第八話 うるさい女
1
冒険者になるための申請と買い物を済ませたので、面接のある翌々日までは時間が空いた。
残っていることといえば仲間探しであるが、実のところレディエールはあまり乗り気ではなかった。
思いの外アニスと二人で過ごす時間が楽しいのだ。
表情をころころと変えるアニスは見ていて飽きないし、可愛らしくて癒やされる。
余計な仲間を増やしてこの優しい時間を壊したくなかった。
また、例のフォリントという女のことも気がかりであった。
聞いている限りあまりよい性格には思えない。どんな難癖をつけられるかもわからないため、できれば不用意に行動して彼女と出くわすようなことはしたくなかった。
うん、そんな急ぐ必要もありません。
今日はアニス様とゆったり過ごすことにしますか。
そうだ、アニス様に合う服や髪飾りを見に行こう。
お店を巡って、おいしいお昼を食べて、楽しく過ごせればそれでいいじゃないですか。
半ば現実逃避に近い妄想スケジュールを組んでいると、宿の戸を叩く音が響いた。
「レディエールさん、組合からお客さんがお見えです」
嫌な予感しかしない。
アニスには待っているように伝え恐る恐る一階を覗き見ると、目を引く金髪が腕組みして待ち構えていた。
思わずうわ、と声を出すと青い眼光がギロリとレディエールを睨みつけた。
「アンタね、あたしの獲物を横取りしたのは!」
ああ。
やはりこうなってしまうのは避けられないのですね。
気が遠くなりそうなのを抑え、一回へ降りてフォリントと向き合った。
改めて見ると、凄まじい美人である。黄金の髪はまるで太陽の煌めきのようだ。
蒼穹の瞳は海を思わせ、白い肌は砂浜のそれである。即ち彼女一人で星を見出すことができる。そういう美女である。
相応の衣装を纏えば、貴族の令嬢と言われても全く違和感がないだろう。
「ん? ……あ、アンタこの間すれ違った女じゃない!
なんであの時言わなかったのよ、無駄な時間食ったじゃないの!」
しかしこの気性の荒さでは、どれだけ美人でも人は寄り付かないでしょうね……。
意志の強い目を釣り上げてがなる様は、猫科の魔獣を彷彿とさせた。
甲高い声が耳に障る。
「落ち着いてください。
まず、私とあなたは面識がありませんし、あなたの目的はあの時点ではわかりませんでした。
それに、協会に素材は渡しています。あなたの取り分を奪ったつもりはないのですが」
「確かに素材は受け取ったわ。そこは殊勝じゃない、褒めてあげる。
でもそうじゃないの。あんなぼろぼろの皮が欲しくて言ってるわけじゃないの。
あたしは売られた喧嘩は必ず買うの。その喧嘩をアンタは奪ったのよ!
これはプライドの問題なの!」
レディエールは正しく呆れ果てた。魔獣をなんだと思っているのか。
手負いの魔獣を放置していればどんな被害が出るかわかったものではないというのに、自分のプライド優先で難癖をつけてくるフォリントに腹が煮えた。
「あの手長熊は手負いで非常に気が立っていました。
放っておけばどんな被害が出たかわかりません、なので斬りました。
私とあなたが会ったのはつい先日でしたよね、あの時点で私が手長熊を狩ってから二週間が経っています。
その間あなたはなにをしていたのですか?
往復に時間がかかるとは言え、悠長が過ぎるとは思いませんか」
う、とフォリントが言葉に詰まった。
狼狽えていることがよく分かる、考えていることが顔に出やすいタイプだ。
「そ、それは……準備が必要だったのよ!
矢も全部使った上に弓は折れちゃったから買い替えないといけなくて、でもお金がなかったから頑張って働いて……」
「そうですか。
そのままそのお仕事を続けていたほうがよろしかったのではないでしょうか?」
言ってから、しまったとレディエールは口を抑えたがもう遅い。
顔を真っ赤にしたフォリントが今にも爆発しそうに小刻みに震え出した。
「言ったわねっ!? もうあったま来たっ、決闘よ決闘!
表に出なさい!」
流石にこれにはレディエールも慌てた。決闘とは言うが、扱う武器がまるで違う。
負けるつもりはまるでないが加減ができず無用な怪我を与えてしまう可能性がある。
そしてそれを制御できるほど自分に実力があるとは驕っていなかった。
どうしたものかと逡巡していると、上階からアニスが慌てた様子で降りてきた。
「何事ですかそんな大きな声でっ」
どうやら二階に響くほどの声量だったらしい。宿屋の主人が頗る機嫌悪そうにこちらを見ている。
「とりあえず、ここだと宿の方に迷惑がかかりますし出ましょうよ。
そちらの方も、それでいいですよね?」
「何よアンタっ、子供が口出しするんじゃないわよっ!」
フォリントの無礼な物言いにレディエールが身を乗り出そうとしたが、アニスがそれを手で静止させた。
「子供ではありません、エルフです。レディさんの仲間のアニスと申します。
冒険者が市井の方を邪魔していいのですか?
少し落ち着きましょうよ。わたしも話、聞きますので」
アニスの言葉に少し頭が冷えたのか、一つ舌打ちをしたのちに、大きく息を吸って、吐き出した。
「……そうね、急に怒鳴って悪かったわ。
おじさん、ごめんなさい」
亭主は肩を竦め、いいから外行って話つけてこいと促した。
宿屋から出る際、フォリントがじろじろとアニスを物珍しそうな目で見てきた。
「あの、なにか……?」
「いや、……アンタにも、悪かったわね。子供なんて言って。
あたし、頭に血が上るとだめなのよ、観察眼というか、そういうのが。
許してね」
存外殊勝な物言いにアニスは思わず頬を緩めた。
「ふふ、大丈夫です。
実は、あなたよりは年上ですけどエルフとしてまだまだ子供なんです。
だから、さっきはちょっと嘘だったんです、こちらこそごめんなさい」
悪戯っぽく笑むアニスにフォリントは目を丸くさせた。
「アンタたち、ほんっといい性格してるわ……」
その顔は怒りというより、ほんのりと呆れの混じった苦笑いであった。
2
人気の少ない路地裏まで移動したところで、レディエールがアニスに経緯を説明した。
なお、移動している最中からレディエールはずっと申し訳無さそうにしていた。
自分一人で片付けるつもりだったが、アニスの手を煩わせてしまったことに負い目を感じているのだ。
「レディさん……あなた、煽ってどうするのですか、煽って」
じとりと咎めるような視線でレディエールを見上げる。
これに関してはレディエールも自分が悪いとわかっているので、申し訳ありませんでしたとアニスとフォリントに頭を下げた。
「フン、まあ、分かればいいのよ。
人のこと言えないことはわかってるけど、アンタも口には気をつけなさい。
……でも、手長熊のことはまだ正直怒ってるわ。寧ろそっちが本命なんだから」
少しは態度を軟化させた様子にほっと息を吐いたのはアニスだ。
「うちのレディさんがすいませんフォリントさん。
でも、あの手長熊なんですけどね、そもそもあれを最初に見つけたのはレディさんなんですよ。
手がなかったでしょ? あれ、レディさんが斬り落としたそうなんです」
これにはフォリントも驚きに目を見開かせた。
必死に記憶を掘り出しているのだろう、整った眉を寄せて唸っている。
「そういえば、確かに片腕なかったわね……そっか、じゃあ横取りしようとしたのはあたしの方だったのね」
「横取りというわけではないですけど……ですので、今回はこの辺りで手打ちにしていただけませんか?
素材はそのままお渡ししますので。ね、レディさん?」
「はい、それは勿論。
弓矢の代金も馬鹿にならなかったでしょうし、少しでも補填してもらえればいいと思います」
こう言ってますし、どうでしょう? と尋ねるアニスに、フォリントは顎に手を添えて考え込んだ。
その碧の瞳は、二人をよく見比べている。
「この件はそれでいいわ。寧ろあたしの方が悪かったみたい、ごめんなさい。
話は変わるんだけど……アンタたち、何者?
もしかしてお忍びのお姫様と騎士だったりする?」
今度はアニスたちが目を丸くさせて、お互いを見合わせた。
「えっと……なにを?」
「アンタたち、いや、あなたたちか。特にアニス。
あなたから漏れてくる、なんていうんだろう。気配っていうのかな。
明らかにあたしたち冒険者と違うのよね。なんか高貴というか、華々しいというか。
お貴族様みたいな感じがするのよ。
それにさっき思い出したけど、そっちのあなたは『銀嵐』のレディエールよね?
ずーっとソロでやってるっていう。
それが急にパーティを組んだ、それも子供のエルフとだなんて、なにかあると思うのは当然じゃない?」
レディエールは二つ名をアニスに聞かれたことが無性に恥ずかしくなった。
ぎんらん……? という目でアニスが見てくるのだ。えほん、おほんとわざとらしく咳払いをした。
「誤解です。確かに私は騎士を目指していますが、今はただの冒険者です。
アニス様は元々治癒師で、さる理由で各地を巡ることになったため護衛も兼ねて私が同行しているのです」
「えっ治癒師!? アニス、あなた回復魔術が使えるの!?」
治癒師と聞いてフォリントは目を輝かせてアニスに詰め寄った。
レディエールはまたも失言だったとこめかみを押さえた。
「え、ええ、まあ、はい。
魔術じゃなくて魔法の方ですけど……」
「しかも魔法使い!?
えっ、うっそしんじらんない!
超レアじゃない、すごいっ!」
因みに魔術と魔法は明確に違う、異なる体系の力である。
魔術とは現象を理解し、摂理にマナを込めることで発動する力で、いわば人工の自然現象だ。
対して魔法とは、意志をマナと混ぜることで生まれる超常的な力である。
魔術は理を識り、行使するのに必要なだけのマナがあれば誰もが同じ効果の力を振るうことができる。
魔法は意志の強さが密接に関わっており、その効力は時と場合によって激しく上下してしまう扱いの難しい力である。
その代わり、意志が強く乗った魔法は魔術のそれを遥かに凌駕し、慮外の効果を生み出すことがある。
このことから魔術は摂理、魔法は奇跡と呼ぶ者が多い。
魔女が生み出すのは魔法の方で、魔女の生み出した魔法を借り、行使するものを魔法使いと呼んだ。
一方で魔術の行使者は魔術師と呼ばれ、多くは魔術学院を修めたエリートのことを指す。
魔術師と呼ばれる者は間違いなく才のある貴重な存在だが、一子相伝であることも多い魔法の方が使い手は少ない。
レディエールは、非常に嫌な予感がした。それも、ここ最近で最も良くない気配だ。
その上、その嫌な予感は嫌な形で落着しそうな気すらした。
「ねえねえ、どんな魔法なの?
あたし魔法って見たことないのよね、よかったら見せてくれない?」
「ええ、構いませんよ。では、癒やしの蝶の魔法でも」
ナイフを取り出して空に魔法陣を描けば、青い燐光を放つ蝶が現れて、アニスの指に止まった。
「わ~っ、綺麗じゃない!
これが傷口に当たると回復するの? へぇー、魔術とは全然見た目が違うのねえ。
因みに攻撃魔法とかも使えたり?」
「あ、いえ。
わたしが使えるのは回復と、ちょっとした補助とかお役立ち系の魔法だけです」
ふぅ~んと頷きながら、フォリントはぐりんっとまるで猫のようにレディエールへ顔を向けた。
獲物を見つけたとでも言わんばかりの獰猛な目を見て、うわとまた声に出しそうになったが今度は耐えた。
「ねぇ、レディエールさん?
あたしちょぉ~っと思うんだけど、このパーティ、攻撃手段にかけるとは思わな~い?」
凄まじい猫なで声だ。擦り寄るような甘い言葉に、レディエールは鳥肌を立たせた。
「あー!
そうか、フォリントさん弓を使うんですもんね。
レディさんが言ってた仲間にぴったりじゃないですか」
最悪だーっ!?
まさかアニスが乗るとは思わず、膝から崩れ落ちるところであった。
い、いやだっ、こんなうるさい女が仲間だなんて絶対嫌だっ!
私とアニス様の優しい時間が終わるっ、なくなってしまうっ!
「あっ、最初っから探してたの!?
す~っごい偶然っ、あたしも丁度そろそろパーティー組みたいな~って思ってたのよ!
ねね、どう? あたし、結構弓の腕には自身があるんだけどっ」
レディエールは努めて平静を装った。アニスが乗り気なのだ、無下に断ってしまっては心象が悪い。
なにか上手く断る方法はないか、必死に脳を回転させた。
「先程も言いましたが、私達はこの街にて移住することなく、各地を巡る予定です。
言うなれば当て所もない旅です。下手すると世界中を行脚することにもなりますが、それでもいいのですか?」
「ええ、構わないわむしろ大歓迎!
あたし、あるお宝を探して冒険者になったのよ。
そのための準備をこの街でしてたってわけ。まあ、思いのほか長く居座ることになっちゃったけどね」
「し、しかしこの旅をするにあたって賃金は出ません。
お金が足りなくなれば随時依頼を受けるという方式ですが、本当にそれでもいいのですか?」
「言ったでしょ、あたしはお宝を探してるの。
お金は手段であって目的じゃないの。お宝を探す旅に出れるならお金に関して文句は言わないわよ」
困った、非常に困った。
この女、性格以外は仲間としての適性がありすぎる。
いよいよ断る理由が見つからなくなってきて、内心涙目を浮かべているとアニスが横から口を出す。
「レディさん、いいんじゃないですか?
ちょっと早とちりな方ですけど、話せばわかってくれる方でしたし、悪い人ではないと思います」
なぜアニス様はそんな乗り気なのです!?
この女は絶対やらかしますよ!
そう叫びたかったのをぐっと堪えて、ふぅと息を吐き出した。
考え方を変えよう。もうここまで来たら嫌だのなんだの言ってる場合じゃない。
そうだ、女の冒険者は珍しい。変に男を仲間にするよりかはずっと気安いはず。
アニス様の負担も減るし、そこまで悪い話じゃないのかもしれない。
この女以外にいい人が見つかる保証なんてないのだから。
……でも、せめて実力は見たい。本当に腕が立つのか見極めてからでも遅くはないでしょう。
「わかりました。
確かに丁度探していたのもありますし、仲間として迎えましょう。
ただし、本採用はあなたの弓の腕を見てからです。
本当に実力がある弓使いなのか、私に証明してください」
「ええ、そうねそれは勿論だわ。
あたしもあなたたちの戦いを見てみたいし。
噂の『銀嵐』の実力、ぜひ教えて頂戴?」
「……その、銀嵐と呼ぶのはやめてください。
すごく恥ずかしいので……」
痛いほど突き刺さるアニスの視線に、早速仲間に引き入れたことを後悔するレディエールであった。
賑やかになってきました。