17 彷徨
17
深い霧。灰色の草。ぬかるんだ地面。漂う腐臭。寒気のする空気。逆さに生えた樹木。
勢いで魔界とか言ってしまったが、実際のところよくわからない。ただ、ここが魔界と言われても何の疑問もなく納得してしまうほどに、風景はよどみ、周囲には不吉な雰囲気が漂っていた。
まったく、ありえない――六道の意味不明な発想により魔法陣を攻撃した結果が、本当に魔界に通じやがった。どういう思考回路をしていれば、魔法陣の中心で大剣振り回して魔界に行けるなどと思うのか。しかも無関係な俺まで巻き込みやがって。さすがに今度会ったら文句の一つくらい言ってやる。
ただその六道はおろか、一寸先も見えない深い霧に阻まれ、現状自身の居場所すら確認できなかった。文字通りの五里霧中の中、とりあえず道を探して歩き出すと、わらわらと大量の骸骨が地面から這い出てきた。
スケルトン型モンスター。迷宮に居たような普通の白い骨ではなく、赤や黒などおどろおどろしい色をしたタイプである。どうやら相当にレベルが高いらしく。まともに殴っても、ほとんどダメージが通らない。だが相手が骨でよかった。俺には、骨限定で発動する裏技がある。
一匹のスケルトンが巨大なメイス振り降ろす。それを最小限の動作でかわし、大きく体勢の崩れたスケルトンの無防備な背骨に一撃を加えると、一瞬で崩れて骨くずとなった。
スケルトンに対してだけ、なぜか急所攻撃さえすれば【一撃死】がいつでも発動する。要するに【一撃死】の条件3.【相手に攻撃を認識されていない】が不要なのだ。このバグとしか思えない仕様を使えば、俺は骨限定で無双できる。
見渡す限りスケルトン状態の中、得意の高速移動を駆使しながら駆け巡る。すれ違いざまに急所を攻撃し続け、ガラガラとなぎ倒していく。敵も大剣やメイスで攻撃してくるが、そこまで素早い攻撃ではないので、油断しなければ食らわないだろう。そのまま調子よく虐殺を繰り返した。
しかし100匹目まで倒したところで、倒した数を数えることをやめた――あり得ない。多すぎる。
「……きりが無いな」
吐き捨てるように呟く。眼前は、いまだにスケルトンの群れに埋め尽くされていた。これ以上倒しても意味が無さそうだったので、短剣を収め周囲を確認し、敵が少なかった右手方向に向けて駆け出した。戦略的撤退である。
しかし、なんなんだここは。みんなは無事か? あの魔法陣のせいでここに転移されてしまったんだとしたら、すでに次の部屋に移動していたタクヤ達は来てないかもしれない。ただ、中心に居たはずの六道は確実に巻き込まれているはずだ。
しかしとにかくここはヤバイ。早く脱出しないとジリ貧だ。
逆さに伸びている奇妙な灰色の木に飛びつき、一気に駆け上り頂点で大きく飛び上がる。AGIが3桁になって久しい俺のジャンプ力は、すでに垂直飛びで10mは軽く飛べるまでになっていた。だが、それでも濃い霧を抜けることはできない。上空から地形を確認しようとしたが失敗である。視界ゼロの中、急降下。早くも湧き出していたスケルトン踏んづけて着地する。
「やばいな。方向が全然わからん」
しょうがないので、一つ方向に決めて進むことにした。できるだけまっすぐに、樹木に目印をつけながらひたすら走った。だが、走ったそばから、骨どもはわらわらと沸いてくる。いちいち相手にしていられないので。無視し続ける事にした。
……
人間は水だけ一ヶ月は生きられるという話がある。実際、そこまではいかなくても一週間程度の断食なら結構普通に行われているらしい。
この灰色の世界に来て、すでに3回目の朝が来た。朝といっても太陽が見えるわけでもなく、松明がいらない程度まで周囲が明るくなるというだけ。ただ霧が晴れることは無いので、正確な時間はわからないままだ。
「はらへったなぁ……」
何百回目かもわからない独り言を飽きずに呟く。【隠密】【マナカット】によりスケルトンの追跡を避けることができるのが判明した為、効果時間である30分の間ならば、樹木の上で休息することができた。水も【水術】で幾らでも作り出せる。ただ、食事だけがどうしようも無かった。すでに断食三日目である。
さて、現状を確認する。最初、木に印をつけながら走ったのだが、半日ほど走ったところで印のある木に戻ってしまった。仕方が無いので別方向に向けて走ったのだが、やはり次の日には元の場所に戻ってくる。それから様々な方向に向かったが、どうも無限ループしているらしいということが判明したのが昨日の夜だ。
それがわかったからといってどうしたというのか。一日かけて歩いて、元の場所に戻ってきたのだ。おそらく歩いて脱出する事は不可能である。ということは別の方法しかないのだが、さっぱり思いつかない。
しょうがないので、その日からは沸いてくるスケルトンをひたすら倒した。途中、スキル【死】がアップして、新しいスキルをゲットしたのだが、現状まったく無意味そうだったので省略。がしゃがしゃと飽きずにやってくるスケルトン共をひたすら、千切っては投げ、千切っては投げ続けた。
……
何千匹目か、何万匹目か。とにかく大量の骨を倒し続け、あれからさらに三日ほど経ったある時――
目の前に巨大な、とんでもなく巨大なスケルトンがいた。
「は?」
さすがに一週間近く同じ風景と同じスケルトンを相手にしていると、慣れというかゲシュタルト崩壊というか、一種の思考停止状態に陥っていたらしく、いきなり赤と黒のスケルトン以外の物が突然現れてもすぐには理解ができなかった。
いつもは山羊の乳のような濃い霧が、この時だけは晴れ上がり、目の前の巨大なスケルトンの巨体が全て見て取れた。高層ビル並みの大きさをした、なにかの冗談みたいな大きさの骸骨だった。
「生ある者よ。なにゆえ我が【死者の釜】で暴れる」
それは久しぶりに聞いた言葉だった。低く、重たいその声に、思考が回復を始める。そして、不意に現状を把握して叫んだ。
「おおう! やっとイベントか」
「イベント?」
厳かな声のままオウム返しされた。あれ?
「質問に答えよ、生ある者。なにゆえ我が【死者の釜】で暴れる」
「何故といわれても困るんだが……」
再び響いた声に、あいまいに返事をする。なぜと言われても、俺のほうが聞きたい。
「それより。お前は何なんだ?」
「我はヘル。死神だ」
ヘル――死神か。確かに、そんな雰囲気はあるな、この巨大スケルトンには。
だが、死神だろうがなんだろうが、どうでもいい。今、欲しい物は一つだ。
「死神ヘルね。俺は一橋空海。とりあえず頼みがあるんだが」
「何だ?」
「なんか食うもの無い?」
「……………………………………アハハハハハッ!」
しばらくの沈黙の後、子供のように甲高い笑い声が上空から聞こえてきた。続けて、巨大スケルトンが突然がたがたと崩れ落ちると、散らばったその骨を材料に巨大な食卓が形作られる。そしてその上には豪華な食事が用意されていた。
悪趣味な髑髏細工のイスが独りでに引かれる。座れということだろう。だがさすがに怪しさ満点のこの状況にほいほい乗るわけにもいかない。
「どうした。食事だ。生ある者はこういう物を好むのだろう?」
「自分で求めといてあれなんだが、さすがにちょっと信用できなくてな」
「そうか。そうかそうか。なかなか慎重な男だな」
「とりあえずヘル。姿を見せてくれないか?」
「姿?もう目の前に居るぞ」
目の前――? ふと見ると、テーブルには、王冠をかぶった銀髪少女が腰掛けていた。