元通りの日常
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教室へ戻ると、チョークの音だけが鳴り響いていた。モダから“残り2人は…”と何か訊かれたけど、よく聞こえなかった。あたしは自分の席に座り、今行われている国語のノートを取り出して、黙々と黒板に書いてある文字を写した。内容は何一つ覚えていない。ただ、何かに取り掛かっていないと、自分が自分で居られなくなるような、何か良くないことを考えてしまいそうで怖かった。
あたしの様子の変化に気づいたのか、もしくは呆れ返ったのか、モダは何も言わずに授業を進めた。
その後アイツが帰ってきた。モダと何らかのやり取りをしているようだったけど、それもあまり覚えていない。
帰りの会は滞りなく行われ、全員での挨拶を終えた後、5、6名がランちゃんの話をしていた。どうやら彼女を案じて保健室へ訪問に行こう、という話をしていた。アイツもその中にいて、“お前も行くやろ?”と聞かれたけど、返事はしなかった。そのままランドセルを持ち上げ、教室を出ようとすると、アイツがあたしを止めた。
「なぁ、お前、何があったん?おれ全然わからんねんけど。」
そんなようなことを彼は言っていた。
この人のことを気になっているとか、そういう情報よりも先に、“うるさい”という感情が前にあった。
あたしはまた、返事をせずに歩いてそのまま校舎を出た。
帰り道は、1人で歩いた。下級生の喋り声、自転車のベル、廃品回収の車の広告アナウンス。いろんな音があの時のランちゃんの声でマスキングされていた。信号の青を知らせる妙なメロディだけが、たまにその声を消してくれた。
家に帰ると、母が元気にあたしに話し掛けてきた。たぶん“おかえり”と言われた。あたしの顔を見て何かを察したのか、母はあたしをリビングまで誘導し、あたしの帰宅に合わせたかのような、淹れたての温かい紅茶を出してくれた。あたしはストレートが好きだったのに、母はミルクをたっぷり入れていた。
「…上手くいかんかった?」
母はあたしにそう尋ねていた、と思う。あたしは紅茶をゆっくり口に運びながら首を小さく縦に振った。
「そっかー…あんたはやれることはやったんやろ?」
あたしは口に含んだミルクティーを飲み込む勢いで、また首を縦に振った。
「ならいいやんか。な?またなんかあっても、プリント届けたらなな!ランちゃん友達やもんね!」
母は、そう言って前みたいにあたしの頭を深く押さえた。あたしは、首を縦に振らず、そのままミルクティーが波のように揺れているのを眺め続けていた。
それからのことはあまり覚えていない。宿題をして晩御飯を食べ、お風呂に入って寝支度を済ませて寝た。
誰と何の会話したかも、そもそも話したかさえも分からない。
翌日、あたしは38度を超える熱が出た。母はあたしを病院に連れていったり、家事をこなしながらお粥を作ったり、付きっきりで看病をしてくれた。
夕方になって、プリントを届けに誰かがやってきた。あたしは熱と薬のせいで頭がぼーっとしていて、母が対応して受け取ったプリントをあたしの部屋に持ってきた。
「…誰やった?」
母に尋ねたけど、ランちゃんでは無かった。分かってはいたけれど、僅かだけ期待していた自分の心もそこで途絶えた。
「そっか…」
あたしはその翌日も熱がまだ引かず、学校を休んだ。もう、明日は土曜日だ。
何故か気が楽になった。学校は嫌いじゃないし、2日も休むとまた学校に行きたくなるのがいつもだったが、この時は、なるべく学校に行きたく無かった。
“ランちゃんも休んでる時こんな気持ちやったんかな?”
そんな風なことを天上を見ながら黙って考えていた。
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土日の休みもたっぷり使ってあたしの体は全快した。それと反比例するようにあの時の強い感情の揺らぎは、段々と風化していっていた。
“休んだ人用連絡プリント”には、大きく太い文字で月曜日に用意する持ち物や宿題が書かれていた。金曜日に書いたのは男子だ。
全ての連絡事項を書いた後には、休んだ人へ向けてのメッセージを書く習わしがあった。この男子も例に漏れずあたし宛に2行ほどのメッセージを書き残していた。
“月曜日に会えたらいいなと思っています。早くよくなってください。ランちゃんも休んでる。”
と、アイツの名前が下に書かれていた。
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月曜日。あたしは学校に行った。いつもと変わらない教室。2日寝込んだとしても、土日を挟むと周りはあたしがまるで休んでいなかったように会話がスムーズだった。
その日もランちゃんは休みだった。
モダは相変わらず上機嫌で登場してみんなをワラわせ、途中でまた突然機嫌が悪くなり、最後はまた上機嫌に戻って帰りの会を終えた。
“あの時”空けた教卓の穴は何の応急処置もされず、そのままの状態だった。
あたしはまたランちゃんへのプリントを渡された。行くのに少しの躊躇いは生まれたけれど、郵便受けに投函するだけの作業なので快く引き受けた。
いつものアパートに着いた。あたしはいつも通り2階まで足を運んだ。いつもならここでインターホンを押すが、押さずにプリントを郵便受けに入れて踵を返した。
(…ギィ…)
扉がゆっくりと開く音が聞こえて振り返ると、ランちゃんの手があたしを呼んでいた。
お読みいただきありがとうございます!
私事ですが、眼を少し患っておりまして、誤字脱字等注意しているのですが多くなってしまいがちです。読み辛かったら申し訳ありません。気軽にご指摘して頂けると大変助かります。
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これからも『蝙蝠の歌 -mintdrop-』をよろしくお願いします。




