持ち越された勝負
「先ほどまでの威勢はいったいどこに消えてしまったんでしょうねぇ……」
薫は両手を広げる素振りを見せ、澪にその疑問をぶつける。
両手を広げる素振りは薫に隙を作ったが、薫はそんなことは気にもしていなかった。
実際には気にする必要なんてなかったのだ。
薫の目の前にいる澪は服もボロボロになり、肌にはいくつもの擦り傷が出来上がっていた。誰が見ても、薫が優勢な立場にいるのは間違いなかった。
「どうやら、甘く見過ぎていたみたいだ。その力……、とても興味深い」
澪は笑みを見せたが、それは弱々しく、苦しさのほうが優っているであろうことは容易に想像ができる。
「興味を持っていただいたところで申し訳ありませんが、もうアナタは終わりですよ。ここまで、アナタは逃げの一途を辿ってましたが、後ろは断崖絶壁。もう逃げ場はありません」
薫の言ったとおり、澪の背後は断崖絶壁。底を確認することができないほど高い崖は、落ちたらひとたまりもないことは確実だろう。
追い込まれた澪に残された手段は、立ち向かうこと、ただそれだけしか残されていなかった。
「さあ、どうしますか。一方的に優位に立っているボクにその剣を向け、最後の足掻きを見せるか。大人しく殺されるか。もしくは、背後に身を投げ出し、自ら幕を閉じるか……。選ぶ権利はアナタに与えましょう」
「勝てないと判断した相手に“むやみやたらに”喧嘩を売るほど、俺はバカじゃない」
「なら、大人しく殺されますか?」
「まさか。そんなこと、俺のプライドが許さない」
「じゃあ、なんですか。もしかしてボクに勝つ気でいるんですか?」
薫は不満だった。追い込んだはずの相手が、得意げに語りだしたことが。自分の優勢がいつの間にか書き換えられているようなこの状況は、傲慢な彼にとって絶対に許せるものではなかった。
「何を言っている。俺はさっきも言ったはずだ。『勝てないと判断した相手に“むやみやたらに”喧嘩を売るほど、俺はバカじゃない』と」
「アナタまさかっ!?」
薫は零の考えを理解する。戦うつもりもなく、死ぬ気もない。つまり、零は逃げ切る自信があるということ。そして、そのための道は、彼の後ろに広がっていることを。
「お別れの前に忠告しておこう。奥の手は追いつめられてから出すことで相手を牽制できる。それを最初から見せつけていたら、ただ単に自分の手を明かしている愚か者でしかない」
「ボクを愚か者扱いですか。いいですよ……。なら、ぶっ殺してあげますよッ!」
薫が怒り任せに剣を横に薙いだと同時に、零はその身を宙へと投げ出した。
「残念だが、その攻撃は当たらないな」
零はほくそ笑みながら、その身を崖下へと落下させる。
「それでは、また会おう」
「――ッ!」
崖に走り寄って下を眺めた薫が見たものは、勝利の表情を浮かべ、落ちていく零と眼下に広がる巨大な闇だけだった。
「なんてバカな人だ……」
薫はそうつぶやいたが、心のどこかでは、あの男は簡単には死なないであろうことを確信していた。
「また会えるのを、楽しみにしていますよ……」