第十三話 六分の一時の恐怖(2)
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回廊は王宮殿へ行くためには必ず通る喉の道。
いくつもの窓から漏れる光りが、深紅の絨毯を日向と影にわける。そこへ優雅な足取りで我が主人がやってきた。彼の左足が影を踏む。すると影が呟いた。
何を望む?怠惰か!
それは地獄から這い上がってくるような声だった。
彼の右足が日向を踏む。すると日向がこう囁いた。
(いいや、知識だ。知識は扉の鍵となる。)
それは澄んだ川のせせらぎのような声だった。
偽善 と、影が言うと、(いいや、知性。)と、日向が咄嗟にこう返す。彼の歩足に合わせ影と日向が会話し始めた。
欲っするは、淫乱な女
(いいや、愛の乙女)
傲慢だ
(献身だ)
常に残酷と破壊を要求する
(必ず理解と勇気により和解する)
栄えるのは悪徳
(栄えあるのは美徳)
問いがある
(引き受けよう)
西の風を呼んだのは誰か?
(呼んだのは光と闇の主。またの名を渾沌と暗闇の主)
日向が答えおわる寸前で彼の後ろ足は回廊をぬけていた。日向と影は再び押し黙った。
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六分の一時。日が沈む直前になると、王宮殿と別棟を繋ぐ回廊の扉が閉められた。家来たちの宿舎の部屋が次々音をたてて内側から閉められた。がちゃりがちゃり機械的な鍵音が廊下に響く。広い王宮殿はしんと静まりかえった。
「いったいどういうことだ?」
はねあがった髭をひねりあげ、何も知らない不運な男が太鼓腹をさすりながら、好奇心にかられて、王宮殿を歩き廻った。
「見張りすらいないじゃないか?」
舞踏会に使われる硝子の間を通りぬけ、男は立ちどまった。小部屋から、ぼそぼそと誰かの声が聞こえたからだった。彼は息を殺して、そっと鍵穴から中をのぞいてみた。
一人の青年がいた。美貌の青年が、座りこんで苦しそうに身もだえている。もちろん大公殿下だ。彼は独り言を、ぶつぶつと言っていた。のぞき見をしている男は、ごくりと唾をのんだ。
男には青年の姿しか見えていない。だが、もう一人、大公殿下にしか見えない別の人間がそこには立っていた。ずる賢そうな目つきの、口の端が皮肉な笑みで歪んでいる男が。
大公殿下は、発狂寸前に怒鳴った。
「またお前か!出て行け!」
「ふふふふ」と、彼はあざ笑った。
「ここは私の城だ。お、お前はいったい誰だ!」
「誰だって?私は私さ。自分の顔を忘れたのか?」
「嘘をつくな。わ、私はここにいる!」
「嘘?嘘なんてついていない。どこから見ても、ほら、君だ!」
青年は、軽やかなステップでくるり一回転した。上から下まで大公殿下そのものだった。違うのは表情だけ。
「だまれ!」
大公殿下は力を失い頭をたれた。
「ふふふふ、さて、そろそろ本題といこうではないか?」
嫌みな声であちらの世界の大公殿下は言った。
「ねぇ、君は卑怯を知っているかい?本当はね、私は卑怯でずるい男なんだよ。あれ、いつだったかな。傷つけてしまったのを覚えているかい?本当はね、とても後悔した。子爵は素直でかわいい奴であったな。そうだろう?こんなに冷たい男を敬愛してくれたのだ。あのまま寵臣となって片腕にもなってくれたかもしれないというのにね。彼、今頃どこでなにをしているのか知らないかい?最近顔をだしてくれないね。まあ、裏切ったのは私だ。当然の報いだけれどね」
「な、なんのことを。お前の言っていることが?黙れ!」
「確かにね、ふむ。小物だ。そう!なんてことない!女装して喜ばせようとしたりして。ばかと、叱りつけたが。いつも思いつくまま行動する本当に馬鹿げた奴だったよね。そうそう、N婦人もその点では決して負けてはいなかった。彼女もおもしろい趣味を持っていたよね」
「くそ!黙れ!」
「しかし、例の戦いでは、頼りにしていた部下を殆ど失ってしまったんだよ。ああ!従兄弟も、騎士団も、みながみな!ああ!悲しい!ああ、でもね彼女だけは違うのだ。彼女。そうだろう?ねぇ」
立っている大公殿下は、意味深にニヤリとした。
「な、なにをいっている?」
「さあ?私が、なにをいっているのか?自分が何をしたいか?それはもうわかるだろう。君は顔だけではない。頭のほうも、いいはずだからね。さあ、いってごらん」
「やめろ!か、彼女に手を出すな!」
「んふふふ。いやだね。だって卑怯な男だから!第五大公殿下!直系の子孫にして王族最後の生き残り!アドーニス!だが、昔は違う名で呼ばれていた」
「口にするな!」
「まさか言い伝えを本気で信じているのかい?やはり君は臆病だね。好きな女を抱き寄せることもできないんだから。まだ子供だ。ああ、なんて可哀想なんだろう。方法を知ればすむだけなのに!」
と、そら恐ろしい顔の大公殿下は、演技じみた素振りで腕を大きく広げてみせ、
「謎を解けばいいのに!」
「謎?」
「そう!謎だよ!束縛の意図さ!」
「なにをいっている?」
「我々のご主人様のことだよ!」
「この私には、主人などいない!」
「国の主だから?本当にそう思うのかい?ふふふ、いつか会うことになる。いや、もう会っているかもしれない。探してみろ。彼が知っている。どうすれば欲望を成就できるのか」
邪悪な声は、目を妖しく光らせて、喉奥で囁いた。
「もうすぐ。もうすぐだよ。ほら、もう近くまで来ている!ほら!」
王宮内のどこからか、物が壊れる音が聞こえていたが、屋根裏にいた二人は、淡々と書類仕事をこなしていた。年若の家臣が手を止めて尋ねた。
「彼は?」
鼻の下にちょび髭を生やした男が眉をぴくりとさせてから答えた。
「家令か。田園調査だ」
「忙しそうだ」
「たんまり貰うものは貰っているんだ。同情は不要だよ」
「ずいぶん冷静じゃないか。こっちだって以前の倍は働いているのだぞ!」
「いうな。俺だって同じ気持ちだ」
「今頃、どこかで羽目をはずしているに違いないな。卑怯な男だ。一度も外出を許されていない者がいるというのに!」
「まったくだ。お前、最後に家族と会ったのはいつだ?俺は丸一年になる」
「私はもう三年だよ。そろそろどうしたものか?あちらを都に呼ぶことも考えてはいるが、年寄りはそうはいかないからな。やはり自分がなんとか帰ろうかとは思っているよ」
「許可されるだろうか?」
「いざとなったら関係ない」
「やるつもりか?」
「ああ、やるよ」
「俺も手伝う。いつでもいってくれ」
「君は心強いな。助かるよ。あのとき、決闘も止めてくれて、あとで案外助かったと思った」
「俺は、自分だけいい思いをしようなんて考えてないからな。その代わりお前も、なにかの時は頼む」
「勿論だよ、当然じゃないか」
「例のものどうした?」
「あれか。飾りから引き出しから何から何まで、とにかく目につくものは、かたっぱしから倉庫にしまった」
「そうか、じゃあだいぶ安心だな!」
「そうかな?余計おかしくなったら、どうする?心配だね。武器を探し回って回廊を降りていかれたりしたら、それこそ大変だ。こっちは止めようがない」
「あっちには頑丈に鍵をかけておくように・・・」
「どうした?」
「ああ、俺は死体を見ても、なんとも感じいほうだと思っていたんだがな、戦場を経験してきたし。しかしあれは、まったく、悪魔が取り憑いているとしか思えん仕業だよ。医者じゃなくて坊主を呼んだ方がいいんじゃないのか?」
「しい!君、言葉には気をつけたほうがいい。誰が聞いているかわからないからな」
「弱腰ではつとまらんぞ!そんなことより沈黙の館主はどうしたんだ?恩知らずな坊主どもめ」
「その名の通り沈黙しているんだろう」
「腰抜けだ。逃げることしかやらん」
「同意だ」
破壊音がしても二人は、またかといった顔を見合わせるだけだ。
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