから、暴れればいいんだろ? それなら、やる事は変わりねーよ』だそうだ。
結局、どこまでいってもこいつは自分の所有物に手を出した連中を、自らの手でぶちのめしたいだけなのだ。それなら存分にするがいい。俺は手伝わないが、ケツくらいは持ってやる。長い付き合いだしな。
さあきは少し心配していたが、裏切られる十本人がやる気なのだから、どうしようもない。
その後、俺達は裏切った後の展開を予想し、裏切りの算段を考えた。結局細かい点ではアドリブがあったが、『俺が裏切った後は姉御と近衛騎士団とが戦闘になる』という、ここまでの流れはほぼ予想通りだ。
さて、ここからの展開としては次の二択だろう。姉御が赤銀騎士達に、"勝つ"か"引き分ける"か――
姉御が勝てれば問題ないのだが、しかし、今見ている感じだと恐らく引き分けそうだ。レベルはともかく、赤銀騎士達の戦闘技術が高すぎる。自爆技である【デストラクト】まで使わなければ、姉御の攻撃力でも奴らを倒す事はできないだろう。
自爆技を使ってしまうと、姉御のHPは0になって意識を失う。そうなると三好達の後詰めに対応できない。放っておいたら、今の赤銀騎士達に追加して、神官か兵士を呼ばれる。するとまあまず、HP0の気絶中に姉御は捕まってしまうはずだ。
別に捕まった後に助け出してもいいんだが、目的の【波動のルビー】は手に入れたんだ。ここは十が景気良く自爆した時点で、さっさと姉御を回収してとんずらする事にするか。姉御も自力で負けたんなら納得するだろうし。
隣で心配そうに十の戦闘を見守るさあきに、戦闘終了直後に逃走する旨を小声で伝えた。