第三十話 地下迷宮
1
閉鎖されたダンジョンというものは基本的に隠されていることが殆どだ。
複雑に入り組み、且つ最奥には居住スペースが備えられているダンジョンは山賊などのはぐれ者にとって格好のねぐらとなってしまう。
故に封印を施し地図からは抹消、その上発見されないように魔術を使って隠ぺいするのだ。
今回のように森の中にあるなら入り口に木の幻影を立てたり、特殊な霧で入り込んでも入り口に戻るようにしむけたりなど、方法はいくらでもあるのだが。
「……普通に見つかりましたね、ダンジョン」
古い地図を頼りに五人が現地へ赴くと、隠されているわけでもなければ封印されているわけでもないダンジョンへの入り口が、ぽつんと佇んでいた。
地下へと繋がる階段は黒いレンガ造りで暗く、入り口からは奥がどうなっているのかが窺えなかったが、古く濃いマナが充満しているのは確かであった。
「おかしいわね、これだけ濃いマナがあるなら封印が解けるわけないんだけど」
「どういうことですか?」
「普通、封印魔術や隠匿魔術は周辺に漂うマナ、つまり環境マナを使って維持されるのね。
じゃなきゃ世界中にあるダンジョンを魔術師が見て回らないといけないでしょう?
ここはこれだけマナに満ちてるのに、隠匿魔術どころか封印魔術まで解けている。だからおかしいの」
エブリーの脳裏に二つの可能性が浮かぶ。
一つは何者かによりこの場所が見つかり、封印を破られたという可能性。
ダンジョン封印の魔術は素人に簡単に破られるような弱い術ではない、もしそうなら高位の術師か魔族の仕業という事になる。
しかし魔術の残り香も感じられぬため、この可能性は低いだろう。
もう一つは、そもそもこのダンジョンの封印術式が特殊であったという可能性だ。
環境マナではなく何か別のところからマナを引き出しているのであれば、その大本のマナがなくなってしまい封印が解けたの考えられる。
かなり古いダンジョンということもあり、当時の魔術師のやり方は違っていたのかもしれない。
「……或いは、何か理由があって? となればここはただのダンジョンではない……?」
壁や床をつぶさに観察しながらぶつぶつと独り言を続けるエブリーに、レドがごほんとわざとらしく咳ばらいを一つこぼす。
魔術師と言うのは良くも悪くも学者である。考えが纏まるまで動かないこともあり、こうして目付け役が必要なのだ。
「あらごめんなさい。私ったらまた夢中になっちゃって」
「いえ、それで何かわかったのですか?」
「うーん、流石にここだけじゃ何とも言えないわ。誰か人がいるかもしれないし、このダンジョンが普通じゃない可能性もある。
封印をすぐ張り直すことはできるけど、それじゃ解決しないでしょうし。
やっぱり中に入ってみないといけないわね。お願いできる?」
勿論、と三人は頷いた。むしろ入らねば何のために来たかわからないとフォリントが零し、エブリーが肩を揺らした。
「言うまでもなくダンジョンには罠がいっぱいあります。フォリントちゃんは罠解除も出来るみたいだけど、ダンジョンの罠は普通の罠とは勝手が違います。
今回はレドに任せて頂戴ね。私が今まで生きてこれたのは、この子の鼻のおかげだから」
「まあ出来るって言っても少し勉強しただけだしね……ダンジョンは初めてだし、今回のでどういう感じに設置されてるのか見させてもらうわ」
す、とレディエールが手を上げる。アニスはなんだかおかしくなってくすりと笑った。
まるで先生と生徒みたい。
そう思うと同時に、エブリーがそもそも教師然としていることには大いに頷くところだ。
実際年齢的にも、魔術を教える側なのだろう。"はい、レディちゃん"などというセリフも随分板についていた。
「隊列はどうしますか。鼻が利くレド殿を先頭にフォリント、エブリー殿、アニス様、そして私が殿を務めるのが良いかと思うのですが」
「ええ、まさにそれで行こうと思っていました。後ろは任せましたよ。
アニスちゃんは回復魔法を使えるのよね? 一番大事な役割です、自分の身の安全を最優先にしてね」
これはアニスが愛読している"冒険者の心得"にも書いてあった。
回復術師はパーティの生命線である。たとえパーティが半壊しても、回復術師がいればなんとか立ち直すことが出来るかもしれない。
逆に回復術師がいなかったり倒れてしまった場合、帰還は絶望的となる。
回復術師は、仲間のためにも自らの命を最優先にしなければならないのだ。
「は、はいっ! 回復術師は最後の砦、ですよね!」
「その通り、よく勉強できていますね。時々いるのよね、自分を犠牲にして仲間を助けようとする子が。
志は立派だけど、冒険者としては間違い。あなたの命は皆の命ということを、どうか忘れないであげてね」
そういう人たちを多く見てきたのだろう。優しくアニスの手を握るエブリーの微笑みには、しかし深い影が差していた。
「さて、それじゃあそろそろ行きましょうか。 いろいろ言ったけれど、このメンバーなら無事調査を終えることが出来ると思っています。
気負わず、けれど注意深く行きましょう!」
おー! とエブリーが手を上げるものだから、三人もつられて声を上げた。
品があって優しく、そして可愛らしさも兼ね備えたこの女性を、アニス達はすっかり気に入ってしまっていた。
2
ダンジョンは基本的に階層を持つ。地下迷宮型や塔型など形状に違いはあるが、入り口から離れれば離れるほど魔物のレベルが上がるのは共通している。
最奥から流れるマナの奔流に当てられて、魔物が凶暴化するためだ。
周辺の魔物の異変は、ダンジョンの解放と共に内部に溜まっていた澱んだ濃いマナが広まったせいだろう。
また、強いマナを長く浴びた魔物は進化と呼ばれる変異を遂げ、時に全く別の生物に変貌することもある。
そのためダンジョン内では地上ではあまり見ないような魔物と多く遭遇することになり、苦戦を強いられるのだ。
「予想はしていたけど、大分いろんな魔物が入り込んでるわね」
「第一階層でこれは、先が思いやられるな」
エブリーとレドがぼやくのも無理はない。一行がダンジョンに入って一時間、既に七回も会敵していた。
内五回は地上で見る種が凶暴化した個体であったが、変異した個体に二度も遭遇したのである。
「腕が四本もある手長熊なんて初めて見ました……あれが進化なんですね」
「羽の生えたゴブリンもね。あんなのが下に行けば行くほど増えるって……ダンジョンって聞いてた以上にヤバいのねー」
そう語りながらもどことなく余裕があるのは、現れた魔物悉くをエブリーが魔術一つで葬ってきたからだ。
東南の大河を統べる大蛇から借りたという貫通力の高い水の魔術で、蛇のように水が蠢いたかと思えば眉間を的確に貫いていく。
如何に進化した魔物と言えど頭に穴を開けられては生きておれず、アニス達は殆ど置物と化していた。
「あの、殆どお任せしちゃってますけど大丈夫ですか?」
「大丈夫よ、心配ありがとう。私の魔術だけで切り抜けられるならそれが一番だからそうしているだけ。
ダンジョンの中には魔術が使えなくなってる部屋とかもあるから、そういう時助けてくれると嬉しいわ」
朗らかに笑むエブリーに疲れた様子は全く見えない。レディエールの頬に冷や汗が一条流れた。
今までの魔物を自分たちだけで倒していたら、果たして無事で済んだだろうか?
狭いダンジョン内、勝手の違う魔物、そして数。少なくとも相当な疲労がたまっただろう。
熟達した魔術師がいるといないとでこうも違うのか――と、言葉にはできぬもやが心の内側に膜を張ったように感じた。
フォリントも同じように思ったのだろう。深いため息とともに肩をがくりと落とした。
「しょーじき、自信なくすわー……。あたしたちじゃああはいかないもんね。
特にあたし、魔術師がいたらいらないんじゃない?」
「いいえ、弓と魔術じゃ用途が全然違いますよ。
さっきも言ったように魔術は発動そのものを打ち消されたりもするし、魔術……というよりマナに対して抵抗力が高い存在もいます。
魔術はマナを多く使うから気取られやすいし、こっそり攻撃するにも向いていないわね。
それに方法はいろいろあるけど魔術の発動には詠唱したり呪文を書いたりしないといけないから即応性にも欠けるわよね。
だから物理的な攻撃と言うのは非常に重要なの。特にこういうダンジョンでは強い魔物が出やすいから余計に、ね」
「えーでも、エブリーさんはぱっぱぱっぱと片づけてくじゃない?
それってエブリーさんが凄いだけ?」
流石に気恥ずかしいのかエブリーはほんのりと眉を下げ、苦笑いを浮かべた。
「まあ、一応五十年魔術師やってますから。色々裏技を知っていたり経験があるのは当然です。
でもさっきも言ったように、私じゃ対処できないことは皆にやってもらうつもりだから気は抜かないでね」
そうだ、自分は何を憂いているんだ。
熟達した魔術師を相手に実力の差を感じるのは当然じゃないか。
その差を嘆くことこそ驕りそのものじゃないか。
レディエールはパン、と両手で自分の頬を叩いた。やるべきことをやる。以前からしていたように、今回もそうするだけだ。
毅然と眉を立たせたレディエールを見て、フォリントも、そしてアニスも背を正す。
「ふふ。いいパーティね。若い頃を思い出すわ~。……あら、レド?」
レドの手が横に伸び、一行を止める。すん、と黒い鼻を揺らすと眉間に皺を寄せた。
「古い魔術の匂いだ。後入りじゃない奴が来るぞ、構えろ」
俄かに緊張が走る。このダンジョンがどれぐらい古いものかはわからないが、閉鎖されたという事は一度は踏破されているはずである。
当時の魔族が生きて残っているなど考えられぬ話だ。
角を曲がると、ホール状の広い空間に出た。その中心に、アニス達が見たこともない生物の石像が鎮座している。
翼の生えた鬼のような外形で、上腕が異常に発達している。筋骨隆々の腕は丁度その体躯ほどの長さがあり、手長熊を彷彿とさせた。
臀部から生えているであろう太い尾は台座に螺旋を描くように巻き付いており、如何にも強靭である。
「石像鬼……よね。あんな大柄なの見たの久々だけど。如何にも階層の守護者って雰囲気出してるわ。
でも妙ね。封印されたダンジョンという事は踏破されているはず。ガーゴイルなんて倒されていて然るべきだと思うのだけれども」
「理由は分からんが……おいそれとは通してくれなそうだな。
広い空間から見て、大規模な魔術も使ってくるかもしれん」
長年エブリーに付き添い培われたレドの洞察に、フォリントが目を剥く。
「あ、あんな如何にも筋肉で殴りますって顔してんのに魔術使ってくんの!?」
「ガーゴイルの殆どは魔術を使うものよ。なんせ魔術で作られた生物ですから。
しかもあらかじめ体の中に仕込まれた術式にマナを通すだけだから発動も早いし、下手な魔術師よりずっと厄介なのよね。
その上大体のガーゴイルは魔術に対して耐性があるから、私だけじゃちょっと厳しい相手ね」
"永劫なる厳、アルパインの山麓よ。開闢より続きし汝が威容を、一時我らに与え賜え"
途端、各々の周囲に琥珀色の薄膜が体をぴったり覆うように貼られた。アニスの使う甲虫の加護のような、防護の魔術である。
「これでしばらくはカチカチよ、ちょっとやそっとの攻撃じゃ傷はつかないはず。
ただしあんまり攻撃を受け続けていると割れちゃうから、躱せる攻撃はできるだけ躱してね」
続き、アニスが癒しの蝶の魔法陣を描く。青い燐光を放つ蝶が五人の周りにそれぞれ五匹ずつ揺蕩い始める。
「魔術を使う相手ですから、もしかしたら蝶が壊されてしまうかもしれません。
すぐに効く回復魔法を持っていればよかったんですが……ごめんなさい」
しゅんと項垂れるアニスの頭を、不敵な笑みを浮かべたレディエールが撫でる。
手甲越しの手はごわついていたが、それでも乱雑さを感じさせぬ優しい手つきであった。
「私たちはもう何度もこの蝶に助けられてきました。きっと今回も助けてくれると信じています。
援護は任せましたよ」
「はっ、はいっ!」
少々緊張しながらも明るく振舞う様子を見送り、再びガーゴイルの方を向く。 レディエールからすれば全く未知の相手だ。
魔術に対して抵抗があるのであれば、同じくマナを使うレディエールの銀嵐、つまり魔技も効かないかもしれない。
……面白い。
奥の手が通用しないのであれば、むしろ自らの実力を図るのに丁度よい。
研鑽を重ね磨き続けた剣の腕を試す絶好の機会である。
「レド殿。胸をお借りします」
「足手まといにならないことを期待している。
銀級冒険者の腕前、見せてもらうぞ」
にっと口角を上げ、静かに剣を引き抜く。
己が内に吹き荒ぶ嵐を感じながら、切れ長の目を獰猛に見開く。
静かな、開戦であった。




