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「なぁ、一発ぐらいいいだろ~? お願いだからさ~」
MPPの社長室に、若い女性の声が響き渡っていく。よく見ると、その女性は紫色の乱れたショートヘアーを震わせながら、周囲に向けてなにかを訴えかけていた。
「ダメだ、今は我慢しろ。それとも、レイコ。お前、テロの実行前に禁断症状を抑える処方をしておけという、ルキ様のご命令を忘れたのか?」
その『レイコ』と呼ばれた女性に対し、一人の男性が注意をしてきた。スキンヘッドにサングラスという姿を持つその男性は、レイコと異なり、終始冷静に振る舞おうと努めている様子が見て取れた。
「うっさい、ケイスケ! 大体、この頭の端末がやかましいんだよ! あぁ、いつもいつも……!」
「その端末で辛い思いをしているのはお前だけじゃない。この「UMBRA」のメンバーの多くが、お前と同じ症状を持っているんだ」
「んなの、分かっているけどさ~。はぁ、もう、汗でビショビショ。脱いでもいい?」
自分ではどうにもならない苛立ちを感じながら、レイコは服を脱ぎ出そうとした。しかし、それを『ケイスケ』を名乗る男性が慌てて制した。
「やめろ、レイコ。誰が好き好んで、まともじゃない女の裸などに興味を持つ?」
「あぁっ? そうだよ、私はとっくにまともじゃないんだよ! それもこれも、全部このクソ端末のせいだ! 本当にクソだなっ! 早く取り外してくれ! このままじゃ、私、本当に……」
ケイスケがどうにかしてレイコを落ち着かせようとするが、レイコを襲う苦痛は、それだけで精神がおかしくなってしまうほどのレベルとなっていた。
「いい加減にしろ、白川。これが終わったら解放してやるって、ルキ様も言ってたじゃないか」
「ハッ、実際どうだか。私はルキのこと、全部信じているわけじゃないんだからな」
別の「UMBRA」のメンバーと思われる男性が、ケイスケと共にレイコをなだめようとするが、それでもレイコの苛立ちは止まらなかった。
……そんなやり取りを、少し離れた場所から見守っている、一人の少女の姿があった。
「……これでいいんだよね……。これで、みんな私の苦しみを知ることができる。そうすれば、きっと……」
透き通るような白い髪を持つ、その少女のすぐ横には、ある一体のスーツ型端末が鎮座していた。彼らの喧嘩混じりのやり取りを見ながら、少女の瞳にははどことなく切なげな色合いが浮かんでいた。
振り返ってみれば、私の人生は、どうにも幸せだとは言えないものだった。
私の母さんは、その世界では名の知れた端末エンジニアであり、業界関係者ならば「三島ハルコ」の名を知らない者はいないとまで言われるほどの有名人だった。
だけど、私は父さんの顔を知らない。母さんは、父さんは私が産まれてすぐにどこかへ行ってしまった、と言っていた。
だから、私にとって親と呼べるのは母さんだけだった。母さんは、それっきり父さんのことを口にしなかったけれど、ずっと一人で私の面倒を見てくれていたことは、今でも感謝している。
どんなに仕事が忙しくても、必ず家に帰って夕飯を作ってくれていたし、私の誕生日には、わずかな時間を割いてパーティーを開いてくれていた。
「聞いて、ルキ。もうすぐ新しい端末が完成するのよ」
だけど、そんな生活は、ある日を境に突然変貌を遂げた。
母さんが働いていた研究所が、MPPと合併することが決定した。以前から母さんの技術力の高さを評価していたMPPは、母さんに破格の待遇を約束する形で、研究所を丸ごと吸収した。
その後、母さんは新しいプロジェクトのチーフエンジニアに就任した。
そのプロジェクトは「脊髄インプラント型端末」という、次世代の新たな端末技術と謳われていたものだった。
いくつかの動物実験を経て、いよいよ人体への移植手術を行う段階に移行した。そこで、母さんは自ら実験台となり、手術を受けることになった。
「平気よ、ルキ。少し痛いかもしれないけど……」
手術室に向かう母さんの自信に満ちた笑顔。それが、私の記憶に残っている、母さんの最後の表情だった。
私は、母さんの身に起こったことがどうしても信じられなかった。医者は「未知の副作用です」と言っていたけど、私には医者が嘘を言っているようにしか思えなかった。
新しい技術の開発に犠牲は付きものである。エンジニアを母に持つ娘として、そのことは理解していたつもりだった。
だけど、実際に母さんがその犠牲になったという現実を突き付けられると、何故母さんでなければならなかったのかと、疑問が募るばかりだった。
その後、私の元に、一人の男性がやってきた。『朝霧ソウジ』と名乗るその男性は、初対面の日、微笑みながらこう言った。
「今日から、私が君のお父さんだよ」
私はその笑顔に、親しみよりも不気味さを強く感じた。MPP側が提案した「保護者としてふさわしい男性」ということだったが、その不気味さはすぐに恐怖へと変わっていった。
ソウジは、事あるごとに私に付きまとっていった。養父という立場を利用し、私にやりたい放題してくるその様子は、明らかに養父のそれとは思えなかった。
私にとって一番恐ろしかったのは、ソウジがお風呂場で毎晩のように私に乱暴を働くことだった。
怖いと知りながら、逃げられない現実。この記憶を全て私の頭の中から消し去ることができたら、どれほど楽になれるだろうと、私は思わずにはいられなかった。
「……どうして……、どうして、私ばかり……」
自慢だった私の黒い髪も、いつしか真っ白になってしまい、瞳には常に血走っている様子が浮かんでいた。そして、色彩を失った髪の毛と同じように、私も感情をなくしてしまっていた。
今日も、ソウジによる養父の立場を利用した乱暴行為が繰り返されていた。私は、さすがにこれ以上は耐えられないと思い、ソウジにもう止めてほしいと反論した。
「あぁっ? ふざけるなよ! メシを食わせてもらっておいて、口答えするんじゃねぇ! お前みたいな子供は、どうせどこに行っても役立たずなんだからな!」
だけど、ソウジは私の反論に逆上し、さらに酷い乱暴行為に及ぼうとしていた。
もう、無理だ。このままこの世から消えてしまいたい。全てをなかったことにしてしまいたい。
「……ん? なんだ、お前たちは……、なっ!」
しかし、私の恐怖は、ソウジの悲鳴によって別の感情へとすり替わっていった。私の目の前で、ソウジが力なく倒れ込み、代わりに現れたのはどこかの部隊と思われる武装した人たちだった。
「あっ、やっぱり情報の通りだったね。キミ、大丈夫~?」
「やはりケガをしているな。しかもかなり酷い。おい! 大至急この子の手当をしろ!」
その部隊の中で、私に駆け寄ってきたのは美しい紫色のロングヘアーを持つ女性と、凛々しい印象を演出する短髪にサングラス姿の男性だった。
私は訳が分からないまま、この二人に身柄を預けられることになった。ソウジの恐怖から逃れることができたのは嬉しかったけど、あまりに突然の事実を前に、どうしてこのようなことになったのか、すぐには理解することができなかった。
その後、その二人の男女から、色々と話を聞くことができた。
彼らは「UMBRA」を名乗る組織のメンバーだった。彼らは「反端末・反電波」を掲げ、この世界から全ての端末と電波を消し去ることを活動目的としていた。
彼らが私を保護したのは、ソウジが彼らと敵対しているMPPの関係者であり、かねてより行動を監視していた結果、私に乱暴行為を繰り返していたことが判明したからだった。
その後、UMBRAに保護された私は、ここを自分の新たな居場所に定めていた。
彼らが掲げる「反端末・反電波」という思想は、私から母さんを奪った元凶そのものに対する反抗の意思表示であり、それを消し去るという目標もまた、私をこの苦しみから救ってくれる、希望の種だった。
「いやぁ、ルキも随分成長したね。いつの間にか、私たちのリーダーにまでなっちゃうんだからさ」
「そうだな。もう俺たちはルキのことをルキ『様』と呼ばなければならないんだからな」
やがて、私はこの組織のリーダーに抜擢された。母さんを奪われ、ソウジから繰り返し受けてきた数々の乱暴行為。その中で、私は人間を「信じる」のではなく、「利用する」術を身に付けていた。
彼らも、全員が私を信頼して付いてきてくれているわけではない。彼らも私を利用して自分の目的を果たそうとしている。その意味では、お互い同じ穴の狢でしかなかった。
「……みんな、いよいよこの時が来たわ。私たちの理想の世界を、今こそ実現させる。この世界から全ての端末と電波を消滅させ、私たちの手で新しい秩序を作り上げるのよ」
私は密かに進めていた計画を、ついに実行に移す時が来たと確信した。これで、世界の全てが変わる。私を苦しめた全ての元凶である、端末と電波をこの世から完全に消滅させる。
その目的を果たすためならば、私はどんな犠牲を払っても構わない。それが、この世界に対する、私なりの復讐の方法なのだから。