ムカつく
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ルイがこの中学から姿を消した日の放課後、あたしは担任から呼び出された。
「まだ提出できへんか?お前だけなんや、プリント出せてないの。」
「すいません。親になかなか相談できなくて…。」
「そうかー。先生は、お前なら赤川も狙えるとは思うけどな。あとは親御さんがOKくれるかやな。まぁ赤川じゃなくて公立でも、今のお前の成績なら狙えるところは多いし、今週中に親と話して、決められるか?」
「はい…。頑張ってみます。」
「よし!まぁ元気出せ!お前らしくないぞ?!」
「……先生、」
「お?どうした?」
「ルイ…、コバヤカワって、本当に転校したんですか?」
職員室の中の雰囲気が微妙に変わった気がした。
「コバヤカワ?別のクラスの男子やろ?先生はあんまり知らんけどなー。急な転校って話は、そのクラスの担任から聞いたぞー。」
「…そうですか。」
「そうか、お前はコバヤカワと同じ小学校やったな。挨拶ないと辛いよなー。わかるぞー。まぁ、どこ行ってもコバヤカワなら上手いことやるやろうな!成績も良かったし!」
「…ですね。」
「そんなことより!まずは自分のことやぞー?早く帰って親御さんと話してきなさい!はは!」
「…はい。ありがとうございます。失礼しました。」
あたしは職員室を出て少しそのままドアの前に立った。
(先生、今の子…)
(そうですね、彼女も例の教師の教え子です)
(じゃぁ、、)
(いや、あの子は関わってないはずです)
(でも…)
(僕を信じてください。彼とあの子は無関係です)
(じゃぁなんで彼女は転校を疑ってたんですか?)
(先生…あまり僕のクラスの生徒を疑ってやらないでください。彼女は無実です)
(う、疑ってなんて…!ただ、もうこれ以上事が大きくなったら私達だけじゃ…)
(それは…………)
あたしはその辺りで家に帰り始めた。
担任の先生は、あたしを必死に守ってくれていた。あたしを“無実”だと言っていた。
つまり、有罪の誰かがいる。
そうじゃないと、そんな発言が出ることはないんだ。
そして、その“誰か”の予想は簡単についていた。
帰りにルイの家の前まで行ってみた。
“コバヤカワ”の表札は取られていて、人が住んでいる気配がなくなっていた。
あたしの知らない世界で、知らない間に何かが動いて、誰かが傷ついて傷つけて。そう考えると、頭がおかしくなりそうだった。
家に帰ると、母はいつもと同じようにフライパンを振っていた。
「おかえりー♪今ちょうどご飯できるところやから、手洗って待っとき!」
「あー、うん。」
「…ただいまー。」
兄も珍しく早めに帰ってきた。
「あら、珍しい。早く帰るなら連絡しなさいよ!ご飯、お兄ちゃんの分も用意せな!」
「あ、おにぎりとかでいいから。おれは部屋で勉強してるから、後で適当に取りにくる。」
「そんなこと言わんとー!そしたら、おにぎりとお味噌汁作って部屋に持って行くから。勉強してなさい。」
「…わかった。ごめん。」
兄はそう言ってそのまま自分の部屋に歩いていった。
「はぁー。お兄ちゃんもあんたくらいわかりやすかったら楽やのにねー。」
その言葉は明らかにあたしに向けられた言葉だった。
「あ、あたしってそんなにわかりやすい?」
「わかりやすいよー。お腹減ったらすぐ言うし、しんどがったらすぐ顔に出るからねー。」
「…そっか。」
「とりあえず、あんたの分のご飯はもうできるからそこで待っててー。」
「…はーい。」
母が作った野菜炒めと味噌汁とご飯を食べていた。
母は、兄の分のご飯をせっせと作っていた。
「…なぁ、お母さん。」
「んー?どうしたん?」
「…あたし、志望校、赤川にしようかなって、思ってる。…あかんかな?」
その言葉を聞いて、母の手が遅くなった。
「……赤川高校に行って、何するん?」
「それは…」
「バスケやろ?」
「……うん。」
「…バスケして、あんたは何になるつもりなん?」
「何って…」
「…バスケするためだけなら、他の高校でもできるでしょ?」
「……でも…」
「プロの女子バスケの選手なんて、もっと身長ないとなれないんちゃうん?」
「……そんなん知ってる。」
「なら、別に強豪のとこ行っても変わらんやろ?お兄ちゃんは今大事な時期なんやから。」
母はそう言って、兄の分のご飯を完成させた。
エプロンで手を拭きながらあたしのそばに母が歩いてきた。
「あ、あたしだって大事な時期やんか!」
「…あのね、…あんたは女の子やから、学歴が少し低くても、誰かと結婚して幸せな家庭を持てる。でも、お兄ちゃんはいっぱい勉強して、ちゃんとした大学に行かなあかんの。分かる?」
「…分かる、けど…そのためにあたしが行きたい高校諦めなあかんの?」
「…そういう時もあるの。理解してくれへんかな?」
「……。」
少しの間、沈黙が続いた。
「行きたいとこ行けばええやん。おれは国立行くから、そしたら学費は安くなる。高校で私立行かせてもらったし、国公立しかおれは行く気ないよ。」
兄がのそのそと、リビングへ来ておにぎりと味噌汁に目をやっていた。
母は少し戸惑っている様子だった。
「な、なんでそんなこと言うの!お兄ちゃんは、私立でもいいから学歴高いところ狙って勉強してるんやろ?!」
「ん?あれ?おれは元々国公立狙うって母さん達に言ってたやろ?」
「それはそうやけど…簡単に国公立なんて行けるかわからんやろ?」
「…そんなに自分の息子が信じられへん?」
「……。」
兄が母を言いくるめていた。
「…お前は好きな高校行けよ。おれは国立受かるから、そしたら好きなところに行って、好きなことしたらいい。そうじゃないと、不公平やんな?」
「え……?」
「…おれは長男やからって理由で好きな学校行かせてもらってる。やのに、お前が女やからとか、そんな理由でおれに遠慮して行きたくない高校に通うとか、嫌やろ?」
「……うん。」
「なら、自分が行きたいところちゃんと父さんと母さんに言え。お前がそんな感じやから、母さんもそう言うしかなくなるんや。」
そう言って兄はおにぎりと味噌汁を持って自室へ戻って行った。
兄が部屋に入ったドアの音を確認した後、母は声量を落として話し始めた。
「……お兄ちゃんはあんなこと言ってるけどね、もしかしたら浪人するかもしれへんの。」
「……。」
「浪人したら1年分の生活費も、予備校のお金もかかるの。あんたなら分かるよね?」
「……分かった。お母さん達はお兄ちゃんに期待してて、あたしには何も期待してないってことは、よく分かった。」
「なんでそんな捻くれた解釈するん?あんたはそんな子ちゃうやろ?」
「もういいよ。あたしは赤川に行きたい。先輩達が待ってくれてる。…でも、先輩達をあたしの手で負かすのもいいかなって思ってる。お母さんがそう言うなら、あたしは公立にする。」
「…そう?あんたがそれで納得してくれてるんならいいんやけど…。」
「納得は…今はしてないよ。でも、これから納得する。公立でバスケ強いところに行く。それならいい?」
「…あんたの今狙える学校の偏差値下げても、そっちがいいの?」
「うん。」
「……分かった。それであんたの気が済むんならそれでいいよ。」
少し疲れが見えた母にあたしは“ご馳走様”の声だけを掛けて、食器をシンクに浸けて兄の部屋に行った。
「…なんや?」
「あたし、公立行くことにしたから。」
「……そうか。」
「じゃ。それだけ。」
「………ムカつくよな。」
部屋のドアノブに手をかけた時に、兄はそう言った。
「…え?」
「産まれたのが早いか遅いか、男か女かだけで、自分の人生の道が狭くなるなんて、逆の立場ならおれもお前とおんなじ気持ちやわ。」
「……。」
「…でも、そうなった以上受け入れるしかないよな。おれはお前が楽に道を選べるようにしたかったんやけど、頑張っても母さん達はおれが受かるとは少しも思ってくれへん。」
「……。」
「…おれがもっと余裕で国立狙えたら、こんなことにならんかったのにな…。すまんな。」
兄があたしに自主的に謝ったのは、これが初めてだった、と思う。
あたしは何も返事をせずに自分の部屋に戻った。鞄からプリントを取り出して空いている志望校の欄に、今のあたしの成績と比べると1ランク偏差値を下げた南山高校の名前を書いて、そのままベッドに横になった。




