第三十四話 魔界への街道
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エンデレアら三人を見送った一向は、一度宿屋に戻って休むことにした。
エンデレアの封印が解かれたことによりダンジョンから漏れていたマナは徐々に目減りしており、近隣で増えていた魔獣の凶暴化も次第に収まるそうだ。
そのことを宿屋の主人に伝えたら心底ホッとしたようで、礼としてその日の宿賃と食事代をタダにしてもらえた。
別に依頼を請けていたわけではないので報酬など渡す義理はないはずであったが、気持ちだと言われて断る冒険者はいない。ありがたくご好意に甘えさせてもらうこととなった。
「――それで、古き森ってのは結局今どこにあるのかは分からないのよね?
今後のルートどうする?」
別れる前に、エブリーはアニスに古き森について知っていることを報酬として話してくれた。
曰く、かの森は浮遊大陸ネフィルナにあるという。
その名の通り空に浮かび、ゆっくりと移動し続けているという伝説の島だ。
特殊な魔術により地上から視認できず、上陸するためには上空から入るしかないということであった。
魔術師協会の中でも選ばれた魔術師や魔女なら現在地を把握しているそうだが、余程のことがない限りそれ相応の金が必要になるという。
――つまり、現段階で次の目的地とするにはかなり無理があるということだ。
「当初の目的通り、グランフェティを優先しましょう。
故郷のことは気になりますが……お姉ちゃんの足取りを追うほうが先です。
それにネフィルナなんて途方もなさすぎて、行けるビジョンがまったく浮かびません」
「同感。あたしの探してるものも案外そこにあるのかも知れないけど……こういうのはまず近いところから潰すのがセオリーよ。
魔王の住む街ならもしかして空を飛ぶ手段も見つかるかも知れないしね」
二人の言に頷いたレディエールが、机に地図を広げ一点を指で叩いた。
「となると次に行くところはここ、アーザス関所ですね。
西側の魔界への出入り口で、宿場町もあります。
普通は通行証が必要ですが、私とフォリントは銀級冒険者なので冒険者証だけで通れるでしょう」
冒険者証は魔術によってその冒険者の記録が詳細に刻まれており、身分証明書として機能する。
銅級から国外移動が、銀級からは魔界への移動が解禁される。
これは依頼により遠征に赴くこともしばしばある冒険者だからこそ許されている特権であった。
無論、刻まれた記録に問題がなければの話ではあるが。
「つくづく、銀級に上がれてよかったわよね。これもアニスのおかげだわ」
不意に褒められこそばゆくなったアニスは、ほんのり紅潮させた頬を掻いた。
ウーラスーラとの一件でアニスは銅級に、レディエールとフォリントは銀級に上がっていたため通行には問題がない。
多少通行料を払うことになるかもしれないが、特に金銭的にも困っていないため何事もなければ楽に魔界へ入れるはずである。
「でも、そういえばわたし魔界ってどういう場所なのかよく知らないんですよね。
なにか用意しておいたほうがいいものとかあるんでしょうか?」
「魔界といっても魔族が統治しているエリアというだけですので、風土はそれほど変わらないと聞きます。
文化的なギャップを感じることはあるでしょうが、物資としては今あるもので十分だと思います」
「フェティアゴルの領地は人間も相当数入ってるらしいし、食べ物とかもあんまり困らないと思うわ。
そういう面は安心だけど、やっぱり注意しときたいのは、その……奔放なところよね」
奔放というのはかなり婉曲な表現だ。
サキュバスの女王であるフェティアゴルの治める領地、特にその直轄地であるグランフェティは訪れたものの欲望、特に肉欲を開放させる街と名高い。
男女問わずそこへ行くことを告げると白い目で見られる。そういう場所である。
故にアニスは姉の消息がそこで絶たれていることに甚く衝撃を覚えたし、レディエールとフォリントはなんと声をかければよいか分からないのであった。
「あ……なんか急に恥ずかしくなってきました……そうですよね、わたしたちが行くところってそういう場所なんですよね……」
アニスは急に周囲の目が自分たちに注がれているように感じられた。
女三人で風俗街へ行くようなものだ。自分たちがどう世間に見られるのか、想像に難くなかった。
無論、そういう経験はない。初めてのキスですらこの間不意打ちのように奪われたぐらいだ。
しかしそれを余人がどう知るというのか。
知ったとしても、興味本位でそういう体験をしようとしている反抗期の娘とでも取られるのが関の山だろう。
大人しそうな顔をして大胆だ、などと思われでもしたら……そう考えると、途端に顔が燃えるように熱くなり、急いでフードを目深に被った。
「……まあ、こればっかりはね。顔を隠すぐらいはしといた方が良いかも。
最悪誘ってると思われて変な連中に声かけられたらウザいことこの上ないし」
「確かに……そういう目的で行っていると思われるのは心外ですね。
特にアニス様とフォリントは目立ちますし、なにか良い手があれば良いのですが」
うーん、と三人が声を上げると、ハッとしたフォリントが急に猫のような笑みを浮かべレディエールへ向いた。
レディエールの首筋に冷や汗が流れる。碌でもない考えを閃いたに違いないからだ。
「男がどういう女に声をかけないか。
それは顔が見えないとかそういうのじゃなくて、すでにお手つきされてる女よ。
つまり、あたしたちにすでに男がいれば興味を失うってわけ」
「でもわたし達はみんな女性で男の人なんて……」
「いるじゃない。かっこよくて逞しくて力強い立派な騎士様が。
ちょっと胸はあるけど……やりようはいくらでもあると思わない、レディエール?」
やはりか、とレディエールは大きなため息を吐き出した。
「レディエールに男装してもらえばいーのよ。これでまるっと全部解決ね!」
2
「うっ、……最近嫌な予感の的中率が頗る高いのですが、龍の祝福とやらによるものなんでしょうか」
レディエールは呻いた。
男装の第一歩として、麻布で胸を押さえ込まれた時のことだ。
筋肉質にも関わらず乳房も豊かなレディエールは、髪型を多少変えるぐらいでは男性と見られない可能性が高い。
ぎゅうぎゅうと胸を締め付けられれば、呻きの一つも漏れるというものだ。
「さあねえ、でもこの運命はあの事件が起きる前から決まってたんじゃない?
アニスがそのアトリア? ってドラゴンの夢を見たのってウーラスーラの時で、グランフェティに行くことはその前から決まってたわけだしね」
「ご不便をおかけします……」
姫になったり、今度は男になったり。こんな短期間で立場を変えることになるとは、思ってもいなかった。
前回アニスが姫になったときのように、冒険者協会で衣服を用意してもらえるわけではないので、持ち合わせでなんとかするしかない。今いる宿場町で体型を隠す外套はなんとか手に入ったが、それで隠すだけではどんなタイミングでバレるかわかったものではない。
アーザス関所までまだ少し距離はあるが、周囲の目を考えると現地でいきなり男装するわけにもいかない。むしろ今からでも遅いぐらいだ。
「ま、こないだの罰と考えればかなり安いほうよ。
……うん、まあこんなもんじゃない?
髪はぼさぼさとした感じを出して、あとは鎧の上に外套を羽織れば……」
「お、おぉ……!」
アニスの口から思わず感嘆の息が漏れた。半固形の油を少量混ぜられた髪はいかにも洒落っ気に頓着していないぶっきらぼうな雰囲気が出ており、襤褸の外套も思ったよりずっと雰囲気が出ていた。
束感のある髪から覗く美貌も、頬についた傷を目立たせることで印象をそちらに引き付けている。
目敏いものであれば美青年であることには気づくだろうが、少し見たぐらいでは女性とは分からないだろう。
鏡に映る自らの姿を見て、レディエールは目を丸くさせた。
「これが、私……? 少し見せ方を変えただけで、ここまでむさ苦しく……?」
「姿勢とか仕草とか、あと特に声とかも気をつけなさいよ。極力低い声で話すの。
話し方ももうちょっと男らしい感じが良いわね。
『おいフォリント、荷物をまとめろ』みたいな感じ?」
レディエールは半ば瞼を閉じ、注文が多い……と面倒そうな視線をフォリントに送った。
「……『おいフォリント、荷物まとめろ。それから俺で遊ぶのをやめろ』」
おおお、と感心した二人が拍手を送る。
フォリントだけならげんこつの一つでも降らしてやろうかと思ったが、アニスまで楽しそうにしているので、決まりが悪いと言ったらなかった。
「いーじゃないいーじゃない、もう立派なぶっきらぼうな剣士って感じ。
こんなヤバそうな男と一緒に歩いてる女は、流石に狙わないでしょ。
いても一声で退散するわね絶対」
「全く、悪知恵ばかり働くんですから。
……まあ、しょうがありません。これもアニス様のためです。
精一杯演じますとも、ええ」
ため息混じりの声に、アニスは乾いた笑みを浮かべる他なかった。
3
宿を出て、アーザス関所へ向けてカルドイークを走らせること二時間半。
徐々に街道が賑わいを見せ始めたことに三人は気付いた。
「なんだか随分と人が多いですね……?」
アニスがあたりを見回しながら呟く。
そして関所が見える地点まで進むと、レディエールは思わず馬車を止めてしまった。
「なんですかあの行列は……」
関所へ続く道に長蛇の列ができていたのだ。
何人いるか数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの長さを見て、アニスもフォリントも思わず呻いてしまう。
やがて列の最後尾についたが、最前列が全く見えない。
自分たちの前にいる、もう何時間前から並んでいるのかわからないと言う男に、レディエールがなんの列かを尋ねた。
「おいおい、知らねえでここに来たのか?
そりゃグランフェティで『カッサベルナ』が催されんだよ。
こいつらぜーんぶ物見遊山の連中だよ」
「カッサベルナ?」
「一年に一度、あの快楽都市が更に華やかになる祭りさ。
なんてったって目玉は魔王フェティアゴルによるパレード!
歌姫でもある魔王が毎年毎年新曲を引っ提げつつすんげえ乗り物に乗って街中を回遊するんだよ。
聴いたこともねえ音、見たこともねえ装飾、思わず聞き惚れる美声!
美味いメシもいい女も食い放題!
今文化の最前線はグランフェティだって言う連中もいるぐらいなんだぜ」
説明を聞いたアニスたちが顔を見合わせる。
タイミングがかなり悪いようだと、ここで漸く悟った。
「ま、関所超えは半日後か、それとも一日かかるか……ってとこだね。
まだ開催まで日はあるし、のんびり行こうや」
けたけたと肩を揺らしながら、男は胸元にしまい込んでいた酒瓶を取り出し、煽る。
長丁場になると踏んでいたのだろう、無聊を慰めるための用意は万全のようであった。
レディエールは嘆息し、肩を竦めた。
「そういうことらしいで……『みたいだ。まあ、こればかりは仕方ねえな』」
男らしい口調を忘れかけていた様子にくすっと小さな笑いが起きたのも束の間。
突然遠くから「おたすけーっ!」という少女の声が響いた。
同時に、衛兵たちの「待てホルティナッ、今度という今度は逃さないぞ!」という怒号が追いかけるように響く。
声のする方へ目を凝らすと、奇抜な装いの少女が、大勢の衛兵に追われながらこちらへと駆けてくるのであった。
左右非対称な見たこともないデザインのコート、カラフルすぎる刺繍が施されたブラウス。
風を受けて揺れる亜麻色の髪はカールがかかっており、とてもではないが一般市民には見えない。
彼女の姿はどこか風に任せて自由気ままに漂うようであり、束縛を拒むような、不思議な軽やかさがあった。




