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前世の妻を自称する存在しない記憶を持ったクラスメイトの女子に付きまとわれてます

作者: むべむべ
掲載日:2026/02/08

 俺の名前は蒼井東あおいあずま

 親元から離れて単身、東京の高校へ通学中のしがない男子高校生だ。

 今日も今日とてアパートから学校へいざ行かんと、オートロックの門扉をくぐる俺を待ち構える人影が一つ。


「おはようダーリン、今日も運気が裸足で逃げだしそうなしけた顔をしてるわね。犬のフンでも踏んづけちゃった?」

「朝一番に見た面がお前だった」

「毎日のことでしょう。それだとあなたは生まれる前からずっと不運続きってことになるけれど?」

「高校生になってからここ数ヶ月だけだよ」

「ずっと前からこうして毎朝顔を合わせていて、変わる理由なんてないでしょうに」


 軽く肩でぶつかってきて、少女は笑みを浮かべた。絹糸のようだともっぱら評判の美しい黒髪が一本、薄桃色の唇に張り付いていることに気がついたのだろう。毛髪を指で取るその仕草すら、どこか心臓を高鳴らせる魔的な魅力を醸し出していた。


 ……ダメだ、こいつにそんなものを感じてはいけない。外見だけは正統派黒髪ロングの美少女だが、中身がアレなのだから。

 正直今にも逃げ出したい気分だが、どうせ追い付かれるのは分かりきっているので諦めていた。

 溜め息を吐いていると、少女は「ちょっと待って」と立ち止まるよう促してきた。


「ネクタイが緩んでいるわよ。まったくあなたときたら、昔からこういうところがだらしないんだから」

「あ、ありがとう……?」

「どういたしまして。……ま、こうやってお世話してあげられるのも、それはそれで嬉しいんだけどね」


 くつくつと笑う表情だけは、野原の片隅で静かに咲くタンポポのようだった。

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、などと美しさをたとえる言葉に花が多い意味を実感と共に理解できた。

 中身まで考慮すれば黒百合の類なんだけども。


「慣れない都会で一人自堕落な生活を送る羽目になりかけてたところ、私という最愛の妻(ソウルメイト)が一緒でよかったわね──愛しの旦那様(マイダーリン)

「…………」


 さて、自らを俺の妻と称するこの女子。名をば西宮朱にしみやあけみと言いける。

 学校でも有名な美少女であり、変人と名の知れたクラスメイトであり、俺の愛妻──。




 を自称する異常者だ。


 いやもうホントなんなのこの人。

 ソウルメイトってなに。検索したら魂の伴侶とか出てきたんだけど。前世からの繋がりがどうたらって出てきたんだけど。こわい。

 俺たち高校からの付き合いのはずなんだけど。

 さも当然のように語られる記憶の数々は、当然俺にとっては存在しない記憶そのものだった。


 なんなら住んでるアパートも教えた覚えはないのにいつの間にか特定されてた。

 朝いつものように学校へ行こうとしたら「おはよう、ダーリン♡」と挨拶された時の驚きはきっと言葉では表しようがないだろう。

 いっそ分かりやすく頭のおかしい精神異常者だったら迷いなく通報できたものを、やたら冷静に狂ってるからどう対応したものか死ぬほど悩む。


 そんな俺を後目に、西宮は通学路のガードレールを指でなぞりながら遠い目をして語り続ける。


「こうして二人並んで歩いてると思い出すわ──大正時代のあの頃を」

「大正」


 また随分と遡ったなぁ。


「あなたってば、あの頃は小説家を志していたわね。お金もないくせに古本ばかり買い漁って、おかげで私は外では女工として働き、家では内職の足袋作りで指先が荒れ放題だったわ」

「前世の俺ヒモじゃん」

「年代相応の言い方としては『ジゴロ』の方が適切ね」

「やかましいわ」

「でも、あなたは毎晩私の指に軟膏を塗ってくれたわね。『ごめんな、必ず大成してみせるからな』って涙ながらに……あの時のあなたの泣き顔は今でも鮮明に思い出せる。情けなくて、愛おしくて」


 遠い目をする彼女の横顔は、朝の光を浴びて神々しいほどに綺麗だった。

 その言葉が真実か虚構かなど、この美貌の前では些細な問題と思えてくるほどだった。いや全っ然些細じゃないけど。


 彼女の語る『俺』は立場は違えど中身の一貫性は意外としっかりしていて、いつもどこか抜けていて、情けなくて、それでも彼女のことを愛していた。設定構築しっかりしてるなぁと思った。

 意外と尽くす女気質なのかもしれない。

 尽くされる側は溜まったもんじゃないけど。


「で、その小説家志望の俺はどうなったんだ?」

「結核で死んだじゃない、忘れたの?」

「ヒモのまま死んじゃったかあ」

「私の腕の中でね。『来世ではもっといい暮らしをさせる』って言い残して。……だから今回の人生には期待しているのよ、ダーリン?」


 西宮は悪戯っぽく微笑み、俺の腕に自身のそれを絡めてくる。柔らかい感触と石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。

 すれ違う男子生徒からの「爆発しろ」という視線が痛い。俺だって爆発できるものならしたい。この奇妙な状況ごと。爆発オチ最高。


 西宮朱は入学当初こそ多くの男子生徒から告白されていた。廊下ですれ違いざまに一目惚れは当たり前。校舎裏に呼び出され、あるいは下駄箱にラブレターを入れられ、しかし彼女はその全てを冷徹に断ち切ってきた。


『魂の色が違う。不合格』


 本人曰く、そんな中二病全開の断り文句と共に。

 当然、そんなことを繰り返せば周囲からは「高慢だ」「変人だ」と距離を置かれるようになる。

 彼女はクラスでも孤高の存在となりつつあった。

 ──俺に付きまとうようになるまでは。


「ねえねえ、妻とか夫とか言ってるけどまだ高校生でしょ? さすがに結婚してるわけじゃないよね?」

「そこのところは説明が難しいから、許嫁や婚約者とでも思ってちょうだい」


 かつて西宮が勝手にそう答えて、女子の黄色い声が教室中で上がったことを思い出す。

 説明が難しいのだけは同意する。前世の妻を自称する謎のクラスメイトなんて誰が言えようか。


「このご時世に許嫁って、やるなぁ」

「頭おかしい女と思ってたけど、婚約者がいるならあの塩対応にも納得だな。ちょっと不思議ちゃん入ってたけど」


 大丈夫。今もバリバリ頭おかしいし不思議ちゃん成分100%で構成されてるから。

 そう心の中で返したのは、つい一月前のことだった。

 


 さて昼休み。

 俺が購買のパンで済ませようとしていると、当然のように朱が机をくっつけてくる。その手には不釣り合いなほど家庭的な風呂敷包み。


「一応聞くけど、それ俺の?」

「当然。夫のお弁当を用意するのは妻の役目、でしょう?」


 茶目っ気あふれるウインクは、年頃の男子高校生に恋心を抱かせるには十分な魅力を放っていた。中身の実態を知らなければの話だが。

 どうせ言っても聞かないので、大人しく西宮手製のお弁当をいただかせてもらうことにした。


「はい、あーん」

「や、自分で食うって……!」

「なに、今更照れるような仲でもあるまいし」

「照れるべき仲でしょうがっ」


 知り合って半年も経ってないんだよっ。


「つれないわねえ。せっかくあなたの好物ばかり入れたのに」


 広げられた弁当箱の中身を見て、俺は息を呑んだ。だし巻き玉子、きんぴらごぼう、そして少し焦げ目のついたハンバーグ。

 どれも俺が「好きだ」と公言したことのないものばかりだ。特にこのハンバーグの焦げ具合は実家の母が作るそれに酷似している。


「なんで俺の好物知ってるの」

「前世を含めればどれだけ一緒にいると思ってるの? あなたの味覚なんて自分のそれより熟知しているわ」


 彼女は得意げに胸を張る。偶然の一致にしては出来過ぎている。だが情報収集でどうにかなるレベルでもない。実家の母のハンバーグの焦げ加減なんて俺しか知らないはずだ。母自身もそんな意識して作ってないだろうし。


「毒は入ってないから安心して。戦国時代じゃないんだから、誰もあなたの命を狙ったりしないわ」


 大正時代だけじゃないんだ。


「……いただきます」


 観念して箸を伸ばす。口に入れた瞬間に懐かしさが口いっぱいに広がった。

 美味い。悔しいけどとてつもなく美味い。

 胃袋を掴まれるとはこのことか。前世云々はともかく料理の腕はプロ級だ。


「お味はいかが?」

「……おいしい」

「ふふ、素直でよろしい。あなたのそういう素直なところ、昔から大好きよ」


 西宮は頬杖をつき、愛おしそうに俺が食べる姿を見つめる。その視線の熱量に居心地の悪さを感じながらも、箸を止めることはできなかった。


 その顔は悔しいほどに整っている。

 長い睫毛、透き通るような白い肌、悪戯っぽく輝く大きな瞳。黙っていれば間違いなく学園一の美少女だ。

 この顔で、この距離感で迫られて落ちない男子はいないだろう。俺だってもし彼女が「普通の」女子だったらとっくに陥落していたかもしれない。


 だが俺の本能が『逃げろ』と警鐘を鳴らす。

 冷静に考えてみてほしい。

 どれだけ顔が良くて気立が良くても、前世からの妻を自称するのはヤバいやつだ。


 ふと、彼女の視線が窓の外に向けられた。

 つられて俺もそちらを見る。初夏の空はどこまでも青く、雲ひとつない快晴だ。


「……雨が降るわね」

「え? 天気予報じゃ晴れだったけど」

「狐の嫁入りよ。通り雨が来るわ。……あなた、傘持ってないでしょう?」

「持ってないけど、こんな天気で降るわけ――」


 ザァァァァッ!!


 俺の言葉を遮るように、突然の激しい雨音が校舎を叩いた。教室中がざわめく。「うわ、ゲリラ豪雨?」「すぐ止んでくれよなー」俺は呆然と窓の外を見つめ、それから恐る恐る西宮を見た。

 彼女は涼しい顔でお茶を啜っていた。


「言ったでしょう。私には分かるの」

「……嫁入り繋がりで?」

「そのつまらない駄洒落のセンスは前世の時からどうかと思うわ」

「う、うるさいなぁ」

「前世の勘よ。あの時もそうだったわ。雨宿りに立ち寄った茶屋で、私たちは初めての口づけを交わしたの」

「隙あらば捏造エピソードをねじ込むのやめよ?」


 本当に訳の分からない女子だった。



 彼女と最初に出会ったのは四月、入学式のホームルームだった。地方出身者特有の緊張でカチコチになっていた俺の隣に西宮朱は座っていた。

 一目でわかる異彩のオーラ。彼女は既に「深窓の令嬢」「高嶺の花」と囁かれていた。

 まあそんな評判も普段の生活態度で粉微塵に消し飛んでいったわけだが。


「私はね、好意を表明してくれた相手には真摯に向き合ってあげることにしてるの。好きと伝えるのは相応に勇気がいる行為でしょう、その分に報いてあげるくらいの度量は持ち合わせてるつもりよ」


 とは本人の弁だ。

 まあそれでお試しにデートとしゃれこんだものの開始五分で不合格の烙印を押すことも珍しくなかったらしい。

 そして彼女は一度退屈だと判断した人間には男女問わず無感情に接する。

 そのせいでお高く止まってるだのなんだのと言われて高嶺の花から魔界の食人植物くらいの扱いになっていったわけだが。


 俺はというと「都会には怖い女性がいるんだなぁ」と一歩引いた目線で見ていた。

 異性として魅力的だとは思うが、そんなことより慣れない都会の生活に適応することでいっぱいいっぱいだったからだ。

 ただその確固とした芯のある在り方は、人として綺麗だなぁと思っていたけど。


 そんなある日、校舎の探検をしていると人気のない体育館裏で野太い男の怒声が聞こえてきた。

 何かあったのか。急いで様子を見に行くと、そこには西宮と複数人の男たちの姿があった。

 

「ふざけんなよ、このアマ!」


 明確な敵意と、暴力の気配を孕んだ声だった。


「この俺をコケにしやがって……! 俺のどこが退屈だってんだ、言ってみやがれ!?」

「魂そのもの。より具体的に言ってあげるなら自分を客観的に見ることができない愚鈍な精神性を含めた全て」

「テメェ……!」


 そこには三人の男子生徒に囲まれて壁際に追い詰められた西宮の姿があった。

 中心にいるのは大柄な体格の男子だ。なにかスポーツでもやっているのか、筋肉質なのが見て取れる。

 絶体絶命の状況で、それでも西宮は余裕の無表情を貫いていた。


「可哀想に。当て馬にすらなれない三下役なんて死んだ方がマシな惨めさだわ」

「口の減らねえ女だ……! 顔だけはいいから少し遊んでやろうと思ったが、教育が必要みたいだな」


 男が拳を振り上げる。相手はガタイもいい。女子の西宮にはひとたまりもない威力の打撃だ。

 それでも彼女は動じない。なにか大丈夫な理由があるのかもしれない。でもそれは、俺が今ここで見捨てていい理由にはならない。


「待った!」


 俺は叫びながら飛び出していた。男たちが驚いて振り返る。その隙に男と西宮の間に割って入った。


「何があったか分からんけど、一人の女の子を寄ってたかってイジメるのはダメだろ。一旦落ち着けって、な?」

「あぁ!? ンだテメェ、関係ねぇならすっこんでろや!」

「そうよ。痛い目にあいたくなければ消えなさい」

「前後どっちも敵に回ったかぁ……!」


 前門の虎、後門の狼とはまさにこのことか。


「一応助けに入った形なわけだし、せめてそっちは味方してくれてもいいんじゃない!?」

「三つ巴か。少し面倒ね」

「戦る気満々だった……!」

「3vs1vs1だぜ、勝ち目があると思うなよ」

「そっちもナチュラルに受け入れてるのか……!」


 3vs2のつもりなのは俺だけなのか。

 ええいこうなったらヤケだ。誰がなんと言おうと西宮の味方として男三人相手に立ち向かってやる。


『うおおおおおおおお!!!!!!!』


 俺の勇気が世界を救うと信じて──!


 結果。


「で、最後に立っていたのは私だけ。ヒーロー気取りで助けに入った結果がこれなんて、一生にそう何度もない経験よ。誇るといいわ」

「……くそう」

「素直に悔しがるところは可愛いわね」


 男四人が地に伏していた。

 三人分の打撃がなぜか全部俺に飛んできた。そのせいでこのザマだ。

 俺はRPGのタンク役じゃないんだぞ。

 ……まあでも、西宮が傷一つ負わなかったのは文字通り怪我の功名だったかもしれない。

 いやでもやっぱり違うかも。


「ほら、手を貸してあげるから立ちなさいな」

「あんがと……」


 助けようとした相手の肩を借りるなんて恥ずかしいにも程がある。穴があったら入りたい。


「貴方、名前は?」

「……蒼井東あおいあずま……」

「ふうん、そう。蒼井東、貴方に一つ質問するわ。どうして私を助けようとしたの? 正義感? それとも私への好意故?」


 何故。理由を問われて少し固まる。

 改めて聞かれるとなんでだろ。別にイジメを絶対に見過ごせないってタイプじゃない。や、そもそもこれまでこういう場面に出くわしたこともないんだけど。

 できることなら助けたいとは思うけど、できないなら他人に助けを求めるべきだし、実際いつもならそうしたと思う。

 それがどうして無謀にも間に割って入ったのか。


「別に正義感とか好意とかじゃない。好みのタイプとも違うし。けどそうだなあ……あんたの揺るがない精神性は綺麗だと思うから、変にケチつけられたら嫌だなぁ、みたいな……」


 自分でも言っててよく分からなくなってきた。

 精神性、魂、うーん……ああそうだ。


「魂の色が好きだから、かな」

「────」


 人間性はどうかと思うが、その在り方は好きだ。

 だから咄嗟に足が動いてしまった。

 なんか詩的というかポエミーな表現になっちゃったけど、それが一番本音に近い言葉だった。


 また辛辣な言葉で返されそうだ。

 そう思ったのに、西宮の様子が変だった。


「ああ……そうだったのね」


 彼女は目を見開いたかと思うと、フッと力を抜いたように顔を綻ばせ、細む瞳で微笑んだ。

 そして傷だらけの俺を抱きしめると、途轍もない重さの感情を込めてそうな語調で言ったのだ。


「どうやら、あなたが私の旦那様ダーリンだったようね……」

「俺の名前も知らなかったのに……?」


 それから俺は前世の妻(ソウルメイト)を自称する彼女の旦那様ダーリンとなった。なってしまった。



 あれから天気は崩れていって、放課後になっても雨は止まなかった。

 予報外れの雨に昇降口は帰宅難民の生徒たちで溢れかえっている。俺もその一人として途方に暮れていると、背後からスッと傘が差し出された。


「相合傘、しましょ?」


 西宮だ。ビニール傘ではなく、和柄の落ち着いた色合いの傘を持っている。


「用意いいんだな」

「妻ですもの」


 妻なら仕方ない。わけがないけどツッコんでもキリがないので考えないようにした。


「懐かしいわね。篠つく雨の音、肌寒さと粘り気のある暑さ、そして傍に感じるあなたの体温……」

「大丈夫? そっち肩濡れてない?」

「ええ。ちゃんと二人が密着すれば問題なく入れる大きさの傘だから大丈夫」


 前世トークにもいちいち反応してたらキリがないので触れずに流していく。

 彼女と交流を持って一、二ヶ月そこらだが、ようやく扱い方が分かってきた気がする。

 果たしてこの慣れが俺にとっていいものなのかは別として。


 雨を口実に密着して相合傘に入るバカップル。

 今の俺たちを周囲が見れば、間違いなくそんな感想を抱くんだろう。甚だ不本意だけど。

 

「そこのバカップル二人。ちょーっと俺らに付き合ってくれると嬉しいんだけどなぁ?」


 まさしく俺の予想を裏付けるような言葉が謎の男子学生の集団からかけられ──あれ、なんか人数多いぞ。


「随分幸せそうじゃねぇか西宮、俺らのことは手酷くフッてくれやがった癖によぉ」

「……はあ、まったく。夫婦水入らずの逢瀬に無粋な連中ね。男の逆恨みは醜いわよ」

「ハ、相変わらず威勢はいいな。だがこの数を見てもまだ余裕ぶった面を保ってられるかな!?」


 どうやら西宮にフラれた男子の集団らしい。

 見れば西宮に目をつけられるキッカケになったズッコケ三人組の姿もあった。

 そんな逆恨み軍団が十数名、前後左右を囲うように俺たちを囲っていた。

 こんな一昔前の漫画みたいな展開が現代にあるなんて。都会怖ぇ。


「許さねぇぞ、よくも俺たちをコケにしてくれたな……! ぶっ殺してやる……!!」

「流石にこの数は面倒ね……まずいわ」

「大変だな西宮」


 だが彼らは西宮を狙ってやってきた集まりだ。前世の因縁とやらで妻を自称されているだけの被害者である俺にはなんら関係ない。

 例の男三人組も、結局俺は殴られる一方で顎にエグい拳を叩き込んで倒したのは西宮だった。

 まあなんとか逃げる手助けくらいはするつもりだが、これに懲りたら他人にもっと穏和な態度で接することだな──。


「ぶっ殺してやるぞ蒼井東!」

「えっ」


 えっ。

 ……な、なんで俺なのん?


「許嫁のご身分で俺らのことを上から笑ってやがったんだろ! ふざけやがって!」

「なにが3vs1vs1だ! 3vs2だったんじゃねぇか!」


 俺はちゃんと最初からそのつもりだったよ。

 でもそうか、周りからするとそういう繋がり方になるのか。納得納得。


「納得できない……!」

「この絶体絶命の窮地。前世を思い出すわね、旦那様ダーリン

「前世っていつの」

「平成初期くらいかしら」

「割と最近じゃん……」


 親くらいの世代だった。


 しかし本当にどうしたものか。

 十数人が周りを囲んでいる以上、一点を突破して切り抜けるにしても無傷で逃げ切るのは難しい。必ず誰かが傷つく羽目になる。

 それを西宮に任せるのは流石に心苦しい。

 仕方ない。ここは俺が盾となって先陣を、


旦那様ダーリン

「なんだよ」

「一人で行こうとしないで。私たちはずっと昔から、いつでも二人で一つだった。そうでしょ?」

「こんな時までなにを──」


 馬鹿なことを。そう継ごうとした二の句は寸前でピタリと止まった。

 彼女の深い射干玉の瞳が何かを訴えていた。

 二人の間に言葉はいらない。何をすべきかは俺の魂が知っている。そう言わんばかりに。


 分かるはずがない。

 分かるはずがない、のに。

 なんでか、西宮の考えが分かってしまった。


「……合図は?」

「それこそ無粋ね」


 深く溜め息を吐く。

 こうなってしまったものは仕方ない。

 俺は徹頭徹尾被害者な気もするけど、事情を話して分かってくれる相手でもないし。

 雨に濡れるのは嫌だけど、やるしかないか。


「──っし」


 相手の人数は全部で十五名。

 四方を四人×3と三人に分かれて囲っているうち、三人の方目掛けて走り出す。

 例のズッコケ三人組だ。


「馬鹿が、真っ向勝負のつもりか!?」

「返り討ちにしたらぁ!」

「んなつもりねぇ、よ!」


 相手との距離が一メートルほどにまで近づいた瞬間、開いた状態の傘を薙ぎ払う。

 一瞬だけ相手の視界が塞がる。ここだ。


「今だ、西宮ハニー

「ええ、旦那様ダーリン


 言葉と同時に、腰をかがめた。


「邪魔くせぇ! ……あ!? 西宮がいねぇ!?」

「あいつどこに!?」

「ここよ」

「後ろ!? いつのま──にぃ!?」


 直後、相手の視点からするといつの間にか背後に回っていた西宮が男子三人の足を低い姿勢の回し蹴りで刈り取る。

 膝カックンに近い形で決まったせいで耐えられなかったのだろう。無様に尻餅をついたところを、腰を落とした体勢の俺がタックルを決める。


「ぐほぉ!?」

「よし、このまま逃げるぞ!」

「あら、抱っこしてくれないの?」

「そんな余裕ねぇ!」


 そのまま全速力で逃げる。

 あの数相手に真正面からは負け確だ。

 十分距離をあけて撒いたことを確認すると、近くにあった店の屋根の下で息を整えた。


「流石愛しの旦那様(マイダーリン)、私の意図を汲み取ってくれた」


 あの時、俺がやったのは単純だ。

 相手の視界を傘で塞いだ瞬間、腰をかがめて西宮が三人の頭上を飛び越すための踏み台となった。

 そうして男子連中の背後に回った西宮はそのまま奴らの足を蹴り、踏み台として腰を低く落としていた俺はその体勢のままタックルを決められた。


「前世からの愛の勝利ね」

「そうかなぁ」

「さっきハニーって呼んでくれたじゃない」

「うぐ」


 あれはつい咄嗟にテンションの高まりで出てしまった言葉であってそれ以上でもそれ以下でもないんだけど釈明しても受け流されそう。

 ……甘んじて受け入れよう。若さゆえの過ちを。

 

「いざという時、あなたは決して私を見捨てない。それでこそ私の惚れた男よ」

「…………」


 単純に、女の子一人を見捨てるようなクズにはなりたくないっていうのも大きい。

 ただそれを差し引いても。


 すんごく認めたくないけど。

 上京してまだ半年も経っていない中で、俺にとっての高校生活はもはや西宮といる時間の方が長かった。彼女といる時間が、俺にとっての日常となりつつあった。

 だから、見捨てるという選択肢自体がなかった。


「ほら見て、あなた。雨が上がってきたわ」

「そうだな」

「懐かしい。大正の茶屋を思い出すわ。あの時も今みたいに丁度雨が止んで……」


 また前世エピソードか。

 呆れて息を吐こうとした、その瞬間だった。


 ──突如脳内に溢れ出した、存在しない記憶。



 初めての口付けを交わす二人。

 柔らかい唇の感触。

 名残惜しそうに離れていく潤んだ瞳。

 赤く染まる頬に、はにかむ笑顔。

 夜空に咲く花火よりも高鳴る鼓動。


 晴れた雲間にかかる一筋の──、



「「虹が見えた」」


 あれ、なんだ今の光景。

 おかしいな。絶対に見た覚えのない景色が急に脳内に湧いて出てきた。

 そして同時に嫌な予感がする。

 恐る恐る西宮の方を見ると、彼女はとんでもなく嬉しそうな表情をしていた。


「……言い訳してもいい?」

「今さら言葉なんて。私とあなたの仲じゃない」


 もうダメだ、おしまいだぁ。

 なんだよさっきの光景。俺あんなの知らねぇよ。

 なのに妙に実感のある記憶だった。

 本当に前世の記憶だって言われたら信じちゃいそうなくらいに生々しかった。

 俺はもうダメなのかもしれない。

 知らない間に西宮の色に染められていたんだ。


「ほら、雨でずぶ濡れだし、このままじゃ風邪をひいちゃうわ。早く二人の愛の巣に帰ってお風呂に入りましょう」

「俺ん家を愛の巣っていうのやめよ?」


 至極真っ当なツッコミは華麗にスルーされ、西宮は俺の腕に抱きついてきた。

 そして黒曜石のような瞳を潤ませると、心の底から幸せそうな笑顔で言った。


「これからもよろしくね、旦那様ダーリン♡」

「……もうそれでいいよ」

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