第三十一話 ガーゴイル
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通路と広間の境に足を踏み入れると、ぱき、という音が響いた。
微動だにしなかった石像――ガーゴイルがわなわなと震えはじめ、獅子をゆっくりと動かし始める。
関節部から砂埃が出てはいるが、表面がひび割れているようには見えない。石造りなのにまるで皮のようになめらかな可動を見せた。
石の頑丈さはそのままに動きだけが生き物じみていて、長い尾など特に靭やかである。
固い挙動や鈍さを期待してはいけなそうだ。
じり、じりとレディエールとレドが相手の出方を窺うように距離を詰めつつ、その裏ではフォリントの弓がガーゴイルの額に照準を合わせた。
モルデオンで買い込んでいた金属の矢尻を用いた矢。それであれば例え致命傷は与えられないにしても傷はつく。
傷が付けばそこを起点に攻撃を加えれば、頑丈な体であっても破壊できるはずだ。
レドは、丸腰である。彼にとって武器とは拳であり、足であり、爪であり、牙なのだ。
人間のそれとは比較にならぬ筋肉量から繰り出される殴打は岩を容易く砕く。畢竟、ガーゴイルに明確にダメージを与えられるのはレドということになる。
無論ガーゴイルの肌はただの岩とはわけが違う。レドとて拳打一撃では崩せないだろうが、レディエールも精強な戦士である。
ハルオライト鉱とジオフィア鉱で鍛えられた剣は岩を叩こうがそう簡単には刃こぼれはしない。フォリントの傷に剣戟を浴びせ、断ち切る腹づもりである。
そうして三人でガーゴイルを、じわじわと砕いていく作戦であった。
「来るぞッ」
ガーゴイルの右足に力が込められたのを目ざとく見つけたレドが吠える。瞬間、ニ度の事が起きた。
まず最初に、フォリントの第一矢が放たれた。それとほぼ同時に、ガーゴイルが佇んでいた土台が粉々に砕け散った。
土台を蹴り上げる猛突に耐えられなかったのだ。剛腕が唸りを上げて、まずはレディエール目掛けて一直線に襲いかかる。
勢いの激しさにフォリントの矢はあっけなく弾かれ明後日の方向へ飛んだ。
「はっ、アぁっ!」
奥歯を思いっきり噛み締めて、レディエールが渾身の力でガーゴイルの猛追を横へ弾く。一瞬態勢を崩したガーゴイルの首筋に白刃を思いっきり突き立てようとするが、嫌な音ともに傷ひとつ付くことなく弾かれ、今度はレディエールが大きく左後ろに仰け反った。
「無茶をするな!」
すかさずレドがガーゴイルの脇腹に拳を放つが、なんとこれも思ったようなダメージは見込めず、却って反射されたダメージにレドの骨が軋みを上げた。
大きな翼をばさりと広げ、中空へと飛翔するガーゴイルを、恨めしげに二人は睨みつけた。
「思った何倍も硬いな。下手に攻撃しても却って逆効果だ」
「魔術でしょうか?」
「というよりマナで単純に強化されているな。材質もただの石ではなかろうが。今のままでは、弓は牽制にすらならんかもしれん。
だが、まあ。うちにはエブリーがいる」
はっとレディエールがエブリーへ振り返ると、今まで見せていたような短い文とは違う長文が、光の文字となって空に刻まれていた。
"春風の化身よ、咲き誇る花弁の中に秘めし大いなる風の龍よ"
"悠久より吹き荒れし烈風の力をここに顕現せん"
"邪なる力を祓い、真の姿を暴き出せ"
暖かな風が、びゅうと音を立てて広間に流れ込んでくる。
花びらを纏った風が広間をぐるりと駆け巡った後、蛇のようにガーゴイルに絡みついた。
「オ、オォォ……ッ!」
魔術が効きにくいとされたはずのガーゴイルが、この風には露骨に嫌悪感をむき出しにして、狂ったように広間を飛び回って何度も壁に激突した。
暫くすると風は止んだが、ガーゴイルの体中に細かな罅が入っており、心なしかガーゴイル自身から余裕がなくなっているように見えた。
「一体何が……」
「あの風はマナを削り取る。これで理不尽な硬さはなくなったはずだ。
一気に畳み掛けるぞ」
言うが早く、レドは渾身の力を脚部に込め地面を蹴り上げる。一気にガーゴイルの頭上まで高らかに跳躍すると、両手を組んでその頭を上から殴りつける。
鈍い音ともに真っ逆さまに地面に落下したガーゴイルの翼を、レディエールの刃が見事に両断した。
「グオォォォッッ!」
半狂乱なったガーゴイルが雄叫びを上げると、周囲の空気が乾き始めたのをレディエールは感じた。
「ッ、クソッ!」
全身の毛を逆立てたレドが吠え、レディエールを後方へ突き飛ばす。瞬間、激しい雷鳴と共ににガーゴイルを中心として同心円状に稲妻が奔った。
剛腕により飛ばされたレディエールは辛うじて逃れたが、レドは背中からモロに稲光を浴びてしまう。
「がっ、ァッ」
「レド!」
美しかった毛並みは電流によって黒く縮れ、片膝を落とす。屈強なレドとはいえ相当なダメージが入ったらしく、目を白黒させながら肩で息をした。
事前にエブリーがかけていた魔術は物理的な防御力をあげるものであり、魔術に対する耐性までは獲得できなかったようだ。
レドの周囲を揺蕩っていた蝶がすべてレドの体の中に吸い込まれていったが、アニスの青い蝶は怪我にはよく効くが火傷などにはあまり効力を発揮できず、焼け石に水といった状態だ。
「くっ!」
レドという大きな戦力を沈黙させ、ガーゴイルは残る戦力――レディエールに猛追する。
翼を喪ったとは言え強靭な二腕は健在で、レディエールをしてすら防戦に回るので手一杯だ。
拳打を盾で弾く度に、骨が軋む。鋼で作られた立派な盾ではあるが、衝撃までは吸収できない。
なんとか倒れずにはいるが、攻勢には回れぬ勢いだ。
「調子に乗ってんじゃ……ないわよッ」
防戦一方のレディエールになんとか加勢しようと、フォリントが続けざまに矢を放ちながら、素早く背後に回った。
先ほど暴れた際にできた微細な罅に矢が突き刺さり、ガーゴイルの双眸が忌々しげにフォリントを捉える。
「余所見とは、随分余裕です、ねッ!」
フォリントの狙いは二つあった。一つはレディエールへの注意を一瞬でもいいから逸らすため。
弓によるダメージは、刺さったとは言え微々たるものだ。岩で作られたガーゴイルにとっては虫に刺されたようなものだろう。
しかし、刺さるということはそこには傷があるということ。刺す余地があるということだ。
二つ目の狙い。それは、レディエールへの導きである。
「お、オォォォッ!!」
フォリントの矢が刺さった傷――人で言えば脇腹の辺りに剣を深々と突き刺す。瞬間、怒りとともに自らの内で吹き荒んでいた"嵐"を一刀へ解き放つ!
外から魔術が効かぬのであれば、内側から放てば良い。ガーゴイルの体の中で炸裂した暴の風は爆裂となり、遂にガーゴイルの体を粉々に粉砕した。
2
「あなたがここまで手酷くやられるなんて、珍しいこともあるものね、レド」
「お前こそ、久々にあんな声を聞いたぞ」
戦いが終わり、すぐさまアニスとエブリーがレドに駆け寄って各々が使える回復を施した。
アニスの作ったポーションを飲ませ、エブリーが癒やしの風の魔術を唱えて、アニスが大量の青い蝶を喚び出したのだ。
やっと話ができるところまで回復できて最初にした会話がこうなので、素直な二人じゃないな、とアニスは苦笑いをこぼした。
「あのときは本当に助かりました。レド殿がああしてくれなかったら、今頃私は黒焦げだったでしょう。ありがとうございました。
それにフォリント、見事な牽制でした。矢で弱点を知らせるなど、思いついても咄嗟に行動はできないでしょうに」
「お互い様でしょ。というかあのまま終わってたらあたし、いいトコなさすぎだから。
あんたの嵐、かっこよかったわよ。さすが銀嵐様ね」
握り拳を軽く合わせて、互いを労う。レドもエブリー、レディエールとフォリント。互いに良き相棒といった様子に、アニスは少し、寂しさを覚えた。
エブリーは魔術でガーゴイルを弱体化させた。フォリントは弓で注意を引いた。レドとレディエールはメインとなる火力だ、貢献は言わずもがなである。
アニスといえば、レドがダメージを負ったときに蝶が癒やしただけ。それですら大した治癒にはならず、戦闘には貢献できなかった。
そんなふうに思っていることが、エブリーに伝わったのだろう。肩をぽんと優しく撫でられた。
「あなたがいる。それだけでこのパーティは力が出るのよ。
それに、今こうしてレドを癒やしてくれた。戦いが終わった後に癒やしてもらえるというのは、前線の人たちにとってこれ以上ない支えだわ。
だからそんな顔をしないで。あなたは十分、役に立っているのよ」
「エブリーさん……」
「ああ、あの時の癒やしも全く意味がないわけではなかった。息が一つ吐けた。それだけで随分違うものだ。
どちらかというとあれは……俺のミスだ。レディエールを抱えて後ろに下がればよかった」
「全くよ。あなたらしくもない」
面目ない、と頭を下げるレドに、そんなことはないとアニスが慌てた。手をあちらこちらにわたわたと回しているのが可笑しくて、四人は大笑いを上げた。
「ああ、やっぱりね。どうりで見覚えのある魔術だなあと思ったわ」
広間で休憩している最中、エブリーは気になることがありガーゴイルの破片を漁っていた。
ガーゴイルが繰り出した魔術、あれは大学で教える上位の魔術なのだ。
人と魔族は理が異なるため、一見同じような魔術に見えても術式や効果、または印などが往々にして違ってくる。
見るものが見れば、ガーゴイルの放った電光が人の魔術に依るものだとすぐ分かるのだ。
「これ、魔族が作ったガーゴイルじゃないわねえ。昔の魔術師が作ったガーゴイルよ。
どうして踏破済みのダンジョンにガーゴイルがいるのかとずっと考えていたけれど、これでわかったわ。
踏破した後に設置されたからなのね」
「あまり聞かない話だな。ダンジョンの封印は確かに再利用されないためのものだが、わざわざ侵入者対策に内部に設置するか?
それならもっと前の段階で仕掛けておいていいはずだ、此処にたどり着くまでの迷宮の時点で、隠れ家にできてしまうしな」
エブリーはこくりと頷いて、奥の通路に目を向けた。
「少なくとも、奥になにかあることは確かだわ。
私のカンだとそれが封印用のマナを送る装置になってると思うんだけれど……こんなものまで置いて守っているんだもの、よっぽど大事なものなんでしょうね」
「た、倒しちゃってよかったんですかね……魔術師の方が入って欲しくないと思ったところに行くのは危ないような……」
「いいのよ。そんな大事な物があるのに解けるような封印している方が悪いのだし。
放置していたら余計に問題だから、何があるのかくらい確かめておいて損はないでしょう。
そのうえで必要なら私が対策をしておきます」
頼りがいのある言葉に三人は大いに頷き、一向は奥の通路へと進むことにした。
入ってすぐに、様子がおかしいことに皆が気づく。
通常ダンジョンというのは、広間前の迷宮のように入り組んだ構造が階層ごとにあり、徐々に踏破しなければ最奥には到達できないようになっている。
だが、通路を少し進んだ先にあった螺旋階段が、下っても下っても次の階層に着く様子が見えない。
長い長い下り階段の他に罠や魔物もなく、ただただ進むことを強いられているような構造だ。
魔術によって無限に下り続けているだけなのではないかともエブリーは考えたが、そういった機構も見当たらず、本当にずっと下まで階段が続いているだけのようである。
「今まで何度かダンジョンに潜ったことがあるけど、こんなへんてこなのは初めてねえ。
これ、いつまで続いているのかしら。レド分かる?」
「分からん。物理的にこんなに潜り続けることになるダンジョンなど聞いたことがない。
今は下りだからまだいいが、帰る時が億劫だな。最奥には地上に戻るための転移門があると信じるばかりだ」
うへえ、とフォリントがわざとらしく音を上げる。無理もない。もう下り始めてから一時間は経っている。
或いはこれ自体が罠で、本道は別にあったのかもしれない――そう思った矢先、淡白い光が階下を徐々に照らしていった。
やっと最奥に辿り着いた。そう思った一向を迎えたのは、想像を超えた光景であった。
め~~~~~~~っちゃくちゃサボってしまい申し訳ありません。
これからぼちぼち再開できればと思います。
 




