18 死神
18
結局、警戒心よりも食欲が勝った。シチューやパスタっぽいなにか。謎ステーキにナンとピザの中間のような平べったいブレッドなどなど。料理そのものは大した物ではないのかもしれないし、なにやら怪しい食材も幾つかあった。だがしかし、空腹は最高のスパイス。はっきり言って、何を食べてもヘブン状態である。一週間ぶりの食事はまさに至福だった。
「なるほど。なるほどなるほど。生ある者はそのように食事をするのか」
「はぐ?」
口いっぱいに詰め込んだ食い物のせいで変な返事になってしまった。急いで飲み込み、席を立って頭を下げる。
「えーと。死神ヘル様。食べ物を分けて貰った事。本当に感謝している。ありがとう」
「おう。おうおう。良いぞ。気にするな。面を上げい。あとヘルでよいぞ。久々の生ある者だ。我は今、気分が良い」
そう言って手に持った大鎌がちょいちょいと動く。その鎌は刃渡りだけで3mはありそうな巨大なものであり、幼女にしか見えないヘルの小さな体にまったく釣り合っていなかった。
死神ヘル。少女はそう名乗った。他にも煉獄の管理者、死の君、冥界の盟主などなど。二つ名を沢山持っているらしい。かなりのおしゃべりな様で、俺が食事をしている間中、自分でぺちゃくちゃ喋っていた。
小学校低学年にしか見えない幼い顔立ちに流麗な銀髪。頭の上に載せた不恰好な王冠と、右手に持った巨大な大鎌が奇妙ではあるが、姿格好はぱっと見、ちょっと大人ぶった普通の幼女に見えた。
ただ、問題は胸から下――四肢の部分だった。
白い半そでワンピースから伸びた手足は、完全に骨だった。真っ白で、カラカラに乾燥した骨――本来手足がある服の裾から伸びているのは、そんな異様な手足だったのだ。服の首元までは、白く透き通った肌が見えるのに、ワンピースの中身は一体どうなっているか。
「さて。さてさて。食事も済んだであろう。質問に答えてもらうぞ」
俺が一通り食事を終らせ、話せる状態になった様子を見、ヘルが言った。
「ああ。何でも聞いてくれ」
「貴様。なぜこの【死者の釜】にいる?」
「俺が聞きたいくらいだ。俺はアスモデウスの迷宮の最奥の魔法陣の上にいたはずなのに、一緒に居た六道っていう女が、魔法陣をぶん殴った。次の瞬間にはここに来てた。一週間くらい前の事だ」
ヘルが眉をひそめる。
「アスモデウス? 魅惑の君の仕業か?」
「魅惑の君? いや、アスモデウスなら、飛ばされる前に俺達が倒した。その後の話だから、アスモデウスは関係ないんじゃないのか?」
「ミズガルズで倒したに過ぎないのだろう。我らをあちらで倒しても無意味ぞよ」
ヘルの言葉には、所々意味不明な言葉が混じってきた。質問したいが、今は話を合わせておく。
「まあ。とにかく俺自身も、何故この場所に居るのか、わからんのだ」
「では。ではでは。貴様は我に害しに来たのではないのか?」
「とんでもない。ただの迷子だよ」
「じゃあなぜ我のしもべをいぢめてくれた」
「しもべ?」
「クロ君とアカ君!」
ドンとテーブルを叩かれ、激しい剣幕で問い詰められる。とはいっても、骨剥き出しの手足以外はただ幼女なので、全然迫力が無いのだが。
「ん? ああ。スケルトンの事か?」
「そうだ! とんでもない数が壊された。きゃつらは我のしもべたちの中でも、相当強いはずなのに」
「あー。それは悪かった」
どうやら、俺が一週間ほどかけて壊しまくった赤と黒のスケルトン達は、この少女の部下だったらしい。
「しかし貴様、全部一撃で倒しておったな。そんな事、破壊の君ですら不可能だろうに。あんな事できるのはニブルヘイム広しといえども我だけだと思っていたぞよ」
「いや。あれはスキルだ。条件さえ良ければ、どんな奴でも殺せるよ」
ヘルはその言葉に興味を持ったようだった。
「ほう。ほうほう。それは面白い。我の左手みたいなものか?」
「左手?」
「そうだ。知らんのか? 生あるものは無知だのう」
そう言いながら、ヘルは右手に持った鎌をちょいと動かした。すると地面から件の黒いスケルトンが現れ、ヘルの横でふらふらと突っ立っていた。続けてヘルが、そのスケルトンに左手で触れると、ものの数秒でスケルトンがガシャン――と音を立てて崩れ去ってしまった。
よくわからないが、今の一瞬で黒のスケルトンを倒してしまったようだ。
「これが我の左手、【死の左手】だ。凄かろう。怖かろう。恐ろしかろう?」
ヘルはドヤ顔でそう言うと、再び鎌をちょいちょいと動かした。すると今度は俺の横に赤いスケルトンが現れる。
「ほれ。貴様の技も見せてみよ」
一瞬迷った。この敵か味方か、さっぱり読めない陽気な死神に、俺のスキルの秘密をばらしてもいいものか、と。
だがすぐに俺には選択肢が無いことを思い出した。いまこのヘルの機嫌を損ねて去られたら、この死者の釜から抜け出す手段がなくなっちまう。
腰に差していた愛用の短剣を取り出すと、【一撃死】の説明を交えながら突っ立っているだけのアカ君の急所、脊髄に軽く切っ先をかすめさせる。すると、やはり【一撃死】が発動し、一瞬で骨くずとなってしまった。
ヘルが、テーブルから身を乗り出す。
「ほう! ほうほう! 凄いな! そんな能力――はじめて見たぞよ。まったく生者には面白きものが居る。我の代わりに死神をやってみてはどうだ。アハハハハハ!」
自分で言ったことに大笑いしながらけらけらと笑い転げていた。
「その面白き技に免じて暴れた事は不問にしてくれよう」
ひとしきり笑った後に、ヘルは息を整えていた。その楽しげな様子をみて、俺はさらに質問した。
「それは助かる。助かるついでにもう一つ聞きたいんだが良いか?」
「うむ。うむうむ。良いぞ。何なりと申せ」
「どうやったら、元の世界に戻れる?」
機嫌がよさそうだったので、調子に乗って色々と質問してみる事にした。
「それはミズガルズの事か」
「すまない。俺は無知なので良く知らないのだが、ミズガルズとはなんなんだ?」
「そうか。そうかそうか。良かろう。説明してくれよう。まずここはニブルヘイム。我々の魔族の世界、魔界だ。魔界の上にあるミズガルズは人間などの生ある者がすむ世界。そして地上の上にあるのが忌々しい天空の神々どもが住む世界、アースガルズだ。そして、その上に外の世界が有ると言われている」
「外の世界?」
「貴様の元居た世界だ。異世界人」
思わず言葉を失った。心臓を鷲掴みにされたような気分だ。まさか、こんな所で異世界という言葉が出るとは、思ってもいなかった――
何とか、驚きを表情に出さないように答える。
「ああ。確かに俺は異世界人だ。なぜわかった?」
「その能力だ」
「能力? さっきの【死】の事か?」
「そうだ。はっきり言ってそれは、普通の人間が持つ能力ではない。おそらく我の持つ力と同じ類のものであろう。そんな奇天烈な能力を持つ人間は、異世界人だと昔から相場は決まっておる」
ヘルは大鎌をもてあそびながら言った。少女には質問をめんどくさがっている様子は見えない。むしろ会話を楽しんでいるようにみえた。
「異世界人というのは、昔からたくさんいたのか?」
「さて。さてさて。それはわからぬ。三柱神が一柱である我ですら、生ある異世界人に出会ったのは貴様が始めてだから、それほどでは無いのではないのか。まあ我はニブルヘイムから出たことがない引篭もり故、知らぬだけかもしれぬがな。ハハッ。引篭もり! アハハハハハハハッ」
なにが面白いのか。今度は大鎌を放り出してテーブルの上で笑い転げている。どうやら笑い上戸のようだ。ツボは意味不明だが。
笑いが収まるのを待って、続ける。
「どうやったら外の世界に戻れるか、知っているか?」
「知らぬ。だいたい異世界人というのは我の管轄ではない。我を誰だと心得る。死者の女王ヘルであるぞ」
今さっき知ったがな。
「そうか。では死者の女王。誰に聞けばわかる?」
「魔王にでも聞いてみればよいのではないか」
「魔王……」
やっぱいるのか。魔王。どっかの六道が飛んで喜びそうな話だ。そういえばあいつの事も聞かなければ……
「なるほどね。ところで俺以外に異世界人がこの魔界に来てないか?」
「さて。知らぬな。我の管轄地にいればわかるはずだが。なぜだ?」
ヘルが首をかしげた。どうやら、六道や他の連中の事は知らないようだ。
「いや。さっき言ったけど、俺はアスモデウスの迷宮の魔法陣からここに来た。その時、一緒にいた仲間もここに来ていてもおかしくないと思ったんだが」
「それならば魅惑の君の管轄地にいるのではないか? 隣だからそんなに遠くないぞよ」
「そうか。じゃあ行ってみるよ。とりあえずこの、死者の釜の抜け方を教えてくれ」
「まて。まてまて。我は暇ゆえ、連れて行ってやろう」
いや、そこまでして貰わなくても大丈夫――そう言おうとした時には既に、ヘルは右手に持った大鎌を振りかざしていた。
轟音と共に、食事をしていた骨テーブルが変形していく。慌ててテーブルから離れ、がたがたと組み上がっていく骨組みの様子を、ヘルと共に見つめていた。
やがて、出来上がったのは骨で形作られたプロペラ付きの船――悪趣味な骨飛空挺だった。
唖然とする俺を無視して、ヘルは楽しそうにその船に乗り込んでいった。
死神ヘル Illusted by wad
【死の左手】
その左手で触れ続けたモノの魂を引き抜く。