死ぬまでずっと
小学校の頃は、ほぼ毎日の夜を祖父母の家で過ごした。家は実家から歩いて30秒ほどの近所で、2人は2階建ての長屋を借家して住んでいた。
祖父母の家で起きてパジャマのまま実家へ行き、朝食を食べて着替えをして学校へ行って、帰ると宿題と夕飯を済ませて寝支度を終わらせるとそのまま祖父母の家に行った。
実家には自分の部屋もあったし、ベッドも用意してくれていたけど、あたしは風邪を引いた時くらいしか使用しなかった。
夜、祖父母の家に行くと2人はニコニコしてあたしを迎え入れてくれた。3人でちゃぶ台を囲んでサスペンス劇場を見たり、トランプやお絵描きをして遊んだ。
実家ではジュースなんて飲むのは何か特別なことがあった時だけだったけど、それを知っていたのか祖母はいつも冷蔵庫に炭酸ジュースを用意してくれていた。あたしはそれを飲んでプロセスチーズを一欠片食べるのが夜の慣わしだった。祖父も祖母も、喜んでるあたしを見ていつも優しく笑っていた。
22時を過ぎるとあたし以外の2人がちゃぶ台を動かして、そこに布団を敷き、川の字になって寝た。
寝る時はよくしりとりをした。
2人が暗がりの中、小さな灯りをつけて小説を読んでいる時は、あたしも真似をして祖父の好きな4コマ漫画を読んだ。その漫画の主人公はサラリーマンで、とても子どもが読むには渋すぎる内容だった。
祖母からはあやとりやお手玉を教わった。古き良き時代の典型のような考え方の祖母は常に祖父の後ろを歩き、近所付き合いも程々にしていた。だから、祖母が誰かと話し込んでいたり、どこかへ食事に行くというのをほとんど見たことはなかった。ただ歌は好きだったようで、よくあたしに昭和の歌姫の曲を歌ってくれた。
祖父は賭け事が好きだった。あたしが生まれた頃にはもうお金を賭けるようなことは滅多にしていなかった。祖母曰く“賭けることよりも友達とワイワイ遊ぶのが好きなだけ”だったみたいだ。
そんな祖父からはトランプゲームや将棋や麻雀を教わった。将棋は駒の動かし方を覚えたくらいで全く上達しなかった。麻雀は楽しく感じたりしたけど、準備に時間や労力がかかるので、実際はほとんどトランプゲームばかりしていた。
始めはババ抜きや神経衰弱をしていたけれど、あたしがポーカーを気に入ったことを知って、祖父はあたしに“おいちょかぶ”を教えた。3人でできることと、カードをめくるハラハラ感を気に入って、よく3人でマッチ棒をお金に見立てておいちょかぶをした。
トータルで負けたあたしが膨れると祖父はすぐに“こっち来い”と言って抱きしめてくれた。
逆に勝つと祖父は嬉しそうに“負けたー”と言って財布から100円をくれた。あたしは祖父からもらったお金を“へそくり”と称して猫型ロボットのガマ口財布の中に入れて祖母に管理してもらっていた。そのお金は毎年敬老の日や祖父母の誕生日に全額取り出して2人へのプレゼントを買った。
小2の頃、携帯育成ゲーム機が大流行した。周りの友達はほとんどそれを持っていた。あたしの親は当然買ってくれることはなくて、祖父母に相談した。2人は笑顔で首を縦に振った。
翌日祖母はあたしに紙に包まれたそれを渡した。包み紙を開けると、流行していたゲームとは違っていて、それに似せられた別のゲーム機だった。本来なら可愛いキャラがいっぱいのゲーム機のはずだったのに、その偽物のゲーム機に出てくるのは全て恐竜だった。
全然可愛さを感じないそのゲーム機を買ってきた祖母にあたしは怒った。そして泣いた。祖母は慌ててあたしに何度も謝って、親に隠れて祖母にゲーム機をねだった挙句ワガママを言うあたしを母は怒鳴った。
翌日からそのゲームを始めた。周りの友達には恥ずかしくてゲーム機を買ってもらったことを言えなかった。でも割と楽しかった。祖母はゲームをするあたしを見て少しほっとしていた。
学校が終わり、家に帰ってくると放置されたままの恐竜はいつも瀕死だった。あたしは祖母に学校に行っている間の恐竜の世話を頼んだ。
その翌日に学校を終えて祖母に会いに行くと、祖母はすごく困った顔をしていた。操作の仕方が理解できず、恐竜がしたうんちの処理ができなかったらしい。あたしはゲーム機を受け取ると画面いっぱいにうんちがあって、それをすぐに処理をしたらお墓のドット絵と享年が書かれていた。
祖母は何度も謝ろうとしたけど、あたしはうんちの処理に困る祖母のことを考えると笑いがこみ上げてきて、大声で笑って祖母に抱きついた。祖母も一緒に笑ってあたしを目一杯抱きしめてくれた。
冬になると祖父の布団に潜り込むことが多かった。足がなかなか温まらなくて、祖父の太ももの間に足を入れた。冷たがる祖父の反応が可笑しくて、毎晩あたしはわざとゆっくり祖父母の家に向かいながら足を冷やして、祖父の布団に潜り込んではその足を太ももに入れた。
祖父は冷たがりながらあたしを胸の中に入れて寝てくれた。いつも祖父は寝る前に“おまえが1番。おまえが綺麗な女になるのを見たい”と言っていた。あたしはよく“あたしが死ぬまでおじいちゃんとおばあちゃんは死んだらあかん”と返事していた。
小5の頃、なぜあたしだけこんなに特別扱いして2人が可愛がるのかを祖父母に尋ねた。
祖父は“おまえが1番可愛いからに決まっとる”と言っていた。祖母は“じいちゃんは生まれたばかりのあんたを見て泣くほど喜んだからね。女の子の孫は特別可愛い。”と言っていた。あまりしっかりした理由には感じなかったけど、嬉しかった。
中学に入ると祖父母の家に泊まりに行くこともなくなり、あまり2人の家に行く機会はなくなった。
たまにいつもより早く家に帰る時は、実家のスペアキーが祖父母の家にあったのでそこへ取りに行った。
ドアを開けて玄関先にあるスペアキーを取って帰ろうとすると、いつも祖父が居間の方から“おーい!こっち来い!じいちゃん達と話そう!”と声をかけた。急いでいる時は断ることもあったけど、時間があればあたしは居間へ行った。祖母はあたしにニコニコ笑いながら炭酸ジュースとプロセスチーズをあたしの前に置いて3人で話した。
あたしが来ることも少なくなったのに、まだ炭酸ジュースやチーズを常備していることに疑問を覚えて祖母に尋ねると、“あんたがいつ来ても良いように、ずっとうちの冷蔵庫には準備してるからね”と言ってくれた。
中3の頃、実家に来た祖母が母と話していた。2人は昔からよくご近所の色々を話しては笑ったり愚痴をこぼしたりしていた。2人の話し声はとにかく大きくて、リビングでテレビを見ていたあたしは少し煩わしく思っていた。
その日の祖母の話はいつものご近所の話ではなくて祖父のことだった。嫌でも入ってくる話し声を聞く限り、祖父が別の女性に惚れ込んでいるそうだ。
普段お金遣いの荒くない祖父が最近やけにお金を要求する。他所で女に使っているに違いないと祖母は大声で母に言っていた。母も祖父の異変には気づいていたようで少し不安な声を漏らしていた。
あたしは、還暦を超えた夫婦でもそんなことあることに驚きつつ、長年付き添っている自分の旦那を信じられないのかと、祖母を少し嫌に思った。そしておじいちゃんのことを悪く言われるのが耐えられなかった。
2人の話にあたしは割って入って“うるさい!自分の旦那のことくらい信じてあげや、おばあちゃん!そんな話聞きたくない!”と言って部屋に行った。
その夜、母はあたしに一度謝った後“長年付き添ったからこそ、こぼしたい愚痴はあるんやよ”と言った。中3のあたしには到底理解できるものじゃなかった。
翌日祖父母の家に行った。祖父はいなくて、祖母が再放送のサスペンスドラマを見ていた。祖母は何もなかったみたいにニコニコして炭酸ジュースとチーズをあたしの前に置いた。学校の話や部活の話をした後、おばあちゃんの背中の方に回ってハグをした。“おばあちゃん大好き”と言うと、“ばあちゃんもあんたが1番好きや”と背中を前後に揺らしながら返してくれた。
少し心配になって“おじいちゃんのことは嫌いになったん?”と聞いたら、“じいちゃんはあんたの次に好きや”と言っておばあちゃんは笑っていた。ほっとした。
その後、肩たたきをしているとおじいちゃんが帰ってきて“わしにも”と言ったから“悪いことしてる人にはせんよ?”と返事して不思議な顔をしたおじいちゃんに肩たたきをした。
あたしはおじいちゃんととおばあちゃんが大好きだ。
2人が居なくなった今でも変わらず、死ぬまでずっと。
お読みいただきありがとうございます!
これは誰かが経験したどこにでもある物語。
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これからも『蝙蝠の歌 -mintdrop-』をよろしくお願いします。




