19 合流
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なるほど。【死者の釜】とはよく言ったものだ。
骨飛空艇に揺られて深い霧の海を浮上すると、やがてこの一週間さ迷い続けた【死者の釜】の全景が見えてきた。周囲を断崖に囲まれたくぼ地に、ホワイトシチューのような真っ白い霧が濛々と立ち込るそれは、まさに『釜』であった。
「まーずは爪からはぎましょうー、つーぎにお皮をはぎましょうー、目玉はまーだまだ前歯が先よー……」
なにやら調子はずれの唄をうたいながらゴロゴロと転がっているのは死者の女王――死神ヘルだ。話を聞く限りではこのニブルヘイムでもかなりの実力者みたいだが、まったくそんなふうには見えない。
「ヘルは死者を管理しているんだよな?」
「その通り。我は偉いんだぞ」
「そうか。それより最近、異世界人が死んでこっちに来なかったか? 具体的にはえーと、一ヶ月くらい前に」
約一ヶ月前、俺たちクラス全員がこの世界にやってきた日。一人のクラスメイトが、異世界での最初の戦闘で死んだ。
石内鏡生。男。出席番号2。アニメ好きで引っ込み思案な所謂オタク。そこまで仲が良いわけでもなかったが、それでもアニメ話でたまに盛り上がる程度には付き合いがあった。
もしも全ての死者がこのヘルの元にやってくるのならば、あの時に死んでしまった石内は、こいつのもとにやって来ているのではないか。
ヘルが起き上がり、顔を向ける。
「なにか心当たりがあるのだな。名はなんと言う?」
「イシウチアキオ。黒髪黒目で、背は俺くらい。すこし太った男だ」
「しばし待て。今、調べてやる」
何をするのかと思ったら、右手に持った大鎌を振りかざし、下っ端スケルトンを呼び出すと、なにやら報告をさせ始めた。どうやら、死者の女王は管理職のようだ。カタカタと顎骨を動かすスケルトンに対し、ヘルは一方的につぶやく。
「そうだ。うむ。ほう? ほうほう。なるほど。わかった。もうよいぞ」
そう言うと、報告に来たスケルトンを大鎌で粉々に粉砕し、その勢いでくるりと回転し、長い銀髪をなびかせた。
「一月ほど前に、その名前の死者が冥界を訪れたようだ」
一月前でイシウチアキオなどという日本人的な名前というなら、間違いないだろう。やはり、石内は死んでいたのだ。
ヘルは、続けて言った。
「だが、すでに我が冥界からは去っておる」
「どういうことだ」
「全ての死者が集まる我が冥界に居ないのであれば、そやつは冥界から脱走したのであろう」
脱走……だと?
「……良くある事なのか?」
「めったに起きる事ではない。ただ、最近良く起きておるそうだ。しもべが報告しておったわ。冥界から脱出するためには冥界五重門を超えねばならぬから、ただの人間には超えられるわけ無いのだがのう」
ヘルはそういって鎌を振り回す。その様子からは、口で言うほどに気にしているわけではなさそうだ。しもべ共がサボっておるな――程度の認識なのだろう。
「死んだ人間が、冥界から脱走するとどうなるんだ?」
「冥界の外におる悪魔共に食べられるか、玩具にされるか、使い魔にされるか。まあろくな事にはならぬ。そういう事を防ぐために、冥界というものが存在するのだからな」
冥界は死者保護施設ということか。なぜそのような場所が必要なのかはわからないが、まあそれは置いておこう。
それよりも、石内の奴が冥界から脱走したという事実のほうが気になる。あいつは、そんなに積極的に動くタイプではないはずだ。脱走なんていうアクティブな行動をしでかすとは考えにくいが、なにかあったのだろうか……
「おう。おうおう。着いたぞ。あれが魅惑の君の居城だ」
思考を遮断するヘルの声。早い。もうついたのか。
声に導かれ、甲板に出ると、眼下にびっしりと針の森に囲まれた巨大な城が見えた。
四方に巨大な尖塔を持ち、その塔から通路で連結された中央には絢爛豪華な装飾がなされた宮殿が、不気味に存在感を示していた。広場や中庭などは無く、城へと続く街道も無い。不吉で、ひどく浮世離れした、不便そうな印象だ。
「着陸できそうな場所が無いな」
俺が言うと、ヘルはにやりと笑った。
「何を言っておる。どーせきゃつは宮殿だ。つっこむぞ」
「はい?」
アスモデウスの城に向かってまっすぐ突き進む。そして、骨飛空挺はそのままのスピードで轟音を上げながら中央の宮殿に突っ込んだ。
壁やら柱やら、あらゆるものをぶち壊しながら、止まる気などさらさら無かったかのように、骨飛空挺は宮殿の中を暴走しつづける。
「うおおぉぉぉ!!?」
「アハハハハハ!」
ガタガタと尋常じゃない強さでゆれる船内に、ヘルの楽しげな声がこだました。あの骨っ娘なら、バラバラになっても大丈夫かもしれんが、こっちは生身だ。やばすぎる。
徐々に速度が落ちてきたのを見計らって船から脱出し、壁をすべる様に走って速度を殺したのち、大きく壁を蹴って着地する事に成功した。
乗ってきた骨飛空艇が、勢い余って反対側の壁に突き刺さっていく。周囲は爆撃でも受けたかのようなガレキの山である。所々無残な姿を晒しているシャンデリアや華美な燭台が物悲しい。
降り立った場所は、宮殿の大広間のようだった。骨飛空挺の不時着のせいで、見るも無残な姿になってはいたが、玉座や絨毯、それに豪華なシャンデリアなどによって彩られていた。
「な……なんなのよ」
周囲を見渡していると、懐かしい声が聞こえた。それは、一週間の再会だった。クールチュウニ、六道あやねがそこにいた
「おう。六道、久しぶり」
「一橋君!? なんで……」
驚く六道、だが、俺の方も六道の姿に驚いた。
「なんだその格好……?」
胸元と背中が大きく開いた黒のビスチェに短いフリルスカート。黒のロンググローブに足元はロングブーツにニーソックス。どこのコスプレ魔法少女だと突っ込みたくなるような格好だった。よく、恥ずかしくないな。
本人も自覚があったのだろう。俺の問い掛けに自身の姿を確認すると、顔を真っ赤にして頭を抱えた。
「こっこれはっ……しょうがないの!」
「ふーん」
適当に返しておく。、ま、なにかのっぴきならない理由があるのだろう。別に、こんな格好ならどんどんしてくれればいいのに。
「なんか、へんなこと考えてない?」
「いや。別に」
「そう……」
ジト目で見られるが俺は何も悪くない。不可抗力だ。そういえばヘルは無事か?
「アッスモデウスー! 久しぶりだのう! どこだ!? 我が遊びに来てやったぞ! 出てこんかい!」
骨っ娘はキョロキョロとなにかを探しながら、元気にガレキの山を飛びまわっていた。やれやれ、元気な奴だ。
「あの子。なに?」
「ん。ああ。死神ヘルだってさ」
「死神……」
「そ。助けてもらって話してたら六道はアスモデウスの所にいるかもしれないって言われてな。ついでに連れてきてもらったんだ。そういえば、お前もよく無事だったな。ここアスモデウスの城だろ?」
「アスモデウスは私が殺したわ」
六道は、無表情に呟いた。
……
話としては次のような物だ。
六道が転送されたのは、まさにこの城の一室であり、そこには魅惑の君・アスモデウス自身がいた。そして、目の前のアスモデウスを見て自身の目論見――魔界を訪れる事が成功したのを悟った六道は、開口一番、目の前の悪魔にこう聞いたそうだ。
『魔王になるにはどうすればいい?』
その荒唐無稽な質問に対して、アスモデウスはこう答えた。
『魔王になるには魔王を倒せばいい、だがその前に私と戦って魅せろ』と。
……
「で、アスモデウスと戦って、勝ってしまったわけか」
「そう。でも勝ったといっても、何回も死にかけたわ。私のHPが切れて戦闘不能になるたびに部屋に戻されたの
「そりゃ変な話だ。何もされなかったのか――うごっ!」
裏拳が飛んできた。無防備な腹にクリティカルヒットし、思わず前のめりになって腹を押さえる。なんだよ、何にも無いほうがおかしいだろ……。
「とにかく、何のつもりか知らないけど再挑戦の機会を与えられていたの。それで宮殿のアイテム漁ったり、雑魚でレベル上げしたりしてやっと勝てたのが、今さっき。これからどうしようって思ってたらあなたが派手に登場してきたってわけ。あ、この服はとても高性能だから着ているだけなんだからね」
そういって胸元を隠す六道。何も隠れていないわけだが、なるほど強力な装備なわけだ。
「むう。むうむう。アスモデウスがおらぬ。何処に行ったのだ」
どうやら、アスモデウスが見つからないようだ。ヘルがしょぼくれて戻ってきた。すると、俺の隣にいる六道を見つけ、ヘルが首をかしげる。
「クーカイ。なんだこの生ある者は」
「こいつがさっき話してた仲間の六道だよ」
そう言うとヘルは、すぐに大きく胸を張って自己紹介をした。
「そうか。そうかそうか。うむ。我が冥界の盟主。死神ヘルだ」
六道がすこし悩むようなしぐさの後、意を決した様に頷いた。
「死神ヘル。アスモデウスは私が……」
「あ。いた!」
六道が、アスモデウスの件をヘルに話そうとした瞬間、ヘルの大鎌が俺と六道の間をかすめ、鋭利な風切り音を残し瞬間、地面に突き刺さった。
ありえない――大鎌のあまりの速さに、反応すらできかった。しかし、その驚愕も一瞬、次の瞬間に耳をつんざく叫び声が聞こえた。
「いってーーーーーーーーー!! なにすんだ糞ガキ!」
「久しぶりだのう。アスモデウス」
骨少女の笑顔の先――大鎌の接地点に、小さな蒼色の悪魔が串刺しにされていた。