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死者からの手紙を七日だけ届ける郵便局で、最後に母の名前を見つけました

作者: 空席あり
掲載日:2026/10/15

亡くなった人から届く手紙は、必ずしも立派な遺言ではありません。

言いそびれたこと、どうでもいいこと、今さら言われても困ること。

そんな手紙を届ける郵便局の話です。

 死んだ人からの手紙は、朝に届く。


 夜ではない。


 夜中に死者が窓を叩くわけでも、墓場から鳥が運んでくるわけでもない。


 王都中央郵便局の地下にある、灰色の仕分け箱。


 朝六時になると、そこへ封筒が現れる。


 前日の朝にはなかったものが。


 誰が入れたのかは、誰も知らない。


 差出人は、亡くなった人。

 現れるのは、死んだ翌朝から数えて七日目の朝まで。


 一人の死者から届くのは、一通だけ。

 宛先も一人だけ。


 何も届かない人もいる。


 私たちはそれを「七日便」と呼んでいた。


     ◇


「イネス、北区三通」


 仕分け主任のニールが束を差し出した。


「はい」


「一通は病院裏。残りは職人通り」


「病院裏、朝からかあ」


「嫌なら替わる?」


「行きます」


 私は革鞄へ三通を入れた。


 七日便を配達する仕事に就いて五年になる。


 普通の郵便と違い、受領印はいらない。


 本人へ手渡す。


 不在なら持ち帰る。


 家族だからといって、代わりには渡さない。


 受取人が拒めば、それも記録して局へ戻す。


 死者が誰に宛てたのかだけは、勝手に変えない。


 最初の一通は、病院裏の小さな貸家だった。


 宛名はルーディ・ヴェスク。


 十五歳。


 差出人は父親。


「郵便です」


 扉を開けた少年は、封筒を見た瞬間に顔をしかめた。


「七日便?」


「はい」


「父さんから?」


「差出人欄には、そうあります」


 渡す。


 少年は受け取ったが、開けなかった。


「今じゃなくてもいいんですよね」


「もちろん」


「捨てても?」


「あなたの手紙です」


「そう」


 彼は封筒を持ったまま、しばらく立っていた。


「父さん、死ぬ前に俺と喧嘩したんです」


 私は返事をしなかった。


 配達人が中身を予想する場面ではない。


「謝ってると思います?」


「分かりません」


「ですよね」


 少年はそこで、少しだけ口元を緩めた。


「郵便屋さん、冷たいですね」


「中身を知らないので」


「それもそうか」


 扉が閉まる。


 私は次の住所へ向かった。


     ◇


 二通目は、老いた靴職人の妻から夫へ。


 三通目は、若い女性から姉へ。


 中身は知らない。


 知ろうとも思わない。


 七日便を扱う配達人は、封筒を透かして見ることすら禁じられている。


 昔、手紙の内容を酒場で言いふらした配達人がいたらしい。


 以来、局内の規則は厳しい。


「死者の秘密より、生きてる人の生活の方が長く続くから」


 そう言ったのは母だった。


 私がこの仕事へ移った時だ。


「重たい仕事でしょう」


「普通の郵便よりは」


「泣かれる?」


「よく」


「怒られる?」


「たまに」


「嫌にならない?」


「今のところは」


 母はその時、豆を煮ていた。


 鍋から湯気が上がっていたのを覚えている。


 母は、何か大事な話をする時ほど手を止めなかった。


 私が十二の時に父が家を出た話も、学校を辞めて郵便局へ入ると言った時も、鍋か洗濯物か縫い物がそばにあった。


 気まずい話ほど、手元に仕事が必要な人だった。


     ◇


 母が亡くなったのは、五日前。


 冬の終わりから続いていた熱が、最後まで下がらなかった。


 医者は一か月前には、もう長くないと言っていた。


 だから、急ではなかった。


 急ではなかったから平気、ということでもなかった。


「今日も出るの?」


 葬儀の翌朝、ニールに聞かれた。


「休みは昨日で足りた」


「足りた顔には見えないけど」


「家にいてもやることないし」


「掃除とか」


「母が死ぬ前に全部やってた」


「そういう意味じゃない」


「分かってる」


 働いた。


 家にいると、母の物ばかり目に入った。


 縫いかけの布。

 欠けた湯呑み。

 冬用の毛糸。

 瓶に三分の一だけ残った杏のジャム。


 床板の隅には、母が何度言っても直さなかった小さな焦げ跡がある。


 鍋を置く台を使わず、熱いまま置いたせいだ。


 私は毎回注意した。


 母は毎回、「次から気をつける」と言った。


 結局、そのままだった。


 郵便局なら、少なくとも他人の住所を考えていられる。


 ただ。


 朝六時になるたび、灰色の箱を見た。


 母の名前がないか。


     ◇


 一日目。


 なかった。


 二日目。


 なかった。


 三日目。


 なかった。


 四日目。


 なかった。


 死者が必ず手紙を送るわけではない。


 そんなことは、私が一番よく知っている。


 亡くなった人のうち、七日便が届くのは半分にも満たない。


 理由は分からない。


 伝えたいことがないのか。

 うまく届かないのか。

 死者が書いている、という理解自体が正しいのか。


 学者は百年以上調べている。


 何も分かっていない。


 だから私は、受取人に「死者本人の言葉です」とは言わない。


「差出人欄に、その方のお名前があります」


 いつもそう言う。


 それ以上は言わない。


 母の名前がない朝だけ、その慎重さが少し嫌になった。


 四日目の午後には、受け取りを断った人もいた。


 差出人は、十年以上会っていなかった兄。

 受取人の女性は封筒を一目見るなり、首を横に振った。


「いりません」


「受け取らなくても構いません」


「開けろって言わないの?」


「言いません」


「死んだ人からなのに?」


「それでもです」


 彼女はしばらく封筒を見ていたが、最後まで手を伸ばさなかった。


 私は未交付の記録を書き、そのまま持ち帰った。


 何があったのかは知らない。


 七日便が届けば、必ず救われるわけでもない。

 届いたから許さなければならないわけでもない。


 仕事では分かっている。


 自分の母のことになると、その程度のことまで忘れそうになった。


     ◇


 五日目。


 配達先は、王都西端のパン屋だった。


 差出人は、三日前に亡くなった店主。


 受取人は弟。


「兄貴から?」


「はい」


「今さら何だろうな」


 弟は粉だらけの手を前掛けで拭き、封を切った。


 私は帰ろうとした。


「待って」


「はい?」


「ちょっと、これ」


「内容は読めません」


「違う。聞いてほしい」


 規則では、受取人が自分から話す分には止めない。


 弟は便箋を見ながら言った。


「『裏庭の樽、漬けてあるのは大根じゃなくて靴だから開けるな』」


「……靴?」


「兄貴、何してんだ」


 笑い出した。


 そのあと、急に泣いた。


 笑いながら。


「最後の手紙が靴って」


「そういうこともあります」


「もっと何かあるだろ」


 便箋を裏返す。


「あ。続きある」


 私は視線を外した。


「『あと、お前のパンは焼きすぎだ』」


 また笑った。


 今度は長かった。


 七日便を五年配っていると、立派な遺言より生活の続きを見る方が多い。


 借金帳を置いた場所。

 猫に薬を飲ませる順番。

 謝罪。

 悪口。

 鍋の焦げを落とす方法。


 死ぬ間際まで、人は案外、日常の続きを気にしている。


 だから私は、母からもし手紙が来るなら、もっとどうでもいいことが書いてある気がしていた。


     ◇


 六日目の朝。


 母の名前はなかった。


 私は箱の底まで二回見た。


「イネス」


 ニールが呼ぶ。


「分かってる」


「何も言ってない」


「言おうとしたでしょう」


「今日は仕分け替わろうか、と」


「やらない」


「そう」


 彼はそれ以上言わなかった。


 昼休み、私は屋上でパンを食べた。


 固かった。


 母なら、昨日のパンを食べる時は濡れ布で包んで温めろと言う。


 私はそれをほとんどやらなかった。


 面倒だったから。


 母は毎回、同じことを言った。


 その声だけ妙にはっきり思い出せる。


 最後にまともに何を話したかは、あまり覚えていない。


 亡くなる三日前、薬の時間をめぐって少し言い合いになった。


「もう飲んだ」


「昼の分はまだ」


「飲んだってば」


「数が合わない」


「いちいち数えなくていい」


 母は不機嫌になった。


 私も不機嫌になった。


 結局、薬は飲んでいなかった。


「ほら」


 私が言うと、母は目を逸らした。


「忘れたの」


「だったら最初からそう言って」


「子どもみたいに言わないで」


「子どもみたいなことしてるのはそっちでしょう」


 それが、最後の喧嘩だった。


 翌日には母はほとんど眠っていて、その次の日に亡くなった。


 もっと別の話をしておけばよかった、と考えることはある。


 でも、最後だからといって、人は急に気の利いた会話ができるわけではない。


 母も私も、いつも通りだった。


     ◇


 半年前。


 南港郵便局から異動の打診が来た。


 七日便を扱える配達人が足りないという。


 海沿いの町。


 王都から馬車で四日。


 給金は少し上がる。


 私は行きたかった。


 海を見たことがなかったから。


 でも、その頃には母の熱が続いていた。


 医者へ連れていく日も増えていた。


 だから断った。


 母には言わなかった。


「行きたいけど、あなたが病気だから残る」


 そんな言い方をしたら、母は自分を責める。


 それに、私自身が残ると決めたのだ。


 書類を机の二段目へ入れた。


 そのまま半年。


 六日目の夜、久しぶりに引き出しを開けた。


 募集書類は少し曲がっていた。


「一通くらい書くことなかったの」


 誰もいない部屋で言った。


 母に腹が立っているのか、自分に腹が立っているのか分からなかった。


 台所には杏のジャムが残っている。


 瓶を開けて舐めた。


 甘すぎた。


「甘いんだよ」


 それも、生きているうちには言わなかった。


 言えば機嫌を悪くすると思っていた。


 たぶん、本当に悪くしただろう。


     ◇


 七日目。


 私はいつもより早く局へ着いた。


 五時四十分。


 灰色の箱はまだ空だった。


「早すぎ」


 後ろからニールが来た。


「知ってる」


「六時までは出ないよ」


「知ってる」


「座ったら」


「ここでいい」


 二十分。


 長かった。


 六時。


 箱の底で、紙の擦れる音がした。


 一通。


 二通。


 三通。


 次々と封筒が現れる。


 私たちは毎朝それを見る。


 それでも慣れない。


 最後に、一通だけ遅れて落ちた。


 灰色の封筒。


 宛先。


 イネス・ハルヴァ。


 私。


 差出人。


 マルタ・ハルヴァ。


 母。


「……仕事なんだけど」


 声が出にくかった。


「今日は俺が北区へ行く」


 ニールが言った。


「でも」


「受取人が自分で自分の七日便を配達した記録、作りたくない」


「規則にある?」


「ない。だから作りたくない」


 それらしい理屈だった。


 私は少し笑った。


     ◇


 封を切ったのは、屋上だった。


 便箋は一枚。


 母の字だった。


『イネスへ。


 机の二段目にある南港の紙、勝手に見ました。

 ごめんなさい。


 薬代の領収書をしまう場所がなくて開けました。

 あなたの手紙を探したわけではありません。


 行きたかったんでしょう。


 私が元気だったら、たぶん止めていたと思います。

 四日も離れるのは遠いし、海辺は冬に寒いし、あなたは洗濯物を溜めるから。


 だから、今になって急に「行きなさい」とは書きません。


 残ると決めたのはあなたです。

 でも、助かりました。

 病院も薬も、一人では大変でした。


 あと、杏のジャムは砂糖を入れすぎました。

 私も甘いと思っていました。


 捨ててもいいです。


 南港へ行くなら、強い洗濯ばさみを買った方がいいそうです。

 風が強いと新聞に書いてありました。


 母より』


 私は二回読んだ。


 三回目は途中でやめた。


「ジャム、自覚あったんだ」


 最初に口から出たのは、それだった。


 泣いた。


 でも、ずっとではなかった。


 鼻をかんで、便箋を折った。


 母は最後まで、私より洗濯物の心配をしている。


     ◇


 その日の帰り。


 文具店の前を通った。


 店先に、木製の洗濯ばさみが並んでいた。


 足を止めた。


「丈夫なのはどれですか」


 店主に聞く。


「何に使う?」


「まだ分かりません」


「何だそれ」


 自分でもそう思う。


「風の強いところでも使えるやつ」


「なら、こっち」


 一袋買った。


 家へ戻る。


 台所には、杏のジャムがある。


 母は捨ててもいいと書いていた。


 私は蓋を開けず、そのまま棚へ戻した。


 今日は食べる気がしなかった。


 机の二段目には、半年前の南港郵便局の募集書類が残っている。


 春の募集は、まだ締め切られていない。


 紙を取り出す。


 すぐに応募用紙を書く気にはならなかった。


 代わりに、封筒の横へ置いた。


 洗濯ばさみは机に置く場所がなくて、結局、台所へ持っていった。


 翌朝。


 私は昨日のパンを濡れ布で包んだ。


 温めすぎて、端が少し硬くなった。


 母なら何か言っただろう。


 私はジャムを薄く塗った。


 やっぱり甘かった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、亡くなった人から届く「七日便」を配る郵便局の話です。


最後の言葉だからといって、必ずしも立派な言葉になるわけではなく、

日常の続きのようなものが残る話を書きました。


楽しんでいただけましたら、評価やブックマークで反応をいただけると嬉しいです。


空席あり

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