第三十八話 妖精圏の厄介者
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龍。
ローレリアに住まう生物の中で最上位に君臨する正真正銘の最強種。竜と龍はまとめてドラゴンと呼ばれるが、実は全く違う生き物だ。
龍は、竜と違って寿命が存在せず、人語を解し、魔術を巧みに扱う生態系の頂点である。
強さや知能指数、そして生きてきた年数によって下位、中位、上位と区分され、更に上位を超える伝説的な龍は「古龍」と呼ばれた。
下位であろうが討伐難易度は中から高とされ、成功すれば龍を討伐したとして冒険者手帳にその記録が書き加えられ称賛を受けるほどであった。
「いやいやいや、龍はさすがにまだ早くない!?
いくら下位ってったってこっちは3人しかいないのよ!?」
確かに、銀級に上がったばかりの二人と銅級の治癒士だけで龍に挑むのは無謀と言ってよい。
龍は強靭で頑強、鋭敏にして聡明。並大抵で排除できる存在ではない。できれば銀級以上が5名は欲しいところだ。
本来であればレディエールが拒否するべき場面だが。
「いえ、今はとにかく時間が惜しいです。
それに、相手を見もせず無理と決めつけるのは早計でしょう。
受ける受けないはともかく、様子をうかがうのは悪いことではありません」
様子を見る、とは言っているが興奮が隠せていない。
龍征の騎士。騎士を志すものなら誰しも憧れる名だ。
そうでなくとも自由の魔女からもらった風のマナを試してみたいレディエールにとって、ゾーイの申し出は渡りに船であった。
「わたしも。
……その、可能性があるならそれに賭けてみたい、です。
お話を聞いてみるだけでも、だめでしょうか?」
珍しくアニスまで乗り気なのは、やはりカッサベルナ前に辿り着けるかもしれない、という期待が大きいのだろう。
龍というものを一目見ておきたい、という気がないわけではないのだが。
「あーもー、わかったわかった!
ほんっとしょうがないんだからこの主従コンビは。
ヤバそうならすぐ退散! これは絶対だかんね!」
「よし決まり!
そいじゃ早速妖精圏へご招待~♪」
ゾーイが指をぱちんと鳴らすと、三人の前に転移門が生成される。縦に伸びた楕円形の門は、そこだけ空間が水面のようにたゆたっていた。
淡く揺れる光は青とも緑ともつかず、覗き込めば、向こうには常識ではあり得ない景色が広がっている。
空は昼でも夜でもなく、金と群青が溶け合う暁闇。
その中を、万年雪のように白く輝く花びらがゆるやかに舞っていた。
遠景に見えるのは雲に根を下ろした逆さまの大樹。白い花びらはその大樹から降ってきているのだ。
一目で、尋常の世界でないことは窺い知れた。一歩踏み込めば、もう後戻りはできない――そんな予感を抱かせる、美しくも妖しい世界。それが妖精圏であった。
ごくり、と三人は唾を喉奥にしまい込みつつ、足を踏み入れた。
まず、空気が違う。ほとんど直感的に三人、とくにアニスは感じた。
何もかもが濃密なのだ。横溢するマナも、木々の香りも、川のせせらぎから生じた爽やかな湿り気も。
吸えば吸うほど内にマナが漲るのが分かる。その殆どが、あの上空に生え下がっている大樹から発せられている。
あの木が、ここを別世界たらしめているのだ。アニスはなんとなく、そう思った。
さらに言えば、この世界には太陽がない。大樹の葉が優しげな光を生み出しており、擬似的な太陽として機能していた。
「なん……というか、圧倒されちゃうわね……。
色んなところに行く旅ってのは分かってたつもりだけど、まさかホントにこんなところに来れるなんて……」
フォリントのぼやきに、レディエールとアニスが声もなく頷く。
「ふふふっ、そーゆぅ反応を待っていたのよんっ。
ようこそ、とこしえの楽園、妖精圏へ。
歓迎するのだわ、人間」
どこに隠れていたのか、わらわらと小妖精たちが集まって、ゾーイの言葉に呼応するように三人を熱く迎えた。言い換えれば、揉みくちゃにされた。
ゾーイ含め楽しげな妖精たちの様子に、レディエールは違和感を覚える。
とてもじゃないが龍に襲われているようには見えないからだ。
「本当に龍など出てきているのですか?
まるで緊張感がないと言うか、悲壮感がないのですが」
「あーそれね。あたしたち妖精は、食べられても死ぬわけじゃないのよん。
なんだっけ、霊的存在? だから、食べられてもうんちから復活できるってわけ」
フォリントとアニスはずっこけそうになった。心のなかで、じゃあいいじゃん! と突っ込みを入れた。
……よくよく考えて、別にいいわけではないか、とアニスは思い直したが。
「まーでもうんちは臭くて汚いし、いい気はしないってのはわかるでしょ?
なによりあいつ、でっぷり太って醜いったらありゃしない!
あたしたちの領域に置いとくのはなんかヤなのよん」
なんかヤだ、その程度の理由で龍と戦わなければならないのか。
不服に思ったが、レディエールはそれを口にすることをやめた。
依頼があって、冒険者がいて、報酬がある。ならば理由など二の次、三の次だからだ。
「……ま、なんでもいいけどね。
それじゃとりあえず、その、なんだっけ? ヴォーネ? とかいう奴のところに案内してくんない?」
肩を竦める程度に表現を抑えたフォリントにゾーイが頷く。
こっちよんと導かれるままその後ろをついて行くこと数分、光差す開けた草原に出た。
大樹の光を浴び、気持ちよさ気に何者かが眠っている。
そう、何者かだ。ぶくりと肥えた肉、意味を為しているのかわからない小さな翼。無様ないびきに鼻提灯。まるで威厳のないその様子に、レディエールはそれを龍と呼びたくなかった。
「……あれ、なの?」
「ええ、あれよ」
レディエールがこめかみを押さえる。あれは、あれでは龍征の栄誉など望むべくもないのではないか。騎士が思い浮かべる龍というイメージから、あまりにもかけ離れたとぼけた存在だ。
だがアニスだけは、その姿を見てむしろ一層警戒するように身を強張らせた。
「お二人共、気を緩めないでくださいっ。
わたしでもわかる、あのドラゴン……いえ、龍はかなりの量のマナを溜め込んでいます……!」
ウーラスーラほどではないにしろ、額にじわりと汗が滲むのを感じる。間違いなく相手は龍で、強者だ。
アニスの剣呑な雰囲気に当てられて、レディエールとフォリントが後ずさる。どんなふざけた外見をしていても相手は龍なのだ。気を緩める隙など一部もないはずだ。
「さっすが、変な祝福かけられてるだけのことはあるわねん。
そうそう、あれであいつはれっきとした龍。ナメてると痛い目見るわよん?」
何故か得意げにほくそ笑むゾーイに苛立ちを感じないでもないが、とにかく相手の様子は確認ができた。
寝ているのであればある意味今こそ絶好の好機でもあるが、アニスがここまで警戒するのだ。レディエールとしてはもう少し観察したいところであった。
「ゾーイ、お願いしたいことがあります」
「はあい、なにかしらん?」
「起きている時の様子も見ておきたいです。
食べられても死なないというのであれば、一度その様子を観察させてもらえませんか?」
一瞬、時が止まったかのような静寂が訪れた。
「……こっ、このひとでなしっ!!」
2
レディエールの心無い発言は妖精中に広まり、歓待ムードはすっかり失せてしまっていた。
アニスとフォリントにもすっかり引かれてしまい、レディエールはがっくりと肩を落としてしまっていた。
少し反省したほうがいい、とすらアニスは思っていた。
それはそれとして、起きている時の様子を見たいというのはその通りであり、渋々と言った様子ではあったがヴォーネが起きる夜まで待たせてくれることとなった。
アニスはそんな必要ない、と言ったのだが、龍相手に慎重になること、それ自体はいいことだわ。……と最後には笑ってくれた。
食事をする、という概念が妖精にはない。
物を食べる事自体は可能ではあるが、それは楽しみのためだけのものであり、生命活動に必要なエネルギーはすべて大気中のマナを肌で吸うことで賄われている。
そして楽しみのための食事で最も手っ取り早くかつ幸福感に浸れるものとはなにか。
甘味である。
とりあえず夜まで待つことになった一向に差し出されたのは、やけにひんやりとした謎の木の実であった。
随分と大振りである。表面は繊維質な皮で覆われており、振ると中で水が跳ねる音が聞こえた。
これはなにか、とフォリントが妖精の一人に問うと、マンフォッツの実だと教えてもらった。
「実の中にジュースを溜め込む木でね~、とっても甘いの~。
冷やしてあるからおいしいよ~」
「へー、面白い木の実ねー。
……でもどうやって飲むの?」
「これをつっこめばいいよ~」
ゆったりとした口調で妖精が差し出したのは、細長く先端が鋭利な棒であった。
よく見ると内側が筒状に空洞となっており、そして軽い割に中々の硬度を持っていた。
「これはスーロっていう植物の茎~。
刺して~、吸い上げるみたいな~?」
言われるがままにマンフォッツの実にスーロを突き立てる。面白いぐらいさくっと刺さったスーロに口をつけ、ちゅるりと吸い上げた。
よく冷えた乳白色の液体が舌に触れると、フォリントは喜色に眼を輝かせた。
「えっ、なにこれ甘っ!
それにすっごく冷たくって、え~ヤダ美味しい~っ」
フォリントのはしゃぎように好奇心を煽られ、見様見真似でアニスとレディエールも続く。が。
「……ぬ、ぬるい……」
「お姉さんのは~、とくべつ~。
出してあげるだけでも、ありがたいって思ってほしいっていうか~?」
い~っ、と両人差し指を頬に引っ掛け口を横に伸ばす妖精に、申し訳無さそうに身を縮こませるレディエール。
流石にちょっと可哀想かな……。
妖精が帰ったのを確認した後、萎れた花のように小さくなるレディエールに、こっそりアニスが自分の実を差し出した。
「ほら、元気だしてください。
これからは、言葉に気をつけましょうね?」
「アニスさま……」
じ~んと目元を潤ませるレディエールに、アニスとフォリントは苦笑いに肩を揺らした。
――ふと、間接キスだなあと思わないでもなかったが、美味しそうにちゅうちゅう吸うレディエールを見て、今更いっか、とアニスは心の中にしまいこんだ。




