第三話 手長熊
1
護衛の依頼は基本、一人で請けることはない。
冒険者協会の規則により、協会で出される護衛依頼を請けるには、最低二人要る。基本的には四人パーティで請けることが多い。
また、森林地帯の護衛は、殊更に注意が必要だ。
視界の悪い森の中ではどこから魔獣が出てくるか分からないし、山賊の類が身を隠すのにも最適な場所だ。
レディエールは、護衛依頼を請けたことがなかった。
騎士を志すものとしてやってみたくはあったが、パーティを組んでいないので、そもそも請ける資格がないのだ。
今回は協会を通した依頼ではなく、しかも形式上は護衛の依頼ではない。討伐依頼にアニスがついてきただけなので、問題はない。
問題はないが、これは殆ど、討伐と護衛の同時依頼だ。
初の護衛依頼。護衛は自分だけ。護衛対象は少女。場所は森。
レディエールは、これ以上ない逆境であると自分を奮い立たせた。
二人はまず、レディエールが倒れていた場所まで来た。
村から三時間ほど歩いた先だったが、アニスが道を正確に覚えていたので迷うことはなかった。
ふと、ここからどうやって村人を呼んだのだろうとレディエールは疑問に思い、アニスに尋ねた。
「ああ、それは伝令蜻蛉の魔法です」
ポーチからナイフを取り出して陣を描くと、六翅蜻蛉に似た蜻蛉が現れ、アニスの指に止まった。
「この子に状況と場所を吹き込んで、村まで飛んでもらったんです」
伝令蜻蛉は声を記録し、唱えた者が思い浮かべた人物のもとまで飛び、声を再生するのだという。
なるほど便利な魔法であるとレディエールは感心したが、蝶に続き今度は蜻蛉と、虫続きなことが気になった。
何気なく問うと、
「母は虫の魔女でしたので、作る魔法はすべて虫関連のものなのです」
と答えたので、レディエールは大いに驚いた。
魔女とは、魔法を生み出す女のことを指す。特定の事柄に愛着や執着が強く、マナが豊富な女が、魔女になる資格を得る。
男は新たな魔法を生み出すことは出来ない。魔法は子宮から生まれてくるからである、というのが通説だ。
アニスの母の場合は、虫に対して並々ならぬ想いがあったのだろう。魔女はなろうと思ってなれるものではない。
類まれな才能を、焦がれるほど強く思うものに対して惜しげもなく注ぎ込むことで、新たな魔法を生み出し、魔女と呼ばれるようになるのだ。
故に人々は、魔女に対しては畏敬と、畏怖の念を持って接している。
「お母様は、魔女だったのですか……」
レディエールは、アニスが何故あんな小さな村にいるのかますますわからなくなった。
魔女は稀有な存在であり、その価値は計り知れない。
貴族の位を与えられることも珍しくなく、中には一国の王よりも発言力の強い魔女もいる。
そんな魔女の娘が、辺境の村に腰を据えているなど、なまなかには考えられぬことだ。
得意げな様子で魔法の解説をするアニスを、そうと気づかれないように抑えながら、怪訝な様子で見つめた。
……今は聞くときではないな。
何よりもまずは任務に集中するべきと己を律し、二人は周囲を捜索し始めた。
2
手長熊は、その長い腕を使って木登りも器用に熟す。
木の実を取って食べたり、樹上の小動物を狩るのだ。蜂の巣を漁ることもあるという。
その際、鋭い爪によって樹皮に傷がつくため、それが手長熊のテリトリーであることを知らせてくれる。
そういう木を探していると、荒々しく中折れした木を見つけた。
夥しい量の爪痕がついていることからも、それが手長熊の仕業によることは明白である。
「登れなくて、苛ついたのでしょうね」
レディエールが相手取った個体は片腕を失くしている。普段なら楽々登れた木に登れず、怒った結果なのだろう。
何度も登ろうとした様子が、大量の爪痕から読み取れた。
「でも、この辺りにはもういませんね」
アニスの耳に、手長熊の気配を感じることが出来ないらしい。
木の葉を踏みしめる音もなく、獣臭さも感じない。この木を折ったのは今日ではないと検討をつけた。
足跡が東へ伸びていたのでそれを追ったが、マルド川という細い川で途切れてしまった。
「魚を取ろうとしたんでしょうね。
問題は北上したのか、南下したのかですが。
ふむ」
アニスが長耳に手を添えて、周囲の音、そしてマナの残滓を探した。
耳でマナを探すって、どういう感覚だろう。
レディエールは不思議に思ったが、口は挟まない事にした。
説明が難しいだろうし、されても理解できないだろう。
残滓を見つけたらしいアニスが、どうやら北上したようです、と言うので二人は川を北へ辿った。
3
アニスがレディエールのマントを掴み、止まるように言った。
身を屈ませてどうしたのかを問うと、愛らしい声を強張らせて、彼がこちらを見ています、と耳元で囁いた。
驚いて辺りを静かに見渡すが、それらしき影は見えない。
どうやらまた、奇襲をかけようとしているらしかった。
ぞくりと熱くて冷たいものが、心臓から背筋を通り全身に駆け巡るのを感じた。
まず、強く自分を恨んでいるだろう手長熊が、猪突猛進に襲いかかってくるのではなく、一度成功仕掛けた奇襲を再度かけようとしているずる賢さに舌を巻いた。
そしてなにより、それを察知したアニスの耳に感服した。
不意を突かれることがない。それは冒険者家業において、あまりにも魅力的な技能であった。
エルフの冒険者の多くが高名な理由の一片を、レディエールは垣間見した。
アニスがナイフを取り出して、レディエールを癒やした魔法と似た陣を結んだ。
青い蝶が出てくるのは同じだが、今度はレディエールの周りをひらひらと飛び続けた。
都合五匹の蝶が、レディエールの周囲を付かず離れずといった距離で舞っている。
いっそ幻想的だが、自分が中心では似合わないな、レディエールは苦笑いをこぼした。
「アニスさん、これは?」
「レディエールさんが傷つく度に、この蝶が癒やしてくれる魔法です。
わたしの回復魔法は、効果が出るまでに時間がかかりますから。
事前にこうして展開しておいたほうがいいかなと思いまして」
青い蝶の魔法は、傷口に蝶が溶け込むことで癒やしをもたらす。
その歩みは普通の蝶と変わらず優雅で、ゆったりとしている。
つまり、戦闘中の回復には不向きであった。
そこで、事前にレディエールの近くに蝶を出しておき、戦闘中でもすぐに患部へ蝶が止まれるようにしたのだと言う。
「ただ、あまり過信はしないでください。
前に言ったように、この魔法は治りかけの怪我の仕上げとして使っている程度のものです。
細かい傷なら癒せるでしょうが、大きな攻撃はできるだけ避けるようお願いします」
「周りを飛んでいては、先に蝶が攻撃に当たってしまうのでは?」
「それは、大丈夫だと思います。
この蝶はマナで出来ていますから、物理的な攻撃は当たりませんので」
なるほどと頷きながら、レディエールは少しやりづらさを覚えた。
戦闘中に蝶が周囲をちょろちょろと飛び回るというのは、目障りと言うほどではないが気が散りそうだ。
ただ、自動的に回復してくれるというのは確かにかなりの助けになる。
怪我をしても、すぐに癒える。そう思うだけで、随分と足取りが軽くなった。
多少のやりづらさは、目を瞑るべきだろう。
どの辺りに手長熊がいるのか尋ねると、あそこです、とアニスは一本の木を指した。
その方を睨みつけ、革の鞘から剣を抜いた。
上等な鋼の剣だ。装飾をこそ質素だが、すらりとした白い刀身は出処の確かな職人の手によるもので、ぶれがない。
左手に構えた盾は円形で小型だが、これも質のいい鋼が使われている。よく使い込まれているので、細かな傷がいくつもついていた。
やや幅広の両刃剣の先端を、ひゅっと音を立たせながら木に向けた。
まるで幻覚か妖術が解けたかのように、何かいるようには見えないそこから大きな手長熊が姿を現した。
不機嫌そうに唸り声を上げる手長熊は、右腕が欠けていた。間違いなくレディエールを襲った個体だが、なぜか左目も潰れていた。
レディエールは襲われた時、爛々と光る両眼を見ていた。
目の傷は、襲撃の後に付いたものだ。
酷く気が立っている。口端からは興奮から出る唾液がぼたぼたと垂れており、大きな体を揺さぶるように、荒く息をした。
狩りをニ度も失敗すれば、腹も立つか。
哀れな獣よ、今楽にしてやろう。
心の中でそう語りかけながら、レディエールは身を屈めて疾駆した。
4
左手の円盾を眼前に構えながら、低く低く頭を下げて走る。
風の抵抗を少しでも少なく、そして的を小さくするためだ。
咆哮とともに振り下ろされた左手の爪を切っ先で弾き、返す刃で胸元を切り上げる。
悲鳴を上げる手長熊の懐から右手に回り込んで、脇腹に深く剣を突き立て、そのまま内臓や骨ごと腹を裂いた。
臓物が流れるようにこぼれ、痛みに狂った手長熊が右腕を激しく振り回すが、肘から先のない腕は空を切るばかりで、やがて地に臥せった。
御免、と一言断って、レディエールはその首に剣を振り下ろした。
あまりにも鮮やかな手腕に、アニスが介入する余地は全く無かった。
五匹の蝶も一匹も欠けていない。それは即ち、無傷で勝利したことを示している。
稲妻のように手長熊の懐へ潜り込み、攻撃をいなし、瞬く間に剣を突き立てる様は、闇豹のようであった。
しなやかに跳ねる腿が一層美しく、白刃の煌めきはレディエールを如才なく引き立たせていた。
一方で、レディエールは歯ごたえのなさを訝しんでいた。
いくら隻腕とは言え、手長熊の動きは精彩を欠いて余りあった。
見ると、背に無数の矢傷がついていた。片目を奪った者の仕事だろう。手長熊は、既に弱っていたのだ。
人の獲物を奪ってしまったのかもしれない。
厄介なことになったな、とレディエールは溜息を付いた。
あっさり討伐できて拍子抜けのレディエールです。