第六話 涙の共寝
1
アニスの村とテラコッサは、思いのほか離れている。
レディエールが賊の討伐に赴いた時は、途中の村まで交易の馬車に相乗りさせてもらい、そこからは徒歩で向かった。
冒険者にとって、この移動手段の確保というのは大きな関門になる。
足で歩ける範囲はたかが知れている。当て所もない気ままな旅というなら結構だが、目的がはっきりしていると途端に人は速さを求め始めるものだ。
荷物の問題もある。馬は人よりもずっと多くを運ぶ。出先で思わぬ収穫があっても、徒歩だと対した数を持ち帰れない。
馬を手に入れる。どんな冒険者でも目指す目標であった。
カルドイークはとんでもない駿馬で、また賢馬だ。
悪路も難なく踏破し、馬車が揺れないように気を配ってすらいる。
これほどの名馬を知ってしまうと、他の馬では満足できなくなってしまうかも知れないな、とレディエールは唸った。
なんせ二日かかると思っていた中継の村に、一日でついてしまった。それもまだ日は落ちきっていない、夜まで余裕を残している。
「アニス様、カルドイークは実に素晴らしい馬ですね」
素直に感嘆の声を上げると、アニスは誇らしげに、自慢の家族です、と胸を張った。
何はともあれ、野営をせずに済んだのは大きい。
ここティッポ村はいくつかの村への中継地点で、ゆえに宿屋がある。
交易商人や冒険者達が一時の寝床を、そして情報を求めてこの村を訪れるのだ。
一回が食堂で、二階が泊まる部屋となっており、カルドイークを厩に預け店に入ると、中々の賑わいが迎えた。今日も繁盛しているようだ。
「部屋を借りたいのですが」
カウンターでカップを拭いている男に声をかけながら、大銅貨を四枚並べた。
男がレディエールとアニスを見比べると、
「一部屋だけ開いてる。
上がって一番奥の部屋だ。
ベッドは一つしかないが、お二人さんなら問題ないよな?」
などと答えるので、二人は思わず目を見合わせた。
「アニス様、私は地面に布を敷いて寝ますので、あなたが使ってください」
「いやいやいや、そんなの後味悪すぎて寝れませんって!
わたし、わたしが下になりますのでっ」
「そんなことできるわけないでしょうっ。
護衛対象を差し置いてベッドを使う騎士など聞いたことがありません。
やはりここは私が……」
「あー、お前さんたち」
きゃあきゃあと初なやり取りを繰り広げる二人を見かねて、店主が割って入った。
「別に女同士なんだし二人で寝りゃいいだろ、仲悪いのか?
地べたなんかで寝てみろ、体痛くしちまうぞ」
二人はもう一度お互いを見合わせた。
気がついていないわけではない、そういうことを言っているんだろうなとは最初に時点で理解していた。
「ですが私はご覧の通り体が大きいので、アニス様のお邪魔になってしまうじゃないかと……」
「その分そっちの嬢ちゃんがちっこいんだろうが。
なんのためのエルフだ」
別に小さくなるためにエルフやってるわけじゃないんですけど!?
喉まで出掛かった言葉をアニスはなんとか飲み込んで、大きく深呼吸した。
「とりあえず、ベッドを見てみましょうよ。
それからどうするか考えてもいいと思います」
アニスの提案に頷いて、先に部屋を見ていいかと店主に尋ねた。
付き合ってられんとばかりに肩を竦めつつも首肯してくれた店主に礼を述べて、軋む階段を登り部屋に入った。
確かに一人用を想定しているらしい、こじんまりとした部屋だ。
古びてはいるが手入れは行き届いているようで、汚れている印象は受けない。
木製のベッドには麻と藁を使った布団が敷かれており、ごわごわとしているが地面で寝るよりよほど暖かで柔らかい。
問題はその大きさだが、広々とはいかなかった。レディエールとアニスなら寝れないこともないが、予想以上に体を寄せる必要がありそうだ。
「うーん、これは思ったより……。
でも、できなくはない、のかな。
わたしはレディさんさえいいなら別に構わないのですが、どうします?」
一緒に寝たくない、といえば嘘になる。正直なことを言えば、頭を撫でて抱きしめて眠りたい。
アニスはそういう願望を掻き立たせるような、蠱惑的な儚さのある少女だ。
レディエールは幼少の時より体が大きく、可愛い服が似合わなかった。それ故に、自分ではなく他の可愛いものを愛でるようになった。
従姉妹のシャルティレーゼなどは猫可愛がりし、色々と服や人形を見繕ったものである。
騎士を志したのも、そうした小さくてか弱く可愛らしいものを守りたい、というのが一つにあったほどなので、筋金入りであった。
だが、アニスは実際には二十年以上生きているエルフである。そう言った行動を好ましく思わないかもしれない。
一緒に寝ることで嫌われてしまうのではないか。どうしてもその考えがよぎってしまう。
ここは断ろう、そう思って口を開きかけたが、急にゴウドの言葉が去来した。
"もうこれ以上、あの子に寂しい思いをさせたくはねえんだ"
"泣いてんだよ、毎日。どうしてあの日、ついていかなかったのかってよぉ"
そうだ、何を悩んでいるのか私は。アニス様は突然家族を失って、ずっと寂しがっているんじゃないか。
それに、エルフで言うとまだ子供だとも言っていたじゃないか。
私がお支えせず、どうするというのか。
アニスを見る。この小さな体で、どれほど悲しみに耐えてきたのだろうか、寂しさに嘆いてきたのだろうか。
レディエールは、我が意をその今にも消えそうな淡い輪郭に見出した。
「アニス様さえよければ、是非。
少し窮屈な思いをさせてしまいますが、よろしいですか」
アニスは、はにかみながらも微笑んだ。
2
宿屋の主人に部屋を借りることを告げて、二人は食事を取った。
一階の食堂は合わせて十数人の男たちが思い思いに談笑しており、テーブルには中々うまそうな料理が並んでいる。
給仕は宿屋の主人の娘だという。愛想がよく、明るく通る声の持ち主で、この娘が宿屋の雰囲気を照らしている。
レディエールもアニスも、この宿屋には何度か訪れたことがある。そしてここで頼むものと言えば、決まっているのだ。
居座る客も、皆ほとんど同じものを頼んでいる。
「マルサさん、こんばんは。
コルサドの豆炒めを二人前いただけますか?」
「はいよっ。……てか珍しい組み合わせだねー。
街の冒険者さんとー、ホルト村のアニスちゃんだよね。
今日はあの男の子はいないんだ」
「ええ、実はこの冒険者さんと旅に出ることにしまして。
マルサさんともしばらく会えなくなっちゃうと思います」
そっかそっか、とマルサと呼ばれた給仕の娘は少し寂しげに影を落としたが、すぐに持ち前の明るさを取り戻す。
「それじゃ、母ちゃんにとびっきり美味しい豆炒め、作ってもらわなきゃね!
飲み物はエールとミルクでいいよね」
首肯してやや待つと、コルサドの豆炒めが二皿と、なにか澄んだ薄黄色のスープが供された。
スープは餞別とのことだった。豆炒めも、いつもよりかなり量が多い。
まずはスープを口に含む。香りでわかってはいたが、これはコルサドから取った出汁を塩胡椒で味を整えたものだ。
コルサドは、水鳥の一種である。むっちりとした身質と甘い脂身が広く好まれている。
どういうわけかこの辺りにいるコルサドは特に肥えており、それをベズという辛い豆と炒めることで更に甘さが引き立ち、抜群の味を発揮するようになる。
数はそこまで多くはないが捕るのは苦労しないため、ここティッポ村ではちょっとした名物となっていた。
そんなコルサドのスープである。甘い脂がよく染み出しており、つくづく臓腑に染み渡った。
具がないのも、余計な雑味を感じることなくコルサドの旨味を堪能できるので好感が持てた。
「こんな具のないスープ、メニューに出来ないよって母ちゃんは言うんだけどさー。
あたいは好きなんだよね。やさしーい味でさ」
アニスもレディエールもこの言葉に頷いて、またお礼を述べた。
レディエールはエールもお替りしようと思ったが、この後アニスと寝ることを考えて、茶を頼んだ。
「さて、アニス様。
街に着いたらですが、アニス様には冒険者登録をしてもらおうと思います」
冒険者になるメリットはいくつかあるが、その最たるものは、最も簡単に取得できる身分証明書、という側面だろう。
冒険者になると協会にその名前が載り、どういう人物なのかの情報を記録される。
この記録は魔術によって全国の協会で閲覧することが出来、検問が参照する。
何処其処で登録した何某という冒険者で、今までこういう任務を解決しており、旅の理由は云々である、といった風である。
武器は何なのか、魔術、または魔法を使うのか、支援なのか回復なのかなどなど、詳細に情報を渡すため、身分証として都合が良いのだ。
「そして、アニス様用の防具を見繕います。
流石に着の身着のままで旅立つわけにはいきませんからね。
それから、悩んだのですがやはり、せめてもう一人は仲間が欲しいです」
二人での長征になると考えていたため、その言葉にアニスはきょとんと目を丸くさせた。
レディエールは強い。あの巧みな剣捌きは素人目にも練達と伺えた。
新たな仲間の必要など、微塵も感じていなかった。
「旅をするということは、当たり前ですが様々な場所に出向くことになります。
資金調達のために依頼を請ける必要も出てくるでしょう。
そういったとき、私とアニス様では決定的に欠けているものがあるのです。
なんだかわかりますか?」
「ええっと……ごめんなさい、わかりません」
「遠距離攻撃手段です。私は剣と盾しか使えませんし、アニス様も攻撃の魔法は持っていないと聞いています。
攻撃魔術や弓など遠くに対応できる仲間が欲しいのです。
もっと言えば、罠の解除やマッピングが出来てほしいところです」
なるほどなるほどと、アニスは頻りに頷いた。遠くから攻撃された場合の対処法が、二人には殆どない。
どんな秘境に行くかもわからないため、戦闘だけではなく旅路において重要な技能を持つ仲間も必要不可欠だと漸く認識できた。
「とはいえ仲間に関してはそう簡単には見つからないかも知れません。
あまり時間がかかるようであれば、別の場所で探すことも考えましょうか。
まずは冒険者登録。そして装備の新調ですね。その他諸々の細かい買い物もしておきましょう。
馬車があって助かりました、色々買えるものが増えますので」
そのあとは食事を取りながら、何を買うかの相談をした。
食料はもちろん、蝋燭やロープと言った消耗品から、体を拭くための布であるとか安いものでよいので遠眼鏡も欲しい。
それから、アニスの装備についてである。これについては実際に付けてみないとわからないが、重たすぎるものは装備できない。
革の胸当てぐらいは最低限つけておいたほうがよいだろうということになった。
兜もつけたいところであったが、魔法使いが髪を完全に覆ってしまうのは良くないことらしくアニスが却下した。
フード付きの外套と丈夫なブーツ辺りを用意しておけば、当面は問題ないだろうということで話は纏まった。
外套は、護りの魔術が施されている物が望ましい。見習い魔術師の手習い品が卸されていれば僥倖だ。
金はレディエールとアニスで折半することになった。
申し訳無さそうに頭を下げるアニスだが、無い袖は振れない。
馬を買うために貯めていた金が丸々余ったので、問題ないとレディエールは笑い飛ばした。
カルドイークはちょっとやそっとの金では到底買えぬ馬である。むしろ得をしていると言ってよい。
話が纏まると同時に食事が終わり、二人は各々水で濡らした布で体を拭いた。
女性同士と言えどなんとなく同席するのは気が引けて、交代で部屋の中に入って拭いた。
レディエールとしては背中ぐらい拭いてやりたかったが、まだそこまでの仲ではないか、と苦笑いをこぼした。
3
宿での宿泊でレディエールが何よりありがたいと思ったのが、防具を外して眠れることだ。
もちろん完全に安全かと言われればそうではないが、野営よりは何十倍もマシといったものである。
綿の服はレディエールのボディラインを如才なく浮かせ、切れ込みの入った胸元からは豊かな谷間が顔を覗かせている。
しっかりと筋肉の付いた肢体が窓から差した月明かりに照らされて、薄く透けた服から美しい輪郭を見せていた。
アニスは思わず、ほう、と息を吐いた。
普段凛々しい表情を柔らかく緩め微笑んでいる様子など、絵画を見ている気すらした。
「アニス様、どうしました?」
レディエールはぼうと立ち尽くすアニスに近寄り、しゃがんで目線を合わせた。
北方に多い金色の瞳が、美しい相貌を彩っている。夜を思わせる黒髪が月光で白ばみ、燐光を照り返していた。
「いえ、あの……レディさん、すっごくお綺麗だなあって思いまして」
つい思ったことを口にしてしまい、アニスは後悔して自分の口をふさぐ。
これから一緒に寝るというのに、そんな事を言っては変に意識してしまうじゃないかと、頬を赫々と染めた。
だがレディエールは意に介した様子もなく、からからと笑い出した。
「いやあ、そんな。
私など、あちこち筋肉がついてしまってちっとも女らしくありませんよ。
アニス様の愛らしいお顔立ちが、正直すごく羨ましいです」
レディエールがごろりとベッドに横たわり、アニスのために開けたスペースをぽんぽんと叩いた。
アニスは、どこかでこんな光景を見た気がした。
ああ、そうだ。
お母さんがこんなふうに、寝かしつけてくれたっけ。
「ほら、早く寝てしまいましょう。
狭くて申し訳ありませんが、少しの辛抱ですので」
この間知り合ったばかりの人と一緒に寝るのは、やっぱり変な感じがする。
でも、これからしばらくはこの人と一緒にいるんだ。
そんな感慨が急にアニスの内に湧いてきて、何故だかおかしくなってきた。
「ふふふ、レディさん、なんだかお母さんみたいです」
だから、この人にはもう少し率直に言っていいんだ。
もっと素直になっていいんだ。
隠したって照れたって、きっといつかは全部わかること。
この素敵な騎士様は、たぶん、許してくれる。
少し身を屈めて、レディエールの腕の中に身を預けるように横たわった。
お互いが向き合い、顔を見つめ合うと、自然に笑みが湧き上がり、二人は肩を揺らして笑った。
しかし瞼を閉じれば、アニスの内に安堵と喪失感が洪水のように押し寄せ、涙がこぼれ落ちるのを止められない。
レディエールは何も言わずに抱き寄せて、その頭と背をそっと撫で擦ってやった。
徐々にアニスの孤独はレディエールのぬくもりの中に隠れていき、やがて寝息だけが静かに部屋に満ちる。
月の光が二人を包む、優しく穏やかな夜であった。
次回、ようやくテラコッサに着きます。