第三十五話 自由の魔女
1
奇抜な衣装に身を包んだ少女が、こちらに向かって走ってくる。
歳の頃は十二・三と言ったところだろう、アニスとそう変わらない。
そばかすを鼻の上に乗せた愛嬌のある顔立ちが印象的であった。
レディエールと少女の視線が交わる。明るい翡翠の瞳がにいと歪み、幌馬車の後ろに回り込んで、背を屈め身を潜めた。
……かと思えば、何故かその後方に少女の走り去る背中が見えた。
やがてぜいぜいと息を切らしながら衛兵らが四人ほど横を通り過ぎ、その背を追っていった。
「……撒けた?」
馬車の後ろに隠れていた少女がひょっこり顔を出して、辺りを伺う。
自分を追う者がもういないと分かると、安心した様子で馬車の中に乗り込んできた。
「いやー助かりました! とっても隠れ心地の良さそうな馬車があって大助かり! さんきゅう!」
「えっとえっと、待ってね。色々整理するから。
……今あんた、向こうに走っていかなかった?」
フォリントの問いに、アニスとレディエールが何度も首を縦に振る。たしかにこの少女は馬車の横を通り過ぎて逃げ去ったはずである。三者ともがその様子を見ていた。
「あれは囮の魔法! あらしの分身を作って、それを追わせたのです!
うぷぷぷ、今頃どこまで追いかけてるんでしょうねえあのおじさんたち!」
三人の間に緊張が走る。
けらけら肩を揺らして笑う仕草は悪戯好きの子供そのものだが、その奇抜な服装と魔法という言葉が合わさるとそうも楽観視できない。
アニスが喉を鳴らしつつ、極めて平静を装いながら訪ねた。
「失礼ですが、どちら様で……」
「あっ、申し遅れましたね! あらしはホルティナ、ホルティナ・エグレース!
人呼んで自由の魔女です、よろしく! ブイ!」
明るく言い放つホルティナに、アニスの笑顔が凍りつき、フォリントが思わず口を開く。
「自由の魔女って……まさかあの解放者!?」
「おーおーおー、そうそう! あらしですあらしです!
よかったあ、偉いことしてると自己紹介が短く済んでラクでいいね!」
もう百年も昔のことだ。当時奴隷という存在は巷でもよく見かける存在であり、ちょっと大きな街なら奴隷を買うための市場があった。
貴族はもちろん商人や傭兵団、時には冒険者ですら奴隷を連れていた。
その奴隷という制度をなくしたのが、解放者――自由の魔女である。その偉業は数多の本にもなっており、人類のみならず魔族にも広く知られた名であった。
世界最高の騎士たちを集めた精鋭部隊である中央騎士団を単独で跳ね除け、当時の人界王アルグラード十三世に奴隷の違法化を直談判したのである。
中央騎士団と言えば一人一人が人類をやめているとすら言われる実力者集団であり、世界法を犯すものを容赦なく断罪する恐るべき騎士団である。
それが、たった一人の魔女に刃が立たなかった。この事件は中央の威光を貶め、魔女が恐るべき存在であるということが周知されることにもなった大きな要因であった。
「でもでも、そんな強張んなくていいですよ。
らくぅーにお話してくれると嬉しいです。ね?」
なぜか、彼女のその言葉でふっと胸の内の凝り固まったものが取り払われたのを三人は感じた。
言葉通りにリラックスをしたとか、彼女の人となりに触れて和んだ……というわけではないだろう。
これこそが、まさしく自由の魔女の権能なのだ。
「ええと、それじゃあ……あっ、先に自己紹介ですよね。
わたしはアニス、わけあって旅をしています。
こちらはレディエールさんにフォリントさん。腕のたつ騎士様と弓使いさんです」
アニスの紹介に軽く会釈を返しつつ、レディエールは金色の目を細めた。
考えようによっては、この状況は後々役に立つかもしれない。
自由の魔女は強大な魔女である。親しくしておくに越したことはない。
ましてやアニスには苦難を呼び寄せる祝福がついているのだ。味方は多ければ多いほど良い。
「アニスちゃん、レデちゃん、ホリちゃんね! よろしくです!」
「なんかあたしだけ別物になってない……? まあいいけど。
で、あんたなんで追われてたの? 大分お冠だったみたいだけどあのおじさんたち」
「あー、それ聞いちゃいます? まあ……自由には代償が時に伴うというか……そんな感じです!」
明るく笑い飛ばしたその陰に、どんな事件が起きているのか。想像するだに衛兵たちの苦労が偲ばれた。
衛兵たちも恐らく、この少女が自由の魔女であるということは知っているのだろう。
「今度という今度」という言葉からも彼女の行為には常習性があり、かつ恐らく何らかの法に触れるものだ。
本にも出るぐらいの偉人だが、だからといって罪が見逃されるわけではない。
魔女とは元来、自らの欲望に従って突き進む者だ。「自由」という名を考えるに、法にとって不都合な欲望も多分にあるのだろう。
「しかし貴女なら衛兵など物の数ではないでしょう。
中央騎士団との一戦は私……あ、いや。
『俺も本で読んだが、正直現実に起きたこととは思えないほどだった』」
え、なんで急に話し方変えたんですか? と一瞬きょとんとしたホルティナであったが、まあいいかと話を続ける。
女性ということはバレているのだろうが、列に並ぶ他の人々向けに演技をし続けなければならない状態がレディエールには少し、億劫であり憂鬱であった。
「いやあ、それはそうなんですけどね?
でもさでもさ、流石にあらしもここで魔法を使うのは流石に流石に良心っていうの?
そういうのが痛むんですよねぇ……まあまあ、あらしのことはいいじゃないですかっ、それより!」
びしっとホルティナがアニスを指差す。
突然の指名に瞳孔を開いてきょろきょろと周りを見渡した後、「わたしですかっ!?」と声を上げた。
「そう! アニスちゃん、めっちゃすごい祝福もらってるじゃないですか!
それってアトリアさまのあれですよね? なんだっけぇ、えーっと、仔牛のつの……?
なんか、そんな感じの!」
「仔牛……? っていうか、アトリアさんのこと知ってるんですか!?」
ふふん、とホルティナは得意げに鼻を上げた。
ほんのり上気した頬が嬉しそうに歪む。
「はい! アトリアさまとはクェンベリさまのお茶会にお邪魔した時お話しましたよ!
あの方はあらしの自由を肯定してくださって、少しだけお力を分けてくれたんです!
じゃなかったらいくらあらしでも、中央騎士団全員を相手に一人で勝つのはちょーっと難しかったかもしれません!」
「龍の力を……なるほど、それで……」
得心したようにレディエールが頷く。
レディエールが自由の魔女と中央騎士団の戦いを描いた本を読んだのはまだ彼女が幼い頃であったが、一撃で騎士たちを吹き飛ばしただの、騎士たちは剣を抜くことすら出来なかっただの書いてあったため、今の今まで信じていなかったのだ。
「あらしは言っても魔女の中ではまだまだ新米の方ですしね、ってそうじゃなくって!
あらしのことはいいんですってば! それ受けた人ってみんな英雄になってるの知ってます?
はぁー、アニスちゃん見かけによらずすごい子なんですねえ~」
きりきりと痛む胃を押さえるように、アニスは胸に手を当ててため息を付いた。
ちょっと見える人に出会うといつも過大な評価を受けてしまうため、目立つことが苦手なアニスには悩みの種だ。
せめて隠す方法はないだろうかと真剣に考え始めていた。
「『少し聞きたいんだが、それは元から強い人物に授けられるのか?
それとも見込みがある者に授けられるのか?』」
「それは別に決まってないよーな。どっちのパターンもあるはずですよ。
アトリアさまはその人の力って言うより心を見るらしーので、強くなくても心に惹かれたなら与えてるんじゃないですかね~?
だから、アニスちゃんは伸びしろを期待されてる的な?」
「伸びしろ……重い。荷がほんっとうに重いです……」
青い顔を浮かべるアニスの頭をぽんぽんと撫でながら、フォリントが呆れたように瞼を細めて口を開いた。
「ていうか話逸らさないで。あんた何したのよ。
それによっちゃあたしたちも擁護出来ないんですけど?」
「う~、やっぱだめですぅ? んん……まあ、その。
ちょーっと歩くのを手伝ってあげたといいますかあ、邪魔なものがあって通れない人たちをお助けしたっていいますか、そんな感じ……?」
しばしの沈黙が訪れた後、「はぁ~~~~~~!?」とフォリントが素っ頓狂な声を上げホルティナの肩を掴みガクガク揺らした。
「ちょっとそれ、不法入界させたってこと!? ふっつーに重犯罪じゃない!?」
「おわわわ、おちおちおちおちついてくらさい!!
だってだってだって、世界は誰のものでもないんですよ!?
勝手に領地だの何だの決めて行きたい人を通さないなんてあらし許せません!
人は本来自由に世界を歩けるべきなんですよぉ!」
「そういう問題じゃないでしょぉ!?」
レディエールは急に襲ってきた疲労感に目頭を揉み、深い溜め息をついた。
この状況を衛兵に見られたら自分たちも共犯と思われかねない。
「ど、どうする、今からでも衛兵に引き渡す!?」
「い、いやいや待って待って!
せっかくあらしたち仲良くなれたんじゃないですかぁ~、そんな悲しいこと言わないでくださいよ!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ二人をよそに、アニスがレディエールにこそっと尋ねた。
「レディさん、魔界への不法侵入ってどれぐらいの罪なんですか?」
「そうで……んんっ。
『……そうだな、関所を無許可で越えるのは、単独なら罰金か数日の拘束で済むこともある。
だが、他人を助けて複数人を越えさせたとなれば話は別だ。
重ければ数年の投獄、場合によっては魔術師協会に引き渡されて厳罰もあり得る。
彼女は魔女だから様々な事情や影響を鑑みて、特別な措置が取られる可能性もあるな』」
「結構重いんですね……ねえホルティナさん、今からでも自首したほうが……少しでも罪が軽くなるかもしれませんよ?」
「いやいや待ってほんとに待ってくださいってば!
そんな数年も閉じ込められてる場合じゃないんですって!
あらしにはやることがあるんですって!」
青ざめた顔でホルティナが口にした言葉は、聞き覚えのある意外な街の名であった。
「あらしは、モルデオンで沢山の人を救いに行かなきゃなんです!」




