第十八話 ウーラスーラの助言
1
レディエールが漸く泣き止んだ頃にフォリントが帰ってきて、此方は此方で盛大にハグをされた。
アニスが寝込んでいた一週間、レディエールはアニスの看病と村の力仕事に、フォリントは猟がてら弓の使い方を村人たちに教えていたらしい。
ウーラスーラは約束を守ったようで、男の子は無事村に戻ってきたそうだ。
アニスの容態をウーラスーラに尋ねても、
「これは、魂が何処ぞへ行っているのう。
死んでいる訳では無いが、還ってくるかどうかは森の子次第じゃな」
などと言うため、そもそもはお前が吸いすぎたのが原因だろうと問い詰めたくなったのを抑えるのに苦労したらしい。
ともあれ現状村は正常に運営されており、助かった子供をはじめ村人たちは大いに感謝されたそうだ。
まずは村の無事にほっと胸を撫で下ろしつつ、アニスは寝ている間何をしていたのか二人に語ってみせた。
「時の魔女って……めちゃくちゃ大物じゃない?!
それこそ御伽噺に出てくるような人がアニスと話すためにわざわざ魂を呼び寄せたって、前代未聞って話じゃないわよ……!」
「そのアトリアというドラゴンの少女も気になります。時の魔女にその態度……こちらも恐らく神話級の存在ではないかと」
「そうですよねえ……今考えるとわたし、そんな方に馴れ馴れしくちゃん付けなんかして……。
だっ、大丈夫ですかね、大丈夫なんですかね!?」
「聞く限りでは大丈夫だと思います。恐らく、その方は敢えて子供のような仕草をしているのではないかと。
それに癇に障った相手に勇気あれ、なんて祝福の言葉は贈らないでしょうし」
態度に問題はないだろうが、邂逅事態は大いに熟慮を要する事態である。
なにもないのの呼びつけるような存在ではない。となるとやはり、件の薬がこれからアニスが進む先に絡んでくるということだろう。
「とにかく、その薬には注意する必要がありますね。
時の魔女ですら弱らせる薬を持つ人物を、我々がどうにか出来るとは思えません。
ここは助言通り、見つけ次第逃走しましょう」
「あの薬、本当に怖かったです……。
見ていると気持ち悪くなってきて、それでいてなにか縋りたくなるような力も感じて……。
たぶん薬草を煎じたとかそういう代物じゃなくてマナの塊みたいな感じ……って言えばいいんでしょうか、とにかく純粋なる薬や毒じゃありません。
魔女だけじゃなくて、普通の人も飲んだら絶対に悪影響が出るはずです」
極々真剣な話をしているというのに、フォリントはなぜだか楽しそうに椅子を揺らしている。
遊びに行くのが待ちきれない子供のようであった。
「フォリント、何をワクワクしているのですかっ。
これはとても重要な話なのですよ」
「へへ、ごめんごめん。でも、なんか凄いことになってきたなーって思っちゃって。
だって魔王級の魔族に、伝説の魔女、それに謎のドラゴン! 普通のパーティじゃ出会いそうにないようなのに立て続けに出くわしてるのよ?
この旅には絶対何かある。運命を感じずにはいられないわっ!
きっと本になったりするのよ、そう思うとワクワクしてこない?!」
何故こんなにも脳天気なのかと、まさしくレディエールは呆れ果てた。
だが、この旅には何かあるというのは同意せざるを得ない。間違いなくアニスはひとかどの人物になる。
それを手助けするのが自分なのだ。そう考えるとどこか高揚している己を見つけ、レディエールは苦笑を漏らした。
人のこと、言えませんね。
「では、あまり下手なこと出来ませんね?
変なことばかりして恥をかくのは、あなたなんですから」
「うーわ、そういうこと言う?
あんただってあんまりアニスにべたべたしすぎて変態騎士の烙印を押されないようにね!
アニス知ってる? レディったらあんたが寝てる間にね」
「わーわーっ!? してないしてない、なんにもしてませんからねっ!?」
ぎゃあぎゃあと喧しく騒ぎ立てる二人に苦笑しながら、アニスはフォリントの言葉を頭の中で反芻させた。
正直、自分のこととは思えないようなことが立て続けに起きていることは確かだ。
もしかすると、いつかは人に謳われるような旅路になるのかもしれない。
……お姉ちゃんに会いたいだけ、なのにな。
自分をそう大した人物とは思っていないアニスには、皆の期待が重かった。
自分の預かり知らぬところでどんどん話が大きくなっていくのが怖い。
姉に会うというのはそれほどまでに難しいことなのだろうか。一度そう思ってしまうと、どんどんネガティブな思考に囚われてしまう。
冒険譚は好きだ。だが、いざ自分が物語になるような冒険をするかと思うと足が竦む。
もしそういう途を辿るのであれば、少なくとも今のままでいられない。
『己のことは己で見出すものよ。
励めよ、若人よ』
ウーラスーラのことが頭を過る。
古き森、そこへ行けばリコリスの行方も、もっと言えば母の死の原因も掴めるのかもしれない。
自分が何者なのか、そして自分は何をするべきなのかを求めるなら、森に行く必要があるだろう。
正直に言えば、それを知るのは怖い。だが、事ここに来て知らずに乗り切ることが出来るだろうか。
それに、母について知りたいというのは嘘ではない。
「ふたりとも、聞いてほしいことがあるのですが」
未だにぎゃあすか言い合っていた二人がやっと動きを止めて、アニスを見る。
もじもじと言いづらそうにしている様子にフォリントが肩を竦め、アニスの背中を景気よく叩いた。
「全く、勿体ぶらないでとっとと言いなさいよ!
あたしたちパーティでしょ、気負いする必要なんてないんだから」
少し痛いしレディエールの目が凄い怖い感じになっていたけれど、その笑顔に文字通り背中を押され、勇気が湧いた。
レディエールが月だとすれば、フォリントはアニスにとって太陽のような女性であった。
「わたし、その……古き森に、行きたいんです。
グランフェティでお姉ちゃんが見つかっても見つからなくても、多分わたしは知らないといけないと思うんです。
お母さんはどんな人で、自分は何者なのかを」
「はぁ? え、なにあんた、行かないつもりだったわけ?
普通あんな意味深に言われたら行きたくなるでしょ、あたしは最初っから行くつもりだったわよ」
アニスが意を決して出した言葉に当たり前じゃないと言いきるフォリントに、レディエールが頭に軽く手刀を浴びせてたしなめた。
「フォリント。アニス様はあなたと違って思慮深い方なのです。
……アニス様。その言葉をお待ちしていました。勿論ご一緒させていただきます。
アニス様の重荷は、私にも背負わせて下さい」
本当に。
この人は何処までわたしのことを分かってるんだろう?
重荷と思っていることを見抜かれたのは流石にどきりとした。
アニスのことなら何でも分かると言われているようで、少し、ほんの少しだが癪でもあった。
自分を安心させるためだろう微笑みも、落ち着いた声も、何もかもがちょっぴり癪である。
だから、ちょっとだけむっとして見せた。
「……あ、あれ、なにかご気分を害すようなことを言ってしまいましたか……?」
途端におろおろし始めたので内心小さくガッツポーズを決めながら、なんでもありませんっ、とだけ返した。
フォリントはなにやら暑そうに手で仰いで、まったく、とだけ口にした。
2
アニスが目を覚ましたことを知ると、村人たちは大いに喜んだ。
今回の件はアニスの活躍に拠るところが大きいため、村中から改めて感謝をされた。
アニスもまた、意識を喪っていたあいだ寝床を貸してくれたこと、仲間の世話を見てくれたことに感謝した。
これを村長ガルドは当然の報酬、むしろ払い足りないくらいであると帰って申し訳無さそうにしたため、彼らのためにもこの話はここで終えることにした。
「そうそう、そういえば。
さきほどウーラスーラ女王の使いが来ましてな。
起きたなら顔を見せよ、とのことでした」
どちらにせよ"古き森"の情報を得るため尋ねるつもりだったが、向こうから用向きがあるとなれば話が変わってくる。
今度はどんな無理難題を課されるのかと、三人とも言葉に詰まった。
暗澹たる気分でウーラスーラの塒を訪れると、なぜだか少しやつれた様子の女王が迎えた。
「おぉ……起きたか、森の子よ。
しかし、やはりか。遭うたんじゃな、仔龍に。
妾としたことがぬかったわ。よもやあれに目をつけられるほどの逸材じゃったとは……」
深く溜息をつく様子はとてもあの高慢な女王の姿には見えず、三人とも目を白黒された。
「あの、女王様。色々聞きたいことがあるんですが……」
「さもありなん。話せることと話せぬことがあるが、言うてみるがいい。
可能な限り答える義務があるからの」
「えっと……まず、なにがあったんですか……?
その、随分お疲れなようですが……」
この問いにはウーラスーラは意外そうに少し目を見開いた。
「最初に聞くのがそれか。やはり優しいのうお前は。
お前の魂が彼方へ行っちょる間、妾の夢枕にもあれが立っての。
まあ、なんだ。随分色々言われたのよ。
それもあやつ、溢れるマナを殆ど隠しもしないもんじゃから、聞いておるだけでかなり消耗してしまったわ」
ウーラスーラほどの魔族が、話を聞いているだけで疲弊してしまうとはいかなる威容なのか。
仔龍と言うからにはアトリアの方なのだろうことは想像がつく。
アニスの頭の中で、愛らしい童女か眉を吊り上げぷんすこ怒り、それをウーラスーラがしおらしく聞いている様子が再生される。
滑稽この上ない情景であった。
「村についてもの。見逃さねば酷いぞと脅されたわ。
そんなくだらぬ事でお前たちを不安がらせるなとな。
ああでも、村の連中には言うなよ。狩りの腕を磨くよい機会ではあるんじゃ。
襲うことはもうせぬが、緊張感を与えるぐらいはよいと言われておるでな」
高飛車な女王の面影はすっかり消え、親に叱られて拗ねている子供のような仕草ばかりがそこにあった。
村が襲われなくなったというのは確かに朗報だが、出来すぎた話というのは素直に喜べないものだ。
「アトリアさん、って何者なんですか……?」
「詳しくは知らぬ。知っているのは古い生き物ということぐらいよ。魔族という括りに入れて良いのかどうかすら分からぬ。
如何せん妾も話すの初めてでの。そういう存在がいるということしか今まで知らなんだ。
じゃが、此度遭うてはっきり分かった。あれは如何なる存在とて勝てぬ。
魔王がどうとかいう話ではない。まったく、化け物とはああいう存在を言うんじゃろうな」
ウーラスーラは自嘲げに肩を揺らし、そして酷く同情的な視線をアニスへ投げかけた。
「森の子。今後お前には此度のようなことでは済まぬ大事は降りかかるじゃろう。
故にこそ、たった一度。たった一度だけ、お前に妾を召喚する力を授ける。
お前たちの力ではどうにもならぬような事態になった時、妾をお呼び。
良いか、一度だけじゃぞ。呼び時はよぅく選べよ」
手を出せとウーラスーラがアニスに促すので、両の手のひらを合わせて椀を作ると、怪しげな光が二、三瞬いた後、赤い宝珠が手の内の収められていた。
「必要な時はそれを地面に叩きつけて割れ。
さすれば瞬く間に妾はお前のもとに馳せ参じ、邪魔者共を一掃してくれようぞ」
「女王様、ありがたく頂戴いたします」
魔王級の魔族の力を借りるような目には出来れば出会したくないが、ウーラスーラが言うように、もはやそういう自体を避けるのは難しいのだろう。
戦力は多ければ多いほどよい。いざという時に頼りにできる存在がいるというのは心強かった。
「うむ、励めよ。
さて、妾の用向きはこれで終いじゃが、お前たちからは他になにかあるかえ?」
漠然と"もうありません"と答えそうになったが、フォリントが肘で小突くので森のことを思い出し、アニスは慌てて口を閉ざした。
「えっと。あのっ、女王様が仰っていた古き森についてなんですけど、いつかは行かないといけないと思うんです。
なにか助言をいただけませんか?」
ふうむ、とウーラスーラは頬に人差し指を立てて思案に眉を顰ませた。
効果的かつ具体的すぎない、丁度いいヒントをどう出そうか悩んでいるときの剣の師を、レディエールは思い出した。
「そうじゃの。
では、聖蛾の伝承を追うといいじゃろう。
彼の森は聖蛾の住処とされておるからの。起源を求めればいつか行き着くじゃろう」
聖蛾アルマフォルン。あまりの美しさに見たものの戦う意志を削ぎ、夜空に羽ばたいただけで古の大戦争を集結させたとされる伝説の妖蛾である。
空を覆うほどの大きな翅には人智では測れぬ美が詰まっており、曰く神すらも魅了すると言われていた。
アニスの持つナイフもこのアルマフォルンが由来であり、アニスを含め多くの人にとって信仰の対象ですらある。
「聖蛾様のお住まいが……わたしの故郷……!」
今まで得たことのない類の歓びが、アニスの胸中で大いに沸いた。
誇らしさが熱となって全身に広がる。それに、期待もあった。
少なくともここ数百年は姿を見せていない聖蛾を、この目で見ることが出来るかもしれない。
この期待はアニスだけではなく、フォリントも、そしてレディエールにすら強く抱かせた。
それほど聖蛾信仰というのはローレリアに根付いているのであった。
その上レディエールに関して言えば、殊更にアニスに対する敬意を強めていた。
やはり、やはりっ。
アニス様は聖蛾に導かれた、聖女様なのですね……!
ウーラスーラとのやり取り、魂の離脱先で遭遇した龍と時の魔女。そして聖蛾の森。
アニスが並々ならぬ人物であることは、レディエールの中でもはや疑いようがない。
この瞬間、レディエールの夢は高揚感と共に変貌を遂げた。
正騎士として祖国に尽くすのではなく、生涯をこの方に尽くすのだと。
それこそが天命なのだと、レディエールは確信した。
「クク、まあ昂ぶるのも無理はないがな。
大層な夢を見て、足元を掬われぬようにせよ。
お前たちは今の実力には見合わぬ旅に出ようとしておるからの、人並み以上に注意しろよ」
「女王様……」
「ウーラで良い。さて、もう行け。
妾は些か疲れた。暫くは眠ることにする。
ゆえ、あまり早く呼びすぎるなよ」
くああっと上下の口を大きくあくびをして、巣穴の奥まった方へ下がっていく。
「ウーラ様っ。
その……色々とありがとうございましたっ」
アニスがぺこりと頭を下げるのを見るでもなく、後ろ手に手を振って去っていった。
3
ウーラスーラとの約束通り、村人にはもう脅威が去ったことは告げずにおいた。
少し良心が傷んだが、狩猟技術の向上は村のためにもなる。
それにウーラスーラとこの村が良好な縁を結べるのであれば、これ以上頼りになる守護もない。
昼食を頂いた後、名残惜しまれる中村を去った。
アニスにとっては久方ぶりの馬車旅である。
「それにしてもアルマフォルンかあ、話はよく聞くけどどんだけ綺麗なのかしらねー。
戦争を止めるぐらい綺麗って、ぜんっぜん想像つかないわ」
幌馬車に揺られながら、他愛もない話をする。
旅においてはこういう何でもない時間が大切なのだと、話をしていてアニスは気付かされた。
「うーん、これはあくまでわたしの推測なんですけど、多分見る人によって変わるんじゃないかなって思います。
どんな価値観の人にも綺麗に見えるから、戦争を止めちゃうような力があるんじゃないでしょうか」
「一種の幻惑魔術ってところ? 確かに極まった幻惑魔術は攻撃魔術よりずっとえげつないって聞いたことあるけど……。
あたしはもっとこう、個人の好みなんか超越するような圧倒的な美っていうのがいいわねえ。
その方が神様感あるっていうか」
「分かります。そっちのほうが素敵ですよね。
ただ、どちらにしても一度は……ひゃっ」
会話の途中にごとりと馬車が揺れ、思わず声が出た。
レディエールの繰る馬車旅では珍しいことである。
「レディさん、どうしたんですか?」
「申し訳ありませんアニス様。見知った顔が突然出てきたので」
訝しげな視線を街道に向ければ、やけに高価そうな服を着た男が見えた。
髭を処理し随分身なりのいい格好なので一瞬分からなかったが、放浪の吟遊詩人ドリスタスが真剣な面持ちで立ち塞がっているのであった。
長めだったウーラスーラ編もとりあえず終わりです




