7話 ざわめく一日
──四月も半ばを過ぎて。
授業やクラスの雰囲気にも少しずつ慣れてきた。
それでも「遅れないように」と、プリントを胸に抱えた足取りは、どこか急いてしまう。
──移動教室の廊下。
チャイムが鳴り終わったばかりで、生徒たちの足音と声が入り混じっている。
その中で、抱えていたプリントの束から、一枚がひらりと落ちた。
「あっ……!」
しゃがもうとした瞬間、横から伸びた手が先に拾う。
「ドジだな、翠ちゃん」
振り返れば、大和くんがにかっと笑って立っていた。
「……ありがとう」
少し気恥ずかしくなりながらも受け取る。
大和くんはそのまま当然のように隣に並んで歩いていく。
「次の教室、こっちだろ? 一緒に行こう?」
「う、うん……」
何でもないやり取りなのに、肩が自然に軽くなった。
でも、その距離感の近さに、少しだけ落ち着かなくなる。
──その時。
別の校舎の窓からこちらを眺めていた煌大の視線が、ふと止まった。
片手で鞄を持ちながら寄りかかる姿は、いつも通りの余裕に見える。
けれど、その瞳の奥ではわずかな揺らぎが生まれていた。
翠は気づかない。
ただプリントを胸に抱きしめ、何も知らないまま歩き続ける。
その一瞬の違和感だけが、空気の隙間に取り残されていた。
⸻
──昼休み。食堂横の自販機。
財布をガサガサ探すけれど、小銭がなかなか見つからない。
スマホ決済もまだ登録してなくて、焦っていると――
「ほら、俺が出しとくって」
大和くんが自分のスマホをかざして、ピッと音が鳴った。
「えっ!? だ、だめだよ!」
慌てて止めようとする私に、大和くんは得意げに笑う。
「じゃあ次、なんか奢って。約束な?」
「も〜、ほんと調子いいんだから」
笑いながら返す私。
胸の奥が少しあたたかくなる。
そのやり取りを、後ろから明るい声が遮った。
「相変わらず仲いいね、二人」
振り返れば、美月先輩と、その隣に結城先輩。
「えっ!? そ、そんなことないです!」
慌てて否定する私の横で、大和くんはにやっと笑って、
「そうなんです、めちゃ仲良いんです、俺たち」
結城先輩は何も言わず、表情を変えなかった。
けれど、その瞳の奥ではわずかな揺らぎが生まれていた。
翠は気づかない。
ただ胸の奥に、説明できないざわめきだけを残していた。
⸻
──放課後の帰り道。
校門を出ると、自然に大和くんが隣に並んだ。
「翠ちゃんみっけ~! 一緒に帰ろ!」
「うん、いいけど……」
「やっぱ翠ちゃんといると落ち着くわ」
あまりに自然に言うから、思わず吹き出した。
「なにそれ〜。冗談でしょ?」
「本気だって」
真剣な瞳。
私は笑いながら受け流すしかなかった。
胸の奥に小さな違和感を残したまま。
──その時。
前方から自転車を押しながら歩いてくる結城先輩の姿。
ちらりとこちらを見て、低い声で言った。
「……大和、マネージャー困らせんなよ」
「え、困らせてませんよ!な、翠ちゃん?」
「えっ!? べ、別に……」
しどろもどろに答える私。
守られたような気がして、でも胸は落ち着かない。
大和くんは得意げに笑うけど、結城先輩は片眉を上げてにやりと笑った。
「そうか。ならいいけどな」
いつもの余裕をまとった声音。
けれどその奥に、ほんの少し違う色が混じっている気がした。
──その直後。
「煌大〜! あ、やっぱりいた!」
軽やかな声が響く。
振り向けば、美月先輩が駆け寄ってくる。
「一緒に帰ろ」
美月先輩が、当然のように結城先輩の隣に並ぶ。
結城先輩は一瞬こちらを見てから、何でもないように「行くか」とだけ言って歩き出した。
その横顔を見た瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。
けれどその理由を、自分でもうまく言葉にできなかった。
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